バックアッププランの検討、準備は進めていても、それ以外は、王都でただ伝書烏が届ける伝書を待っているしかなかったディアークたちにも、ようやくシュタインフルス王国内の状況が理解出来るようになってきた。隣国のノイエラグーネ王国の国境近くの街ガルンフィッセフルスにルイーサが赴いたことで、愚者との連絡が密になったおかげだ。シュタインフルス王国内の動きが活発になってきたという理由もある。
それでもまだディアークに分からないのは作戦の結末。愚者が、ヴォルフリックがどのような形で反乱を終わらせようと考えているかだ。
当然、ルイーサはその点についてしつこく問い合わせを行っている。だが求める答えは返ってきていない。反乱の結末がどうなるかは、こちらにもまだ分からない。何度問い合わせても、これしか返ってこないのだ。
「おそらくですが、作戦内容を隠しているのではなく、本当に分かっていないのだと思います」
アーテルハイドはその答えを真実だと思っている。実際に反乱の結末は、それを引き起こしているヴォルフリックにも分からないのだと考えているのだ。
「……成功するにはまだ何かが足りないということか」
これまでのところ、計画は順調に進んでいるように思える。隣国のライヘンベルク王国の関与を疑わせ、支援要請を躊躇わせるだけでなく、国境の守りを固めることにシュタインフルス王国軍は多くの戦力を割くことになった。その状況で手薄と思われる、これについては現地を知らないディアークたちでは推測でしかないが、軍拠点を攻撃。勝利を重ねてみせた。
「国王と有力貴族を衝突させようとしているようですので、その結果待ちというところでしょうか?」
「確かにそれが上手くいくか、いかないかでは状況は大きく変わってくる……だが、一手外しただけで成否が決まるようでは、策としては物足りないな」
さらに王国軍と有力貴族家軍を衝突させて、漁夫の利を狙う。これ自体は悪い策ではないが、それが全てとなると少し問題だとディアークは思う。失敗しても次善の策を用意しておく。これくらいの周到さは必要だと考えているのだ。
「もう一手ですか……」
次善の策として何があるか。それをアーテルハイドは考え始めた。離れた場所にいる二人。ある程度、動きを先読みしておかないと、何かあった時の対応が遅れてしまう。そう考えて、この話し合いを行っているのだ。
「君はどう思う?」
「…………」
ディアークの問いに返ってきたのは沈黙だった。問い掛けられた相手は、自分に向けられたものだと分かっていないのだ。
「エマ。君はどう思う?」
「えっ……」
ディアークたちが話し合いを行っているのは、いつもの執務室ではなく、エマの食堂。わざわざ城の外に出てきて、食事をしながら話をしているのだ。
「あら、団長、それは掟破りではないかしら?」
エマに質問を向けたことに対して、トゥナが文句を言ってきた。
「掟破りって……彼女に質問してはいけないなんて掟はないだろ?」
「この場は、美味しい食事を頂きながら、彼が何を考えているかを想像して楽しむ時間。答えを聞いたら楽しくないわ」
今は執務中ではない。食事を楽しみながら雑談をしているだけだ。エマの食堂を訪れる為の口実であるのだが、その建前をトゥナは守ろうとしている。
「彼女が答えを知っていると?」
「知っていても、知らなくて、こういう形で彼女を巻き込むと彼は怒ると思うけど?」
「……そうかもしれないが」
ディアークにもエマを政治に巻き込もうという考えはない。間違いなくラングトアの貧民街で暮らしていた時からの、ヴォルフリックの仲間であるエマと国王という肩書なしに色々と話をしたいと考えて、食堂に来たのだ。いきなり来て、実現することではないと分かっていても。
「ごめんなさいね。団長って、忙しくなると仕事以外のことは頭の中から消えてなくなってしまうの。嫌よね? こういう男」
「いえ…………男の人はみんな、そういうところがありますから」
シュッツも同じだから。トゥナに、さりげなく問いを向けられて、エマはつい声にしてしまいそうになった。
「女は待っているだけ?」
「…………」
「……貴女は違うのね? ……もしかして、彼の後方支援の頭は貴女なのかしら?」
食堂を営むことだけがエマの仕事ではない。離れていても彼女にはやることが、やれることがある。エマの沈黙を、トゥナはこういうことだと受け取った。では彼女がやれることとは何なのか。それが気になって、つい問いを向けてしまう。
「トゥナ、掟破りはどっちだ?」
「あっ、ごめんなさい」
今度はディアークがトゥナを注意することになった。
「……少しずるい言い方かもしれないが、我々も愚者の後方支援について考えている。彼は次にどう動き、我々はそれに対して、どう備えなければならないのか。これを考えているのだ」
トゥナに注意しながらも、ディアークはエマに向けて仕事の話を始めた。必要なことだと思えば、それを行うことに躊躇いを覚える必要はない。こういう考え方なのだ。
「もし君に何か分かることがあれば、教えてもらえないだろうか? 頼む」
ヴォルフリックの為に。こういう言い方は卑怯だとディアークは分かっている。だが、こういう頼み方しか出来ない。これが彼の本心なのだ。本心であることは、彼の声が教えてくれる。
「……お話されていた国で起きている反乱は、誰の為のものなのでしょうか?」
ディアークの頼みを受け入れて、少し遠まわしな言い方を選んでいるが、エマは話を始めた。
「誰の為? 誰の……」
シュタインフルス王国を混乱させ、中央諸国連合に利をもたらす為。作戦の目的はこうだが、ヴォルフリックはそのままの目的では動いていない。それは間違いないと思うが、誰の為に反乱を起こしているのかを改めて考えてみると、ディアークには答えが思い浮かばなかった。
「もし、それが見えないままであれば、反乱は成功とは言えないと思います」
救われる人が誰もいない結果。それでは成功とは言えない。ヴォルフリックはそんな結果を求めていない。
「……愚者は、いや、シュバルツは誰を救おうとしているのだろう?」
「反乱というのは誰かに行ってもらうことなのでしょうか? 何かを求める人たちが自らの手で、その何かを掴み取る為に立ち上がるものだと、私は思います」
ディアークの直接的な問いに対して、エマの答えは曖昧だ。だがこの曖昧な答えが事実だ。国の変革を心から望む人たち。その人たちが自ら行動しなければ、自らの手で掴み取らなければ、本当の意味での革命にはならない。与えられただけのものは、いつ奪われても仕方のないものだ。
「なるほど……だが、その人たちに立ち上がる力はあるだろうか?」
虐げられている人たちに、自ら立ち上がる力はあるのか。力がないから虐げられているのではないか。ディアークはこう思う。
「力はあります。多くの人たちがそれに気が付いていないだけです」
だがエマはそのディアークの考えを否定した。虐げられている人たちにも力はある。それをエマたちは知っている。自分たちがそうなのだ。ラングトアの貧民街での、いつ死ぬか、殺されるか分からない暮らし。そこから抜け出す力が自分たちにあったことを彼女たちは知った。
「それに気づかせてくれる人がいれば、か……しかし……」
エマの話を聞いて、反乱は難しい状況なのだとディアークは思った。力なき人たちが立ち上がるきっかけをどう作るのか。シュタインフルス王国には、パラストブルク王国におけるローデリカのような存在がいない。人々の心を燃え上がらせる存在がいないのだ。
「……完璧でないほうが良いのです」
「何? それはどういうことだ?」
「……特に意味はありません。ただ完璧を求めすぎてはいけないと思っただけです。私にはこれ以上のことは分かりません。厨房の仕事がありますので、これで失礼します」
目が不自由だとは思えない滑らかな足取りで、奥の厨房に向かうエマ。厨房の仕事など、これ以上、話をしない為の言い訳。それは分かっているが、分かっているからこそディアークは引き留めることが出来なかった。強制することはしたくないと思っているからだ。
「……頭の良い娘ですね? いえ、こういう言い方は間違っていますか。彼女もまた愚者の仲間なのですから」
この程度で感心するのは、エマを侮っていた証。アーテルハイドはこう考えた。
「愚者の考えを語っていたわけではないと?」
エマは知っていることを話していただけ。こう思っていたディアークは彼女を侮っている、というよりは、ヴォルフリックにとって特別な女の子という個人的な見方が強いのだ。
「彼女が最後に何を言ったのか分かっていないのですか?」
「最後……分かっていないようだ。彼女は何を言った?」
「もしその辺を歩いている普通の人たちが、自分たちには国を倒す力があると自覚したらどうなると思いますか? 何者にも感化されることなく、当たり前にそれを行うようになったらどうなります?」
いつでも反乱を、革命を起こせる。そんな風に思っている国民を抱えた国をどう統治するのか。悪政どころか、失政も許されない。正しい政治を行っていても、それを受け入れない国民が大勢いれば国は乱れることになる。極端な話だが、こういうことになる。
「……愚者も分かっているのだろうか?」
「どうでしょう? 分かっていれば、すでに違う決着を考え、それを進めているはずですが」
反乱の結末がどういうものになるか分からない。こんな答えを返してこないはず。アーテルハイドはこう言っている。ヴォルフリックは完璧を求めている。だからこそ、結末が見えていないのだと。
「……止めなければならない」
「止めなくても結局は妥協することになると思いますが……何もしないわけにはいきませんか。クローヴィスに上手く伝えるように致します」
忠告を無視してはエマの好意を無にしてしまう。アーテルハイドはこう考えた。彼がエマは頭が良いと言ったのは、完璧を求めるヴォルフリックを止める為に自分たちを利用しようとしていることが分かったからなのだ。
エマだけがこうなのか。ヴォルフリックの仲間は皆、それぞれ自分の考えを持ち、その上で一つにまとまって行動出来ているのか。もし、そうであるなら組織として、アルカナ傭兵団とどちらが上なのか。こんなことまでアーテルハイドは考えてしまう。一国を動かしているアルカナ傭兵団と比較するのは馬鹿げている。こう思いながらも、考えてしまうのだ。
◆◆◆
反乱は力なき、虐げられている人たちだけが起こすものではない。多くの場合はその逆。力なき人たちは、心の中ではより良い暮らしに変わって欲しいと願っていても、自らがそれを為すことが出来るなんて考えることはない。諦めの気持ちを持ち、辛い日々が過ぎることを願う毎日だ。明日もまた辛い日が訪れるだけと分かっていながらも。
実際に反乱を起こすのは力のある、もしくはあると思い込んでいる者たち。成功する可能性を信じ、その結果、自分が得られる何かを求めて行動を起こすのだ。それが万民の為であればまだ良い。だが私利私欲の為であることも少なくない。私利私欲であることに気付かず、もしくは分かっていても惚けて、建前の大儀を掲げるケースはさらに多いかもしれない。
「準備は整った。今こそ、決起の時ではないのか?」
立ち上がる時は今。実際にその時は近づいている。そうであるから、こうした密談の機会が増えているのだ。
「まだだ。今はその時ではない」
近づいてはいるが、今ではない。こう考えている者もいる。
「どうしてだ? 今がもっとも王都が手薄な時。この時を逃す理由はない」
「手薄だからこそだ。討つべき者を討っておかなければ、後々面倒なことになりかねない」
敵の数が少ないことを好機とみる者。そうではなく、敵を一網打尽にする為に時を待つべきだと考える者。考え方はそれぞれだ。
「……敵の戦力が多ければ、それだけ成功の可能性が低くなる」
「集まるのは敵だけではない。味方もいる。こちらの戦力も増えるのだ。成功の可能性は変わらない。それに全て正面から戦うわけではない」
反乱の準備はもうずっと前から進められてきた。計画を練っては諦め、また練っては見送る。何度もそれを繰り返し、準備を整えてきたのだ。成功の可能性を心配する必要もないくらいに。そう思っている者もいる。
「……味方の数はどれくらいになるのだ?」
「今はまだ教えられる段階ではない」
こうして密談をしていてもそれぞれの情報量には差がある。何年も前から計画は進められているが、全容を把握しているのはごく限られた者だけ。情報が漏れるのを警戒している、というのは勿論だが、動かす側と動かされる側の差という面もある。駒として動かされる側に、その自覚はないが。
「……ではいつ頃を考えているのだ?」
駒として使われている自覚はなくても、強く出過ぎてはいけない相手であることは分かっている。味方についての問いは引っ込めて、実行時期の目安についてに変えることになった。
「……決定ではないが、感謝祭を考えている」
「感謝祭だと!? 感謝祭中に血を流すつもりなのか!?」
感謝祭は神に感謝を捧げる時。戦争も停戦となる感謝祭期間中に事を起こすつもりだと聞いては、驚かないではいられない。
「声が大きい」
「す、すまん。だが感謝祭期間中にそんな真似をして、神のお怒りを受けることにならないのか?」
「悪魔のしもべである異能者を葬るのだ。お喜びになることはあっても、お怒りになることなど決してない」
問題はないと断言する男。神の御心を語る資格がこの男には、少なくとも本人は、あると思っている。神の怒りを恐れていないからこそ。それで神を信じてると言えるのか。
「そうか……そうであれば良い」
相手は男の言葉を受け入れた。資格があると、言われた相手も思っているのだ。軽々しく神の考えを断定していることに抵抗も感じていない。
「あくまでも仮の予定。くれぐれも決起の時が来るまで軽々しい動きはしないように。これまでの全てが無駄になれば、それこそ神のお怒りを身に受けることになる」
「……分かっている」
長い年月をかけて準備してきた陰謀がいよいよ動き出そうとしている。世界は大きな変化の時を迎えているのだ。その決着を知る人は誰もいない。それぞれがそれぞれの決着を夢見て、動いているだけだ。