月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

異伝ブルーメンリッター戦記 第146話 信頼の向く先

異世界ファンタジー 異伝ブルーメンリッター戦記

 何度かアイネマンシャフト王国軍による奇襲を受けながらもローゼンガルテン王国軍は北上を続けてきた。奇襲による被害はあっても、全体としては戦力に重大な影響を与えるようなものではない。そうであれば、攻略すべき敵の本拠地が定まっていないローゼンガルテン王国軍は先に進むしかない。敵の重要拠点である可能性が高い旧リリエンベルグ公国の中心都市シュバルツリーリエへ。
 その進軍は最初の目的地であるブラオリーリエの手前で止まることになった。偵察部隊が一万ほどの敵軍がブラオリーリエに布陣しているのを発見したから。それを知ったクラーラがラヴェンデル公国軍の合流を待つべきだと強く主張し、総大将である王国騎士団長が受け入れたからだ。アルベルト王子に王国の実権を戻そうという流れが強くなれば、王妃候補であるクラーラの発言力も強くなる。それが明らかになる機会となった。
 アイネマンシャフト王国軍による攻撃を警戒しながらラヴェンデル公国軍の到着を待つローゼンガルテン王国軍。長い時は必要としなかった。

「前方に敵軍ですか。数は?」

 到着してすぐに、何故かクラーラと打ち合わせをすることになったタバート。何故、クラーラとの打ち合わせが設定されたのか分からないが、とりあえず、現状の確認を行うことにした。

「およそ一万です」

「一万……警戒すべき理由は?」

 敵は一万。対するローゼンガルテン王国軍は、タバートたちラヴェンデル公国軍が合流する前でも六万の大軍だ。それで戦いを躊躇う理由がタバートは気になった。数が六分の一であってもアイネマンシャフト王国軍であれば油断は出来ない。警戒すべき何があるのだと考えての質問だ。

「夜襲以外で敵が姿を現したのはこれが初めてのことです。何か罠があるのではないかと疑っています、ということにしました」

「……ということにしました、というのは?」

「実際に罠はあるかもしれません。ただ私はタバート様たち、ラヴェンデル公国軍がいない状態で戦うべきではないと考えました」

 罠の存在を主張したのはラヴェンデル公国軍の到着まで戦闘を始めさせないための口実。それをクラーラは正直に話した。今この場に聞かれて困る相手はいないのだ。

「……頼りにされていることは光栄ですが」

 何もしないでただ待っていることが良いことだとタバートは思わない。実際に罠である可能性は高い。そうであれば罠を破る為に、色々と探りを入れてみるべきだ。それをラヴェンデル公国軍に期待しているということであればまだ分かる。だがそうであってもそれを喜ぶ気にタバートはなれない。危険な任務だ。味方に犠牲を出すことを覚悟しなければならない。

「王子殿下はラヴェンデル公国をとても頼りにしています。本当はご本人の口から伝えるべきなのでしょうけど、殿下は戦場に出ることが許されませんので、私が代わりに伝えさせてもらいます」

「……王子殿下が。それはやはり光栄なことです」

 アルベルト王子の言う「頼りにしている」とはどういうことなのか。それが分からないほどタバートは政治を知らないわけではない。それどころか出発前に父親と長い時間をかけて、そういったことについての話し合いを行っている。

「今はまだ安心出来る状況ではありませんが、流れは確実に王子殿下にとって良い方向に動き始めています。その勢いをさらに強める為にタバート様に協力して頂きたいのです」

「協力というのは?」

「ローゼンガルテン王国を正常な状態にする為の協力です。私はタバート様であれば安心してお任せ出来ると考えています。王子殿下も同じ気持ちです」

 キルシュバオム公爵家に対抗する力。ゾンネンブルーメ公国が信用出来ないとなると、残るはラヴェンデル公国しかない。消去法だけで考えているわけではない。学院時代の話であるが、タバートの人柄をクラーラは信頼出来るものと考えているのだ。

「……なるほど。それは責任重大です」

「協力していただけますか?」

 タバートの反応は悪くない。そう感じて、クラーラは一気に約束を取り付けることにした。

「公国の為にもなることですから」

「ありがとうございます!」

 タバートであれば大丈夫だと考えていたが、きちんと約束してもらえるとやはりホッとする。御礼の言葉も自然と大きくなってしまう。

「……王子殿下は他に何か?」

「他にですか?」

「この先、どうしていきたいなどのお考えはあるのかと思いまして」

 アルベルト王子はローゼンガルテン王国をどうしようと考えているのか。どのような展開を考えているのか。それがタバートには気になる。タバートはアルベルト王子の為人を知らない。信頼出来る人物か分かっていないのだ。

「そうですね……まずは軍を完全に押さえることだと思います。やはり背景となる力がなければ状況を変えることは出来ません。キルシュバオム公爵家に協力していた王国騎士団は、今かなり揺れていますので、この戦いを機に王子殿下支持を決定的にしたいと思います。タバート様に協力をお願いしたのもそのひとつです」

「……ゾンネンブルーメ公国がどう考えているかは分かっているのですか?」

 王国騎士団はアルベルト王子とキルシュバオム公爵家の間で揺れている。最大戦力を有するはずの王国騎士団が誰に付くかで情勢はほぼ決まりなのだが、その決断はどちらが優勢かで決まる。そういうことだとタバートは理解した。そうなると第三勢力の意向が重要になる。

「王子殿下を支持しているのは間違いありません。ただ、ゾンネンブルーメ侯爵家の野心を王子殿下は警戒されています」

「なるほど。それで我が家を頼りになさりたいと」

 同じことをゾンネンブルーメ公爵家にも言っている可能性はある。それが政治だとタバートは考えている。そして、そういったことを、あえて追及することなく、本音を隠すことも政治だと。

「そうです。勝手なことを言いますが、タバート様にはなんとしてもこの戦場でラヴェンデル公国軍の力を示して欲しいのです」

「……かなり厳しい戦いが予想されますが?」

「はい。分かっています。ですが、その難しい役割を果たすことが出来るのはラヴェンデル公国軍しかいません。これまでのラヴェンデル公国軍の働きを王子殿下は高く評価されているのです」

 実際に高く評価しているのはクラーラだ。アルベルト王子はクラーラから話を聞いて、ラヴェンデル公国軍の強さを認識しているに過ぎない。だがそんな細かなことまで正直に話す必要はない。クラーラはそう考えた。今は交渉の場なのだ。

「……お話は分かりました。ひとつお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

「ええ、もちろんです」

「クラーラ様は確か、学院時代にリーゼロッテのチームで活動されていた時期があった。二人とは割と近い関係にあったと思っています」

「……はい。良くして頂きました」

 ここでリーゼロッテとジグルスの二人との関係について聞かれるとはクラーラは考えていなかった。タバートは何を確かめようとしているのか。それが見えないことでクラーラの心に不安が沸き上がる。

「この戦いの決着がついたあと、二人の処遇について考えていることはありますか?」

「ああ、そのことですか……出来れば二人にも王子殿下の為に働いて欲しいと考えています。色々と難しい問題は多いと思いますけど、私は二人の力を高く評価しているのです。絶対にローゼンガルテン王国の為になる二人だと考えています」

「そうですか。確かに難しいでしょう……分かりました。戦いの準備があります。そろそろ自軍に戻ってもよろしいでしょうか?」

「はい。よろしくお願いします」

 交渉は終わり。クラーラにとって十分以上の手応えを感じられるものだった。ラヴェンデル公国はアルベルト王子支持。ゾンネンブルーメ公国も、警戒は必要だが、アルベルト王子支持で反キルシュバオム公爵であるのは間違いない。ここまでくれば王国騎士団の帰趨は明らか。本来の立ち位置である国王の下に戻ることになる。
 クラーラは戦場に来た目的をほぼ果たしたことになる。残るは戦いの決着がどのようなものになるかだ。

 

◆◆◆

 全軍が揃ったことでローゼンガルテン王国軍が前進を躊躇う理由はなくなった。七万二千の大軍が一斉に廃墟になっているブラオリーリエに向かう。それを迎え撃つアイネマンシャフト王国軍はおよそ二万。ローゼンガルテン王国軍の偵察部隊が発見した時の倍の数になっていた。それでも七万二千対二万。ローゼンガルテン王国軍が数では圧倒している。
 ラヴェンデル公国軍が布陣したのは最左翼。キルシュバオム公国軍の隣だ。そのさらに隣に王国騎士団、最右翼がゾンネンブルーメ公国軍だ。攻撃開始の合図を待つローゼンガルテン王国軍。兵の士気を高める目的で叩かれている太鼓の音。戦場に漂う空気が徐々に熱を帯びていく。開戦の時は来た。そう人々が感じた時に、その人は現れた。

『妾に剣を向けようとしている汝らはどこの国の軍だ!?』

 七万を超える大軍の前に、たった一人進み出てきたのはカロリーネ。だがこの段階で彼女が何者か理解したのはわずかな数だ。そのわずかな数の動揺はかなり激しいものだが。

『汝らの剣は誰の為の物だ!? 汝らの楯は誰を守る為の物だ!? 我、ローゼンガルテン王国王女カロリーネが問う! 答えよ!』

 カロリーネ王女の名乗りを聞いて、一部の者たちの動揺が全体に広がっていく。彼女は本物なのか。本物だとすれば何故、敵軍にいるのか。万の単位の人たちの疑問に答える者は、王国騎士団にはいない。キルシュバオム公国軍にも、ゾンネンブルーメ公国軍にもいない。

「ここで彼女を出してくるか……」

 ラヴェンデル公国のタバートだけが、カロリーネ王女が本物であることを認める言葉を、躊躇うことなく口にした。

「本物なのですか?」

 タバートの言葉の意味を確かめる部下。

「間違いなく本物だろうな。ただ王女殿下の言葉にどれだけの効果があるか……」

 カロリーネ本人であると、はっきりと答えるタバート。ここで偽物を出してくるような浅い策をジグルスが打ってくるとは思えない。ただその効果がどれほどのものになるかについてはタバートは疑問だ。振り上げた拳は下ろせない、というだけでなく、命令はカロリーネより上位者であるアルベルト王子が発したものなのだ。

「……王女殿下に剣を向けるのですか。やりづらいですね?」

「そうだな……やりづらい……もしかして、そういうことなのか?」

 ジグルスが放った策。タバートはその目的が分かったような気がした。実際に思う通りのものか、確信はないが。

『名も無き勇者たちよ! 妾は以前、街頭でこう呼びかけた! 民が苦境に喘いでいる中! 私利私欲の為に権力争いを行っている愚か者たちを頼るのは止めようと訴えた!』

 カロリーネが訴えいているのは王国騎士団に向かってではない。ゾンネンブルーメ公国軍に向かってでも、キルシュバオム公国軍に向かってでもない。どこの誰というのは関係なく一人の人に向かって語っているのだ。

『もう一度、妾は同じ言葉を皆に告げる! 名も無き勇者たちよ! この世界を変えられるのは君たちだ! 身分高き者ではなく! 力ある者でもなく! 英雄なんかでもない! 何がなくても家族の為、仲間の為、この世界の為に立ち上がれる者こそ勇者なのだ!』

 この言葉が届く人は必ずいる。そうカロリーネは信じている。アイネマンシャフト王国に集った人たちの多くは、もともとこういう人たちなのだ。

『自分自身の良心に従え! 自分自身の正義を信じろ! 正しきことを行う勇気を持て! この地ではそれが許される! 妾はそれを知っている! 汝らを信じている!』

 ゆっくりと、七万を超える軍に向かって、右から左へと視線を動かすカロリーネ。その視線を向けられた人の胸の内はどのようなものなのか。一人一人の心境など分かるはずがない。分かる必要もない。カロリーネは「信じている」と彼らに告げたのだ。
 アイネマンシャフト王国軍の中に戻っていくカロリーネ。静寂が戦場を包んでいる。

「タバート様……」

 タバートの名を呼ぶ部下。彼もまたカロリーネの言う「名も無き」人の一人。彼女の言葉に心を揺さぶられた一人だ。

「俺の気持ちは決まっている。俺は軍の力を信頼する者よりも、俺自身を信頼してくれる人たちと共に戦いたい。私情で公国の未来を決めて良いのかという思いはあるが……」

 クラーラに何度、高く評価されていると言われても、まったく心に響かなかった。逆に心が冷めてしまった。クラーラの、その後ろにいるアルベルト王子が見ているのはラヴェンデル公国軍の力。自分自身ではないのだと感じた。戦争を利用して権力を奪取する。キルシュバオム公爵と何が違うのかと思ってしまった。

「我々の想いも同じであれば、それは公国の意思ということでよろしいのではないですか?」

「本当にそれで良いのか?」

 ローゼンガルテン王国に背く。それを口にしたタバートだが、その先に待つ苦難を考えると、本当に決めて良いのかという気持ちは消えない。

「我々がここまで無事に来られたのは、アイネマンシャフト王国の意思。自分たちから戦いを仕掛けることはしないと示していたのだと今、分かりました。ちなみに、アイネマンシャフト王国を脱出しようとする人たちと出会ったのは我が軍だけだそうです」

「どういうことだ?」

 ここまで一切、襲撃を受けることなく来られた。これについてはタバートも部下と同じ考えだ。だが、アイネマンシャフト王国から逃げだした人たちの話について、このタイミングで部下が取り上げた理由が分からない。

「逃げだそうとしているとはいえ、リリエンベルグ公国の民であった人たち。信頼出来る人に任せたいと考えたのではないでしょうか?」

「……そうか」

 与えられるばかりであった。それが少し寂しくもあった。小さなことかもしれないが、ようやくひとつ頼ってもらえた。向けられている信頼を裏切るわけにはいかないと、強く想った。

「……戦いが始まりそうです。タバート様、我々は我々の良心に従ってよろしいですか?」

「もちろんだ」

 キルシュバオム公国軍が動き出している。それに釣られたわけではないだろうが、王国騎士団にも動きが見え始めている。ローゼンガルテン王国は開戦を決断した。ラヴェンデル公国軍が離脱を決断したことなど知ることなく。