シュバルツたちの奇襲により、甚大な被害を受けたズィークフリート王子率いるベルクムント王国軍。目的地であるシュタインフルス王国への進軍を一旦、取りやめ。自国に帰還して対応を検討することになった。被害の多さが一番の理由であるが、それだけではない。被害をもたらしたのは火薬兵器による攻撃。ではその火薬兵器をアルカナ傭兵団はどうやって手に入れたのか。考えられるのはベルクムント王国から支給を受けた従属国。その中でもシュタインフルス王国の可能性がもっとも高いと考えられた。つまり、シュタインフルス王国はすでにアルカナ傭兵団、中欧諸国連合に寝返った可能性があると。
現時点では証拠はない。だがその可能性があるのであれば、このままシュタインフルス王国に向かうべきではない。軍を送るとすれば、もっと戦力を揃えて。シュタインフルス王国の裏切りが事実であったとしても、再度、従属させるだけの戦力を送りこまなければならないと考えた結果だ。
間違った判断とは言えない。だが、二度の大敗という事実が残る結果は、ベルクムント王国の従属国支配に大きな影響を及ぼすことになる。もっとも早く影響を与えたのは、シュタインフルス王国に対してだ。
東西に流れる川にかかる橋。その両側にそれぞれ百名程度の軍勢が集まっている。シュタインフルス王国軍と反乱軍の軍勢だ。両軍からそれぞれ二名ずつが出てきて橋の上を進んでいく。これから橋の中央で交渉が行われるのだ。
シュタインフルス王国の代表はトリスタン王子。付き従うのはマンフレート将軍だ。反乱軍の代表はコンラート。それに付き従うのは。
「……ベ、ベスティエ」
全身を覆っている鎧兜で顔は見えないが、これだけの巨体を持つ人物はそう何人もいるわけではない。トリスタン王子はベスティエだと考えた。
「彼はロンメルです。私の護衛を任せておりますので、この場でも同席してもらいます」
「ロンメル? しかし……」
コンラートは嘘をついている。そう思ったトリスタン王子だが、それは間違いだ。
「……殿下。確か、本名が」
マンフレート将軍はベスティエは蔑称で、本名はロンメルであることを知っていた。ロンメルは、一応はシュタインフルス王国軍の所属であるので、知っていて当然だが。
「そうか……分かった」
本名が何であろうとコンラートに従っていることに変わりはない。反乱軍はさらに強力になったということだ。それを知らしめる為にコンラートがロンメルを同席させたことも、トリスタン王子には分かっている。
「さて、無駄に時間をかけることに利はありません。お話をお聞かせ願えますか?」
一気に話を本題に持って行こうとするコンラート。トリスタン王子にとってはありがたくない展開だ。コンラートとこうして向かい合って話をするのは、反乱後、初めてのこと。腹の中を少し探りたいところだったのだ。
だが、そうさせまいというコンラートの意図は明らか。探りを入れても反応するとはトリスタン王子には思えない。
「……陛下には勇退をお勧めした。まだ公式には決定していないが、聞き入れてくれるはずだ」
「それはまだ内々にも了承していないということではないですか?」
コンラートはトリスタン王子の「聞き入れてくれるはず」という言葉を追求してきた。アンドレーアス王が退位を受け入れなければ、トリスタン王子には交渉相手となる資格はない。国王となるトリスタン王子だからこそ、交渉する意味があるのだ。
「時間の問題だ。陛下を支持する者はもういない。王国軍も私への支持をはっきりと表明している」
これを言うトリスタン王子の斜め後ろでマンフレート将軍が大きくうなづいている。彼が同席しているのは、軍の支持がトリスタン王子にあることを示す為。その役割を早速、果たしているのだ。
「……なるほど。では先を続けてください」
ただこれくらいの情報であればコンラートはすでに得ている。不満そうな態度は駆け引きなのだ。
「……知っていると思うが、ベルクムント王国軍も介入出来ない。国内を私の即位で固めれば、反対することはないはずだ」
アンドレーアス王の最大支持者は宗主国であるベルクムント王国。だが反乱鎮圧の為に向かってきていたベルクムント王国軍は途中で引き返してしまった。それに、信じがたいことだが、コンラートが関わっている可能性をトリスタン王子は考えている。他国でベルクムント王国軍を襲撃するなど簡単に出来ることと思えないが、あまりに反乱側に都合が良すぎるのだ。
「ベルクムント王国が介入出来ない……それは好都合ですね」
疑われていることが分かっていても、コンラートはそれを認めない。反乱にアルカナ傭兵団が関わっているという事実を公に認めるわけにはいかない。
「城内はほぼ固まっている。反対する者がいないわけではないが、抑え込める程度の勢力だ。貴族たちも……かなり力を失っている。国政に介入することは出来ないはずだ」
有力貴族家は王国軍に攻められて、ほぼ壊滅状態。王国が領地をすべて没収しようとしても抵抗する力はない。兵を挙げた彼らは、それがコンラートに唆されたせいだとしても、反逆者。それを行う権利が王国にはあり、領地没収どころか一族処刑となっても文句は言えない。
「殿下の即位は問題なく進められる。では、その前提で話を進めましょう」
コンラートにとってはここからが本題だ。この国の最高権力者となるトリスタン王子は何を約束出来るのか。それを聞くために、この場はあるのだ。
「……中央諸国連合に加盟するつもりはない」
「あとは?」
中欧諸国連合への加盟などコンラートは求めていない。それ以外の要求もコンラートは行っていない。伝えてあるのは、反乱を収める為にトリスタン王子は何をするつもりなのかを聞きたいということだけ。これがトリスタン王子に交渉を難しく感じさせている。要求が分からないので、何を約束すれば良いのか分からないのだ。
やることではなく、出来ないことをまず話したのは、多くの約束を引き出されないようにするためだ。
「軍事費の削減もいきなりは無理だ」
「それはそうでしょう」
あっさりと受け入れるコンラート。そうされてもトリスタン王子は嬉しくない。求めていたのは「では、いつなら出来るのか」などの言葉。それがなくては交渉にならない。トリスタン王子のほうが一方的に条件を話しているような形になってしまっている。
「反乱に関わった者たちに対して、罪を問うような真似はしない」
「ほう」
これまでとは少し違う反応を見せるコンラート。破格の条件とは思っていない。ただ即位前の段階で、これをはっきりと口に出来るとは思っていなかったのだ。トリスタン王子はすでに良識派以外も固めている。これはそれを示すものだ。
「その上で、コンラート。お前に宰相を任せたい」
「宰相ですか」
さらにトリスタン王子は、これこそ破格の条件を提示してきた。反乱の首謀者に王国宰相の地位を任せる。かなり強い反発が予想される条件だ。
「どうだ? 引き受けてくれるか?」
反発があるとしても、トリスタン王子としてはこれが最善だと考えている。逆にこれ以外に今、約束出来ることがないのだ。
「……お断りします」
「何?」
「宰相の地位はそれに相応しい人に与えるべきです。私ではありません」
驚きの抜擢ではあるが、宰相の地位などコンラートは望んでいない。コンラート自身は何も求めていないのだ。
「しかし……それでは……」
宰相でなければ何を望むのか。これ以上の何かをトリスタン王子は思いつかない。
「分かりました。ではこちらから要求を言います」
「……ああ、聞こう」
ようやくコンラートの腹の内が分かる。だがそれを喜ぶことは出来ない。どんな無理難題を要求されるか分からないのだ。
「もう少し広い領地を頂きたいと思います」
「領地?」
コンラートの口から出てきたのは広い領地の要求。トリスタン王子にとっては意外な要求だった。
「はい。領地です」
「……では……ヘンゼルの領地ではどうだ?」
トリスタン王子が提示したのは有力貴族派筆頭の、今は元というべきだが、クノル侯爵の領地。没収する領地をそのままコンラートに渡そうと考えた。
「……希望を言わせていただいても?」
「……構わない」
元クノル侯爵領では不満。王国貴族領ではもっとも豊かな領地のひとつでも不満となれば、どこまでの要求がコンラートの口から出てくるのか。不安であり、強欲過ぎるという思いもあるが、聞かないことには話が進まない。論点を明確にしなければ具体的な交渉に入れない。
「この川の上流。東部山岳地帯を含む一帯が希望です」
「東部……?」
コンラートが要求したのは元クノル侯爵領とは比べものにならない僻地。そんな場所を要求する理由が、トリスタン王子は、すぐに思いつけなかった。
「宰相なんて責任ある立場は、まっぴらごめんです。領地経営に苦労するのも馬鹿らしい。静かな土地で悠々自適に暮らすことが私の望みなのです」
「……悠々自適か」
そんなはずがない。そんなことの為に反乱を起こすはずがない。静かな土地で暮らすだけなら、反乱を起こすことなく、シュタインフルス王国を離れて暮らせば良いのだ。
「受け入れていただけますか?」
「…………」
宰相の地位に比べれば、元クノル侯爵領を与えることに比べても、ずっと低い要求。拒否する理由はない。だが、拒否しなければならない理由を思いつけないだけである可能性が高いのだ。
「受け入れられない……交渉は決裂ですか?」
コンラートはトリスタン王子に考える時間を与えることなく、決断を迫ってくる。それがさらにトリスタン王子に怪しさを感じさせるのだが。
「殿下。悪い条件ではないと思いますが?」
後ろに控えていたマンフレート将軍が口をはさんできた。単純に考えれば、マンフレート将軍の言う通り、悪い条件ではない。宰相の地位を約束しておいて、僻地を領地にという要求を拒否するのはおかしなことだ。トリスタン王子もそれは分かっている。
「……分かった。東部に領地を与えよう」
トリスタン王子もこの場を収めることに決めた。反乱を治める力があることを示さなければ、臣下の支持を得られない。臣下の支持があってこそ、父であるアンドレーアス王に退位を迫れるのだ。
「ありがとうございます。あとは」
「あと?」
コンラートの要求は領地だけではない。当たり前だという思いと同時に、また、何を要求されるのかという不安が心に湧き上がってくる。
「後ろに控えているロンメルを正式に家臣にしたいと思っております。軍籍があるのであれば、外していただけますか? それともこれは将軍閣下にお願いすることでしょうか?」
「……彼を……いや、構わない。将軍、問題ないな」
「……はい」
トリスタン王子に是非を問われたマンフレート将軍は、少し躊躇いを見せながらも、受け入れた。ロンメルは、ベルクムント王国とは異なる意味で、アンドレーアス王の権力を守ってきた存在のひとつとも言える。それがコンラートの家臣になることの危険性を考えたのだ。
それはトリスタン王子も同じ。だがトリスタン王子の心の内はマンフレート将軍とは少し異なる。コンラートが僻地を領地として求め、ロンメルを側に置こうとしているのは身の危険を感じているから。権力よりも保身を優先しているのだと理解したのだ。
トリスタン王子にはコンラートに危害を与えようという考えはない。彼の能力を国政に生かしたと本気で思っている。だがコンラートが警戒する気持ちは理解出来る。王国上層部の全員がコンラートを許し、抜擢することを受け入れていると考えるほど、周囲が見えていないわけではないのだ。
「他にはあるか?」
「最後にひとつ。民の為の治政を。この国を弱き者たちにとって暮らし良い国にしてください。これが私の一番の望みです」
「コンラート……分かった。約束する。必ず良い国にする」
コンラートにこれを誓うのはこれが最初ではない。かつて国を憂う思いを共有し、志を語り合った時にも同じことを誓っている。その共通の思いを実現する時が、考えていた形とはかなり違っているが、いよいよ訪れた。トリスタン王子はそう思った。
「では我々の戦いはこれで終わります。あとは領地にこもって、この国の行く末を見守ることに致します」
「そんなことを言わずに落ち着いたら顔を見せに来てくれ。私にはお前の助言が必要だ」
即位が実現し、権力を固めることが出来れば、コンラートに身の危険を感じさせることもなくなる。コンラートの出番を作ってあげられる。トリスタン王子はこう考えている。
「……その時が来ましたら、必ず」
その場で深々と頭を下げるコンラート。反乱を起こしたことへの謝罪のつもりか、それ以外の意味があるのか、トリスタン王子には分からない。だがいつまでも上がらない頭が、交渉の終了を示していることは分かった。
ゆっくりと振り返り、王国軍が待つ場所に戻っていくトリスタン王子。その背を、頭をあげたコンラートは、じっと見つめている。
「良いのか? 宰相って偉いのだろ?」
そんなコンラートにロンメルが問いかけてきた。コンラートが宰相の地位を蹴ったことを不思議に思っているのだ。
「殿下に言った通り。宰相なんてまっぴらごめんだ。この国の為に働いても面白くもなんともない。得るものは得たしね」
現国王アンドレーアスの悪政と有力貴族派の横暴。コンラートが取り除きたいと思っていた害悪は、この国の表舞台から消えようとしている。コンラートにとっての反乱の目的は達成されているのだ。
「面白いか面白くないかは俺には分からない」
「じゃあ、あの殿下に臣下として仕えるのは楽しいと思うかい? 同じ仕えるならもっと面白い相手がいると思わない?」
コンラートはかつての彼ではない。この国の未来を憂いていた彼はいないのだ。この国を良くする為に、トリスタン王子の為に身を粉にして働くよりも、もっと楽しそうなことがある。それを知ってしまったのだ。
この場はトリスタン王子を評価する為の最後の機会。そう思って交渉に臨んでいたコンラートだが、期待外れというべきか予想通りというべきか、トリスタン王子に仕えようという気持ちは湧かなかった。
「……それがシュバルツのことなら、俺もシュバルツが良いな」
「仕えるというのは違うけどね。仲間として共に何か出来るなら、そのほうが間違いなく面白い」
シュタインフルス王国の宰相でいるより、黒狼団の一員として何かやっているほうが面白い。コンラートはこう思うようになっているのだ。
「仲間……仲間にしてもらえるのか?」
「君は間違いなく大丈夫。問題は私のほうだ。私を仲間にする利は説けるけど、受け入れてもらえるかどうかは、そういうことではないだろうからね?」
コンラートが領地として望んだ土地には、キーラが作った隠れ処がある。その先は、もっと道の整備が必要だが、中央諸国連合加盟国であるノイエラグーネ王国に繋がっている。黒狼団の拠点を置くには良い場所だとコンラートは考えている。そうであるから、その地を領地に望んだのだ。
「……仲間にしてって、お願いすれば良い」
「なるほど。 考えすぎて、基本を忘れていた。君の助言通りに、その手でいってみることにするよ。そういうことで、戻ろうか」
橋の中央から離れていくコンラートとロンメル。先に待つのは元裏社会の悪党たち。コンラートの家臣となる人たちだ。コンラートたちの戦いは終わっていない。敵を倒す戦いではない。自分たちの居場所を作り、それを守るための戦いがこれから始まるのだ。