シュタインフルス王国の内乱はさらにその規模を拡大しようとしている。アンドレーアス王はライヘンベルク王国との国境に貼り付けていた王国軍を王都に呼び戻し、討伐軍を再編。その数は五千。ほぼ全戦力を投入する形だ。
一方でクノル侯爵は他の有力貴族家にも働きかけ、連合軍を組成した。クノル侯爵家が討伐されたら次は自家。そう思う貴族家は少なくなかったのだ。さらに彼らの影響力を使って、それ以外の貴族家への働きかけも行い、勢力拡大を図っている。数は力。王国軍との戦いへの備えだけでなく、ベルクムント王国から王位継承の承認を得るためにも支持者の数を増やさなければならない。考えられるだけの利を説き、誇張された国王の悪意を吹き込むなど、様々な手を使って味方を増やしていっている。
それが上手くいけばいくだけ内戦の規模は拡大することになる。どちらが勝っても、シュタインフルス王国が追う傷は大きい。当然それを憂う人も少なくない。トリスタン王子はその代表的な一人だ。
「……陛下の説得は失敗だ。有力貴族家に対する怒りが膨れ上がっていて、聞く耳を持ってもらえない」
アンドレーアス王の説得が不首尾に終わったことを側近のフォルカーに話すトリスタン王子。内乱の拡大をなんとか回避できないかと動いていたトリスタン王子だが、それは上手くいかなかった。自勢力拡大の為にクノル侯爵が流しているアンドレーアス王の悪評。それが本人の耳に入っていて、ますます有力貴族家討滅の思いが強くなってしまっているのだ。
「クノル侯爵の側も話に聞く限り、かなり強硬姿勢でおります。どこまで本気かは分かりませんが、勝利を確信しているようで引く気はまったくないようです」
クノル侯爵も戦いを避けようという思いはない。勝利を確信している、とまではいかないが、アンドレーアス王が討伐を撤回した上で、さらに自分の身の安全が保証されなくては引くわけにはいかないのだ。
「せめてベルクムント王国の軍が到着するまで、開戦を引き延ばすことが出来れば」
両勢力の間で仲裁役を務められるとすれば、それはベルクムント王国以外にない。こうトリスタン王子は考えている。
「到着まで何か月かかるか……引き延ばしは難しいと思います」
使者が到着したかどうかも分からない時期。そこから救援軍の派遣を決め、編成をし、シュタインフルス王国まで移動させる。三か月か四か月か、もっとかかることもあり得る。とてもそれだけの期間、開戦を先延ばしに出来るとは思えない。すでに王国軍は進軍しているのだ。
「何か方法はないのか……なんとかしてコンラートと話が出来ないか」
今の状況を作り上げたのはコンラート。そのコンラートであれば、この状況を解消する方法を知っているのではないか。こう思うトリスタン王子だが、彼とコンタクトを取る術がない。あれば、もっと前に接触を試みている。
「申し訳ございません。何人かにあたってみたのですが、今は難しいという答えしか返ってきません」
「そうか……やはり、コンラートの目的はこの国を亡ぼすことなのだろうか?」
トリスタン王子とコンラートの関係はかつては良好と言えるものだった。だが事が起きてからは一切連絡が取れない。コンラートの恨みは自分にも向けられている。死刑にされそうになった恨みを晴らすことが目的なのだとトリスタン王子は思うようになっている。
「……恨むのであればクノル侯爵を恨むべきです」
コンラートは死罪に追い込んだのはクノル侯爵ら有力貴族派。その彼らとコンラートが組んでいることにフォルカーは納得できない思いがある。
「クノル侯爵の味方をしているとは限らない」
「しかし……まさか、共倒れを狙っていると?」
「そうだ。だから国を亡ぼすつもりなのかと思っているのだ」
現王家と有力貴族派を衝突させて、共倒れを狙う。あり得るとトリスタン王子は思っている。目的を実現するためであれば、自分を処刑台に追いやった相手にだって笑顔を向ける。コンラートとはそういう男だとトリスタン王子は知っている。
「……仮に共倒れ……失礼します」
部屋の扉が叩かれる音。それを聞いてフォルカーは話を途中で止めて、やや緊張した面持ちで扉に向かった。今は二人だけの密談の場。人払いをしていたはずなのだ。
扉を開けて、外にいた相手と言葉を交わすフォルカー。お互いに小さな声であるのでトリスタン王子には話の内容は分からない。
「……殿下に急ぎのお話があるとカスパー殿が」
戻ってきたフォルカーが会話の内容を伝えてきた。
「カスパー? 私に?」
カスパーはシュタインフルス王国の情報部門の一員。トリスタン王子も最近は、反乱軍の情報収集の責任者として会議の場で報告する彼に何度も会い、話もしている。だが会議の場以外で話をすることなどこれまでなかった。あるはずがない。情報部門の一員が、相手は王子であっても、公の場以外で話すことなど滅多にあることではないのだ。
「それが……コンラート殿からの伝言を預かっていると」
「なんだって?」
さらに、まさかのコンラートとの繋がり。トリスタン王子はすぐには状況が理解できなかった。
「どうされますか?」
「……もちろん話を聞く」
今一番望んでいるコンラートとの接触。カスパーがそれを実現できる相手だとすれば、追い返すなんて選択はない。
「承知しました」
トリスタン王子の許可を得て、また扉に向かうフォルカー。特に声をかける必要もなく、扉を開けただけでカスパーは部屋に入ってきた。そのままトリスタン王子に近づいてくるカスパー。
「失礼しました。許可は出たとはいえ、まだ王子殿下と接触していることは、あまり人に知られないほうが良いと思いますので」
挨拶もなく部屋に入ってきたことを詫びるカスパー。だがその意味がトリスタン王子には分からない。
「許可とは?」
「もちろん、コンラート殿からの許可です。私自身もそろそろかと思っていたのですが、いよいよその時がきました」
やや気持ちが高ぶっている様子のカスパー。やはりその訳がトリスタン王子には分からない。
「……申し訳ありません。不才の私には分からないので教えてください。なぜ、コンラート殿はこの時期に接触を?」
戸惑うトリスタン王子に代わって、フォルカーが口を開いた。トリスタン王子が事情を分かっていないことを誤魔化す為だ。
「陛下と有力貴族の衝突はもう避けられません。殿下が立ち上がるのは今と判断されたからでしょう。私もそう思います」
「申し訳ない。ほんとうに私は策の類が苦手で。今が最適と言われるが、この時に殿下に何が出来るのでしょう?」
「まさか国全体に戦火を広げるわけにはいかないでしょう? 殿下が速やかに事態の収束を行い、国王として立たなければなりません。ただ具体的な策については、私も知りません。おそらくお持ちしたコンラート殿からの書状に書かれているものと思います」
カスパーはトリスタン王子が王権を握る絶好の機会だと言っている。コンラートにはその為の策があるのだと。これを聞いて、ようやくトリスタン王子は、フォルカーも、事情が分かってきた。ただコンラートの策であるので、今考えていることが正しいとは信じきれないが。
「……まずは読ませてもらえるか?」
「もちろんです。今回の私の役目は書状をお渡しすることのみ。殿下との密談を知られてはなりませんので、これで失礼させて頂いてもよろしいですか?」
「ああ、もちろんだ。ご苦労だった」
カスパーは自分を国王にするために動いていた。何故、彼がアンドレーアス王を裏切って、それが露見すれば死が待っているというのに、コンラートの策に加担したのかトリスタン王子には分からない。分かっていないことを知られるのは良くないとも思う。彼がこの場を離れてくれるのは、ありがたいことだ。
扉を開けて、廊下の外を警戒するそぶりを見せながら、部屋を出ていくカスパー。
「殿下……?」
「彼は……いや、まずはこれを読むことだ」
カスパーがコンラートに騙されている可能性。それはかなり高いとトリスタン王子は思っている。だが、彼が望む通り、自分が王位に就いたとすればどうなのか。そもそも自分がこの時点で王位に就けるのか。コンラートからの書状を読まなければ分からない。
渡された書状を開くトリスタン王子。そこに書かれていたのは彼を国王にするための策ではなく、脅しだった。トリスタン王子はそう理解した。
「……書状にはなんと?」
読み終えてからもしばらく黙ったままのトリスタン王子。あまりに長い時間であったので、フォルカーは待ちきれずに自分から声をかけることになった。
「パラストブルク王国での出来事が書いてあった」
「パラストブルク王国ですか?」
トリスタン王子の答えは予想外のもの。どうしてここで中央諸国連合の、隣接してもいない国の名が出てくるのかフォルカーには分からない。
「パラストブルク王国で起きた反乱について知っているか?」
「おおよそのことは。確か一度失敗。そのあと各地で住民たちが蜂起して将軍と……王太子が、失脚した……」
コンラートがパラストブルク王国の話を持ち出してきた理由。その一部がフォルカーにも分かった。今の、この先のシュタインフルス王国の状況とパラストブルク王国の出来事を重ねているのだと。
「最初の反乱はアルカナ傭兵団によって平定された。だが、その後の住民蜂起はアルカナ傭兵団が原因だったそうだ。いや、アルカナ傭兵団というより派遣された傭兵個人が原因か。反乱軍の残党の心を燃え上がらせ、その火が住民たちに広がった結果だと書いてある」
「……他には?」
「王太子は最初の反乱を起こした貴族令嬢に支援を約束していた。だが実際には何もせず、見殺しにした。失脚はそのため。住民たちの怒りがその王太子に向けられたのだ。コンラートは私に問うてきた。何をしているのか。何をしたのかと」
良識派の中心はトリスタン王子。だがトリスタン王子は国を変えるために何かを行っているか。何も行ってはいない。それをコンラートは知っている。
「しかし、殿下は次代の国王です。国王の座につけば国を変えることが出来ます」
「それまでの間、民の苦労を見て見ぬふりをすると?」
「それは……」
「責めるつもりはない。責める資格は私にはない。私はこれまで民の苦労に対して、見て見ぬ振りをしてきた。カスパーのような臣の想いを顧みることをしてこなかった。責められるべきは私だ。そしてコンラートはそんな私を責めている。国が混乱している中、ただ傍観しているだけの私に国王になる資格はないと」
ただ時を待つだけで国王になれる。その立場に甘んじている、その立場を守ることだけに終始しているトリスタン王子に国を変えることは出来ない。多くの人の期待を背負う資格はない。背負えるはずがない。かつてはトリスタン王子に期待していたコンラートが、こう思うようになっている。トリスタン王子からは感じられなかった熱情を知ったせいだ。
「……どうされるおつもりですか?」
「立ち上がる以外の選択肢があるかな? ここで立ち上がらなければ、この国を変えることなど出来ない」
この混乱期で何もしなかった自分に、期待を裏切った自分に、心からの忠誠を向けてくれる臣下などいない。信頼できる臣下がいなければ国を変えられるはずがない。今と同じ。自分の立場を守るだけで終わることになる。
そもそもそんな自分が国王になることをコンラートが許すとは思えない。なんらかの策を用いて、自分を失脚させようとするはずだ。立ち上がる以外にないのだ。
「承知しました。では、何から始めますか?」
「……まずはもう一度、良識派を固め直そう。具体的な方策はそれからだ」
一か八かの賭け。国王に逆らおうというのだ。失敗すればすべてを失う可能性は高い。そうであるのにフォルカーの顔には笑みが浮かんでいる。もっとも身近にいた臣下。そんな彼の気持ちもこれまで蔑ろにしていたことをトリスタン王子は知った。少なくともここに一人、そしてカスパーの二人は自分が国王になることを望んでいる。国王になり国を良くしてくれると期待している。その期待に応えてみようとトリスタン王子は思った。追い詰められたからではなく、彼らの想いに応えるために自分は立ち上がるのだと。
◆◆◆
シュタインフルス王国軍と有力貴族家連合軍の衝突が間近に迫っている。その状況でヴォルフリックたちは、今も山中の拠点にいた。当面の間、反乱軍本隊は傍観者でいる予定だ。それはコンラートがクノル侯爵と共闘の約束をした後も変わらない。コンラートにも、ヴォルフリックたちにもクノル侯爵が玉座につく為に働く理由はない。その逆で邪魔をする、どころか二度とそんな野心を持てないように叩き潰したいという思いのほうが強い。
そんなヴォルフリックたちのもとにタイミング良く、悪くかもしれないが、ルイーサがやってきていた。
「……ルイーサさん。ちゃんと許可を得てます?」
「君にだけはそれを言われたくない」
長い間、どこで何をしているか分からない状態だったヴォルフリック。そんなヴォルフリックにアルカナ傭兵団の許可を得ているかを問われるのは、ルイーサには納得がいかない。といってもそれは彼女の感情の問題。国境を超えてシュタインフルス王国に入るには許可を得なければならないはずだ。
「それで何か用ですか?」
「用って……何をしているのかと思って」
「はっ? 任務に決まっていますよね? それとも遊んでいるように見えます?」
「見えるわね」
ヴォルフリックたちは待機時間の退屈を紛らわす為に、そうでなくても鍛錬は欠かさないが、一日中、キーラの友達相手に立ち合いを行っている。それがルイーサには動物と遊んでいるように見える、はずがないほど激しいものなのだが、のだ。実際に見ていて楽しそうではある。
「ルイーサさんもやります? 速さに優れた相手、力が強い相手、複数同時とか色々と鍛えられますよ」
「なんか、どこかで聞いたような相手ね?」
「……たまたまです」
神速のアーテルハイド、力のテレル、複数同時は幻影のルイーサ。アルカナ傭兵団の幹部を想定した鍛錬相手だ。
「こんなところで鍛錬している場合なの?」
「そういう場合です。伝書烏で伝えたはずですけど? ああ、届く前に黙って飛び出してきたから聞いていないのですね?」
「君。しばらく会わないうちに性格悪くなったわね?」
図星。ヴォルフリックたちからの最新の現状報告が届かないうちにルイーサは、待機していたガルンフィッセフルスの街を飛び出して、国境を超えてしまったのだ。
「もうすぐ国王側の王国軍と有力貴族たちの連合軍が衝突します。反乱軍としては当分はその状況を見守るだけ。シュタインフルス王国のトリスタン王子から何か要請があれば動くことになりますが、それも、もう少し先になると思います」
「……シュタインフルス王国の王子に味方するの?」
「誰かが内乱を終わらせなければなりません。一番、それを行うに相応しいのはトリスタン王子ということです。まあ、俺は見たこともありませんけど」
内乱の終わらせ方についてはコンラートに任せている。住民たちが立ち上がらなかった時点で、自分の策は失敗。ヴォルフリックはそう思っているのだ。
「……それで何か変わるの?」
次代の国王の就任が少し早まっただけ。今の話では、それだけのようにルイーサには思える。
「そう思いますよね? ただ有力貴族派は壊滅する予定です。さらに国王の排除に成功すれば、トリスタン王子の政治を邪魔する勢力はいなくなります。あとはトリスタン王子がどういう政治を行うか……まあ、良い政治を行わなければ、もう一波乱あるでしょうけど、それについては俺の出番はありません」
「良い王であることに期待か……私の期待は外れたわね」
「それって俺に期待していたってことですか?」
「……そんなはずないでしょ? もっと面白いことになるかと思っていただけよ」
ヴォルフリックなら常識外れなことをしてくれる。あり得ない結末を見せてくれる。口では彼の行いを否定していても、心の中では期待していた。ルイーサがそれを認めることなど、自分自身の心の中でも、ないが。
「面白い……面白いかどうかは別にして、まだ続きがある予定です」
「続き?」
「俺の任務はまだ終わっていません。ということで戻るのはまだ数か月先になります。そう伝えておいてください」
シュタインフルス王国における反乱は終結に向かって進んでいる。成功が決まっているわけではないが、失敗したらしたで、やはり終わりなのだ。だが、ヴォルフリックたち愚者の任務にはまだ先がある。ヴォルフリックはそうしたいと考えている。
「はあ? それってどういうこと? ちゃんと説明しなさいよ」
「それはもちろんします……しますけど……いっそのことルイーサさんも一緒に来ます? ちょうど人手がもう少し必要かと思っていて。ルイーサさんならピッタリです」
「……それって面白いの?」
「上手く行けば、かなり面白い結果になります」
「じゃあ、行くわ」
内容を聞くことなく同行を了承するルイーサ。結局、彼女は退屈だったのだ。自分自身が何もすることなく、面白い出来事が起こるのが嫌なのだ。
この数日後、どこに行くか分からないヴォルフリックのお目付け役として任務に同行する、というアーテルハイドがまったく受け入れられない理由が書かれた伝書烏が、アルカナ傭兵団本部に向かって飛ばされることになる。愚者の任務は舞台を変えて、続くことになるのだ。