ヴォルフリックたちの行動によって大いに動揺しているのはシュタインフルス王国だけではない。彼らを送り出したアルカナ傭兵団もまた違う意味でひどく驚かされている。普通のやり方を選ばないことは予想通り。だが反乱を起こすという選択は想像以上のものだったのだ。
伝書でそれを知ったアルカナ傭兵団の幹部たちは執務室に籠っている。部屋に広がる重苦しい雰囲気。さすがのディアークもヴォルフリックの行動を面白がってはいられないようで、手に持った伝書を読み返すでもなく、ただぼんやりと眺めながら考え込んでいる。
「……反乱が本格化したら増援が必要ね?」
その雰囲気に耐えられなかったのはルイーサ。深く考えるまでもなく思いつく対応策を言葉にしてきた。
「どの程度を想定しますか? 事が大きくなればなるほど、ベルクムント王国との全面衝突に発展する可能性が出てきます」
これを避けたいと考えて、ヴォルフリックに任務を与えたのだ。実際にどうなるかは別にして、アーテルハイドは積極的に対応に動く気持ちになれない。
「やっぱり彼は傭兵団にとって害にしかならない。今度こそ、はっきりしたわね?」
「完全に同意するつもりはありませんが、たとえそうだとして今、彼を処分出来ますか?」
アーテルハイドはルイーサのように性急に結論を出すつもりはない。ヴォルフリックがディアークの子供であるから、という理由ではない。ヴォルフリックは任務の目的を理解しているはず。その上で実行した計画であれば、なんらかの勝算があってのことだと考えているのだ。
「……彼がいなくてもテレルたちは互角以上に戦った」
アーテルハイドが気にしているのはベルクムント王国が持つ火薬武器。対抗策として、もっとも有効であるヴォルフリックの処分は出来ないという彼の主張に対する反論として、ルイーサは力のテレルたちの戦いを持ち出した。前回の戦いで、ヴォルフリックと本軍が前線に合流する前から、テレルたちはベルクムント王国軍と互角に戦えていたという言い分だ。
「このままベルクムント王国と戦いになるとすれば、攻めるのですよ?」
前回の戦いは守る戦い。だが今回このままベルクムント王国と衝突することになるとすれば、中央諸国連合から攻めることになる。シュタインフルス王国に侵攻すると同時に、ノイエラグーネ王国を守るか、もしくは隣国のライヘンベルク王国に攻め入るという二方面作戦が必要になるとアーテルハイドは考えている。手持ちの切り札は多い方が良いのだ。
「……愚者のことは後回しで良いわ。でも、どうするの? 中央諸国連合を動かすのであれば、もたもたしていられないわよ?」
アーテルハイドの主張への反論を見つけられなかったルイーサは、別の問いを向けた。自国だけでなく他の中央諸国連合加盟国の軍も動かすとなれば、準備にはかなりの期間が必要だ。もともと再戦に積極的であった加盟国が多数であるので合意形成には手間取らないとしても、他国への侵攻となれば各国、様々な手当をしておく必要が出てくるはずなのだ。
「……本気なのかもしれないな」
「団長?」
独り言のような呟きを漏らしたディアーク。その意味がアーテルハイドには、ルイーサにも分からない。
「いや、愚者は本気で内乱によって国をひっくり返そうとしているのではないかと思った」
「そんなこと出来ると思っているの?」
他国の人間が謀略によって内乱を起こし、国を奪う。そんなことが簡単に出来るはずがないとルイーサは思っている。
「実際に成功するかは分からない。だが、やろうとしているのは間違いないのではないか?」
「何故、そう思うの?」
「絶対にそうだという自信があるわけではない。ただ……たとえば反乱にライヘンベルク王国が関わっているように思わせたのは、他国の介入を遅らせる為かもしれない。疑いがある間は、形勢が不利になっても支援を頼む気になれないだろ?」
ディアークは伝書を読んで、どうすれば反乱を成功で終わらせられるのかを考えていた。その前提で考えると、ヴォルフリックたちが打った手はそれなりに考えられたものであると思えるのだ。
「仮にそうだとしても、結局はベルクムント王国は出てくるわ」
仮に反乱が成功して、シュタインフルス王国が中央諸国連合に寝返ることになったとしても、やはりベルクムント王国は軍を発する。寝返りを放置しておけるはずがないのだ。
「そうだな……だがそうなったとして、中央諸国連合は何かを失うか?」
「……愚者が使った経費は失うわ」
もともとシュタインフルス王国はベルクムント王国の従属国。反乱の鎮圧にベルクムント王国が軍を出して、結果、再度従属させたとしても元に戻っただけ。内乱でシュタインフルス王国が痛むのと、それこそベルクムント王国が軍を動かす為に使った経費を失うことになる。中央諸国連合に比べれば、遥かに大きな損失となるはずだ。
「ベルクムント王国はもっと多くを失う。国力の消耗という任務の目的は果たされることになるな」
「反乱の規模次第よ」
「そうだ。反乱の規模が大きくなれば、ベルクムント王国と従属国は勝手に内部で争うことになる。中央諸国連合に矛先を向ける可能性は、我々が裏にいると知られない限りは、低いはずだ」
下手に軍を動かして、それをベルクムント王国かその従属国に察知されれば怪しまれることになる。目立つような増援の準備は行うべきではないのではないかとディアークは考えた。
「愚者が成功すると思っているの?」
アルカナ傭兵団が関わっていることを隠したまま、反乱の規模を拡大させる。規模拡大だけでも難しいのだ。成功する可能性は低いとルイーサは考えている。
「……誰よりも成功させたいのは、愚者ではないのか?」
「彼に任務への熱意を期待するなんて、それこそ愚か者のすることじゃない?」
ヴォルフリックは任務の成功など考えていないとルイーサは思っている。命をかけてそれに取り組み理由が彼にはないはずなのだ。
「任務だからではない。どうすれば反乱は成功していたか。それを知りたいのではないかと思っただけだ」
だがディアークはその理由も思いついていた。
「……首謀者を殺すことなく、ね?」
ローデリカ=ナイトハルトを失望させることなく、祖国を、これまでの人生を捨てさせることなく、反乱を成功させるにはどうすれば良かったのか。ヴォルフリックはその答えを求めているのではないかとディアークは考えた。それを示す証など何もない。そんなことは伝書には書かれていない。それでも、ふとそう思ったのだ。
ルイーサは答えを求めて、じっと黙って話を聞いているトゥナに視線を向けた。だが彼女の応えは首を横に振るだけ。未来を示す言葉は発せられなかった。
「ノイエラグーネ王国に国境を固めてもらいましょう。隣国で争乱が起こっているのですから、守りを固めるは当たり前のこと。侵攻する気配さえ見せなければ、怪しまれることはないはずです」
「そうだな。各国への連絡はどうする?」
「特に必要ないと思います。実際に軍を動かすことなく、目立たないように準備だけは進めておく。これはすでに行われていることですので」
ベルクムント王国と本格的な再戦に発展した場合の備えについては、すでに各国で行われているはず。ヴォルフリックの任務が失敗した場合の備えとしてアーテルハイドがそのように進めていたのだ。
「……隠者は動かせるか?」
ディアークはベルクムント王国の動きを早期に把握する為の策として、隠者ルーカスを間者として送り込むことを考えた。
「ベルクムント王国の都にですか……必要でしょうか?」
「なるほど。愚者の組織がいるか……ただ、情報を伝えてくるかな?」
ベルクムント王国の都ラングトアにはヴォルフリックの仲間がいる。軍の動きをヴォルフリックは把握出来るはずだ。ただ問題は得た情報を傭兵団に伝えてくるか。
「クローヴィスもいます。それに東の動きからも目は離せません。ルーカスには引き続きオストハウプトシュタット王国の動向を探らせておくべきだと考えます」
ベルクムント王国との争いに戦力を集中させている間に、東の大国オストハウプトシュタット王国が動く。中央諸国連合にとって最悪の状況だ。西の情報を入手する手段が別にある以上は、ルーカスは東に張りつけておくべきだとアーテルハイドは考えている。
「そうだな。そうなると……ルイーサ。前線に向かってくれるか?」
「ええ、良いわよ」
「目立たないように。あくまでも前線で待機だからな」
ルイーサのことだ。そのままシュタインフルス王国にいるヴォルフリックに合流しかねない。ルイーサを前線に向かわせるのは、あくまでも事態が悪化して、中央諸国連合の介入がベルクムント王国に知られた場合に備えてのこと。その前に派手に動かれては困るのだ。
「……分かっているわよ」
◆◆◆
シュタインフルスンハング王国で活動中のヴォルフリックたち。何か所かの拠点の襲撃を終えたところで、一旦活動は休止。キーラが構築してくれた拠点に引きこもることにした。いくつか撒いた種がどういった花を咲かせるのか、もしくは咲かせることなく終わるのかを見極める期間が必要であること。それがはっきりしたあとの本格的な活動に備える為にもそれが必要だったのだ。
鬱蒼とした森の中を進むヴォルフリックたち。それは突然、視界の中に現れた。
「……ここが拠点か。近づくまで気付かなかった」
いざ近くまで来てみるとかなりの大きさであることが分かる。だが、手前まではまったく存在に気付けていなかったのだ。
「上手く森に同化させているのでしょうか? 意図してのことだとすれば、これもまたキーラ殿の才能ですね?」
この拠点はキーラが構築したもの。もちろん、彼女一人の力ではないが、指示したのは彼女のはずだ。
「聞いてみれば分かる。入り口は……あっ、開いた」
拠点の入口も緑に囲まれてよく分からない。どこから入れば良いのかヴォルフリックは迷ったのだが、すぐに内側から扉を開けてくれた。ただ迎えてくれたのは、ヴォルフリックの身長の二倍はあるのではないかと思うくらい大きな熊だった。
「……えっと? キーラさんはいるかな?」
熊が迎えてくれたくらいで動揺してはいられない。キーラの友達である可能性は高いのだ。
「どうした? 中に入れ」
熊が呼んでくれたわけではないのだが、キーラが顔を出してきた。
「新しい友達?」
「おお、この森で出来た友達だ。力持ちでな。たくさん手伝ってもらった」
「そう……それはありがとう」
言葉が通じているとは思えないのだが、それでもヴォルフリックは御礼を告げた。こういうところがキーラがヴォルフリックを好むところだ。そしてキーラにヴォルフリックの気持ちを伝えられた友達も好意的な感情を持つことになる。
扉をくぐって拠点の中に入ったヴォルフリックたち。彼らを迎えたのはキーラの新しい友達たちだった。
「友達増えたな」
来た時には狼シュバルツと伝書烏たちだけだったのが、今はかなり増えている。熊、鹿、兎、様々な鳥。正直、拠点づくりで何の役に立ったのだろうという友達も多い。
「森には沢山いるからな」
「……ちなみに俺の知り合いは?」
「おお。彼らならあそこにいる」
キーラの指差す先には柄の悪い男たちが集まっている。柄は悪そうなのだが、周囲を狼シュバルトも含め、獰猛そうな獣たちに囲まれて怯えている男たちが。
「ああ……ずっとあんな感じ?」
「あれはシュバルツ弟の友達なのか? 余計なお世話かもしれないが、友達は選んだほうが良いと思うぞ」
「弟と呼ぶな……今はそれどころじゃないか。友達になれるかどうかはこれから。これから話をして決まる予定だ」
「そうか」
ヴォルフリックも男たちのことはよく知らない。居場所を失くした者たちを集めただけだ。今回の計画に協力してもらう為に。その話をする為に、ヴォルフリックは男たちのいる場所に向かって歩き出す。
「お前……黒狼団か?」
近づいたヴォルフリックに男の一人が問いかけてきた。
「ああ、そうだ。待たせたかな?」
「待たせたじゃねえよ! 何だよ、ここは!?」
「アジト。聞いているはずだろ?」
彼らはヴォルフリックの仲間に案内されてここまでやってきている。ここがどういう場所かは聞いているはずだ。ただ男が言っているのは、そういうことではない。
「何でアジトに獣がいるんだって聞いてんだ!」
「悪いことをしなければ恐れる必要はない。こんな状況になっているってことは、キーラさんに何かしようとしたのだろ?」
「それは……ただ詳しい説明を求めただけだ」
脅すような口調で。それがキーラと彼女の友達である獣たちを怒らせたのだ。
「詳しい説明は俺から行う。お前たちには俺たちと一緒に戦ってもらう」
「ああ、それは聞いている」
黒狼団と共に戦う。その為に男たちは集まってきたのだ。
「シュタインフルス王国軍と。貴族家の軍かもしれない」
「……はっ?」
「反乱軍として、この国を奪う為に戦って欲しい」
「……ちょっと待て! コーツ一家と戦うんだろ!?」
男たちがここに集まったのは他国にまで進出してきたコーチ一家と戦う為。戦って自分たちの縄張りを守る為。そのつもりだった。
「そういう説明された? もしそうなら謝るけど」
「自分たちの居場所を作るって……違うのか?」
コーツ一家に縄張りを奪われ、居場所を失うのを恐れて男たちは黒狼団の誘いに乗って、この場所に集まった。ベルクムント王国の都ラングトアで起きた抗争で、コーツの先代の組織と互角に戦った黒狼団と一緒であれば勝ち目はあると考えて。
「そう。自分たちの居場所を作る為の戦い。このシュタインフルス王国に。それも陽のあたる場所にだ」
「……どういうこと?」
「裏社会ではなく、表の社会に居場所を作らないかってこと」
「そんなこと……出来るはずがない」
裏社会で生きるしかなかった自分たちだ。表の社会でまともな暮らしなど出来るはずがない。
「それは戦った結果次第。正々堂々とシュタインフルス王国軍や貴族家の軍と戦って勝てば、そいつらの地位を奪い取れる。別に騎士じゃなくても良い。新しく出来るこの国の組織で、やりたいことをやれば良い」
「ふざけんな! そんなの出来るはずがないだろ! 俺たちは皆、犯罪者だ! 真っ当な人間じゃないんだよ!」
「表の社会の人間が真っ当な人間か? 俺たち裏の人間に手を汚させて、自分は安全な場所でぬくぬく生きている奴らはマトモなのか?」
「それは……でも、そういう奴らには力があって、俺たちにはない。そういうことだろ?」
全てを無条件に受け入れてきたわけではない。そうしなければ生き延びられない。裏社会の居場所さえ奪われてしまう。そんな相手なのだ。
「だからそういう奴らから力を奪ってやろうと言っているんだ。俺たち裏社会の人間を見下してきた奴らに仕返ししてやろうと」
「その結果、全てを失うことになる!」
「失って困るようなものがどれだけある?」
「俺にだって家族がいる! 家族を不幸にするわけにはいかない!」
「じゃあ、聞くけど! その家族に胸を張って自分の仕事を話せるのか!? そうしなければ養えない! それは仕方がない! でも! 自分の家族にも同じ生き方をさせたいと思うか!?」
手を汚さなければ生きていけない。家族を養えない。そんな生き方しか出来ない。許されない。事情は人それぞれ。どんな事情であろうと裏社会で生きるしかなかった人たちを否定することは出来ない。するつもりは微塵もない。だがずっとそのままで良いのかという想いがヴォルフリックにはある。変えられるのであれば変えるべきだという想いが。
「……俺が言っているのは綺麗ごとだ。そんなことは分かっている。でも今、目の前に人生を変えられる機会がある。それに手を伸ばしてみないか? 強制はしない。これは命をかけた戦いだ。命をかけて、自分たちの居場所を作る為の戦いだ。無理強いはしないけど、考えてみて欲しい。頼む」
男たちに向かって頭を下げるヴォルフリック。その彼に掛けられる言葉はない。男たちは掛ける言葉を持たないのだ。今は。
「……あれが黒狼団のシュバルツ?」
その様子を見ていたコンラートが誰に向けたものでもない問いを口にした。正面から裏社会の男たちの心を動かそうとする、成功するかは別にして、シュバルツに、これまで持っていた策謀家とは異なる印象を受けたのだ。
「黒狼団はいらないね。あれがシュバルツ。シュバルツ・ヴォルフリック・リステラードという男さ」
シュバルツの名を並べるブランド。肩書も名も関係なく、一人の人間とし、ああいう人物なのだとコンラートに伝えようとしたのだ。
「……なるほど。興味深いね」