長期間の任務を終えてノートメアシュトラーセ王国の王都シャインフォハンに帰還したシュバルツたち。そこで待っていたのは思いがけない展開だった。またシュバルツが軍法会議にかけられることになったのだ。告発者はルイーサ。罪状は任務中に意図的に敵を利する行動をとったというもの。ベルクムント王国の王子ズィークフリートを逃がしたことを訴えられたのだ。
この展開はディアークやアーテルハイドたち、ルイーサ以外のアルカナ傭兵団幹部たちをも驚かすことになった。ルイーサは彼らに相談することなく、訴えを起こしたのだ。さらにディアークたちが事態を把握する前に、事を公にした。そうなると握りつぶすことは出来なくなる。軍法会議は開かれることになった。
「滅多に開かれることなどない軍法会議を二回も経験するとは。面倒ごとに好かれる男だな」
会議を裁くのは、またもアルカナ傭兵団上級騎士、審判のヨハネス。真偽を聞き分ける能力を持つ彼以上の適任者はいないのだ。
「好かれているつもりはない。ただ嫌われている自覚は最近、芽生えてきた」
「好悪いずれであっても強いということだ。そういう存在も滅多にいるものではないな」
すでに軍法会議の開廷が宣言されているというのにシュバルツと雑談を続けるヨハネス。表には出していないが、彼のこの対応にディアークをはじめとした幹部たちは驚いている。ヨハネスが無駄話をすることも滅多にないことなのだ。
「それ、喜ぶべきことなのか?」
「さあな。良きことも悪きことも大きい。それをどう受け取るかはお前次第だ」
「……平穏な暮らしが良いな」
ヨハネスのように真偽を聞き分ける能力がなくても、これは嘘だと思う。シュバルツの言動は平穏な暮らしを望む人のそれではないのだ。
「さて、始めよう。告発では、お前はベルクムント王国の王子、ズィークフリートを討てる状況にありながら、わざと逃がしたとある。これは事実か?」
「事実」
あっさりと事実だと認めたシュバルツ。これを聞いた傍聴者たちから声が漏れる。逃がしたことを非難する声だけではない。ズィークフリート王子を討てる状況にまで持って行っていたことを驚く声も混じっている。ここまでの情報は公にされていなかったのだ。
「逃がした理由は?」
「討つ必要がなかったから。俺の任務はベルクムント王国と従属国の国力を弱めること。王子を討てというものではない」
「屁理屈だな。本当の理由があるはずだ」
嘘はついていない。だが、わずかな揺らぎのようなものをヨハネスの耳は捉えた。
「必要性を考えるきっかけは、逃がして欲しいと頼まれたから」
「なるほど。それは誰に?」
続くシュバルツの答えには揺らぎもなかった。シュバルツは真実を語っている。いくらカーロに頼まれたからといっても、無条件で逃がすことを決めたわけではないのだ。逃がす理由というものをわずかな時間で考えていた。
「知り合い。幼馴染ということまで言ったほうが良いのかな?」
「ベルクムント王国軍に幼馴染がいたということか?」
「そう。ベルクムント王国は俺が育った国だからいてもおかしくないけど、王子の側にいたことにはかなり驚いた」
これも、少し誤魔化しが混じっているが、嘘ではない。カーロが騎士になったことは前回の戦いの時にすでに知っていたが、ズィークフリート王子の護衛になっていることまでは考えていなかった。
「……幼馴染の頼みであったとしても、敵国の王子を逃がすことは敵を利することになる。こう考えなかったのか?」
「それについてはもう一度、任務の目的を説明する。国力を弱めることとさっきは言ったが、その先にある目的は全面戦争を防ぐこと。逆に聞きたい。ベルクムント王国の王子を殺して、再侵攻を防ぐことは出来るのか?」
「……それに答える立場に私はない。まずは、お前の考えを話せ」
前回とは違い、ヨハネスは自分の考えを話すことをしなかった。自分は検察ではなく裁判官。この件に関して、自分の意見を述べるのは有罪無罪についてだけと決めているのだ。
「防ぐどころかベルクムント王国は全力で侵攻してくる。自国の王子を殺されて、泣き寝入りするはずがないからな」
「殺さないことで再侵攻は防げると?」
「そうは言っていない。今の対立状態が続く限り、いずれは戦うことになる。ただ次は負けられないと思っている敵と、こちらを亡ぼすまで戦いは止めないという覚悟で攻めてくる敵のどちらと戦いたいかだ」
次は絶対に負けられない。これも難しい相手だ。だが、ただ体面を気にしているだけであれば、勝ったという形を作れたところで引き上げる可能性もある。少なくとも、同等以上の被害を与えるまで絶対に戦いを止めないと考えている敵と戦うよりはマシだ。
「……告発人の意見は?」
シュバルツが正当性を主張するのであれば、それを崩すのは告発人であるルイーサの役目。ヨハネスはルイーサに意見を求めた。
「ヨハネス。なんか追求が緩くない? そんなの後付けでしょ? 愚者は仲間の為に敵国の王子を逃がした。それだけのことよ」
「被告人が反論しているからには、告発人にはそれ以上の納得のいく説明が求められる。今の意見はそうではない」
「……じゃあ、その幼馴染という奴が何者か聞きなさい。どうせ黒狼団の仲間でしょ? 愚者は傭兵団の為ではなく、黒狼団の為に行動している。これは間違いない事実で、罪になるはずよ」
シュバルツの反論を突き崩す意見をルイーサは持たない。その必要も感じていない。ズィークフリート王子を逃がしたことは裁判を開く為の口実。ルイーサが追求したいことは別にあるのだ。
「……告発人はこう言っているが?」
「まず、俺は自ら望んで傭兵団に入ったわけではない。傭兵団の仕事をしているのは半分は強制されて、半分は俺の善意、もしくは気まぐれだ。それはここにいる全員が知っているはずで、そうであるからには、そもそも任務の結果に責任を負わせることが間違いではないのか?」
「ほう」
思わず声を漏らしてしまうヨハネス。どう反論するのかと思って聞いてみれば、咄嗟に考えたはずなのに筋が通った内容。被告人として、アルカナ傭兵団にはこれほど面倒な相手は他にいない。そう思って、感心してしまったのだ。
「告発人のご意見は?」
このシュバルツの問いに、わずかに緩んだヨハネスの表情が引き締まる。シュバルツの雰囲気が変わったことを感じ取ったのだ。
「私は貴方がどういう目的で行動しているかを聞いているの。黒狼団の仲間の為。そうであればそう言えば良い」
「それはもう答えた。俺はアルカナ傭兵団の為に働くつもりはない。どう行動するかは自分で決める」
「認めたわね。では貴方をアルカナ傭兵団に害をもたらす者として、その罪を問うことにするわ」
ルイーサは何が何でもシュバルツを罪に落としたいのだ。彼がディアークの後継者となることなど絶対に許せない。その可能性が少しでもあるのであれば、今の段階で排除しようと考えている。まったくの個人的な感情。だからディアークに断ることなく、無断でこんな真似をしているのだ。
「罪に落としたとして、それに俺が従う義務があるか?」
さらにシュバルツの雰囲気が剣呑なものに変わる。すでにその圧力は部屋にいる傍聴者の多くが感じ取れるまでになっている。平然と、感情は別にして、いられるのは傭兵団幹部のほか、一部の上級騎士たちだけだ。
「貴方がどう思おうと罪は罪。無理やりにでも従わせるわ」
ルイーサも敵意をむき出し。殺気さえ感じさせるようになっている。
「無理やりね……もし足につけたものを頼りにしているなら間違いだ。もう解除法は見つけている」
シュバルツは逃げられないように足に魔道具をはめられている。だがそれについての対処法はすでに思いついている。
「嘘ね」
「本当だ」
「……なんですって?」
ヨハネスがシュバルツの言葉が事実だと言ってきた。真偽を聞き分ける力を持つヨハネスが。
「彼は嘘をついていない」
重ねてシュバルツの言葉が嘘でないことを告げるヨハネス。それを聞いて傍聴者たちがざわめく。
「……別に魔道具なんてどうでも良いわ。逃げようとしても逃がさないから。拘束されるのが嫌なら全てを話しなさい! 黒狼団の規模は!? メンバー構成は!? 拠点はどこにあるの!?」
シュバルツを排除するだけがルイーサの目的ではない。今回の任務でも黒狼団は驚くべき働きをみせた。その力をディアークの物にしようと企んでいるのだ。だが、これはやり過ぎだ。シュバルツがもっとも大切にしているものに手を出してしまった。
「それは話すつもりはない」
「無駄よ。ヨハネスの能力があれば事実は暴かれるわ」
情報を引き出すのはヨハネスの能力頼み。そのためのこの場だ。
「それ無理じゃないか? 何を聞かれても俺は嘘をつく。何度聞かれても嘘をつき続ける。真実は永遠に分からない」
「……尋問相手が貴方だけとは限らない」
さらにルイーサは危険な領域に踏み込んでしまう。もっとも、すでに手遅れであるが。
「他に尋問相手が? へえ、それはどこの誰だろうな?」
「ふざけないで。ブランドだって、それに食堂の……ブランドはどこ?」
裁判を傍聴していたはずのブランドがいなくなっている。そのことにルイーサはようやく気が付いた。
「まだこの街にいると思うけど? いつまでかは俺も知らない」
ブランドはすでにエマたちがいる食堂に向かっている。合流した後は、そのまま街を出ていくはずだ。
「本当だ」
シュバルツの発言の真偽を告げるヨハネス。その視線はルイーサではなく、ディアークに向いている。これ以上はまずい。そう警告しているつもりだ。それはディアークも分かっている。分かっているが止めるタイミングを見極めらないでいた。今の状況ではシュバルツの脅しに屈したことになる。明らかにルイーサに対する反感のほうが強い中で、脅しに負けた形で止めることを躊躇っているのだ。
「逃げても無駄よ。国境を閉鎖する」
「間に合うかなあ? 間に合うと良いけどな」
「キーラ?」
割り込んできたのは傍聴席にいるキーラ。キーラの発言の意味がルイーサには分からない。
「追いつき追い越せれば良いけどな。私も彼らと会えなくなるのは寂しい」
「そう思うなら、さっさと伝書烏を飛ばしなさいよ」
「飛ばすのは良いけど、国境に行くかな? 私の友達も彼らと仲良しだからな」
「なんですって? キーラ! 貴女、裏切るつもり!?」
傍聴席からキーラがルイーサにかみついてきた。状況はさらに悪化してきたと言える。
「はっ? 私は裏切らない。ただ友達がどうするかは分からないと言っているだけだ」
「……別に良いわ。ブランドは無断で逃亡した。この罪は確定ね。愚者を拘束する理由は出来たはずよ。さっさと審判を下しなさい」
キーラとこれ以上、対立することは良くない。シュバルツを罪に落とすことに異常な執念を見せているルイーサだが、これくらいの冷静さは維持している。
「告発人の意見を聞こう」
「ヨハネス!」
「ルイーサ殿の今の発言は新たな告発だ! そうであれば被告人の意見を聞いた上で判断を下す必要がある!」
ヨハネスもルイーサに対して強い怒りを覚えている。ルイーサはシュバルツを個人的な感情から罪に落とす為に、ヨハネスの唯一の仕事場を利用した。裁判の場を謀略の場にしたのだ。許せることではない。
この怒りは、すぐにこの場を治めようとしなかったディアークにも向けられている。シュバルツに発言を許せば、さらなる爆弾が爆発することになるに違いない。それが分かっていて、シュバルツに機会を与えたのだ。
「拘束したければすれば良い。これまでと違って、俺の意思でここに残るわけではないのだから、仲間たちが必ず助けてくれる」
「アルカナ傭兵団と黒狼団の戦いになるって? そんな脅しが通用すると思っているの? 貴方のお仲間がどれほどであるかは知らないけど、私たち以上であるはずがないわ」
「別に仲間たちだけで戦わなければならない義務はない。仲間たちだけでは無理であれば、他の手を借りるだけだ。たとえば……ベルクムント王国とか?」
「なんですって?」「本当だ」
ヨハネスの思っていた通り、シュバルツはさらなる爆弾を持っていた。ヨハネスの予測を超える特大の爆弾だ。
「本当のはずないでしょ!? ベルクムント王国が……まさか、最初から組んでいたの?」
ベルクムント王国がシュバルツの救出に手を貸すはずがない、と言おうと思ったルイーサだが、途中でその可能性に気が付いた。シュバルツがズィークフリート王子を逃がしたのは、最初からその約束が出来ていたから。そう考えたのだ。当然、間違いだ。
「命を助けてやったのだから少しくらいは恩に感じてくれているだろ? それに俺を助ける為ではなく、中央諸国連合を亡ぼすのに手を貸してやると持ち掛ければ、乗ってくる可能性は高いと思うけどな?」
「……貴方の仲間が手を貸したくらいでどうにかなるものではないわ」
これは完全に負け惜しみ。ベルクムント王国だけで全面戦争を仕掛けてこられても中央諸国連合は厳しい。だから愚者に任務を与えたのだ。ベルクムント王国軍にとって天敵といえるシュバルツが味方しないとなれば尚更厳しいものになる。その状況でさらに、全容をつかめていない黒狼団まで敵に回るとなれば、どれほどの脅威となることか。
「ちょっと考えただけでどうにかなる方法は思いつくけどな」
「……本当だ」
「いちいち判定しなくて良いわよ! 思いついたのなら言ってみなさい! どんな策でも絶対に防いでみせるわ!」
「策を話させるってズルくないか? でもまあ、良いか…・・いつどこで火薬兵器が爆発するか分からない。そんな恐怖に中央諸国連合の人々は耐えられるかな? それとも完全に防ぐ方策がある?」
部屋にざわめきが広がっていく。言い合いは完全にシュバルツが優勢。それによってシュバルツが放っていた圧はかなり弱まっている。傍聴者たちに雑談が出来る余裕が出来たのだ。
シュバルツが話した策に対して、どういう対策が取れるか。皆が考えているが、良い案は中々出てこない。国境を封鎖。これは難しい。中央諸国連合だけですべての物資がまかなえているわけではない。対立しながらも商売は別ということで、様々な物が加盟国以外の国との間で取引されているのだ。物流を完全に止めれば、それはそれで中央諸国連合内は大混乱になる。では荷物検査を徹底する、としても、そもそも普通の手段で国境を超えてくるとは限らない。実際に愚者は違う方法で移動している。
防ぐ手段がない。それが分かってしまうとシュバルツを敵に回したルイーサへの批判は抑えられなくなる。すでにかなり危険な状態だ。
「喧嘩を売るほうも買うほうも、もう少しマシなやり方はなかったのか?」
ここでようやくディアークが動いた。
「喧嘩で済む内容ではありません」
さらに、アーテルハイドも口を開いた。あえて事を軽くしようとしているディアークを、そもそもの発端であるルイーサを批判するような言葉を。
「では俺が分かりやすい喧嘩にしてやろう。お前たちも傭兵なら口ではなく実力で勝負しろ。その場を俺が用意してやる」
「なりたくてなった傭兵じゃないけど?」
二人の意図を察して、シュバルツも合わせてきた。ここで決定的な対立を作ることはシュバルツの本意ではない。ルイーサとの仲直りなど絶対に出来ないと思っているが、個人の対立で収めようと考えているのだ。
「まあ、そう言うな。お前にも参加したくなるような形にしてやる」
「参加?」
「そうだ。傭兵団全体での対抗戦を復活させる。今回は個人戦が良いだろう。すべての団員に参加資格を与える。従士であっても勝てば傭兵団での序列を上げる。さらに勝ちあがった者には俺への挑戦権を与える」
かつてアルカナ傭兵団で行われていた対抗戦。それぞれの実力を確かめ、傭兵団内での序列を決めていた。ディアークがノートメアシュトラーセ王国の国王となった後は、ただ強いというだけで序列を上げるわけにはいかなくなり、長く行われてこなかった対抗戦を復活させようというのだ。
「傲慢、自分との勝負にはそれだけの価値があると思っているのか?」
「少なくともお前にはあると考えている」
自分への挑戦権は約束したのはシュバルツの為。シュバルツが参加する意味を作ったのだ。
「なるほど。今回の難癖をつけてきたことへの謝罪だと受け取って良いのか?」
「謝罪になるかどうかは、お前が勝ち上がれるかにかかっているな」
「そうか。じゃあ、意地でも勝ち上がらなければならないな」
シュバルツが受け入れたことで対抗戦の開催は確定だ。傍聴席がこれまでとは違う雰囲気でざわめくことになった。対抗戦に参加するかしないか。皆の思考はそちらに向いている。
「意地だけでは難しいと思うけどな? 団長に挑戦したければ、私に勝たなければならないからね?」
さらにアーテルハイドも参加を表明してきた。この場の印象を薄める為には、対抗戦をこれ以上ないほどに盛り上げることが必要。こう考えているのだ。
「もう面白くなってきた。初顔合わせの時以来か……あの時は手も足も出なかったけど」
「もう少しまともな戦いになることを期待している」
シュバルツを挑発するアーテルハイド。
「期待以上の結果になって落胆しないように」
その挑発に乗るシュバルツ。アーテルハイドの意図もシュバルツは理解している。そうでなくても挑発し合ったほうが面白い。本気のディアーク、アーテルハイドとシュバルツは勝負したいのだ、
まずはディアークとアーテルハイドの策は成功。軍法会議での出来事以上に、対抗戦開催の情報がアルカナ傭兵団内を駆け巡ることになった。