旅支度を調え終わると、ティファニー王女一行は北に向かって出発した。深い森の中。道なき道を進んでいるティファニー王女たち。ただし、同行しているのはクロードとディーノだけ。他の護衛騎士の姿はない。
こうなった理由は二つ。一つは騎獣の数が足りないこと。ナイトメアとムーン、それにムーンの母親を加えても三騎。そのうち、ムーンはまだ騎獣には出来ない。ナイトメアにディーノとティファニー王女、ニュクスと名付けた母親にクロードが乗ることにして、護衛騎士とは別行動を取ることになった。
その護衛騎士たちは何をしているかというと、追っ手を惑わす為の囮。敵から奪った翼竜に乗って、別方面に進んでいる。
「……本当にこれで良かったのか?」
二手に分かれることにクロードは完全には納得していなかった。
「彼らに歩きで付いてこいって? それは、ひどいだろ?」
「翼竜で付いてくればいい」
「そして敵にここにいますと教えろと?」
空を飛ぶ翼竜は目立つ。敵に居場所を教えているようなものだ。それを避ける為の別行動なのだ。
「……彼らは今そうなっている」
「囮だからな」
目立つから囮役になれる。ディーノはそう割り切っているが、クロードはそうではないのだ。
「彼らだけに危険な任務を負わせるとは……」
仲間たちを危険な目に合わせることを気にしている。
「お前が守るべき相手は誰だ?」
「ティファニー様だ」
「そして彼らの任務もそう。危険な目に遭うからといって、それで本来の使命を忘れてどうする?」
「それは……分かっている」
それくらいはクロードだって分かっている。ティファニー王女を守る為に命を捨てる覚悟がクロードにはある。危険だからといってやるべきことをやらないわけにはいかない。だが、分かっていても情の面で納得出来ないのだ。
「分かっているなら追っ手を巻くことだけを考えろ」
「分かっている」
「全然分かっていない」
クロードの正義感。それはディーノには甘さにしか思えない。その甘さがあるからこそ、ディーノとの間に過去、付き合いが生まれたのだが、今それは無用のものだ。追っ手は絶対に囮である騎士たちに向かうとは限らないのだ。
「……合流地点までどれくらいだ?」
「五日。まっすぐに向かえばな」
「どういう意味だ?」
「追っ手に先回りされていたら厄介だ。だから迂回して進む」
「それは彼らが合流地点を敵に漏らすと考えているからか?」
合流地点を敵が知るはずがない。先回り出来るとすれば、それは囮役である彼らから情報を聞き出すしかない。クロードはディーノがそれを心配しているのだと考えて、不機嫌そうな顔を向けている。
「可能性の問題だ。それに後を付けられていることに気付かなくてもそうなる」
「空を飛ぶ翼竜を気付かないはずがない」
空を飛んで付いてきていれば、夜でなければまず間違いなく気付く。ディーノの言うように後を付けられることなど、あり得ないとクロードは考えた。
「追っ手も翼竜を使っているとは限らない」
「翼竜を使わないで、どうやって追いつける?」
「さあな。でも俺が知らないからといって、この世の中に翼竜よりも速く移動出来る生き物がいないとは限らない」
「それはそうだが」
「絶対なんてない。そう思っていないとトレジャーハンターなんて出来ない……ってお前には関係ないか」
伝説のお宝の存在。それを「そんなもの絶対にあるはずがない」で終わらせては宝探しなんて出来ない。ただクロードはトレジャーハンターではなく近衛騎士だ。
「……どうしてトレジャーハンターなんてやっている?」
「はあ? お前がそれを聞くか?」
「始めた理由ではない。続けている理由だ。一生遊んで暮らせるだけの宝は手に入れた。そうでなくても金を使うことなんてないだろ?」
ディーノは森の中で自給自足の生活をしていた。大金を稼ぐ必要などないはずだ。
「金の為じゃない。それしかやることがないからだ」
「危険なのではないか?」
「危険じゃなければ、トレジャーハンターなんて、やる意味がない」
「……死に急いでいるのか?」
わざと危険に身をさらすのは、死を望んでいるから。クロードはそう受け取った。
「そうでもしないといつ死ねるか分からないからな」
自嘲気味な笑みを浮かべるディーノ。その笑みの意味をクロードは知っている。
「見た目でも分かってはいたが、不老不死になったというのは事実なのだな?」
クロードの問いを聞いたティファニー王女が驚きの表情を浮かべている。ディーノが不老不死であることなど、今初めて聞いた。それ以前にそういう存在が実在するということなど聞いたこともない。
「事実じゃない。少し年取るのが遅くなっただけだ」
「不老ではあっても不死ではないと?」
「死なない生き物なんていない。古龍だって人間が想像出来ないくらい長生きなだけで、いつかは死ぬ」
「そうだとしても……『古龍の加護』は真実だったのだな?」
ディーノが不老になったのは『古龍の加護』のおかげ。これもクロードは聞き知っている。
「加護だと? ふざけるな。これは呪いだ。俺は長生きなんてしたくない」
「……そうか。ああ、ティファニー様には分かりませんね」
ディーノから視線を外したところで、ティファニー王女が自分を見ているのにクロードは気が付いた。
「うん」
「ディーノは古龍の加護を受けております」
「呪いだ」
クロードの言葉をすぐに言い直すディーノ。
「ティファニー様に説明しているのだ。一般的には古龍の加護と呼ばれているだろ?」
「一般的ね。誰も信じなかったくせに」
「少し黙っていてくれ。ティファニー様への説明を行いたいのだ」
「……じゃあ、どうぞ」
と言った後に「俺の話だろ」と小声で文句を言いながらも、ディーノは視線を前に向けた。勝手に話せという態度だ。
「古龍の血と涙を飲むと不老不死になれるという伝説がありました。ディーノはその古龍の血と涙を手に入れて……それを飲んだと思われます」
「思われます?」
クロードの曖昧な言い方がティファニー王女には気になった。
「飲んだところを見たわけではありませんので。そのことがある少し前からこれまで、私はディーノに会っておりませんでした」
「そう……」
ティファニー王女には二人の関係がまだ良く分からない。やり取りを聞いていると、仲が良いと思える。だが確実に二人の間には、それだけではない何かがあると感じられた。
「だがこの男はこの通り。私と同い年にはとても見えない」
「えっ? 同い年なの?」
「はい。ディーノはお母上であるディアーナ様の同級生でもありました」
「……母上と同級生」
クロードと同い年であるなら、そうであってもおかしくない。だが、ディーノの見た目から、それは全く想像出来なかった。
「それも古龍の加護か?」
「だから呪いだって言っている。俺は長生きなんて望んでいないからな」
「……ディアーナ様は、お前に長く生きて」
「お前にディアーナの気持ちを語る資格はない。資格があるとしても、俺は聞きたくない」
「…………」
黙り込むクロード。ディアーナの話になると途端に二人の雰囲気は悪くなる。その理由がティファニー王女は気になって仕方がない。
「母上とは仲が良かったの?」
難しそうな二人の関係は置いておいて、まずは母親とのこと。そう考えて、ティファニー王女はディーノに尋ねた。
「……まあ」
「呼び捨てにするくらいだものね?」
「ああ……これは、癖といいますか……出会った時からこれだったので。俺はディアーナが王女だなんて知らなかったのです」
「そう……」
それだけのことなのか、ティファニー王女は疑問に思う。ディーノが王女であったディアーナを呼び捨てにしていることに対して、クロードは何も言わない。クロードがそれを許すような関係だったということだ。
だが、この先の問いをティファニー王女は口に出来なかった。聞いてはいけないことだと感じたからだ。
「……古龍の血と涙ってどうやって手に入れたの?」
代わりにティファニー王女はクロードの話の中で、もう一つ気になっていたことを尋ねた。
「土下座して頼みました」
「えっ?」
「古龍に正面から立ち向かっても勝てるはずがありません。だから土下座して頼みました」
古龍は、この世界の龍の頂点だ。火龍、水龍、土龍、風龍がいると言われており、そのいずれも人が単独で戦える存在ではない。だが土下座をして頼めば言うことを聞いてくれる存在とも思えない。
「お願いを聞いてくれたの?」
「だから俺は生きています」
古龍と戦いになっていればディーノは生きていない。
「人の言葉が分かるんだ?」
「……いえ、人の気持ちが分かるのです」
「人の気持ち……」
古龍が心を動かされる何かがディーノにはあった。そういうことなのだとティファニー王女は理解した。そして、その何かをクロードは知っている。話を聞いているクロードの辛そうな表情が、それを示していた。
「ディアーナにあまり似ていませんね?」
「えっ? そう?」
母親とは瓜二つと言われてきた。ディーノの指摘は、ティファニー王女には驚きだ。
「顔は似ていますけど雰囲気が違います。ディアーナはもっと快活な女性でした」
「そうなんだ……」
内気な性格はティファニー王女のコンプレックス。それを言われて落ち込んだ表情を見せている。
「いや、そっくりだ」
だが、クロードがディーノの話を否定した。
「性格だぞ?」
「ディアーナ様も、もともとは内気な性格だった。それを直すことも学校に通った理由の一つだ」
「ディアーナが内気? あのディアーナが?」
ディアーナのことは良く知っているつもりだった。だがディーノには内気なディアーナが想像出来ない。
「それを言うならお前もだろ?」
ディーノも随分と性格が変わった。出会ったばかりの頃は、内向的な性格が表に出ていたことをクロードは覚えている。
「俺はディアーナの影響を受けてこうなったんだ」
「ではお互いに変わったのだ。嘘ではない。私は学校に入学するずっと前からディアーナ様の側付きだ。当時のことはよく覚えている」
「いや、だって……」
ディーノが思い出すのはディアーナに初めて声を掛けられた時のこと――
◆◆◆
放課後の学校。一人の時間を過ごす為にディーノは敷地内の林の中にいた。ほぼ毎日この場所に来て、ディーノは考え事をしたり、剣の練習をしたりしている。学校生活においては、唯一と言ってもよい、気の休まる一時なのだ。
「ねえ、君。同じクラスのディーノくんだよね?」
「えっ?」
いきなり掛けられた言葉。これまでの経験から誰も来ることはないと思っていたディーノはそれにひどく驚いた。
「ディーノくんだよね?」
「……そうだけど」
相手が誰だか分かって、さらに動揺は激しくなったが、繰り返された問いに、ディーノはなんとか答えを返した。
「私はディアーナ」
「知ってる。同じクラスだから」
同じクラスの生徒の名くらい知っている。それにディアーナはクラスで一番の美人だ。他人に興味を持たないディーノでもそう思うくらいの。
「ディアーナとディーノ。似てると思わない?」
「……はい?」
「名前。似てると思わない?」
「……似てると言われれば、似てるけど」
それが何なのだ。という言葉を口に出せる性格ではない。ディーノは知らない。この下らない台詞はディアーナが散々悩んだ末に思い付いた、ディーノに話しかける為の口実であることを。
「ここで何をしているの?」
「何も。ただぼんやりしているだけ」
「そう……それって楽しい?」
思っていたようには話は弾まない。だがディアーナは挫けることなく話を続けた。ここで挫けては、無理を言って入学した意味がなくなってしまうのだ。
「楽しいとは言わない。そうしたいからそうしているだけ」
「じゃあ、私もぼんやりしてみよっと」
「ええっ?」
そう言ってディーノの隣に座るディアーナ。その大胆な行動に驚いたディーノは、文句を言うことも出来ずに固まってしまった。
それは大胆な行動を取ったディアーナも同じ。自分の行動に驚き、赤の他人である男子とこんな近い距離にあることにドキドキして固まってしまっている。
「……ぼんやりって難しいね? どうしても頭に何かが浮かんでくる」
しばらくして、勇気を出してディアーナは口を開いた。
「ああ」
「君はぼんやり出来るの?」
「……何も考えないでいられるなら、きっとここにはいない」
一人になりたい。人と関わり合いになりたくない。そんなことを思わずに済むのであれば、もっと楽に生きられる。こんなことを考えてしまうことさえ、ディーノは嫌だった。
「そっか。そうだよね」
「……君はどうしてここに?」
「たまたま。なんとなく気になって来てみたら、君がいた」
そうではない。ディーノがどこか自分に似ている気がして、ずっと気になっていた。そのディーノがほぼ毎日この場所に来ていることを知って、親しくなるきっかけを掴もうと、勇気を出して足を運んだのだ。
「僕のことなんてよく知っていたね?」
ディーノはクラスでも目立たない存在。自らそうであることを望んでおり、話したことのない同級生のほうが多いくらいだ。
「同じクラスだもの。それに名前が似ているし」
「それだけ? って当たり前か」
それ以上の何かがあるはずがないとディーノは思う。
「それに君はいつも遠くを見ている。君が見ている何かを私も見てみたいと思った」
「えっ……?」
「君は何を見ているの?」
ディーノの目をのぞき込むようにして、問い掛けるディアーナ。
「何って……何も見ていない。何も見えない」
何も見えていない。それが辛くて、何かを見つけようとしていた。だが何かは何か。何でもない。こんなことを考える自分は少しおかしい。この思いがさらにディーノを他人から遠ざけるのだ。
「そっか……でも見えているのも辛いよ」
先が見えているのも辛い。それが望まぬ未来であれば尚更だ。そしてディアーナの未来はその望まぬ未来なのだ。
「可能性の話?」
「そう。君の可能性は無限だね?」
「無かもしれない」
「そんな悲観的な考えはしない。未来は明るい。そう信じないと生きるのが辛くなるよ?」
これは自分に言い聞かせている言葉でもある。将来を嘆くだけでは、毎日が辛くなるだけ。今の時を大切にする為に、望まない未来にもその先には幸せが待っているかもしれないと考えるようにしているのだ。
「……分かってる。でも期待して裏切られるのも辛くない?」
「そう言われると……でもね……」
たどたどしかった会話が少しずつ弾むようになる。お互いにとって珍しいことだ。内気なディアーナと人嫌いのディーノ。これが、二人が初めて近づいた日。ディーノの運命を変えた出会い。