ジグルスとヨルムンガンドの頂上決戦。アイネマンシャフト王国軍と魔王軍の戦いの決着は二人に委ねられることになった。ほとんどの敵味方がそれを知らない間に。
剣を振るって攻め立てるジグルス。それを驚くべき速さと体の柔軟性を発揮して躱すヨルムンガンド。攻のジグルスと守のヨルムンガンドという、ユリアーナ相手の場合とは逆の展開だ。ジグルスにしてみれば望まない展開でもある。
黒き精霊ルーとの融合により四ツ目となるジグルス。最初の頃は倍化した情報量を処理しきれなかったジグルスだが、今はそれを克服。戦闘能力を飛躍させているのだが、それが活かされるのは主に守りにおいて。徹底して守りを固めて、一瞬の敵の隙を突くというのがジグルスの得意な戦い方なのだ。
だが今、ジグルスは攻める側に回っている。それが苦戦している理由、とは言い切れない。
(……おい、主人公……どう考えても魔王のほうが強くないか?)
床に寝たままのユリアーナに、心の中で文句を言うジグルス。ユリアーナとは互角以上に戦えるようになった。思い上がっているつもりはないが、ヨルムンガンドとの戦いにはそれなりの自信を持って臨んでいたのだ。
だが、実際に戦ってみるとヨルムンガンドは想像以上に強い。さすがは魔王と感心している場合でもない。
(まさか、あれか? 一人を大勢でタコ殴りにしても虐めにならない勇者特別ルールを使う設定か?)
ユリアーナは一人で魔王を倒すわけではない。仲間たちと力を合わせて。つまり、大勢で一人の魔王を一斉攻撃するというスポーツマンシップとはほど遠い戦い方で倒す設定であることをジグルスは考えた。
「考え事をする余裕がありますか」
だがヨルムンガンドも余裕で戦っているわけではない。ジグルスの攻撃を必死で躱し続けているのだ。
「余裕があると見えるなら、それは過大評価だな」
「そんなつもりはありません。貴方のことは冷静に評価しているつもりです」
「それは……怖いな」
これまで戦った多くの魔人はジグルスを過小評価していた。ぎりぎりで勝てた戦いのいくつかは、そのおかげもあった。だがヨルムンガンドはそういった魔人たちとは違う。油断など一切なく、ジグルスと対峙している。緩んでいたのは自分のほう。そう考えてジグルスは戦いへの集中を高めていく。
「……怖いのはそちらでしょう?」
それと共に研ぎ澄まされていくジグルスの闘気。つい先ほどまでの熱を持った闘気とは違う。背筋が凍るような闘気だ。ヨルムンガンドはこれと同じ闘気の持ち主を知っている。戦闘になると別人かと思うような怖さを感じさせる人。ジグルスの母ヘルだ。
ジグルスのギアが一段あがった。攻撃はするどく、速さを増す。無駄を削ぎ落した、相手の無駄な動きを狙った攻撃。
「くっ……」
ヨルムンガンドはさらに余裕を失うことになる。体をくねらせ、なんとか攻撃を躱し続けるが徐々にジグルスの剣先がヨルムンガンドの動きに追いつき始める。まるで自分の動きを読んでいるかのような攻撃。そう感じてヨルムンガンドは、実際に体が震えるのを感じた。
結果としてそれが致命的な隙になる。わずかに遅れたヨルムンガンドの反応。ジグルスの剣はそれを完全に追い越していく。避けたはずの先にあった剣の刃。一瞬の間に、それを認識したヨルムンガンドであったが、体の動きまでは止めることが出来なかった。
「ぐっ」
分かっているのに自分の体が切り裂かれるのを止めることが出来ない。それでもなんとか次撃は逃れようと、ヨルムンガンドは地に倒れながらジグルスから遠ざかろうとする。
その動きにジグルスは付いて行く。地に転がったヨルムンガンド。その彼に向けられるジグルスの剣。敗北を、死を覚悟して目を閉じたヨルムンガンドの頭に浮かんだのは。
(……ヘル。貴方の息子は強いですね?)
決着の時を迎えて、ヨルムンガンドの心には死への恐怖ではなく安堵が広がった。ようやく肩の荷を降ろせる。胸に抱えている秘密に苦しむこともなくなる、はずだった。
「……どうして?」
ジグルスの疑問の声がヨルムンガンドの耳に届く。自分に止めを刺すはずだったジグルスの声。その声は震えていた。
「そいつを逃がすな!」
続く言葉は命令。それを聞いてヨルムンガンドは何が起きたかを理解した。自分の死の瞬間を邪魔しようとした者がいたのだ。それが誰かもヨルムンガンドには分かっている。分からないのはどうしてジグルスは無事なのかということ。その疑問も目を開けるとすぐに解けることになる。
「大丈夫か? おい? 返事をしろ!」
すぐ近くで倒れているユリアーナに必死の様子で声を掛けているジグルス。
「……よ、良かった」
「何が良かっただ!? 全然良くないだろ!? どこをやられた!? すぐに治療させるから!」
ジグルスが受けるはずだった攻撃はユリアーナが受け止めていた。彼女がジグルスを守ったのだ。
「……む、無理、かな? 目、見えなく、なってきたし」
「無理じゃない! 諦めるな! 俺はまだお前に聞きたいことが山ほどある! それを話すまでは絶対に死ぬな!」
「へへ……お前って……同じお前でも……なんか……懐かしい感じだね?」
「懐かしいって……」
ユリアーナの言っていることがジグルスには理解出来ない。ユリアーナ自身も何を言っているか分からないのではないか。もうそんな状態になってしまっているのではないか。そんな風に思ってしまう。
「助けられて……良かった。こ、この世界に……きて……良かった。そう、思って……死んで、いける」
「だから諦めるな。すぐに治療出来る」
「……その治療は私に任せてもらえますか?」
「えっ?」
ユリアーナの治療を申し出てきたのはヨルムンガンドだった。
「おそらくは毒です。解毒しなければ彼女は助かりません」
「お前には……それはそうか。解毒できなければ危なくて使えない」
毒を武器にするのであれば、万一、自分が、味方が誤ってそれを受けてしまった場合の解毒剤が必要。ヨルムンガンドはそれを持っているのだとジグルスは思った。
「残念ながらそれは間違いです。その毒はまず間違いなく私の兄が作った物。絶対に解毒出来るとは約束出来ません」
「兄?」
「詳しい話はあとで。とにかく私に診させてください。解毒出来る可能性はまったくないわけではないのです」
「……分かった」
可能性があるのであれば、たとえ魔王ヨルムンガンドであっても任せるしかない。そうしなければこのままユリアーナは死んでしまう。医師ではないジグルスでも、はっきりと分かるほど彼女は弱っているのだ。
「……ヨ、ヨルム……余計な、こと……しないで」
治療を始めようとするヨルムンガンドにユリアーナは文句を言ってきた。
「そうはいきません。貴女をこのような形で死なせるわけにはいきません。いえ……絶対に助けるとは約束出来ないのですけど……」
ユリアーナに拒否されてもヨルムンガンドは治療を止めるつもりはない。助けることが出来る自信はないが、何もしないで彼女を死なせたくないのだ。
「……やっぱり……ヨルムって……良い奴、だね?」
「そんなことはありません。これは……罪滅ぼしみたいなもの。同じ後悔をしたくないだけです」
「……前魔王を……こ、殺したのも、双子の兄?」
同じ後悔とは何なのか。ユリアーナにはそれが分かった。その為の情報を彼女は持っていた。ヨルムンガンドには双子の兄がいるということを。最後の場面でその兄が不意打ちを仕掛けてくることを。ユリアーナが主人公の時の設定だが。
「……知っていましたか……もしかして兄から彼を守る為に? いや、でも……今でなくても何か出来たのではないですか?」
ユリアーナへの治療を、すぐ前で見ているジグルスでも何をしているか良く分からないが、行いながら、ユリアーナとの会話を続けるヨルムンガンド。彼女の反応で解毒の効果を探っているのだ。
「……自信が、なかった……顔、違う……もの」
ユリアーナはヨルムンガンドの兄と会っている。ローズルがその人だ。だがローズルの顔はヨルムンガンドとは似ていない。疑いを持っていても、見分けがつかないほどそっくりだという情報を持っているので、確信が持てなかったのだ。
「そのままの顔では真実がバレてしまいますから」
「ぜ、絶対に……し、失敗は……出来なかった。もう、目の前で……彼が、死ぬのなんて……見たく、なかった」
「前に話してくれた彼ですね?」
ヨルムンガンドはユリアーナの過去を少しだけ知っている。愛する人を殺された。その人以外を愛することなど出来ないとユリアーナは言っていた。その彼とジグルスをユリアーナは重ねている。ヨルムンガンドは、そう思ったのだが。
「……私に、とって……唯一無二の人……ぜ、絶対に……し、死なせない……わ、私は……そう、決めたの……」
ジグルスをこの世界の主人公にする。そうなればジグルスは死なない。最後のピンチも自分が防ぐ。その為には魔王の側近になるのが一番だった。これがユリアーナが魔王側に寝返った理由だ。
「唯一無二……貴女の唯一無二の存在は殺されたのではなかったのですか?」
「……そ、そう……でも……」
この世界で再会出来た。ずっとそれに気が付くことが出来なかった。もっと早く気が付いていたら。転生する時に正しい選択が出来ていたら。後悔の思いは今もユリアーナを苦しめる。
「……お、俺は、事故で」
ユリアーナが語る人物は誰のことなのか。どう考えても自分のことだ。だがジグルスには殺された覚えがない。
「……そう。君は、知らなかったんだね? き、君は、殺されたの。あいつらに……突き飛ばされて……」
「……あっ」
事故死だと思っていた。では何故、自分は階段から転げ落ちることになったのか。死の直前、記憶を失う直前の衝撃をジグルスは思い出した。
「……ゆ、許せなかった……ひ、人殺し、のくせに……あいつら……人生を、た、楽しんでいた……私を、救って、くれた……ゆ、唯一無二の、人を……奪った、くせに……」
ジグルスを殺した罪で裁かれることなく、虐めっ子たちは普通の人生を歩もうとしていた。進学し、彼女を作り、ある者は結婚し、ある者は子供を作り、人生を楽しんでいた。実際に彼らの幸せがどれほどのものかなど関係ない。彼女にはどうしても許せなかったのだ。
顔を変え、名前を偽り、彼らに近づいた。美しくなった顔、もともと豊満だった体を絞り上げ、磨き上げ、誰もが憧れる外見を作り上げ、彼らを誘惑していった。
高額なプレゼントをねだり、借金を重ねさせ、それを家族にばらし、その男の家庭を崩壊させた。別の男には、酔い潰して関係を持ち、暴行されたと警察に訴えてやった。美貌と男の欲情をそそる体を使って、ジグルスの死に関係した男たちの人生を壊していった。
ジグルスを失ったあとの彼女の人生はそういうものだった。
「……百合……お前、百合か?」
元の世界での彼女の人生がどのようなものだったかなどジグルスは知らない。彼が知るのは、自分をことを、この世の中で信頼出来る唯一無二の人と言ってくれた女性のこと。当時の彼にとっては少し重過ぎた言葉だった。
「……やっと、気付いた……百合が、ユリアーナ……もっと早く気付いても良くない?」
「そうだけど……どうして言ってくれなかった?」
「私も……ずっと気付けなかったから……分かったのは君が死んだと聞いたあと。これはこの世界での話ね」
ユリアーナの言葉がしっかりしてきた。これに気付いたジグルスはヨルムンガンドに視線を送る。もう大丈夫。求めていた言葉は、聞くことが出来なかった。ヨルムンガンドは横に首を振るだけだった。
解毒は無理。そう判断したヨルムンガンドは、二人の最後の時を少しでも良いものにする為の処置を選んだのだ。
「もっと早く気付いていたら……ヒントはあったのに……リリエンベルグって百合の花よね? 私が選ぶべきは……悪役令嬢役だったのに」
ユリアーナには選択肢があった。この世界にどのような役回りで転生するかを選べたのだ。この世界の主人公として生きるか、それともそれ以外の役か。それ以外にはリリエンベルグ公爵家の令嬢という役もあった。
「これは罰……元の世界で酷いことをした罰……殺されるだけでは罪は許されなかった」
次々と男たちの人生を壊していった元の世界のユリアーナ、百合。彼女の最後は、貶めた男の婚約者に刺されて死ぬというものだった。彼女が滅茶苦茶にした人生は男だけのものではない。婚約者の人生でもあったのだ。
彼女はこの世界への転生を罰だと考えていた。元の世界のように、好きでもない男たちに体を与えなければならない役。そう思って諦めてしまっていたのだ。
「……ねえ……もし、私が彼女として転生していたら……私たち、どうなっていたかな? 私と君は幸せになれたかな?」
ユリアーナの両の瞳からあふれ出る涙。もしリーゼロッテとしてこの世界に転生していたら。真実を知ってから何度も、数え切れないほど何度もユリアーナが考えたこと。辛くて、苦しくて、それでも頭から離れなかった想い。
本当はジグルスにこれを聞くつもりなどなかった。彼が答えられないことは分かっている。それでもユリアーナは、最後の時に言葉にしてしまった。
「……どういう形になったかは分からない。でも間違いなく、俺はリーゼロッテを好きになっていたと思う。これは絶対だ」
「……ずるい答え……でも……ありがとう……」
リーゼロッテは誰のことを指しているのか。ジグルスはわざと曖昧にして答えた。ユリアーナにはそれが分かったが、その気遣いが嬉しかった。彼らしさを感じられた。
「死ぬな! まだ話すことは沢山ある! やっとお互いに相手のことを知った! 俺たちこれからだろ!?」
「……それは違う」
ジグルスの言葉は嬉しい。たとえ死にそうになっている自分に同情しての言葉であっても。だがそれは実現しない。実現しては駄目なのだとユリアーナは思っている。
「違わない!」
「違うの! 貴方は私の代わりになるの! 死んでしまう私の代わりは貴方なの! 貴方しかいないの! 貴方がこの世界の主人公になるのよ!!」
ジグルスの顔に向けて手を伸ばし、最後の力を振り絞って訴えるユリアーナ。
「そんな……」
ユリアーナは自分の身代わりとして死のうとしている。リリエンベルグ公国の滅亡を防ぐ為にストーリーを変えたのだ。それを分かってしまったジグルスは、何の言葉も返せなくなった。
ジグルスに出来たのは彼女の手を握ることだけ。彼女の想いを、これほどの想いを受けても何も返せない自分が情けなかった。
「……お、お願い……わ、私の、これが最後の……お願い……生きて……貴方は、生きて……生きて、この世界……の……ヒーロー、に……」
「……分かった……分かったから死ぬな! こんなところで終わるな!」
「……も、もう……私のこと……わ、忘れ……な……」
握っていた手は力を失い、床に落ちていった。途切れた言葉は、永遠に繋がることはなくなった――
「……こんな死に方されて……忘れられるわけないだろ?」
泣き叫ぶことも出来ない。彼女の想いに自分のそれは釣り合わない。元の世界でも恋愛関係というものではなかった。この世界ではずっと敵対関係にあった。わずかに関係が深まりそうな時はあったが、ほんとうにわずかな時間だった。
ユリアーナに自分は何もしてあげられていない。彼女のこの世界での人生を壊してしまったのは自分なのだという思いがジグルスにはある。
「……彼女の、その……後は任せる」
ユリアーナを弔う資格があるのは、ずっと側にいたニクラスたち。彼らは自分の人生を捨てて、ユリアーナの側に居続けたのだ。
「……せめて陽の当たる場所までユリアーナ様を運んであげてくれませんか? 貴方の手で」
「俺で良いのか?」
「貴方の他に誰がいるでしょう?」
「……分かった。でもその前に……戦いを終わらせなければならない」
戦争は終結していない。ユリアーナを弔うのはそのあと。勝利を得たあとでなければいけないとジグルスは思う。
「どうぞ。私の敗北は決まっていました。今更、抵抗はしません」
ヨルムンガンドに抵抗の意思はない。ジグルスの実力を直接確かめることも出来た。迷うことなくあとのことは任せられる。任せなけれならないと思っている。
「じゃあ、俺たちの勝ちだ。お前たちは俺の臣下になる」
「えっ……?」
「どうやら俺はこの世界の主人公にならなければならないみたいだ。どうせなるなら彼女を超える主人公になる。魔王をただ倒すのではなく、臣下にする主人公って凄いだろ?」
今更、ヨルムンガンドを殺す気にならない。ジグルスにとって魔族は敵ではなく、助けるべき人たちなのだ。それがたとえ魔王であっても同じ。一人でも多くの魔人を助ける。そういうことだ。
「……話はよく分かりませんが……特別であることは分かりました」
「さっさと仲間に降伏を告げろ。こうしている間にも無駄な犠牲者が出ているかもしれない」
「承知しました。すぐに手配します」
魔王ヨルムンガンドは降伏。アイネマンシャフト王国と魔王軍の戦いはこれで終わることになる。ジグルスは魔王を倒した、ではなく、従えた英雄になった。ゲームを攻略したのはジグルスになった。
だがユリアーナにはひとつだけやり残したことがある。彼女自身の手では実現出来なかった、というだけだが。
◆◆◆
地下通路を必死で走るヨルムンガンド、と同じ姿なのローズル。魔王の振りをした囮役として本来の姿に戻っていたローズル。ユリアーナが良からぬことを企んでいるとの情報を得て、慌ててヨルムンガンドのいる部屋に向かったので、顔を変える時間がなかったのだ。
だが企みを完全に防ぐことは出来なかった。ジグルスを殺そうとしたが、それはユリアーナに邪魔をされた。なんとか追手を逃れてきたが、この先どうすれば良いのかの判断がつかない。ヨルムンガンドがどうなったのか、まだ情報を得ていないのだ。
「あの女、ふざけやがって。何か企んでいるとは思っていたが、ここで裏切るとは」
ユリアーナに毒づくローズル。何も問題は解決しないのだが、落ち着いていられないのだ。
「裏切り者はお前ではなくて?」
「何?」
誰もいないと思っていた場所で、不意に向けられた問いに驚くローズル。声の主は誰かと思って視線を向けると、そこに立っていたのはフェンだった。
「フェンか……丁度良かった。あの女が裏切った。魔王様がご無事かはまだ分からない」
「魔王様はご無事では?」
「そうなのか?」
フェンはヨルムンガンドの無事を知っている。そう思って、喜んだローズルだったが。
「おや? 貴方は魔王様ではない? 私の目には魔王様に見えるのですけどね?」
「それは……」
「その姿でバルドル様を油断させて殺したのですか?」
ヨルムンガンドはバルドルに危害を加えられない。信頼はしていなくても安心できる相手だ。その油断をバルドルは突かれた。今知ったことではない。ユリアーナにその可能性を教えられていたのだ。
「……あれは……あれは……そう、弟に頼まれて!」
「……見苦しい。ヨルムの姿でそんな情けない言い訳は止めてもらえますか?」
「言い訳じゃない! 本当だ!」
それでも見苦しい嘘を続けるローズル。すでにフェンの殺気を感じているのだ。
「……もう良い。死ね」
振るわれた腕。一拍遅れてローズルの首から血が噴き出した。そのまま、ゆっくりと後ろに倒れていくローズル。わずか一撃。呆気ない死だ。
「……約束は果たしたよ。安らかに眠れると良いね?」
もし自分が失敗したら、代わりにローズルの息の根を止めて欲しい。これがユリアーナの頼みだ。ローズルが自分の前に現れたということは、ユリアーナは失敗したということ。生死は分からない。だが、彼女が死のうとしていることをフェンは知っている。
愛する人の為に。そして、愛する人が自分とは違う女性と幸せになることを、どうしても受け入れられないから。ユリアーナはこの世界から消えるしかなかったのだ。せめて自分の死に様をジグルスの心に刻み込んで。
今は少しだけ、フェンにも彼女の気持ちが分かる。もしローズルが殺さなかったら、自分はバルドルを許せていたか。許せないと思った時、どんな行動に出ていたのか。ヘルはそんな自分を許してくれたか。想像するだけで辛くなる。
「……私は君の気持ちに寄り添える、唯一無二の存在になれたかもしれないのに……それは無理か。私には君のような生き方は、死に方は出来そうにない」
この日以降、フェンの姿を見た者は誰もいない。アイネマンシャフト王国に残ることなく、故郷である大森林に戻ることもなく、フェンはどこかに消えてしまった。