月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

異伝ブルーメンリッター戦記 第150話 二人の物語はまだ終わりではない

異世界ファンタジー 異伝ブルーメンリッター戦記

 ローゼンガルテン王国軍はグラスルーツを放棄。領境の城砦まで後退することになった。この時点でリリエンベルグ公国奪回作戦は、失敗という結果で終わることになる。それだけではない。戦争そのものの終結に向けての動きも現れている。ローゼンガルテン王国、アルベルト王子の働きかけによる終戦交渉が、アイネマンシャフト王国との間で始まったのだ。ローゼンガルテン王国にとっては、いつ開戦したのかも分からないままの終戦交渉となるのだが。
 終戦交渉はグラスルーツの手前、領境の城砦とのほぼ中間地点で行われている。アイネマンシャフト王国からは国王であるジグルスが、ローゼンガルテン王国からも、公的行事は一切すっ飛ばし、事務手続きだけで国王就任を終えたアルベルトが出席している。トップ会談という形。そのほうが交渉はスムーズに進むと判断された結果だ。

「公式会談ということですので、アイネマンシャフト王国は国として正式に認められたということで良いですか?」

「認める以外の選択肢はないからね? そこまで我が国は愚かではないよ」

 正式な交渉を行うとなれば、アイネマンシャフト王国の存在を認めなければならない。通常であれば、そこでひと悶着あるところだが、さすがにここまで追い込まれた状況で反対する者はいなかった。交渉を始めなければアイネマンシャフト王国は王都に攻め寄せてくる。徹底抗戦を訴える者は誰もいなかったのだ。

「旧リリエンベルグ公国の割譲を認める。これがローゼンガルテン王国が提示する交渉条件ということですか?」

 簡単に認めた裏にはこれがあるとジグルスは考えている。国として正式に承認し、領土の割譲も認めた。これで矛を収めろとローゼンガルテン王国は考えているのではないかと。

「それで済ませてくれるのかな?」

「最低条件として、検討の余地はあります」

 無駄な駆け引きを行うつもりはジグルスにはない。戦争はとっとと終わらせて、内政にもっと力を注ぎたいのだ。

「そう……それだと私が困ってしまうかな?」

「どうしてですか?」

「私が個人的に考えている条件は、王都を含めた王国中央部も割譲するというもの。ローゼンガルテン王国は南部のみを残す」

 アルベルトはジグルスと駆け引きを行うつもりはない。彼が駆け引きを行わなければならない相手は自国の重臣たちなのだ。

「……大胆な提案ですね? どうして中央部を手放したいのですか?」

「今のローゼンガルテン王国の体力では、広い領土を維持することは出来ないと考えているから」

「ラヴェンデル公国とゾンネンブルーメ公国の独立も認めるつもりですか?」

「認めたくなくても、独立を阻止する力がないからね」

 公国は元からほぼ独立国、といってもそこからの税収がないわけではない。公国が強大になり過ぎないように王国にも収めることになっているのだ。だがラヴェンデル公国とゾンネンブルーメ公国が独立すれば、その分の税収はなくなってしまう。

「……貴国の財政事情は分かりませんけど、それでも縮小し過ぎではないですか?」

 財政が厳しくなるのはジグルスにも分かる。だが中央部を手放すという選択はさすがに極端だと思う。中央部からの税収も失うことになるのだ。

「三国と接する土地は怖くて持ちたくない。中央部を手放す理由はこれ。軍事負担も大きくなるからね」

「その負担をこちらに押し付けようということですか? こちらとしても価値を感じない土地ですけど?」

 ローゼンガルテン王国中央部は豊かなほうの土地だ。だがそれは、そこに暮らす人が大勢いるからの話。アイネマンシャフト王国の領土になると決まれば、多くが逃げだすはずだとジグルスは考えている。

「逃げない人、逃げられない人たちもいる。数は少ないかもしれない。でも貴国であれば、その状態でも国を豊かに出来るのではないかな?」

「……可能性は否定しません。ですが、中央部のことは何も知らなくて」

「資料は用意しよう。こちらの資料では信じられないと言うのであれば、詳しく知っている人に直接聞けば良い。君の側には何人もいるはずだ」

 ジグルスは知らなくてもアイネマンシャフト王国には詳しい情報を持っている人たちがいる。カロリーネがその一人。リーゼロッテにも知識があるはずだ。他にも何人もいる。

「確かに……では、検討してみます。でも、こちらが受け入れたとしても、国内の意見はまとまるのですか? かなり激しい批判にさらされると思いますけど?」

 保持出来る領土は元の五分の一にも満たない。そこまでの譲歩を受け入れるとなれば、かなりの反発が来るはずだ。それこそ国王の座から引きずり降ろされるかもしれないほどの反発が。

「父が殺された時点で王国は滅びていたも同然。それをなんとか存続させようとしているのに責められるのは不本意だけど、覚悟はしている。国民一人一人の説得なんて出来ないからね?」

「重臣たちは説得出来るような言い方ですけど?」

「王国の重臣って誰かな? キルシュバオム公爵は失脚、宰相は国王弑逆の大罪人で騎士団長はそちらに始末された。他も宰相よりは罪は軽いかもしれないけど、謀反人たちだ」

 重要ポストにいる者のほとんどが大罪人。死刑を命じられてもおかしくない人たちだ。それを命じる権限を持つアルベルトには逆らえない。

「……支える人がいなければ、国王は無力ではないですか?」

 少なくとも軍部の支持がなければ、軍部を思うように動かすことが出来なければ反発する臣下を抑えることは出来ない。それがアルベルトに出来るのかジグルスは疑問に思っている。

「それについてはお願いがある。貴国には元王国騎士が大勢いるはずだ。その中から王国騎士団長が務まる人物、その部下となれる人たちを返してくれないかな?」

「そう来ましたか……本人の意思次第と今はお答えしておきます。ただ、望む形になれば、さらに反発が強くなると思います」

 軍部をアイネマンシャフト王国から送り込まれた者たちに牛耳られている。アイネマンシャフト王国に従属しているも同じ。こう考える人たちは必ずいるはずだ。ローゼンガルテン王国内の反発はより一層、激しいものになることが予想される。

「それは仕方がない。私が一番恐れているのは第三国による侵略。それを防ぐ為に最善の形にしたいと思っている」

「……なんか色々と頼りにされている気が」

 第三国からの侵略が実際に起きれば、アルベルトはアイネマンシャフト王国に救援を求めてくる。軍人の受け入れや、領土の大幅割譲などはそれを含めての条件なのだとジグルスは理解した。

「平和が続き、暮らしが良くなれば民の不満は消える。それを実現するには貴国の協力が絶対に必要だ。それを得る為であれば、どんな条件でも飲むつもりだよ」

「つまり、共存共栄ですか……嫌とは言えませんね。もちろん、頼られるだけの関係であれば別ですけど」

「そうならない為の努力は惜しまない。約束する」

 アルベルトは野心を持っていない。持ってはいけないと自分を戒めている。ジグルスとの関係を良くする為には絶対に必要なこと。裏でカロリーネから教えられているのだ。
 民の為には何が最善かをアルベルトは考えた。自分自身の権威や名声を無視すれば、アイネマンシャフト王国の従属国という形が望ましい。だがさすがに今のローゼンガルテン王国をアイネマンシャフト王国のようにするのは難しい。国内での他種族共存を除く形で、アイネマンシャフト王国との関係構築を考えた結果がこの交渉内容なのだ。

「……検討すべき条件としてはこんなところですか?」

「あとひとつある。これも条件というよりお願いだ。元キルシュバオム公爵、ルドルフ・マルクを見逃して欲しい」

「それは私に頼むことですか? 恨みに思っているのは貴方だと思いますけど?」

 ジグルスにキルシュバオム公爵家への恨みはない。恨みを持っているのは父親を殺されたアルベルトのはずなのだ。

「私情は抜きにして、改めて仕えてもらおうと思っている。私には彼の力が必要だ」

 ローゼンガルテン王国の領土は南部のみ。そのかなりの部分を旧キルシュバオム公国が占めている。そこを治めるのに領地を熟知しているルドルフをアルベルトは必要としている。実際はそれ以上のことでも頼りにするつもりだ。

「……ご自由に、と言うべきなのですが……貴国の人で一人、ちょっと気になる人がいます。代わりに、その人の処遇については、こちらで判断させてもらって良いですか?」

「かまわない」

「誰か聞かなくても良いのですか?」

「求める関係を築く為であれば何でも受けれ入れると私は言った。舌の根の乾かぬ内にその約束を破るわけにはいかない。それに、正しい判断をした結果だと信じてもいる」

 害になる人物であれば始末され、そうでなければ何もない。その害はローゼンガルテン王国にも及ぼされるものだ。そういうことだとアルベルトは信じている。

「……信用を裏切るつもりはありません。では今日はここまでで」

「良い回答を期待している」

 トップ会談の初回はこれで終わり。始まる前は、かなり緊張して会談に臨んだアルベルトだったが、伝えたいことは全て伝えられたと思える内容だった。ジグルスの反応も悪いものには感じられない。成功という表現は早すぎるが、手応えを感じられる結果だ。
 それは会談相手のジグルスも同じ。アルベルトにはもともと悪い印象は持っていなかったが、今回の会談でもそれは変わらない。交渉相手として、今回だけでなく、この先もずっと向き合える相手だと感じられた。
 つまり、会談は成功なのだ。アイネマンシャフト王国とローゼンガルテン王国は新たな関係構築に向けて、踏み出すことになる。

 

◆◆◆

 停戦協定が結ばれてローゼンガルテン王国とアイネマンシャフト王国は終戦に向けての交渉に入った。国王に就任したばかりのアルベルト自らが交渉の席に着くという形で。この行動からアルベルトの意思は明らか。なんとしてもアイネマンシャフト王国との戦いを終わらせる。こう考えていることは交渉開始を知る全ての人々に伝わっている。あとはどのような形での終戦となるのかだが、ローゼンガルテン王国にとって不利なものになることも明らかだ。ローゼンガルテン王国は負けたのだから。
 たった一、二戦行っただけ、まだまだ戦えるという好戦的な声は聞こえてこない。キルシュバオム公爵は失脚。王国騎士団長は亡くなった。軍をまとめる者はおらず、平騎士や兵士たちは二度と戦いたくないと思っている。実際に戦う軍部が敗戦を認めているのだ。その状況で徹底抗戦を訴える人はいない。
 正確には一人いる。徹底抗戦という強気な言い方ではないが、最後まで諦めてはいけないと言い続けている人が。だがその人の声がアルベルトの意思を変えることはもうない。

「ない? そんな……確かにここに入れておいたはずなのに……」

 ベッドの上に鞄の中に入っていた物を全てぶちまけてみたが、探し物は見つからない。そうするまでに散々、中身を確認している。見つからなくてもおかしくないのだが、クラーラはその事実を受け入れられない。それだけ大切な物なのだ。

「……あれさえあれば……実際に作ることが出来れば、まだ戦えるのに……」

 探し物は戦争を継続する為の切り札。このまま終わらせたくないクラーラにとって、絶対に必要な物なのだ。

「どうしよう……どうすれば……ああ、もう! あと一歩なのに!」

 諦めたくない。諦められない。ようやく手が届く。そう思える場所まで来ていたのだ。

「何があと一歩なのですか?」

「誰!?」

 自分以外には誰もいないはずの部屋。護衛の騎士にも入室を禁じていた。誰も入れるなと命じていたはずだった。だれがその命令を無視して部屋に入ってきたのか。そう思ったクラーラだったが。

「もうお忘れですか? 確かに久しぶりではありますけど」

「……ジ、ジグルスさん」

 部屋に入ってきたのは、ここにいるはずのないジグルスだった。

「ああ、覚えていてくれましたか。良かった」

「……どうして、ここに?」

 何故、ジグルスがここに、ローゼンガルテン王国軍の城砦にいるのか。自分の部屋に来たのか。頭に浮かんだ疑問をクラーラはそのまま口に出した。

「それはもちろん、クラーラさんに用があって。お取込み中みたいですけど、良いですか? 迷惑かもしれませんけど、こちらも時間がなくて」

「……かまいません。私もジグルスさんと、ずっとお話がしたいと思っていました」

 このような状況になる前に話をしたかった。これが本音だが、もう遅いということはない。ジグルスとの話し合いで新しい展開を作り出すことが出来るかもしれない。

「ありがとうございます。では、時間がないので簡潔に。やっぱり、貴女だったのですね?」

「何のことですか?」

 確かに簡潔だ。簡潔過ぎてクラーラは何を聞かれているのかまったく分からない。

「彼女の話を聞いてからずっと考えていました。彼女には主人公以外の選択肢もあった。では彼女が違う役を選んだ場合、誰が主人公になるのだろうと」

「……あ、あの、まだ何のことだか……」

「代わりの人がいたとすれば、その人はどうしているのだろうと。もし、この世界にいるのなら、誰がその人だろうと」

 ユリアーナ、百合と自分以外にも転生者がいる。この可能性をジグルスは考えていた。転生者がいるのであれば、誰がその人か。百合に主人公の座を持って行かれたその人は、どういう人物で、何を考えて行動しているのだろうかと。

「……ジグルスさん、私には何を話しているか分かりません。そんな訳の分からない話は止めて、意味のある話をしませんか?」

「貴女と話すことに何の意味があるのですか? 戦争を終わらせようとしている俺と続けようとしている貴女が話し合いで何を解決できるのでしょう?」

「私は、私だって戦争を終わらせようとしています」

「でもそれは今すぐではなく、貴女の側が勝利するという形でなければならない。そうなるはずだった。彼女とエカードさんを引き離し、その間に割り込んで、主人公の座を奪ったはずだった」

 エカードの気持ちを奪い取り、あとは魔人戦に勝利し、彼が英雄となり、王となれば、クラーラは王妃となれた。ユリアーナがなるはずの王妃に。だが事はそう上手く運ばなかった。エカードが英雄になる気配はない。それだけでなくエカードから引き離されて、アルベルト王子の妻になることになった。だが、それはそれで良いとクラーラは考えた。ストーリーは歪んでいる。違う方向に進んでいるのが分かっていたからだ。
 アルベルト王子が国王になれば自分は王妃。このままエカードが負け続け、国王になれなければ良いのだ。あとはなんとかしてアルベルト王子の手に実権を取り戻すこと。それで自分も飾り物の王妃という立場を抜け出せる。
 順調に進んでいると思っていた。最後にはローゼンガルテン王国は勝つはずだった。もう一歩のはずだった。だが、そうはならなかった。

「俺とリゼは貴女が成り上がるきっかけを作る為の踏み台キャラってところですか。もともとそういう役回りですけど」

 エカードの近くにいられるきっかけを作ったのはジグルスということになる。リーゼロッテのチームで実力を示したことで、エカードの仲間になれたのだから。

「もう無駄話は止めてください。時間がないのではなかったですか?」

「そうですね。では最後にこれを教えてください。火薬と拳銃の作り方なんて、どこで習ったのですか?」

「…………」

 ジグルスの問いを受けて、クラーラの顔色が一気に変わる。何故、ジグルスがこれを聞いてくるのかクラーラには分かる。彼は証拠を持っているのだ。いつの間にかそれは盗まれていたのだ。

「転生者であることを責めるつもりはありません。では自分はどうなのかって話になりますから。ただ、より簡単に人を殺せる武器をこの世界に広めようというのを見過ごすわけにはいきません」

「……怪しいとは思っていた。私、貴方のキャラ知らないもの。存在しないはずのキャラが大活躍なんてよくある話だものね?」

 クラーラは自分が転生者であることを認めた。証拠を握られているのだ。惚けていても事態は好転しない。

「それなりに苦労してきたつもりなので、そういう言い方はイラッとしますね」

 今の状況は自分と仲間たちの努力の結果、多くの犠牲に上にあるものだ。決められたシナリオ通りであるかのような言い方には怒りを覚える。

「……私はどこで間違ったの?」

 ジグルスの苛立ちはクラーラには通じない。右か左、AボタンかBボタン、そんな選択を間違えたくらいの思いでいる。

「……あえて言うなら、主人公が主人公でなくなった時点でバッドエンドです。それに気付いていなかったことではないですか?」

 クラーラの考えを正そうとジグルスは思わない。正す必要もない。時間の無駄なのだ。

「……そう。最初から拳銃に頼れば良かったか」

「出来なかったのでしょう? 作り方を書いた紙はあっても、貴女自身では実際に作ることは出来なかった。技術も金も、人を動かす権力もない。だから貴女はそれを求めた」

 クラーラにとっては王妃という地位は通過点。金と権力を得た上で、火薬兵器を作り出し、それを使って他国を侵略しようと考えていた。ジグルスはこう考えている。

「……でも全てを貴方に奪われた。世界は貴方の物ね? 王妃の座は無理だろうし……側妃くらいにはしてくれるの? 側妃でも贅沢は出来るわよね? 侵略した国をひとつもらえたら、もっと嬉しいけど」

 ジグルスは金と権力、そして火薬と拳銃の製造法を手に入れた。製造法といえるほどのものではなく、概要の概要くらいしか書かれていないが、そこからでも製造出来るだけの力を手に入れた。この世界はジグルスの物になる。クラーラはそう思っている。

「俺の言ったことを理解していないのですね? 俺は、より簡単に人を殺せる武器をこの世界に広めることは許さないと言ったのです。色々と書かれていた紙は、中身を読むことなく燃やしました。現物も俺の頭にも何も残っていません。あとは」

「ま、待って……ちょっと待って! 私と貴方が組めば、世界制覇が出来るのよ!? 世界の全てが貴方の物になるのよ!」

 ジグルスは火薬兵器の知識をこの世界から抹消しようとしている。その意思を、その意味を理解して、ようやくクラーラは自分の身に何が起こるかを理解した。

「……心から戦争を求めている人がどれだけいると思っているのですか? 戦争を求めるのは極々一部の権力者。何億、何十億という人間の中で一人、二人の貴女のような人だけだと思います」

「……欲の為に生きて……欲望に正直に生きて、何が悪いのよ!? ここは異世界なのよ! それが許されるの! 自分一人で独占しようとする貴方のほうが、よっぽど悪党じゃない!」

「貴女がそういう人で良かった。わずかですけど、気持ちが軽くなります。では……貴女の人生はバッドエンドです」

 叫び声をあげる間もなく、クラーラの首は床に落ちていく。ルーの仕業ではない。ジグルス自身が剣を振るったのだ。クラーラに殺されなければならないほどの罪はあるのか。この疑問がジグルスにはある。彼女を殺すのはジグルスの意思。そうであるからには、自らの手で彼女を殺さなければならない。そう思ったのだ。
 一歩間違えば、自分が彼女のようになっていたかもしれない。ユリアーナの死も同じだ。これを考えると、ジグルスの心は沈んでしまう。

 

◆◆◆

 暗く沈んだジグルスの気持ちを立て直せる人がいるとすれば、リーゼロッテがその一人。もっとも効果的にそれを実現出来る人だ。今回もそう。クラーラの死によって、それによって思い出したユリアーナの死によって、落ち込んでいるジグルスの気持ちをリーゼロッテは引き上げてみせた。心と体の両方を使って。

(……他にもいるかもしれないな)

 ベッドの上に寝転んだまま、ぼんやりと天井を見つめて、異世界からの転生者についてジグルスは考えている。落ち込みが続いているのではなく、先を考えられるくらいに立ち直った結果だ。

(その人は誰の人生を生きているのか? でもゲームシナリオはもう終わっているはずか。シナリオに縛られているのでなければ、その人自身の人生だな)

 役柄を演じることを強制されている人は、もういないはず。他に転生者がいても、その人はこの世界で自分の人生を生きているだけ。無理に探し出す必要はない。探し出しても、何もすることはない。

 ただ転生者だというだけで、その人の人生を歪めることなど許されない。この世界の誰であろうと、結局はその人が生き方を選んでいる。その権利を誰もが持っている。自分がそうであるように。ユリアーナがそうであったように。

(……百合がリゼだったら……いや、これを考えては駄目だ)

 百合がリーゼロッテとして転生していたら、どうなっていたか。頭に浮かんだ思考を、ジグルスは慌ててかき消す。リーゼロッテを裏切っているような気がするのだ。
 そのリーゼロッテはすぐ隣で、黙ってジグルスを見つめている。ジグルスが思考にとらわれている時はいつもそう。邪魔をしないようにしているのだ。
 二人の視線が交わる。そんなリーゼロッテを愛おしく感じて、ジグルスは彼女の体に手を伸ばした。

(……リゼがリゼでなくても、きっと俺はこの人を好きになっていたのだろうな。たとえ……たとえ、あれ?)

 リリエンベルグ公爵家の令嬢であるリーゼロッテを好きになったのではない。彼女の心、性格、言動。彼女自身を好きになったのだ。たとえ彼女がリーゼロッテでなく、逆にユリアーナであったとしても……ここまで考えたところでジグルスはある可能性を思いつく。

「……何?」

 抱きしめられると思っていたのに、自分をじっと見つめたまま固まってしまったジグルスに、リーゼロッテは戸惑っている。

「……リゼは違うよね?」

「違うって何のことかしら?」

「……別に違わなくても良いのか……リゼ、俺は、この世界で君に出会えたことに感謝している」

 彼女が何者であっても、自分の気持ちが変るものではない。この世界で出会い、愛し合えたのは彼女なのだから。そのことにジグルスは心から感謝している。

「私も……ジーク、貴方が貴方であって良かった」

 自ら腕を伸ばし、ジグルスに抱きついていくリーゼロッテ。重なる体。重なる唇、二人の笑みが交わる。
 二人がつむぐ、二人の為の物語はまだ序盤に過ぎない。この先、何があろうと二人の結末はハッピーエンドであることを信じて、共に歩んでいくのだ。自分自身の人生を。この世界で。