月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

黒き狼たちの戦記 第74話 痛みを知っているから分かること

異世界ファンタジー 黒き狼たちの戦記

 自分は何をしているのか。食堂の前を行ったり来たりしながらオトフリートは考えている。初めて入る店ではない。何度か訪れている場所だ。そうであることを父であり、国王であり、アルカナ傭兵団の団長であるディアークに知られてしまった。それがオトフリートの心に迷いを生んでいる。
 別に隠していたわけではない。それどころか自ら、エマから得た情報を伝える為に、食堂を訪れていることを明かしたのだ。そうであるのに食堂に入ることを躊躇っているのは、ディアークがさりげなく発した言葉のせい。何の目的で食堂を訪れているのか。オトフリートはその問いに、自分に対するディアークの不審をみた。
 珍しいことではない。以前から周囲に、母であるアデリッサも一緒に、そういった目で見られていることは知っている。慣れていると言えるほど、達観してはいないが、それにいちいち反応することはなくなった。そのはずだった。
 ただ悩んでいるオトフリート自身が分かっていないだけで、彼が食堂に入ることを躊躇っているのは別の理由。ディアークの問いはきっかけになっただけだ。何の目的で食堂に来ているのか。それに対する答えを持っていない自分に戸惑っているのだ。
 ディアークの問いを気にしながらも、気づけばまた食堂に来てしまっていた。それは何故なのか。その答えがないことで、ディアークの問いに対して、後ろめたさを感じてしまっているのだ。そんなことはない。では、何故、自分はここに来るのか。ただお茶を飲みにきただけ。それなら城でも出来る。まったく意味のない自問自答を繰り返しているのだ。

「……お食事の用意が出来ましたが?」

「えっ?」

 突然かけられた言葉。食堂で働いている男であることは分かったが、かけられた言葉の意味はすぐに理解出来なかった。

「冷めてしまうので、出来れば早く席にお付きくださいとエマが」

「……ああ、そうだな」

 注文などしていない。それでもオトフリートは言われた通りに店の中に入って、用意されていたテーブルについた。迷っている自分に、店に入る口実を与えてくれたのだということくらいオトフリートにも分かる。それを素直に受け入れることにしたのだ。
 席に座ってすぐにエマが料理を運んできた。目が悪いとは思えない、しっかりとした足取り。何度見てもオトフリートは感心してしまう。

「いらっしゃいませ」

「……すまない」

 気を使わせてしまった。その思いをオトフリートは口にする。

「謝罪される覚えはありません。こちらのほうが、押し売りのような真似をしたことを謝らなければいけませんね?」

「いや、謝るのは……やめておこう。無駄話をしていては食事が冷めてしまう」

 謝罪を繰り返してもエマは受け入れない。自分に気を使ったことを認めるはずがない。これくらいのことはオトフリートも分かるようになっている。

「……何かありましたか?」

 心配そうな表情を見せるエマ。

「……特に何も」

 特に何かあったわけではない。ずっと何かあるとも言える。どちらにしろ、エマに詳細を話すことは出来ない。

「そうですか……では、御用があれば呼んでください」

「……あ、あの!」

 自分の言葉に落ち込んだ様子のエマ。それに動揺したオトフリートは、その場を離れようとしているエマの背中に、思わず声をかけてしまった。

「何でしょうか?」

 すぐに振り返って問いかけてきたエマ。

「その……あれだ……」

 思わず声をかけてしまったが、思い悩んでいることをそのまま言葉には出来ない。だが何も言わなければ。またエマを落ち込ませてしまう。何か話題を作らなければならないと、オトフリートは悩むことになった。

「……私では分かることではないかもしれませんが、誰かに話すことで気が楽になることもあると思います」

「……恨んだことはあるか?」

 オトフリートの口から出てきたのはこの言葉。これをエマに聞く意味があるのかという思いはある。だが以前から聞いてみたかった。それを今、オトフリートは口にした。

「あります」

 ほぼ即答。「何に対して」と問い返すことをエマはしなかった。

「それは……親を?」

 オトフリートの問いが漠然としたものであったのはこれが理由。自分は親を、父親を恨んでいる。無意識にこの事実を隠そうとしたからだ。

「顔も知らない両親も、ほとんど見えない目も、世の中も……」

「そうか……それは今も?」

 誰からも愛される容姿を持つエマ。恵まれているようでいて、実は自分よりも遥かに辛い境遇なのだと、改めてオトフリートは知った。頭では分かっていたことだが、エマはそれを感じさせない。それを疑問に思ってもいた。

「……今は恨みとは少し違っていると思います。許せたわけでも、すべてを受け入れられているわけでもありませんけど、今の自分があるのは、それらがあったからだと思えるようにはなりました」

「今の自分か……」

 そう思えるエマはきっと、今の自分に満足しているのだとオトフリートは考えた。一方で今の自分に満足出来ていない自分は、相変わらず父親を恨み、周囲の蔑みを憎み、今のように思い悩み続けている。その今を変えようとしているが、それで本当に良いのかと思い悩んでいる。
 どうしたらこの状況から抜け出せるのか。オトフリートはその答えを求めている。答えを与えてくれる人を、もしくは直接引き上げてくれる人を求めているのかもしれない。それがエマ、なのか、その先にいる、頭で考えては絶対に認めない人物なのか。オトフリート自身の思考はここまで届いていない。だから何故、この食堂に足が向くのか分からないのだ。

「兄上! ここで何をしているのですか!?」

 さらにオトフリートの思考を邪魔する存在が現れた。彼を兄と呼ぶ人物。ジギワルドだ。そのジギワルドの登場、そして彼が投げつけた言葉にオトフリートの顔が歪む。ジギワルドは、オトフリートにとって、周囲から向けられる悪意の象徴のような存在。顔も見たくない相手だ。しかもこうしてエマとの会話を邪魔するのは二度目なのだ。

「何って……食事だと思いますけど?」

「えっ……?」

 そのジギワルドの前に立ち塞がった、実際は言葉を発しただけだが、のはエマだった。

「確かに食事はしていますが、私が言っているのはそういうことではなくて……」

 ジギワルドにとってはまさかの展開。彼はオトフリートからエマを守るつもりで、やってきたのだ。エマがオトフリートを庇うような言葉を発することなど、まったく想定していない。

「失礼ですが、ジギワルド様こそ、何をしに来たのですか?」

「私は……その……」

 貴女を守る為、とは言えない。エマがその必要性を感じていないのは明らか。それどころか、迷惑そうな態度を向けている。以前も同じようにオトフリートを宿から追い払おうと食堂に来たことがある。その時もエマに素っ気ない態度を取られて傷ついたジギワルドだが、今回はそれ以上だ。

「王家の人たちに足を運んでいただけることは名誉ではありますけど、正直、商売としては……他のお客様が……」

 実際に迷惑なのだ。ジギワルドの登場、というよりも彼に同行してきた騎士たちを嫌がって、他の客たちは席を立とうとしている。騎士たちに警戒の目を向けられていては、落ち着いて食事など出来ないのだ。

「そ、それは兄上も同じではないですか?」

 自分たちは商売の邪魔をしている。それは分かったが、王家の人間という点ではオトフリートも同じ。ジギワルドとしてはオトフリートが食堂に出入りしなくなれば、それで一定の目的は果たせるので、その点を主張することにした。

「オトフリート様はいつも御一人で、目立たないようにいらっしゃいます。他のお客様が気づくことは滅多になく、あってもそれほど気にしません。オトフリート様には失礼な言い方かもしれませんが、普通の常連さんと変わりありませんから」

「常連……」

 オトフリートを常連と言ったエマ。ジギワルドにとってはかなりショックな言葉だ。エマとの距離が、たとえただの客としてであっても、自分よりも近いということなのだ。

「それで、ジギワルド様は何を?」

「……出直してきます」

 これ以上、粘ってもエマに嫌われるだけ。一応、引き際は心得ているジギワルドだった。がっくりと肩を落として店を出ていくジギワルド。騎士たちもそれに続く。

「……礼を言うべきなのだろうが、少しやり過ぎだ。相手は一国の王子。怒らせたらどうする?」

 エマは意外と気が強い。それは面白くあるが、さすがにジギワルドに向けた態度は問題だとオトフリートは思う。ジギワルドが許しても周りの騎士が許さないこともある。自分の為であると分かっているから尚更、エマにまた同じことをさせないように注意しておかなければならないとオトフリートは思った。

「その時はオトフリート様が守ってくれると思っていました」

「えっ……?」

「何かあったら守ってくれましたよね?」

「……それは、もちろん。俺のせいだからな」

 エマの言う通り、ジギワルドが、周りの騎士たちが彼女に危害を加えようとすれば、防ぐための行動を起こしていた。当然のことではあるが、それをエマが信じてくれていたことには驚いた。

 

 

「エマちゃん! 注文聞いて!」

「あっ、はい!」

 呆然としているオトフリートを置いて、別の客のところに注文を聞きに行くエマ。

「惚れないでくださいね。惚れるのを止められなくても独占欲は出さないように。王子様とのゴタゴタなんて面倒ですから」

 テーブルを離れていったエマと入れ替わりに、外で声をかけてきた男が近づいてきて、忠告してきた。

「俺は別に」

 オトフリートにとっては余計な忠告だ。エマは周りの他の人たちに比べれば、好ましい人物であるのは間違いない。だが、恋愛対象とは見ていない。国王になるつもりのオトフリートは、恋愛など無用のものと考えているのだ。

「それなら良いですけど」

「……その忠告はあの男の為か?」

 エマを独占できるのはシュバルツだけ。そういうことなのだとオトフリートは考えた。

「ちょっと違います。俺たちの中のルールですね」

「ルール?」

「エマ目当てで仲間になった奴は大勢いますから。元々は違っても一緒にいるうちに惚れてしまう奴もいる。俺は後者のほうです」

 エマを好きになるのは仕方がない。だが、それによって仲間内でゴタゴタが起こるのは避けなければならない。そんなことで出来上がったルールだ。

「……あの男は良いのか?」

「まあ……俺たちはあいつも同じくらいに好きなので」

「あの男の何がそう思わせるのだ?」

 シュバルツと自分は何が違うのか。思いがけず、それを聞く機会に恵まれた。その機会を無駄にするわけにはいかない。

「そうですね……俺の場合ですけど、最初は大嫌いでした。エマのこともですけど、仲間意識の強さをうざったく思っていて。それである日、こう聞いたのです。俺とエマが溺れていて、どちらか一人しか助けられないとしたらお前はどちらを助けるって」

「意地悪な質問だな」

 どちらかを選べば選ばなかったほうを見捨てることになる。選ばないということは両方を見捨てること。どう答えても批判出来る問いだ。

「ええ。意地悪のつもりの質問ですから。それでも結論を出そうと思えばエマを選ぶだろうから、その時は仲間を見捨てるような男だと言ってやろうと思っていたのですけどね」

 目の不自由なエマを助ける。選ぶ理由としてはある程度、納得出来るものだ。それでもその結論を出したシュバルツを批判するつもりだったのだが。

「違ったのか?」

「三日後に、真っ赤な目をして俺の前にやってきて、こう言いました。申し訳ないが俺はエマを助ける。でもお前のことは必ず仲間たちが助けてくれる。そう信じられる仲間たちだ、って」

「……綺麗ごとを言っているとは思わなかったのか?」

 シュバルツの言葉をオトフリートは素直に受け入れることが出来ない。受け入れたくない。

「普段ならそう思ったかもしれません。でもその時は、少なくともこいつは三日間寝ないで悩むくらいに俺のことを思ってくれている。そう思えました」

「そうか……」

「お人好しの馬鹿だとも思いました。こういう馬鹿は、ちゃんと見ていてやらないと心配だって。野郎たちの多くは俺と同じ気持ちだと思います」

 オトフリート以上に、貧民街の孤児たちは好意を向けられることに慣れていない。それを素直に受け取れないのもそうだ。シュバルツはそんな彼らに馬鹿正直に接し続けた。そうすることで彼らの心の壁を崩したのだ。

「……馬鹿だという点については同意する」

 オトフリートはシュバルツのような馬鹿にはなれない。それが二人の今の違いを生み出しているのだとすれば、どうにもならないことだ。実際はそうではないのだが、オトフリートはそう思ってしまう。自分を変えることではなく、周りを変えることを考えてしまうのだ。

「……惚れていなくても同情はしていますか?」

「何?」

「エマのことです。もし同情する気持ちがあるなら、自分のほうがマシだと思えませんか?」

「……何故そんなことを聞く?」

 同情する気持ちを批判しているのではない。世の中には自分よりも辛い思いをしている人は大勢いる。だから自分の不幸を嘆くな。男の言いたいことはオトフリートにも分かる。だが何故、これまでまともに話したことのない男が、こんなことを言ってくるのかが分からない。

「……貴方と同じような顔をしている奴を、貧民街で何人も見ています。そういう奴の多くが、あまり良くない終わり方をしているので」

 追い詰められ、思いつめた結果、死を選ぶ者。自暴自棄な行動を起こし、死んでいった者。貧民街では珍しくないことだ。

「…………」

「違うなら良いのです。店の常連さんは大事にしたくて、ついつまらないことを言ってしまいました。すみません」

「……いや、良い」

 つまらないことではない。店の常連だからという理由が本当だったとしても、心配してくれたことに違いはない。この者たちはどうしてこうなのか。それはオトフリートには分からない。分かるほど、彼らのことを知らない。
 知りたいと思った。それがこの食堂をまた訪れる理由になった。

www.tsukinolibraly.com