シュタインフルス王国の都アインシュネスバッハ。北門からまっすぐに城に伸びる大通りにある大広場。その場所に今、多くの人が集まっている。大広場は普段から多くの人が行き交う賑やかな場所であり、人の数もいつもと同じかそれ以上であるのだが、今は張り詰めた空気の中、誰もが口をつぐんでいる。集まっている人々の中で望んでこの場所にいる人はわずか。多くが仕方なく、この場所に来ているのだ。
「この者、コンラート=フォークラー! 虚言を用いて人々を惑わし! 王国の平穏を乱そうと企んだ大罪人!」
人々に向かって叫んでいるのはシュタインフルス王国の役人。これから始まるのは公開処刑。役人は処刑される人の罪を人々に説明しているのだ。
「その罪は万死に値する! よって、この場で絞首刑に処す!」
説明といっても具体的なものはない。罪人であり、処刑されるのが当然ということを告げるだけだ。それを告げられた人々からの反応もない。強制されたから来ているだけで、人が処刑されるところなど見たくない人がほとんど。なんでも良いから、早く終われという思いなのだ。
「では罪人をここへ!」
処刑台の上に罪人を連れてくるように命じる役人。それに応じて別の役人、こちらは実際に処刑を行う者だが、が頭から黒い布を被った男を引き連れてきた。
処刑台の上から吊り下げられている太いロープ。役人は連れてきた罪人をそのロープの下に置いてある台に立たせると、ロープの先の輪を首にかける。
「最後の祈りを」
続いて処刑台の上に聖神心教会の司祭が上ってきた。死を前にして、神への最後の祈りを捧げる為だ。
罪人に被せられていた黒い布が取られる。そこで初めて見物している人々が反応した。黒目黒髪のその男はまだ若く、二十代くらいに見える。その若さで命を絶たれることに同情する声が漏れ出している。
「神よ。この者の罪を許したまえ」
罪を許してもらえるなら処刑を中止しろ。なんてクレームは出ない。最後の祈りはただの儀式。罪人にとって何の救いにもならないものだ。司祭の祈りの言葉が終われば、刑を執行するだけ。それで罪人の命は尽きる、はずだった。
「コンラート様!」
罪人の名を呼ぶ声。誰のものかと周囲を見渡す人々の目に映ったのは、剣を握りしめて処刑台に向かって駆けている男の姿だった。
「曲者だ! 捕らえよ! いや、殺せ!」
処刑の邪魔をする者への警戒。当然、それは行われている。駆けてくる男の前に、十名を超える警備役の騎士たちが立ち塞がる。とても処刑台まではたどり着けない。人々がそう思った時だった。
「コンラート様! 今、行きます!」
新たな声が広場に響いた。また別の方向から罪人を助けようとする人が現れたのだ。
「新手だ! 近づけるな!」
その男に向かっても警備役の騎士たちが向かう。さきほどとほぼ同数。たった一人で何とか出来る数ではない。と誰もが思っていたのだが。
立ち塞がった騎士たちに向かって振るわれた剣。一対十という数の差など、まったく関係ない。次々と騎士が血をまき散らして、地面に倒れていく。
「……手強いぞ! 油断するな!」
役人が叫ぶが、騎士たちは油断などしていない。真剣に立ち向かっているのだが、歯が立たないのだ。それはもう一方も同じ。二十名を超える騎士たちは相手に一太刀もいれることが出来ずに倒されていった。
「増援はまだか!? 急げ!」
役人の叫びも空しく、乱入してきた二人の男は全ての騎士を倒して、処刑台に辿り着いた。そうなると役人が出来ることは、逃げること。圧倒的な数で立ち向かった騎士たちが止められなかった相手。役人が戦える相手ではない。あとは増援が一秒で早く到着することを願うだけ。それは教会の司祭も同じだ。何もすることなく、ただ黙って成り行きを見守っている。
「コンラート様! ご無事ですか!?」
「……誰?」
駆け寄ってきた人物を、助けられる身のコンラートは知らない。顔の下半分が布で覆われているから誰だか分からない、ということではない。近くで見ると思っていたよりもずっと若い男。そんな年頃の男が、そうでなくても危険を冒して自分を助けにくるような存在はいないはずなのだ。
「とにかく今は逃げましょう!」
「逃げると言っても……」
どこに逃げるのか。コンラートは反逆を企てたとされている大罪人だ。王国のどこにも居場所はない。
「……面倒くさい男だな。死にたくなければ黙って付いて来い」
「えっ?」
いきなり相手の態度が変わったことに戸惑うコンラート。
「嫌でも付いてきてもらう。危険を冒して命を助けた代償は、きっちりと払ってもらうからな」
「…………」
どうやら自分は助かったわけではないらしい。相手の話を聞いて、コンラートはこう思った。
「時間がないよ! 急いで!」
もう一人が急ぐように告げてきた。
「だそうだ。行くぞ。死ぬよりはマシなことは約束する」
コンラートの返事を聞くことなく、男は彼の手を引いて走り出す。コンラートを連れて無事に街から逃げ出せて初めて計画は成功。まだまだ危険な状況だ。
さらにコンラートと共に逃げ出せたとしてもそれで終わりではない。ようやく始まるのだ。
◆◆◆
自分を助けた相手は何者か。この答えを得られることなく、コンラートは駆け続けている。じっくりと考えている余裕などない。広場を抜け出してもそれで逃げられたわけではない。街の外に出なければすぐに捕まることになる。そして街の外に出ることも容易ではないのだ。
鳴り響く鐘の音。緊急事態を告げる鐘だ。これが鳴った段階で、門は全て閉じられているはず。逃げ道は塞がれた。コンラートはこう思っていた。
だが彼を助けた者たちも無策ではない。きちんとそれへの対処は行われている。かなり強引な方法であるが。
「こっちです! 早く!」
東門の番をしているシュタインフルス王国の騎士、のはずが何故か自分たちを誘導しようとしている。それにコンラートは驚いた。どうやって門番を懐柔したのか。そう考えたのだが、それは誤り。
「……これは?」
門番を懐柔したのではない。東門を占拠したのだ。その場には二十人ほどの武装した男たちがいた。服装はバラバラ。盗賊のように見えるが、そんな存在ではないとコンラートは思う。盗賊が王国の都を白昼堂々襲うはずがないのだ。
「ご無事でしたか?」
その中の一人が声をかけてきた。口調から声をかけた相手、自分を助けた人物のほうが若くても上の立場であることがコンラートには分かった。
「なんとか。なんて挨拶している暇はないな。撤収だ!」
合流してすぐに動き出す集団。当然の判断だ。すぐに追手が現れる。ここはシュタインフルス王国の都。千の単位の王国軍がいるはずなのだ。
東門を抜けて街の外に出る。そこにはさらに十名ほどの男たちがいた。逃走用の馬を見ていたのだ。馬に乗って駆けだす。追手の姿はまだ見えない。だからといって安心はできない。都の周辺にもシュタインフルス王国軍の駐留地はある。そこからも追手が放たれる可能性はある。それだけではない。安心出来る場所に行くまでには、いくつかの関所を通らなければならない。今は差があっても、そこで追いつかれる可能性は高い。その為の関所なのだ。
「逃げられるのかい!?」
これを聞くことに意味があるのかと思いながらもコンラートは、勝算があるのかを尋ねた。どこまで考えて、こんな大胆な行動を起こしたのかという興味が生まれたのだ。
「……蛇の道は蛇って知っているか!?」
「言葉は知っている!」
「その蛇の道を行く! 上手くいくかは運もある! 何にでも良いから祈っていろ!」
逃走の成否は運次第。相手の答えはこういうことだった。そんなものだろうとコンラートは思った。そうなると運に恵まれているとは思えない自分の逃走は失敗に終わるだろうとも。
だが実際は、ただの運任せというものではなかった。三十騎を超える集団は、いくつもの小集団に分かれていく。追手を分散させる為であることは、コンラートにもすぐに分かった。馬で逃げていれば足跡が残る。当然の配慮だ。
さらに途中で馬を乗り捨て、船で川を下る。逃げてきたアインシュネスバッハに近づくことになるが、追手の裏をかくという点では悪い選択ではない。
船を降り、大量の荷を運んでいる商家の集団に合流。ベルクムント王国の商家ということだが、無条件で自分たちを匿ったことで、虚偽であろうとコンラートは考えた。だがその虚偽は関所でも通用するほどのものだった。
彼らは何者なのか。出会った時からずっと疑問に思っていたことが、より強く沸き上がってくる。
「ここまで来れば、もう良いかな?」
コンラートが疑問の答えを得られたのは、国境を越えて、隣国であるライヘンベルク王国に辿り着いた時だった。その時まで、コンラートは詳しい話をまったく聞かされなかったのだ。
「では教えてくれ。私はどこに連れて行かれるのかな?」
「領地」
「領地というのは……私自身の?」
「そう。別ルートを使って戻る」
「……何の為に?」
苦労して、といってもコンラート自身はただ連れられてきただけだが、抜け出してきたシュタインフルス王国に戻る。その意味がコンラートは分からない。
「反乱を続ける為に」
「……私は反乱など起こしていない」
「でも反乱の罪で裁かれた。何も知らない人は反乱を起こしたと思っている」
「……分からないな。反乱を起こして、君は何を得るの?」
コンラートの罪はねつ造。敵意を持つ者たちに陥れられたのだ。相手はその事実を知っている。知っているのに自国に戻って反乱を起こせと言う。これだけの情報では、コンラートには相手の目的が分からない。
「俺が得るものはないな。ただやらなければならないから、やるだけだ」
「……聞き方を変えよう。反乱を起こす。その結果として、どのような状況になることを求めているのかな?」
面倒くさい相手。そう思ったコンラートだが、情報を得ることを諦めるわけにもいかない。質問の仕方を変えて、答えを得ようと試みた。
「反乱の目的は国を変えることだ」
「……それが出来ると思っているのかい?」
「絶対に成功するとは言えないな。ただ成功させるつもりでやる。そうじゃないと意味がない」
勝算があるわけではない。それでも反乱を起こす理由。コンラートの頭に浮かんだのは、一つではなかった。
「君はシュタインフルス王国の人間なのかな?」
「……自分が生まれ育った国を良くする、なんて志を持っていることを期待するな。俺たちにはそんな想いはない。最悪は今よりも悪くなってもかまわないと思っているくらいだ」
「つまり、シュタインフルス王国を混乱させることが目的か……中央諸国連合、いや、アルカナ傭兵団だね?」
シュタインフルス王国と敵対している勢力。そうなると相手は絞られる。中央諸国連合加盟国で、このようなことを実行できる組織はコンラートが知る限り、アルカナ傭兵団しかないのだ。
「肯定するべきかな? でもまあ、それが事実か」
相手はアルカナ傭兵団であることを肯定してきた。
「……協力は出来ない」
自国に、たとえ自分を処刑しようとした国であっても、混乱を引き起こす気にはコンラートはなれない。それによって一番苦しむのは民衆なのだ。
「協力するのはこっちだ。反乱を成功させたければお前も頑張れ」
「混乱を引き起こす為の策謀には協力できないと言っている」
「国を変えようというのだから、一時の混乱は仕方がない。そう割り切ることも必要じゃないか? まあ、俺も簡単に割り切れないから、こんなことをしているのだけどな」
「……どういうことだろう?」
相手の言い方には何か含みがある。敵国を混乱させるという単純な目的ではない可能性を、コンラートは感じた。
「どういうことって?」
「……仮に、仮にだ。私が反乱に成功して、国を良くすることが出来たとしても、中央諸国連合に加盟するとは限らない。それでも良いのかい?」
またコンラートは質問の仕方を変えてみる。
「それは俺には関係ないことだ。好きにすれば良い」
「……分かった。もっと本音で語り合わないか? 腹の探り合いでは時間ばかりかかってしまう」
このままではいつまで経っても相手の意図が分からない。無駄な探り合いは止めて、お互いに本音を明らかにすることをコンラートは提案した。
「そんな仲じゃない」
「……そうだけど」
だが提案はあっさりと拒絶された。
「やるか、やらないか。俺が聞きたいのはこれだけだ」
「それを判断する為に、もっと情報が欲しいと言っている」
「面倒くさい奴だな」
「……大事なことだよ」
それはお前だ、という言葉は飲み込んで、コンラートは重ねて詳細の説明を求めた。
「俺がアルカナ傭兵団であると分かっているのであれば、目的も分かるはずだ」
「……ベルクムント王国の再侵攻を阻む為に、従属国を混乱させ、出兵どころではない状況にすること」
アルカナ傭兵団が敵国に出向いてきて行うことの目的。悩む必要もなくコンラートにはすぐに分かる。
「正解」
「でも、君の目的は完全に同じではない?」
相手の言葉に含みを感じるのは、こういうこと。コンラートはそう考えた。
「いや、同じ。反乱が失敗してもシュタインフルス王国内を混乱させられれば出兵は難しくなる。成功しても国が落ち着くまでは出兵なんてしないだろ? 出兵を望んでいるのなら別だけど、前回の敗戦を経験していて、それを望むとは思えない」
「……そうだね。つまり大事なのは反乱の規模だ。それなのに何故、私を選んだのかな?」
コンラートのような小領主が反乱を起こしても、国内は混乱なんてしない。全国に広がることなく、あっさりと鎮圧されて終わりだ。
「皆が納得する動機があるから」
「……規模を拡大するのは君たちということか。つまり、私はただの飾りだね?」
アルカナ傭兵団の謀略だなんて知られては、反乱は拡大しない。反乱を引き起こす動機のある人を担ぎ上げ、自分たちは素性を隠したまま行動する。誰でも良かったのだとコンラートは知った。
「飾りで終わるのが嫌なら、本気で国を変える為に行動すれば良い。一度死んだ身だ。今更、失うことを恐れることなんてないだろ?」
「……そんなことが許されるのかい?」
自由に行動して良いと言われても、それをそのまま受け取ることは出来ない。お互いの利害が完全に一致しているわけではないはずなのだ
「許すも何も、お前に何が出来るのかを俺は知らない。出来ることがあって、それで反乱が上手く行くのであれば、やれば良いと思うだけだ」
反乱の口実として、隠れ蓑としてコンラートを助けた。だがコンラートの能力まで調べる時間はなかったのだ。
「上手く行くのであれば……その為の協力は得られるのかな?」
「必要であれば」
「……なるほど。私が持たなかったものを貸してもらえるわけか……とはいってもシュタインフルス王国軍に余裕で勝てる軍勢なんて無理だね?」
お互いの利害は置いておいて、コンラートは反乱について考え始めた。自分は何が出来るのか。成功出来るのか。ある程度、それが見えていないと、この先の行動を決めることが出来ないと考えたのだ。
「反乱はその国の人たちの手で為されるものだ。他国の人間ばかりでは反乱ではなくて、ただの侵攻だろ?」
「確かにね。でも私には人を集める自信はない。知名度も人望もあるとは言えないからね」
それがあれば、処刑台の上に立つことなどなかった。そうコンラートは思っている。
「そんなものは期待していない。知名度も人望もこれから作る。それは俺たちの役目だ」
「作る……面白いね」
「ただすぐに出来ることじゃない。それをある程度、形にするまで時間稼ぎが必要だ。敵が本気で鎮圧に動くのを先延ばしにしたい」
「なるほど、なるほど……それは私の役目だね」
まずは反乱を全国に拡大できるだけの下地を作ること。相手のやろうとしていることが見えてくれば、自分が行うことも分かってくる。敵を、といってもコンラートにとっては自国だが、混乱させる為にどこを突けばよいか。それは内情を知っている自分の役目だと考えた。
「やっぱりな」
「……何が、やっぱりなのかな?」
ここで「やっぱり」という言葉が出る理由がコンラートには分からなかった。
「小領主をわざわざ罠に嵌めて、処刑する。何かあると思ったのだけど、勘違いじゃなかったみたいだ」
「一応は選ばれたのかな?」
反乱を引き起こそうと思うくらいだ。シュタインフルス王国は安定している国ではない。国の上層部、一部の特権階級の横暴に対する不満は多くの国民が持っているものだ。反乱の旗印にする候補者は他にもいることをコンラートは知っている。もっと知名度も人望もある人物だ。
「選んだと言えるほど、時間をかけたわけじゃない。だから半分は勘のようなもの」
「勘が外れていたら?」
「そういうの聞く必要ある?」
「そうだね」
勘が外れていたら自分を捨てて、別の候補者を当たるだけ。確かにわざわざ確かめることではないとコンラートも思った。答えを知っても嫌な気持ちになるだけだ。
「さて、とりあえず合意出来たと考えて良いのか?」
「ああ、君たちに乗ることにしたよ」
言われた通り、一度は死んだ身。失敗しても何も失うものはない。そうであれば最後に面白いことを、やりたいようにやるだけだ。コンラートはこう考えた。
「じゃあ、改めて自己紹介。黒狼団のシュバルツだ。この任務ではこう名乗っている。一応言っておくと、これが本名だから。一緒に行動している仲間の半分くらいは、本気でこう呼んでいるからそのつもりで」
「黒狼団のシュバルツ……分かった。私はコンラート=フォークラー。よろしく頼むよ」
アルカナ傭兵団の団員であるシュバルツが、黒狼団という別組織を名乗る。反乱にアルカナ傭兵団が関わっていることを知られない為。それだけではないとコンラートは知った。シュバルツはこれを本名と言い、半分もの仲間がその本名で呼んでいるのだ。本当に黒狼団は存在するということだ。
想像も出来なかった出会い。それは一度は諦めたことを再度試みる機会を与えてくれた。上手く行くかどうかは分からない。だが少なくとも退屈することはなさそうだ。そうコンラートは思った。