山中の拠点で待機していたキーラたちと合流して、シュバルツたちは山越えで隣国のベルクムント王国に向かった。アルカナ傭兵団としてのシュタインフルス王国での任務は終わり。そのまま自国に帰還することになる。
シュタインフルス王国に残ったのは教会に捕らわれていた孤児たちとローデリカ。そしてロートだ。
「すみません。私の為に」
ロートに向かって謝罪を口にするローデリカ。
「別にあんたの為に残ったわけじゃない。助けた奴らにも戦い方を教える為だ」
ロートがシュタインフルス王国に残ったのは孤児たちに戦い方を教える為。自分の身を守る為の力を与える為だ。ラングトアでロートたちがシュバルツの育ての親であるギルベアトに教えてもらっていたのと同じことを行おうとしているのだ。ロートたちのそれは、自分の身を守る為以上のものになっているが。
「そうだとしても感謝しなければなりません。巻き込んでしまった上に、ここまでのことをしてもらうのですから」
教会から孤児たちを救う。これは元々、ローデリカが個人的に行おうとしていたこと。救出を手伝って、というよりほぼ全て頼りっきりだった上に、孤児たちが暮らす場所まで用意してもらえた。さらにその面倒までみてもらえるとなれば、やはり申し訳ない気持ちにローデリカはなってしまう。
「それ、シュバルツにも言ったのか?」
「ええ……少し不機嫌にしてしまいました。他人行儀だって」
「だろうな。そういうことだ。あんたは黒狼団の一員として認められている。手伝ってもらうのは当然なんて考えるのは違うが、そこまで気にすることはない。ありがとうの一言で十分で、他の仲間に何かあった時は助けてやれば良いだけだ」
相互扶助が黒狼団のあり方。一人一人の力は小さくても、お互いに助け合うことで困難を乗り越えていく。その為に集まったのだ。
「そうですね。私に出来ることがあれば全力を尽くします」
ロートの言っていることは分かるが、はたして自分に出来ることはあるのかとローデリカは思ってしまう。今まで助けてもらうばかりなのだ。
「真面目……少なくとも俺のことは気にする必要はない。ここに残れるのは俺にとってもありがたいことだからな」
「そうなのですか?」
「表の仕事が忙しくなりすぎて、普段は思うように鍛錬の時間がとれないからな。こうして自分を鍛えることだけに集中できる時間が作れたのは良かった。俺のほうが他の奴らに悪いなと思っているくらいだ」
隠れ蓑として始めた食堂は、エマのおかげで大人気。昼間はそちらの仕事で忙しくて、他のことを行う時間が取れない。他の仕事に煩わされることなく、鍛錬に集中出来るこの場所に残れたのはロートにとって幸運だったのだ。
「そういってもらえると気が楽になります」
「気を使って言っているわけじゃない。これは本音。このままだとシュバルツとの差は開く一方だからな」
一方でシュバルツやブランドは任務の時以外は、鍛錬ばかりの毎日を過ごしている。実戦経験も彼らのほうが上。ロートには焦りがあるのだ。
「……貴方は……力を?」
黒狼団にいる特殊能力保有者はシュバルツだけではない。ブランドはまず間違いなく、一緒に教会に潜入したスヴェンも怪しいとローデリカは思っている。シュバルツに次ぐ実力者らしいロートも特殊能力保有者なのだろうとローデリカは考えた。
「それが特殊能力のことなら、俺は持っていない」
「そうなのですか?」
「特殊能力なしでシュバルツに追いつくのは無理だと思った?」
「それは……その……すみません」
特集能力を持たない人が、かなり強力な攻撃型能力を持つシュバルツと同じくらいに強くなれるとは正直、ローデリカは思えない。ロートの問いを素直に認めた。
「謝らなくていい。正直に言えば、俺も厳しいと思っている。それでも俺はあいつを追いかけなければならない。あいつを一人にするわけにはいかない」
自分は、自分たちは、シュバルツにとって頼れる仲間でいなければならない。助けられるだけの存在になってはいけない。シュバルツが一人ですべてを背負い込むような状況には、二度としないとロートは誓ったのだ。
「……私も追いかけて良いですか?」
「もちろんだ。言った通り、俺では厳しい。あんたが助けてくれるならありがたい。能力を持っているという点で、あんたのほうが追いつける可能性は高いしな」
「そうだと良いのですが……」
ロートはそう言うが、模擬戦ではローデリカはそのロートに勝てない。特殊能力を持っているという点以外は、ロートに劣っているのだ。
「内気功なら、きっとそれほど時間がかからずに身につけられるはずだ。練度という点では時間が必要だけどな」
ロートはローデリカに内気功を教えている。彼女が今よりも強くなる為には必要なことだと、彼女自身も考えて決めたことだ。
「どうしてそう思うのですか?」
ロートの言葉は嬉しい。嬉しいが、ただの慰めであれば意味はない。ロートと同じようにローデリカにも焦りがある。今のままでは役に立てないと思っているのだ。
「特殊能力を使う時に感じる何か。それを内に閉じ込めるようにすれば良い」
「何か、ですか?」
「今言ったのはシュバルツの感覚だ。俺には何かがどのようなものか分からない。でも、あんたには分かるかもしれない」
「それは……特殊能力と内気功は同じものだというのですか?」
特殊能力を発動する時の何か。それを内に留めることで、本当に内気功が使えるのであれば二つの能力の基は同じということになる。ローデリカは、こんな話は初めて聞いた。
「だから俺には分からない。俺は内気功を使える。でも特殊能力は使えないからな」
「そうですか……」
「答えの出ないことに悩んでいても時間の無駄だ。まずは内気功を使えるようになること。さらにそれを鍛えること。そうしている内に、今は分からないことが分かることもあるかもしれない」
「そうですね。今はとにかく強くなること。それだけを考えることにします」
ロートの言う通り、無駄な時間を使っている余裕はない。シュバルツは待っていてくれない。こうしている間にも先に進もうとしているはずだ。そういう人物なのだとローデリカは思っている。
その背中を追い、出来れば追いつき、彼の背中を守れる自分になりたい。ローデリカはこう考えているのだ。
◆◆◆
一万の大軍が、わずかな敵の夜襲により大きな被害を出し、撤退に追い込まれた。指揮官であるズィークフリート王子の責任を問う声があがるのは当然のこと。だが、その声が本来は庇う立場であってもおかしくない国王から真っ先にあがったとなると、周囲は戸惑うことになる。
ズィークフリート王子はベルクムント王国の次の国王になるはずの人物。その彼の経歴に汚点を残すような事態は望ましくない。責任を問われるのは当然と考えていた人たちの多くも、なんだかんだと別の問題も取り上げて、「次戦での名誉挽回に期す」くらいで収めるべきだと考えていたのだが、事はその程度では終わらなかった。
国王が下した処分は謹慎。謹慎期間中は公務は出来ない。再出兵が決まっても指揮官にはなれない。名誉挽回の機会は得られないのだ。
謹慎といっても短期なものになると予想する者は多い。次は絶対に負けられない戦い。万全の準備を整えるにはそれなりの期間が必要で、それが出来る前には謹慎は解かれるであろうと。だが謹慎処分は、失敗の責任はズィークフリート王子にあるという記録を残すことになる。ベルクムント王国の歴史に、一万の大軍を率いていながら十人程度の敵に敗れた王子という記録を残すことになってしまうのだ。それに疑問を感じない者は少ない。
何故このような事態になったのか。その原因をもっとも速く突き止めたのは、カーロだった。
「はあ? 何が悪いの? 王子が失脚すれば、残る跡継ぎは王女だけでしょ? その王女もあんたの言いなりなのだから、やりたい放題じゃない」
ズィークフリート王子の謹慎処分には国王の愛人になっていたヘルツが関わっていた。国王を操る悪女。一部の事情を知る人たちからこう見られていることを知り、忠告する為に会いに来たカーロは、この事実を知ることになった。
「カロリーネ王女は言いなりになどならない」
「だったら早くそうなるようにしちゃいなさいよ。それとも何? まさかまだやってないの?」
ヘルツはカーロもカロリーネ王女相手に同じとを行っていると思っている。こう考えるのは当然だ。カーロはそういうつもりでカロリーネ王女に近づいたのだから。
「王女相手にそんな真似出来るはずがない」
「王女だって女でしょ? 女をたぶらかすのはあんたの得意技じゃない。喜ばせてあげなさいよ」
男性を、他が何も見えなくなるくらい夢中にさせるのはヘルツの得意技。女性を同じようにするのはカーロの得意技。二人はそうやって生きてきた。黒狼団の為に働いてきた。
「……万が一そうなって、その事実が周囲に知られれば、俺は消されることになる。王家の醜聞など世の中に知られるわけにはいかないからな」
「だったら何のために王女に近づいたの?」
「分かっていなかったからだ。火遊び好きの貴族女しか、俺は知らなかったからな」
高貴な女性は貞操観念がない。カーロはこう思っていた。貧民街の孤児という身分は隠していても、平民であることに変わりはなく、さらに自分よりも年若いカーロと遊ぼうなんて貴族女性は、全体からみれば少数。だが、そういう女性としか接していないカーロは、逆に多数派だと考えていたのだ。
「……王女が火遊びはさすがにないか。でも遊びじゃないほうがさらに良いじゃない。あんた、この国の王様になれるのよ?」、
この考えも無知が生み出すもの。そんな都合良くいくはずがない。そもそもカーロはそんな形を望んでいない。
「王家の血を引いていない俺が国王になれるはずがない。結婚も無理だ。周りが認めない」
結婚は、ヴァルツァー伯爵の実子であれば、まだ可能性はあったかもしれない。だが元は平民、というだけでなく貧民街の孤児であるカーロがカロリーネ王女の結婚相手として認められるはずがない。今の関係でも苦々しく思っている人は大勢いるのだ。
「じゃあ、どうするのよ?」
「何もしない。ある程度の地位は手に入れた。あとは地道に立場を固めていくだけだ」
伯爵家の養子になったことさえ、余計なこと。騎士としての立場を確立出来ただけで、今のカーロは満足だ。あとは実績を重ねて、周囲に自分を認めてもらうことだ。
「地道……似合わないから」
「俺のことは今は良い。周囲が認めないのはヘルツも同じだ。それは分かっているのか?」
今日こうしてヘルツと会っているのは、これを伝えたいから。ようやくカーロは本題に入れた。
「国王が何人の女を囲おうと、誰も文句は言えないでしょ?」
「国王に対しては。お前相手に遠慮する理由はない」
「国王が私を求めているの。文句があるなら国王に言わないと」
国王の側から離れるようにという忠告はすでに受けている。それに対してヘルツは、今と同じことを言っている。国王が離れることを許してくれないのだと。そうなるように仕向けたのはヘルツだが、嘘ではない。
「国王にも言っている。ズィークフリート王子が。王子を失脚させたのは、そのせいか?」
何故、ヘルツがズィークフリート王子の失脚を望むのか。これが理由だとカーロは考えている。
「失敗したから罰を受けた。それだけのことでしょ?」
だがヘルツはカーロの考えを認めない。これがカーロの疑いを、確信に変えた。
「ヘルツ。このことをシュバルツは知っているのか?」
ヘルツは黒狼団の為に動いているように言っているが、実際はそうではない。自分の欲求を満たす為だとカーロは考えている。本当に黒狼団の為だけであれば、自分に嘘をつく必要はないのだ。
「……知らないかな? 遠くにいるシュバルツに、いちいちお伺いを立てていられないでしょ?」
カーロが考えていた通り、今回の件はヘルツが勝手にやったこと。ここで嘘をついても意味はない。カーロには、時間はかかるが、確かめる術があるのだ。
「では、シュバルツが止めろといったら止めるのだな?」
「止めろなんて言わないでしょ? ベルクムント王国が手に入るのよ? 貧民街で育った私たちがベルクムント王国を思うがままに動かせるのよ? 最高じゃない」
ヘルツはシュバルツの言葉であっても従うつもりはない。彼女の苦々しい表情がそれをカーロに教えてくれた。
「過ぎた力を手に入れても、自分の身を亡ぼすだけだ」
「さすが。王女様と付き合うと難しい話も出来るようになるのね? 私なんてエロ親父のいやらしい言葉を聞いているだけだから、前と全然変わらないわ」
カーロの忠告を冗談でかわそうとするヘルツ。彼女にも危険であることは分かっている。だが雲の上の存在であった国王を、自分の思い通りに動かせるという快感を手放す気にはなれないのだ。
「……とにかく王子の謹慎を一日でも早く解けるようにして、これ以上、敵を作らないようにしろ」
ヘルツを止めることが出来るとすれば、それはやはり、シュバルツしかいないとカーロは考えた。 離れた場所にいて、その上、自由に動けるわけではないシュバルツでは、顔を合わせて説得というわけにはいかないかもしれないが、それでもこの事実を伝え、どうすべきかを考えてもらおうとカーロは考えた。
「これ以上の敵ね……分かったわ。忠告は聞いてあげる」
「頼む」
ヘルツはカーロの忠告を受け止めた。だからといってやることがカーロが求めていることと同じとは限らない。それをこの時のカーロは分かっていなかった。今のヘルツはカーロの良く知る彼女ではない。彼女が国王を狂わせているのと同じように、彼女も国王の持つ権力に狂わされている。ささやくだけで次期国王を謹慎させられるという絶大な権力の虜になってしまっているのだ。