道なき道を五日間進んで、ティファニー王女たちが辿り着いたのは、山の中腹にある洞窟。ディーノ、だけとは限らないが、狩りや旅の途中で嵐などに遭ってしまった時の待避所として使っている場所だ。それほど深い洞窟ではないが、雨風を避けて休むだけであれば十分な広さがある。
「もう良いのではないか?」
洞窟の外で望遠鏡を覗いているディーノに、クロードが不満そうな声で問いかける。
「ここまで来て、中途半端なことをしてどうする? ちゃんと安全を確かめないと」
ディーノが見ているのは洞窟のある山の麓近くにある小さな湖。そこが別行動を取った護衛騎士との合流地点。ディーノたちはカストール帝国の追っ手がいないか確かめる為にここにいる。
「追っ手などいない。それはもう分かったのではないのか?」
護衛騎士たちはすでに合流地点に到着している。その後に続く人影は確認出来ていなかった。
「ああ。見える範囲にはな」
「隠れているというのか?」
「それを調べている最中だ」
こう言いながらもディーノの望遠鏡は一点を指している。それにクロードは気が付いた。
「隠しごとは止めろ」
「はっ?」
「何か考えていることがあるのであれば、ちゃんと話せ」
ディーノは自分だけで何かをしようとしている。それがクロードは納得がいかない。
「隠していることなんてない。それにあっても話さない」
「何故だ?」
「お前を信用していない」
「…………」
予想していた答えではある。そう思われていることがクロードは納得がいかず、寂しくもある。ただこれは少し勘違いが混じっている。
「お前と会ったのは十年ぶりだ。それに彼女とお前との関係性も俺は知らない。それでどうして信用出来る?」
ディーノは過去に関係なくゼロからクロードを評価しようとしているのだ。
「俺はティファニー様の近衛騎士だ」
「それがどうした? 俺はその近衛騎士というものを信用していない」
「……ティファニー様に忠誠を捧げている」
「それはこの先、行動で証明してくれ。今はまだ言葉だけだ」
今、言葉で何を聞かされてもディーノはクロードを信用するつもりはない。
「私はクロードを信頼しています」
二人のやり取りを聞いていたティファニー王女が、クロードを擁護してきた。自分のクロードへの信頼を伝えて、ディーノの気持ちを変えようとしたのだが。
「それはご自由に」
ティファニー王女がクロードをどう思っていようとディーノは自分のやり方を変えるつもりはない。せいぜいティファニー王女の行動を予測する参考にするくらいだ。
「……北部ではノーブル伯爵を頼ろうと思っている」
「いきなりなんだ?」
「信用を得ようというのだから、こちらも隠しごとはしない」
まずは自分から信頼の気持ちを示す。クロードはそう考えた。
「……甘いな。そう簡単に俺を信用して良いのか?」
「ディアーナ様の信頼を、お前が裏切るはずがない。これだけは絶対だ」
ディーノがティファニー王女と同行しているのはディアーナの頼みがあったから。ディーノがそれを裏切ることは絶対にないとクロードは強く信じている。
「……そのノーブル伯爵は信用出来るのか?」
「民を大切にする良い領主だという噂だ。そういう人物なので人望も厚い」
「なるほど……」
だからといってディーノはそのノーブル伯爵を信用することはない。これは誰であろうと同じだ。
「北部の力を結集して、カストール帝国に対抗する。王太子殿下も南部で同じことをされようとしている」
「それは俺には関係のない話だな」
「ティファニー様を守ろうと思えば、関係ないでは済まない」
「彼女を守る為には、そういう状況になるのを阻止するという選択肢もある」
ディーノの目的はティファニー王女をカストール帝国、だけでなく害を及ぼそうとする全ての存在から守ること。戦争という危険な場にティファニー王女が身を置くことを許すのは、それに反することだとも言えるのだ。
「……ティファニー様がそれを望んでおられる」
「それは本当に本人の意思なのか? 王族の責任とでも言って、押しつけたのではないのか?」
「それは……」
全くないとは言い切れない。誰かが言ったのではなくても、ティファニー王女は王族としての責任を感じているに違いない。これを指摘されるとクロードは何も言えなくなる。何故、それをディーノが気にする理由も分かっているのだ。
「私は自分でそれを望んだの」
「では、王家の人間でなかったらどうでした?」
「えっ?」
ディーノはティファニー王女が、恐らくは無意識のうちに、背負っている王族としての責任を明らかにしようとしている。
「王族でなくても同じことをしようと思いましたか?」
「……王族じゃないと出来ないことだから」
「思わなかった。つまり、王族という立場に追い込まれて決めたことです」
「ディーノ。それを追及することに何の意味がある? ティファニー様は王族としてお育ちになられた。王族としての立場で物事を考えるのは……」
ディーノが自分を睨み付けているのに気が付いて、クロードは話を途中で止めた。ディーノに向かって言う内容ではなかったと、遅ればせながら気が付いたのだ。
「王族であることを……いや、もう良い」
王族であることを自分の意思で辞めることなど出来ない。本人がどう考えていようと、周りが王族だと思っている限り、王族なのだ。そうであることをディーノも知っている。
「ディアーナ様であっても――」
「もう良いと言っている!」
「……分かった」
「明日、合流地点に向かう。そのつもりでいろ」
「ああ」
立ち上がって、その場を離れていくディーノ。クロードはその背中をずっと見つめていた。物問いたげに自分を見つめているティファニー王女の視線を避ける為に。
◆◆◆
雲一つない夜空に下弦の月が浮かんでいる。遮るもののない洞窟の前の空地からはその月が良く見える。周囲に広がる満天の星とともに。
ディーノは地面に寝転んで、それを見つめている。いつもであれば、たき火の前でお茶を飲みながら夜空を眺めるのが日課。だが今は遠くからでも目立つ火を焚くわけにはいかない。
「……寒くないですか? 奥で寝ていたほうが良い」
夜空に視線を向けたままディーノは言葉を発した。近づいてきたティファニー王女に向けての言葉だ。
「大丈夫」
「何か用ですか?」
「月が綺麗だから」
夜空に浮かぶ月に惹かれてティファニー王女は外に出てきた。ディーノがいるからという理由もあるが。
「……その台詞はあまり口にしないほうがいいです」
「どうして?」
「それは貴人が口に出来ない異性への想いを告げる時の言葉だと聞きました」
「異性への想い?」
「好きという気持ち」
「…………」
自分が口にした台詞が愛の告白の言葉だと教えられて、ティファニー王女は顔を真っ赤に染めている。
「照れなくて大丈夫です。貴女に言われても勘違いなんてしません」
「……うん」
「月、好きなのですか?」
「母上が好きだったから」
「覚えているのですか……」
ディアーナが亡くなった時、ティファニー王女は四歳。それで良く覚えているものだとディーノは感心した。
「本当に好きだったかは分からないの。でも、窓の外の月を眺めている母上の記憶だけははっきりとあって」
不思議とティファニー王女の心にはっきりと残っている光景。その光景が彼女にとっての母の記憶だった。
「……好きでした。何度か月を見るのに付き合わされました」
「母上と?」
「ええ。今、思えばとんでもないことです」
王女を夜中に連れ出したのだ。それがバレてはどんな罰を与えられたか分からない。下手すれば誘拐犯扱いだ。実際には連れ出されたのはディーノたちのほうであっても。
ディアーナが王女だと知らないから出来たことだ。その時のことを思い出して、ディーノの顔に笑みが浮かんだ――
◆◆◆
放課後の教室。帰り支度をしているディーノにディアーナが近づいてきた。彼女の目的を気にしてその動きを追っている周囲の視線など気にすることなく、まっすぐにディーノを見て。
「ねえ、今夜、月を見に行かない?」
ディアーナの誘いはこんな軽いものだった。ただ発せられたその言葉は、男子生徒の心をえぐることになる。女子生徒もクラスで目立たない存在のディーノとディアーナの関係性に対して興味津々だ。
「どうして?」
「なんと、今晩は満月なの」
嬉しそうにディーノの問いに答えるディアーナ。
「……見れば」
ディーノのほうは満月に全く惹かれていない。この頃のディーノには夜空を眺める習慣などなかったのだ。
「一人で見ても楽しくない」
「月を見るのが目的だよね?」
「皆でワイワイやりながら月を見るのが目的なの」
つまり月見は皆で遊ぶ口実だ。理由は何でも良かったのだ。ただディアーナは普通の女子のような遊びをしたいのだ。ただこれはディアーナの勘違いで、普通の女子生徒も男子生徒と夜中に遊びに行くことなど、何か行事がある時以外は滅多にあることではない。
「……ワイワイって言うけど、二人では」
ディーノは月を見て、ワイワイすることはない。
「大丈夫。クロードくんも誘ったから」
「……誰?」
クロードなんて男子生徒をディーノは知らない。
「新入生」
「どうして新入生が……?」
ディアーナは新入生というが、クラスで紹介もされていない。そんな相手をどうしてディアーナが知っているのか、ディーノは不思議に思った。
「いいじゃない。友達になってあげましょうよ」
「いや、僕、初対面の人は苦手で」
人見知りのディーノにとって、初対面の相手と遊びに行くなど苦痛でしかない。その思いがディーノに、ディアーナの話の矛盾を追及することを忘れさせた。
「大丈夫。クラウスくんも誘ったから」
「……はい?」
さらにディーノが驚くことを告げてくるディアーナ。
「仲良いでしょ?」
「……誰と誰が?」
「ディーノとクラウスくんが。いつも授業中組んでいるじゃない」
これは剣の授業のことを言っている。ディーノはいつもクラウスという男子生徒に無理矢理組まされていた。ディアーナはそれを勘違いしているのだ。
「……弱い者虐めって知ってる?」
「知ってる。それが何?」
「僕とクラウスの関係はそれ。僕、いつも一方的にやられているだけだし」
「えっ? あっ……じゃあ……よし! この機会に仲良くなろう!」
どこまでも前向きな、意識してのことだが、ディアーナだった。気軽に話せるディーノ相手だから出来ることでもある。
「いや、無理だから。というか奴が来るはずが……あっ、そうか。来るはずないな」
「来るけど」
「はい?」
「OKもらっているから」
「……僕がいるってことは?」
ディーノにとってあり得ない、あってほしくない事態。クラウスはディアーナと二人のつもりなのではないかと考えた。
「もちろん伝えた。『友達も来るからどう?』って誘ったもの」
「……それ絶対、誰かと勘違いしているでしょ?」
クラウスは誰か他の生徒と勘違いしているに違いない。ディーノはそう思った。
「そうかな? クラウスくんも少し驚いていて、相手が良いならって言っていたけど。あっ、そうか。どうしてそんなことを聞くのかと思っていたけど、そういうことね」
ディーノは自分が行くのを嫌がるのではないか。クラウスはそう思って確認したのだとディアーナは考えた。クラウスが勘違いしているという可能性は、ディアーナの頭の中にはないのだ。
「嘘でしょ……?」
ディーノにとっては信じがたいこと。クラウスが何を考えているか、さっぱり分からない。
「まあ、約束の時間になれば分かるよ。ということで夜の七時にいつもの場所に集合」
「……それもクラウスに?」
「当たり前じゃない」
「そう……」
自分の隠れ処が、もっとも知られたくない相手に知られてしまった。夜の七時など永遠に来なければ良いのに。ディーノはそんなことを考えていた。
◆◆◆
――いくら嫌がっても夜の七時はやってくる。憂鬱な気持ちを抱えたまま、それでも約束を守るのがディーノの律儀なところなのだが、約束の場所に向かう。
「おっ! 来た来た! 遅いぞ!」
そのディーノを見つけたディアーナが声を掛けてきた。
「時間通りのはずだから」
「でも君が最後」
「……そうみたいだね?」
ディアーナの言うとおり、ディーノが最後の到着。初めて見る男子生徒と、何度も顔を合わせている、出来れば会いたくないクラウスはすでにその場にいた。
「まずは紹介。彼がクロードくん」
「クロードだ。よろしく」
爽やかな雰囲気で挨拶をしてくるクロード。ディーノの苦手、というより嫌いなタイプだった。
「ディーノです」
差し出された手に、嫌々ながらも、自分の手を重ねるディーノ。思った通り、相手はディーノが痛いと思うくらい力強く握手をしてきた。
「クラウスくんとは友達だから、挨拶は無用ね」
言わなくても良いことをわざわざ言うディアーナ。それを聞いたディーノは苦い顔だ。ただクラウスも何も言わないことには、少し不思議に思った。
「じゃあ、早速、お月見ね」
「ここだと見えないと思うけど?」
「えっ、そうなの?」
「そうなのって。見れば分かるよね?」
この場所は周囲を高い木に囲まれていて、夜空を見ようにも、わずかな隙間しかない。上を見ればすぐに分かることだ。
「全員が揃うまでは夜空は見ないようにしていたから」
「あっ、そう……じゃあ、移動しようか。向こうの方に少し開けた場所がある」
ディアーナらしいと思いながら、ディーノは林のさらに奥の方を指差す。そこに空地があることをディーノは知っているのだ。
ディーノを先頭に先に進む一行。その場所にはすぐに辿り着いた。
「ここなら見えると思うけど……」
視線を上に向けるディーノ。それに他の人たちも倣った。夜空に浮かぶ満月、そして周囲に広がる星々のきらめきがとても美しい。
「……ディーノ」
「何?」
「来て良かったね? 今夜の月はとても綺麗よ」
ディーノに心から嬉しそうな笑みを向けるディアーナ。その表情を見て、ディーノは胸が高鳴った。美人だからというより、ディアーナの内面の可愛さが見えた気がした。
そこに聞こえてきた、わざとらしい咳払い。咳払いの主はクラウスだ。
「……ディアーナさん。その台詞はあまり口にしないほうが良いな」
「えっ、どうして?」
「それは高貴な女性が、口に出来ない想いを伝える為の言葉だから」
「口に出来ない想い? それって何かしら?」
「貴方が好きです、という意味」
「えっ!? 本当!?」
自分が発した言葉が愛の告白を意味すると知って、驚くディアーナ。
「本に書いてあった。まあ、きっと誰もが知っているようなものではないとは思うけどな」
「へぇ」
クラウスの説明を聞いて、思わず声を漏らすディーノ。
「何だ?」
「いや……別に」
結果、クラウスに睨まれることになった。
「言いたいことがあれば言え」
「……本を読むなんて意外だなって」
怒鳴られるのを覚悟して、ディーノは思っていたことを告げた。言わなければ言わないで怒鳴られると思ったからだ。
「俺が本を読むのはおかしいか?」
「いや、そんなことないけど」
「お前こそ」
「僕?」
「随分この場所に詳しいな。何度も来ているのだろ?」
「まあ」
何度もというよりも、ほぼ毎日という表現が正確だ。
「ここで何をしている?」
「何って……色々」
色々と言うほどの何かをしているわけではない。クラウスに具体的な内容を話すことに抵抗を感じているだけだ。
「剣の稽古とか?」
「まあ……」
だがディーノが隠したかったことはすぐにクラウスにバレることになった。
「やはりな」
「やはり?」
「お前は実力を隠していた」
「はい?」
「授業の時、本気を出していないのだろ?」
「本気だけど?」
どうしてクラウスがこんなことを言い出すのかディーノには分からない。手を抜いた覚えなどディーノには全まったくないのだ。
「嘘をつけ。本気であればもっと良い勝負が出来るはずだ。それなのにお前はいつもまともに相手をしようとしない」
「……はい?」
まともに相手をしないのではない。頑張っても相手にならないのだ。まったく身に覚えのないことを追及してくるクラウスにディーノは戸惑うばかりだ。
「クラウスくんはどうしてそう思ったの?」
戸惑っているディーノに代わって、ディアーナがクラウスに質問を向けた。ディーノは弱い者虐めをされていると言っていた。クラウスの話はそれとは随分違う。
「どうしてって……剣の振りを見れば、ある程度は分かる」
「へえ、凄いのね」
「いや、褒められるほどじゃない。きちんと鍛錬をしているかどうかくらいだ」
ディアーナの言葉に照れた表情を見せるクラウス。ディーノが初めて見るクラウスの普通の男子生徒らしい表情だ。
「それでも凄いじゃない。そのクラウスくんから見て、ディーノはきちんと鍛えていると思えるのね?」
「ああ。それなのに、こいつはいつもいい加減な立ち合いばかり」
この思いがクラウスを苛立たせ、ディーノにいじめと思わせるような厳しい立ち合いになってしまうのだ。
「それは多分……ディーノは本番で実力を発揮出来ない性格なのよ」
「はっ?」
「気が弱いから」
「……気持ちの問題だったってことか?」
「多分」
そもそもディーノに人を剣で打つことなど出来るのか。それさえも怪しいとディアーナは考えている。
「……じゃあ、精神力を鍛えろ、いや、俺が鍛えてやる」
「あっ、それ良いじゃない。これからは皆でここで剣の練習することにしよう」
「い、いや、ディアーナ!」
「大丈夫。クロードくんも剣は結構、上手いのよ」
どうして新入生のクロードの実力をディアーナが知っているのか、という疑問はまさかの展開に焦っているディーノの頭には浮かばなかった。
「ほう。それは楽しみだ」
そしてクロードの実力を聞いて、すっかりその気になってしまったクラウス。こうなるとディーノにはもう拒否することは出来ない。ディーノたち四人はこの場所で、ほぼ毎日のように剣の鍛錬を行うことになる。
これがこの先、四人が常に学校生活を共に過ごすことになるきっかけ、四人の運命が最初に交差した時。