シュタインフルス王国は、決して豊かとはいえない国で、民の暮らしはかなり厳しいものだ。シュタインフルス王国は中央諸国連合加盟国であるノイエラグーネ王国と国境を接している。もともと国力が低かった上に、軍事力の強化に資源を集中させなければならなくなった為にそれ以外の部分が疎かになっているのだ。ベルクムント王国に従属すると決めた時に、こうなることは分かっていた。だが大国ベルクムント王国に抗う力のないシュタインフルス王国には、他に選択肢はなかったのだ。
ただし、軍事に国費を投入しなければならない分、ベルクムント王国への献上品の負担は軽くなっている。シュタインフルス王国だけが特別厳しい状況に置かれているというわけではないのだ。
そのシュタインフルス王国を統治しているのはアンドレーアス=シュトラオス国王。傲岸不遜。何事も自分の思い通りにならないと許せない性格で、それに反する臣下を問答無用で失脚させる、酷ければ処刑してしまうような暴君。当然だが国内の評判は悪い。
そんなアンドレーアス王だが、絶対的な力を持っているかとなると、そういうわけではない。彼の暴君ぶりが発揮されるのは近臣たち。それ以外は子爵以下の小貴族までで、それ以上の有力貴族家には及ばないのだ。
国力と国王の力は比例する。王国そのものの力はそれほど強くないのだ。唯一、他国よりも高い、といっても国力に比して高いというだけだが、軍事力も数の部分では貴族家の領民に頼っている状況であるので、それを背景として有力貴族家へ力を振るうというのはリスクが伴うものだ。そのリスクをアンドレーアス王は取るつもりがない。
逆にその程度の力しか持たない国王が何故、強権を振るっていられるのだ、となるのだが、その理由は国外にある。アンドレーアス王はベルクムント王国に認められた王。その王を排除しようとすればベルクムント王国が前に出てくる。国王を助ける、というだけでなくシュタインフルス王国の実権がベルクムント王国に渡ってしまう可能性がある。それを恐れて国内の貴族家は、迂闊なことが出来ない。
このような事情から国王と有力貴族家は絶妙なパワーバランスで両立している。ただ国民にとって不幸であるのは暴君の力が及ばない貴族領でも、領主による領民にとっては過酷な政治が行われている事実だ。横暴さは国王も有力貴族も変わらないということだ。
もちろん、貴族の全てがそんな暴政を行っているわけではなく、シュタインフルス王国の現状に納得しているわけでもない。国を良くしたいと考えている良識派といわれる人たちもいるのだ。
「こんな感じで、この国はざっくりと国王派、有力貴族派、良識派に分かれているってことだね」
「終わってない?」
コンラートの説明を聞いたヴォルフリックは、得ていた情報以上のシュタインフルス王国の惨さに呆れている。そんな国であるから反乱を起こす対象として選んだのだが、民の不幸を喜ぶ気にはなれない。
「この国で暮らす民衆にとってはね。国王と有力貴族としては、相手に干渉しない程度に好き勝手やっていれば良いのだから良い国だよ」
「良識派は何をしている?」
「なんとかしようとしている。でも王国の力は国王のもの。それに対抗出来る力を持つ有力貴族たちは既得権益を失うことに協力なんてしない」
「弱小派閥ってことか」
コンラートの説明は良識派が力を持っていないことを、少し遠まわしに、伝えている。それをヴォルフリックは直球に戻した。
「まあ、そういうことだね。でも、なんとかしようとしていたのは嘘じゃない。相手の力を弱める為に色々とやっていた」
ヴォルフリックの言い様に苦笑いのコンラート。一応は少しだけ言い訳をしてみた。自分も傍観者であったと思われたくなかったのだ。
「その結果が処刑台か……今度も同じ結果かもな」
相手の力を弱めようと様々な謀略を仕掛けた結果、コンラートは処刑台に上ることになった。次も同じ結果になる可能性がある。計画は必ず成功すると言い切れるほどの自信はヴォルフリックにはないのだ。
「そうかもしれないけど、以前とは違うことが二つある。一つは謀略を仕掛ける相手に制限がないこと」
コンラートは基本、謀略に良識派を巻き込むことをしてこなかった。三派閥の中で唯一、国政をゆだねられると思える良識派の力を弱めるわけにはいかない。そう考えていたからだ。
だが今回はその制限がない。コンラートの気持ちの中で、その制限は取り払われている。国王、そして有力貴族派の力を弱める為であれば良識派との共倒れも厭わない。こう考えるだけで、やれることは増えるのだ。
「悪魔の微笑みか……どういう意味?」
コンラートの蔑称をすでにヴォルフリックは聞いている。ただ何故そう呼ばれるのかは分かっていなかった。
「それを私に聞く?」
「他に知っている人がいない」
「確かに……色々あるようだけど、笑顔で握手をしながら反対の手で相手を刺せるというのが有力かな? 笑顔で人を殺せるとかも言われたね。一応言っておくと、どちらの説明も比喩ね。実際に人を刺殺したことはないから」
「……それだけ警戒されていて上手く行くのか?」
コンラートの悪名は敵とするシュタインフルス王国の人間には知れ渡っている。その状況で謀略を仕掛けて成功するのか、ヴォルフリックには疑問だ。
「人の心は曖昧だ。嘘を積み重ねていくことで、それを真実と思うことがある。たった一つの真実を知ることで、それまでの全ての嘘もまた真実だと思い込むことは当たり前にあることだよ」
「……なんとなく分かった」
人の頭や心にも弱点がある。コンラートはそれを突こうとしているのだとヴォルフリックは理解した。
「まあ、その領域は私に任せて。敵の内情を知り、真実がどこにあるかも知っている私が適任だ」
「そのつもり」
コンラートは思っていた以上に信用ならない人物かもしれない。そうであるとしても信用しなければ計画は進まない。成功もしない。ヴォルフリックもまた人に疑われる立場にある。そこは割り切るしかないと考えているのだ。
「もう一つは軍事力。良識派の軍事力は相手に比べれば、無に等しかったからね。それに比べれば今回はマシだ」
「……そんなに変わらないだろ?」
「数はそうかもね。でも君たちには戦う意思がある。そして恐らくは質も、君に勝算があると判断させるくらいのものはあるはずだね?」
ヴォルフリックたちの戦力はおよそ二百。充分だとはコンラートも思っていない。だがヴォルフリックは謀略の対象にこの国を選んだ。成功出来ると思えるだけの力が、この二百にはあるのだとコンラートは考えている。
「どうだろう? 実際に戦ってみないと分からない。ただ、まあ、いきなり躓くことはないと思う」
「北部では最大の駐留地だ。守りは四百はいると思うよ」
「精鋭ではないだろ?」
「そうだね」
ヴォルフリックたちが狙っているのはシュタインフルス王国軍の駐留地。北部全体の国内治安を守る為に置かれている駐留地だ。盗賊討伐等が主な仕事であるので、対外戦を行う部隊に比べれば質は劣る。そうだから初戦の相手として選んだのだ。
「結論はすぐに出る。ということで、そろそろ行く」
「ああ、気を付けて」
ヴォルフリックを先頭に二百の軍勢が、まだ夜明け前の暗がりの中を進み出ていく。目的地であるシュタインフルス王国軍の駐留地は少し先。今はまだ闇に溶け込んでいて良く見えない。
だがその全容が、その場に残ったコンラートの目に入るのも、もうすぐだ。もう間もなく陽が昇る。その時が襲撃開始だ。
◆◆◆
物事が動き出している。シュタインフルス王国にとって悪い方向に。それになんとか対処しようとしているシュタインフルス王国だが、有効な手が打てているとはとても言えない状況だ。国王がどれだけ怒り狂い、臣下を叱咤しようとそれは変わらない。敵は予想外の攻撃を仕掛けてくる。シュタインフルス王国は完全に後手に回っている、どころか今のところ、ほとんど動きも取れない状況だ。
「悪いが状況をもう一度、説明してもらえるか?」
国王も臨席した会議を終えたあとで、トリスタン王子は近臣のフォルカーにもう一度、状況の報告を求めた。会議中ずっと国王は頭に血を上らせていて報告者を怒鳴りつけるばかり。結果、詳細の説明を聞くことが出来ないまま閉会となってしまったのだ。
「はい。北部駐留地が襲われたのは十日前の夜明け頃。完全に油断していたところを奇襲されたことで、ほとんど抵抗出来ないまま、守備隊は敗走に移ったようです」
「敵の数は?」
「百の単位であることは間違いないようですが、はっきりしていません」
詳細の説明といっても北部駐留地が襲撃された時の状況はあまり分かっていない。奇襲を受けて、現地部隊は大混乱。逃げるのに必死で状況を把握することが出来ていないのだ。
「敵が何者かも分かっていないのか?」
「会議で報告があった通り、コンラートの手の者です。コンラートの名で駐屯地から盗まれた物資が周辺の村に配られておりますので」
「……そうだとしても、コンラートはどうやって百の単位の軍勢を手に入れたのだ?」
襲撃者は駐留地から奪った物資を周辺の村に配っている。その時にコンラートの名が出ているのだ。それは国王もいた会議の場でトリスタン王子も聞いている。だが、シュタインフルス王国貴族であった時から、コンラートに百の単位の軍勢はいない。子爵家でそれだけの数を養えるはずがない。
「やはりライヘンベルク王国が手を貸しているのでしょうか?」
フォルカーはトリスタン王子の問いの答えを持っていない。彼なりに考えて出した答えを返してきた。
「ライヘンベルク王国軍であれば、何故、村民に物資を配る必要がある? 今から我が国を奪ったあとの為の人気取り? そんなことをするだろうか?」
「……確かに」
物資を配ったのは人気取り。これは間違いない。だが何の為の人気取りであるのかが分からない。
「……まさか……奪い返させることが目的か?」
トリスタン王子に一つの考えが浮かんだ。
「どういうことですか?」
「物資を奪い返せば、村人からどう思われる?」
「……人気取りではなく、王国を貶める為……陛下はすでに命令を発しています」
物資を奪い返せば村人たちはそれを行った王国を恨む。それを命じた国王への不満が更に高まるはずだ。それが狙いだとトリスタン王子は考えた。実際に物資が村に渡ったと聞いた国王は、村人たちを盗人呼ばわりし、奪回を命じている。トリスタン王子の考えが正しければ、相手の狙い通りの動きをしてしまっていることになる。
「しかし、それを行って、何になる? 国民はもとから不満を持っている。それがさらに強くなったところで……」
「侯爵領の街を襲ったのも、やはりコンラートだとすれば、侯爵はどう動くのでしょう?」
トリスタン王子の独り言のような呟きを聞いて、フォルカーもひとつの可能性に気が付いた。襲撃を受けたのは北部駐留地だけではない。北部に領地を持つヘンゼル=クノル侯爵家も領地内の街を襲われて、略奪を受けている。盗賊である可能性も否定できないが、ほぼ同時期に近い場所が襲われていることから北部駐留地を襲った軍勢の仕業と考えられていた。
そうであれば奪われた物資はやはり別の場所に配られることになる。その時にクノル侯爵はどう出るか。同じように奪い返そうとすれば、侯爵領の領民の不満も高まることになる。
「何が狙いだ? 民の不満を北部全体に広げることか、それとも……まさか……侯爵と手を握るなんてことは……」
「どうしてそのようなことになるのですか?」
「陛下と真逆の対応をとれば、相対的に侯爵への民の信頼が増すと思わないか?」
国王が物資を奪い返したのに対してクノル侯爵が何もしなかったとなれば、どちらが良い評価を得るかは明らかだ。あくまでも相対的なもので、侯爵のこれまでの悪政が領民に許されるわけではないとしても。
「そうだとしても……いや、侯爵がそれに気が付いて、意図して人気取りに動き出すことを考えているのですか?」
国王が決定的に民に見放されたとなれば、それはクノル侯爵にとって絶好の機会。ベルクムント王国も国内に混乱を巻き起こすだけの国王を擁護し続けるかとなると、決してそんなことはないはずだ。交渉の仕方によっては国王の交替を認める可能性があるとフォルカーは考えた。
「しかし、コンラートが侯爵の手助けをするなんてことが……」
クノル侯爵はコンラートを処刑台に送った有力貴族派の筆頭と言える人物。そのクノル侯爵の野望を手助けするような真似をコンラートが行うはずはないとトリスタン王子は思う。
トリスタン王子は分かっていないのだ。反乱勢力の計画の全てがコンラートの頭の中から出ているわけではないことを。シュタインフルス王国の人々に対して親愛の情も憎悪の感情も持たない人物こそが、この事態を引き起こしていることに気が付いていなかった。