この辺りでは一際大きな木。その大木の根元近くにある盛り上がった土、三つのそれにそれぞれ剣が突き立てられている。墓標代わりだ。
裏切った三人の騎士たちの墓の前で、じっと佇んでいるクロード。夜も明けて出発の時。最後の別れを惜しんでいるのだ。
「……置いていくぞ」
そのクロードに声をかけるディーノ。ディーノにはクロードのような感傷はない。彼等はティファニー王女の敵。それだけだ。
「……分かった。行こう」
いつまでもこの場所にとどまってはいられない。それはクロードにも分かっている。墓の前を離れ、自分の騎獣であるニュクスに近づいていく。
そのクロードと入れ替わるようにして墓に近づくディーノ。
「……何をしている?」
「剣の回収」
ディーノは地面に突き立てられていた剣を抜き取っていた。
「それは彼等の墓標だぞ!?」
「俺の剣を勝手に墓標にするな!」
「彼等が買った物だ!」
「それを言われると……仕方がない。返金するか」
こう言ってディーノは懐から革袋を取り出し、中に入っていた金貨を墓の上に積み上げていく。
「……勿体なくないか?」
一人当たり百ゴッド。三百ゴットをこの場に置いていくことになる。それだけの大金を捨てていくのは、さすがにどうかとクロードも思った。
「お前が言い出したせいだ」
「剣を置いていけば良い。動けなくなる魔法が施された剣など……お前、さてはまた使うつもりか?」
わざわざ呪いの剣と呼ばれるような物を回収しようとする理由。ディーノはまたその剣を使って、誰かを騙そうとしているのだと分かった。
「当たり前だ。使わない剣を持っていっても邪魔になるだけだろ?」
「……おい。一つ聞きたいのだが」
剣の話をしていてクロードはあることに気が付いた。それをディーノに確かめようとしたのだが。
「墓標は石で良いな。金をケチっているわけじゃない。墓標に何が適しているか考えた結果だ」
「……別に良い。それで」
「よし。石を探そう。良い石があるかな?」
「……お前」
ディーノは明らかに話を誤魔化そうとしている。それはクロードの疑いを強めるだけだ。
「俺だけに石を探させるつもりか? お前も手伝え」
「手伝う。手伝うが、その前に」
「じゃあ、俺はこっちを探す。お前は」
「俺の剣まで呪われていないだろうな!?」
ディーノは話をする間を与えようとしない。そうであるならとクロードはいきなり聞きたいことを大声で尋ねた。
「……呪い?」
「そうだ」
「呪いなんて……お前、意外と迷信深いんだな?」
それでもまだ答えを誤魔化そうとするディーノ。
「俺は俺の剣にまで動けなくなる魔法が施されていないのだろうなと聞いている。ちゃんと答えろ」
「…………」
「おい!?」
「冗談だ。その剣は本物のお宝。ケチな魔法は仕掛けられていない」
「そうか、分かった……なんて言うと思ったか? どうやって証明出来る?」
ディーノであればここで嘘をついてもおかしくない。嘘である可能性のほうが高いとクロードは考えた。
「疑り深い奴だな」
「お前に言われたくない!」
疑り深さでいえばディーノのほうが遙かに上だ。それは今回の事態が証明している。
「じゃあ聞くが、仮に同じ魔法が仕掛けられていたとして何が困る?」
「なんだと?」
「魔法を発動出来るのは持ち主である俺だけだ。その俺に動けなくされる事態というのはどういう場合だ?」
「それは……」
今回のようにティファニー王女に危害を加えようとした場合。ディーノの問いの意味がクロードにも分かった。
「お前はティファニー様を裏切ろうとしているのか? だからお前はそんなに不安になって。まさか、こんな身近に裏切り者がいるなんて」
「……もう良い」
クロードは追及を諦めることにした。出会ったばかりの頃に比べると、ディーノの性格はかなり変わった。だが、こういうところは昔のままだ。剣以外では自分がディーノに優るものは少なかった。当時は剣以外の勝敗など気にすることはなかったが、そうであったことをクロードは思い出した。
◆◆◆
放課後の図書室。いつものように学校の森の中に行くことなく、ディーノたちは図書室にこもっている。試験が近いからだ。騎士になる為の学校ではあるが武術が出来ればそれで良いというわけではない。騎士としての一般教養も、実際に必要となるかは別にして、学ぶ必要がある。今日はその一般教養の試験の為の勉強だ。
ただその熱心さは少し異なっている。真剣に勉強しているのはディーノとクラウス。彼等二人よりもやや気を抜いているのがディアーナ。まったくやる気がないのがクロードだ。
ディーノとクラウスにとって試験は自分の将来を決める大事なもの。だがディアーナとクロードにとってはそうではない。二人の未来はもう決まっているのだ。
「……やる気がないなら帰れば?」
明らかにやる気のないクロードに、ディーノが帰るように言ってくる。クロードにとって試験結果などどうでも良いことを、当然ディーノは知らないのだ。
「別にいても良いだろ?」
やる気のないことは否定しないクロード。ただ帰るわけにはいかない。彼にはディアーナの護衛という役目があるのだ。
「気が散る」
「それは集中していないからだ」
「いや、君が集中を邪魔するからだ。読んでいない本の頁を何度もめくる必要ある? しかも大きな音を立てて」
「そんなことはしていないだろ?」
行っていたとしてもそれは無意識の行動。クロードにはそんなことをしている覚えがない。
「分かっていないようだから言っておく。僕は代表して意見を言っているだけ。文句を言いたい人は他にもいるから」
試験前の図書室だ。勉強している人は他にも大勢いる。ディーノよりももっと神経質な人も。そういった学生たちの気持ちを察して、ディーノは文句を言ったのだ。
「……分かった。ちゃんと読む」
ディーノの説明で周囲の冷たい視線に気が付いたクロード。自分の非を認め、静かに本を読み始めた。もっともこれも読んでいるふり、だが。
「……ディーノは何の勉強をしているの?」
「…………」
話しかけてきたディアーナに冷たい視線を向けるディーノ。クロードを静かにさせたと思ったら、次はディアーナ。そう思っているのだ。
「ち、ちょっと気になって。だって履修違うじゃない?」
ディーノの視線にめげそうになりながらもディアーナは話を続けた。ディーノが何を熱心に勉強しているのか知りたいのだ。
「……世界史」
「歴史? しかも王国史じゃなくて世界史?」
「何か変?」
「いえ……でも覚える範囲広くない?」
モンタナ王国の歴史だけでなく他国の歴史も覚える必要がある。試験勉強が大変だろうとディアーナは考えた。
「変わらない。王国史は世界史で学ぶことよりも、もっと細かい内容を教えられるからね」
「そっか……でも知識としてはそのほうが良くない? まあ、でも良いのか」
一般教養の全てが騎士になってから役立つわけではない。卒業に必要な単位を取る為の勉強であるのだから、浅い知識でも良いのかとディアーナは考えたのだが。
「世界史で気になった部分は別に調べるから」
「別に?」
「そう。ただ他国の詳細な歴史書はほとんど置いていないから、サルタナ王国の歴史くらいしか調べられない」
ディーノは浅い知識で終わらせてはいなかった。そもそも世界史では浅い知識しか得られないなんてのはディアーナの勝手な思い込みで、ディーノは全くそう思っていない。
「……世界史を勉強して、さらに王国史も勉強するってこと?」
「そんな時間はない。知りたい部分だけ」
「どうして?」
「どうしてって……勉強ってそういうことだよね?」
「……そうね」
ディーノは単位を取る為に勉強しているのではない。知識を得る為に勉強をしているのだ。当たり前のことかもしれないが、試験を目の前にしてそんな考えで勉強していることに、ディアーナは少し驚いた。
「……ディーノって成績は良いの?」
さらに別の問いを向けるディアーナ。自分の成績に興味を持つ必要のないディアーナは、他の生徒の成績も知らないのだ。
「知らないのか? こいつ、まあまあのところにいる」
ディアーナの問いにはクラウスが答えてきた。ちょうど自分の勉強に一区切りついたところだ。
「まあまあ……?」
「剣もそこそこ。勉強もそこそこ。そういう奴だ」
「……全然褒められている気がしない」
クラウスの言い様に文句をいうディーノ。こんな言い方が出来る関係になってきているのだ。
「褒めていない。剣も勉強ももっと出来るはずなのに、お前という奴は」
「ここで説教?」
「おい。静かにしないと周りの迷惑だ」
「「お前が言うな!」」
――ということで図書室を追い出される羽目になった四人。仕方なく教室に戻って勉強をすることにした。
結果的にはこの選択は正解だ。試験勉強の為に教室に残っている生徒は誰もいない。周りを気にすることなく勉強が出来る。実際に出来るかは別にして。
「どうしてディーノは歴史を学ぼうと思ったの?」
邪魔する側はディアーナ。勉強の為ではなく、皆と一緒に時を過ごす為に学校に残っているのだから、こうなってしまう。
「どうして? 面白いから?」
「何が?」
「何がって聞かれても……色々?」
「それじゃあ分からないわよ」
まったく中身のないやり取りが続く。ディアーナにはこれで十分に楽しいのだ。
「そうだな……歴史は繰り返す。それが何故か考えるだけで楽しい」
「……どうして歴史は繰り返すの?」
「その答えが出ないから考えるのが楽しい。答えを得たら勉強が終わってしまうよね?」
「そう……人の愚かさに幻滅したりしない?」
歴史に関しては、自国と周辺国の歴史に限ってだが、ディアーナもそれなりの知識はある。歴史の大部分は戦争。戦争は悪であると分かっているはずなのに、この世界から戦争は消えない。それは人の愚かさ故。そう学んでいる。
「愚か……何故、人は愚かになるのか。愛情、悲しみ、憎しみ、欲望、理由は様々。生み出される結果は同じようなものでも、その原因はそれぞれ違っている」
「それを一つ一つ解決していけば、この世界は平和になるのね?」
過去に学ぶ。これもディアーナは教わっている。歴史を学ぶことは必要だとディアーナも思っている。ただ騎士を目指すディーノが学んでいることを意外に思っただけだ。
「いや、ならないと思うけど?」
「どうして? 問題を解決して、それが二度と起こらないようにすれば、争いという結果も生まれないじゃない」
だから施政者は過去の歴史を現代に生かさなければならない。それが国を守り、発展させることになる。どの国の施政者も学んでいることだ。
それをディーノが否定した理由は、ディアーナには分からない。
「……好きな女性にのめり込んで、国を滅ぼした王は悪?」
「当たり前じゃない」
歴史の中でそういった愚かな王は存在する。悪であるに決まっているとディアーナは思う。誰の評価でもそうだと。
「他の何よりも一人の女性を愛し、大切にすることは悪?」
「それは……でも国王には国王としての責任があって……」
「じゃあ、国王であることを捨て、責任を負わなくなれば許されるんだ。でもそういった国王のほとんどがそれをしようとしなかった。何故だと思う?」
国王の座よりも愛する女性を優先した。歴史の中でそれを行った、継承権を放棄した王子はいても、王はいない。ディーノはそれが不思議だった。
深い意味はない。ただ様々な可能性を考えていることが楽しいだけだ。
「それは……」
だがディアーナにとってはディーノの問いは深い意味を持つ。
王族としての責任はそんな簡単に捨てられるものではない。答えはこれだ。だが何故、簡単に捨てられないのかと質問された時、どう答えれば良いのかディアーナには分からない。何故、自分はそれが出来ないのか答えられない。
「そこまで人を愛することは出来ないのかもしれない。そうだとすると少し寂しいね。愛情は玉座に劣るってことだ」
「…………」
「ディーノ。そんな簡単に結論を出すものじゃない」
言葉を失ったディアーナの代わりにクロードがディーノをたしなめた。言葉はなんでも良いのだ。この話を終わらせるきっかけを探っているだけだ。
「結論は出していない。恐らくは出ない。人の事情はそれぞれ。僕の考えがその人に完全に当てはまるはずがないからね」
「……そうだな」
「だからクロードはもっと周りに目を向けたほうが良い。君は自分とディアーナのことしか見えていない」
「なっ……」
自分たちの素性がバレているのか。そう思って焦ったクロードだったが。
「だから図書室であんな振る舞いが出来る。無神経なんだな。周りを気にしない神経の図太さは少し羨ましくもあるけど、とても僕には真似出来ない」
ディーノは図書室を追い出されたことに文句を言いたかっただけだ。クロードだけの責任かは微妙だというのに。
「……それは褒めていないな」
「これが褒めているように聞こえるなら、すぐに耳の医者に行ったほうが良いね」
「ディーノ!」
「僕の耳は良い。そんな大声で叫ばなくても聞こえるから」
両耳を手で押さえて、これを言うディーノ。剣を持っての戦いではクロードに分があるが口喧嘩となると圧倒的にディーノが上のようだ。
「……あの、何がおかしいのですか?」
クロードの怒りはディアーナの笑い声で収まった。だが何故、笑われているのかクロードには分からない。
「二人は仲が良いわね。少し羨ましいわ」
「「これを仲が良いって言うの(です)か? えっ……?」」
二人の問いが重なる。
「少なくとも気は合うみたいだな」
「「クラウス!」」
またディアーナの笑い声が教室に響く――ある日の出来事。遠い昔の四人の幸せな時間。