人の嫉妬を買うほどの美人ではない。特別醜いわけでもない。並み、普通、あえてランクをつけるなら、遠慮して中の下。そんなところだ。他の女子と違っているところがあるとすれば、少し胸が大きいこと。それくらいだった。
どこにでもいるクラスの目立たない女子。そんな自分が何故、こんな目に遭わなければならないのか。ある日突然、襲い掛かってきた災難。理由が分からず、その理不尽さを恨み、苦しみ、生きていることが辛かった。今日こそ、次に虐められたら死んでやる。そんなことを考えていた。彼を知るまでは。
「何をしているの?」
聞かなくても分かっていた。その男子生徒は自分のロッカーを開けて、何かしていた。いつもの嫌がらせ。気持ち悪いものを入れられているか、水浸しか泥だらけになっているか。いずれかに決まっている。
「あっ、えっと……嫌がらせ」
「嫌がらせって……」
男子生徒は嫌がらせであることを素直に認めた。知られても平気。そんな風に思っているのだと考えて、少しムッとした。
「でもなんで、ここに? 体育の時間だよね?」
「そうだけど……」
その体育に向かう途中で、頭上から水が降ってきた。虐めの頻度がどんどん増えている。もう首謀者が誰ということはなく、皆が私を虐めているのだろう。自分以外は全て敵、そんな風に思っていた。
「……別の虐め?」
「そうだと思う……」
「それで着替えに……そういえば、いつも着替えなんて持っているの?」
「よくあることだから」
水であったり泥水であったり、もっと酷い汚水である場合もある。着替えの準備は必須だった。これを考えた時、自分が着替えを用意しているのが分かっていて、こうしてその着替えまで汚したのだと分かった。その徹底さが恨めしかった。
「じゃあ、着替えれば」
「着替えればって、貴方が……」
着替えの入っているロッカーも汚されている。それを行ったのは目の前にいる男子生徒だ。
「ああ、俺がいると着替えられないか」
「そうだけど、そうじゃなくて……」
「……ロッカーが汚れているからといって、その中にある物まで汚れているとは限らないから」
「えっ?」
彼の言葉の意味がすぐに分からなかった。分かったのは彼が去ったあと。ロッカーの中は確かに汚れていた。でも、中に入れておいた物はすべてビニール袋の中にしまわれていて、綺麗なままだった。
何故こんなことを。彼の行動の意味が分からなかった。分かろうと思えば、直接、彼に聞くしかなかった。
「……自分の罪悪感を薄れさせる為。それだけさ。断る勇気がない。でも完全に悪者にはなりたくない。卑怯だよね?」
この彼の言葉を聞いて、御礼を言えなくなってしまった。結局、このあとも彼とは何度も会い、話をしたのに御礼は言えないまま。この世界に来てからもそうだ。どうして気付けなかったのか。元の世界とまったく同じ場面、同じ彼の行動。どうして私は気付けなかったのだろうか。もしかすると、あれが最後のチャンスだったのかもしれない。それを私は活かすことが出来なかった――
「……アーナ、聞いていますか? ユリアーナ、貴女に話し掛けているのですよ?」
「えっ、あ、ああ……ごめん。聞いていなかった」
ユリアーナはヨルムンガンドによって、現実に引き戻された。はたしてこれが現実なのかという思いは、今も持っているが。
「フェンの説明は終わりました。次は貴女の番です。アース族との戦いはどうでしたか?」
「楽勝ね」
「……もう少し具体的に話してもらえると助かるのですけど?」
今後の戦略を考える会議。実際に戦って得た敵の情報は重要なのだ。
「具体的に……えっと……勝つ気がない?」
「……そんなことはないでしょう?」
「あるわよ。彼らは自分たちを守る為に戦っている。敵に勝つのではなく、敵に殺されない為に戦っているの。それが分かれば、隙はいくらでも見つかるわ」
ユリアーナはそれなりに考えた結果を伝えている。戦場でアース族が見せる隙。それに気付き、その隙を突けば勝てると考えている。実際に勝ってもいる。
「……守り一辺倒、ということではないのですね?」
守りを固められれば、攻めるのは容易ではない。逆に隙がなくなるはずだ。ユリアーナの説明とは真逆になる。
「守りを必要以上に固めれば、他のところに綻びが生まれるということよ」
「なるほど……弱いところを見つけて、集中的に攻めるということですね? ですがそれではアース族を討つことは出来ませんね?」
「大将を討たなくても勝つことは出来るわ。敵を引かせれば勝ち。守り切っても勝ちね」
勝ちの定義をどう考えるか。アース族はこれを間違っているのだとユリアーナは言っている。アース族は支配地域を広げ、食料を確保出来なければ負け。それを許さなければ魔王軍側の勝ちなのだ。アース族そのものの生死は関係ない。
「……それだと降伏してしまう可能性もありますね?」
「降伏されると困るの? じゃあ……降伏を受け入れる振りして、殺してしまえば?」
「……それは一度しか通用しませんね」
実際は一度も使う気はない。魔族が約束を破る。そういう事態は出来るだけ避けたいのだ。
「褒められたやり方ではないわね。でも殺すべき相手を生かす必要はないわ」
「……彼は生かしましたね?」
「その相手が殺すべき相手ではないからでしょ? 私だってアース族に個人的な恨みはないわ。アース族の話を聞かされても、身内だけで勝手にやってればって感じだった」
ユリアーナにアース族への拘りはない。敵として戦場にいれば討とうとはする。だが戦いを避け、この世のどこかで生き永らえたいと思うのであれば、好きにすれば良いと思う。
「身内だけで……そうですね。そうであれば他の者は関わり合いにならないで済みますね」
だが、これまではそうではなかった。関わり合いにならないではいられなかった。
「……嫌な思い出でもあるの?」
「ないとは言えませんね。生きていれば、嫌なことは必ずあります」
嫌な思い出があることは認めた。だがそれだけ。具体的な話になることをヨルムンガンドは避けている。それはユリアーナにも分かった。
「私は嫌なことばかりだったけどね。フェンは?」
「はっ? 何故、私に?」
いきなり話を振られて、戸惑うフェン。
「楽しい思い出と嫌な思い出、どちらが多い?」
「……そういうことは数えるものですか? 仮に数えようと思っても、無理ですよ。全てを思い出すことは不可能です」
「思い出せないことは思い出とは言えないから。じゃあ……そういえば二人って仲良かったの? もう一人とは仲良しだったのでしょ?」
ジグルスの母ヘルに対するフェンの想いをユリアーナは知っている。仲良しという表現は、一応は気を使ったつもりだ。
「……そういうことを聞きますか?」
「つまり、仲悪かったのね?」
ヨルムンガンドがいる場では答えられない。それは仲が悪い証だとユリアーナは考えた。
「バルドルが死ぬ前のことを聞いているのであれば、仲は良かったですよ。少なくとも私はそう思っていました」
だが、それをヨルムンガンドが否定してきた。この発言にはユリアーナも驚きだ。この話にヨルムンガンドが乗ってくるとは思っていなかった。
「そうなの?」
ヨルムンガンドの答えが事実であるか、わざわざ聞かなくて良いのに、フェンに尋ねるユリアーナ。
「……まあ、そうですね」
フェンも仲が良かったことは認めた。事実なのだ。バルドルが殺される前という条件であれば。
「じゃあ、恋バナとかしていたの?」
「コイバナ?」
「恋愛相談。他に出来る相手いないでしょ?」
本人であるヘルはもちろん、恋敵であるバルドルにも相談は出来ない。そうなると残るのは一人、ヨルムンガンドだけだ。
「……そういうことはしない」
「しなくても、横で見ていれば分かりましたけどね」
「ヨルム! ……あっ、いや、魔王様、そういう話は」
つい昔と同じ呼び方をしてしまったフェン。こんな雑談をしていることが、バルドルが殺されて以来なのだ。
「本当に仲良いのね? 私もそう呼んで良いかしら?」
「ヨルムですか? かまいませんよ。これはフェンが決めた呼び方ですから。どうしてか、知りたいですか?」
「そういう聞かれ方すると知りたくないなんて言えないわね」
まして、すぐ隣でフェンが恥ずかしそうにしていれば聞かないなんて選択はない。
「ヨルとヘルが気に入らないから」
「はい?」
「この際だから、もう一人も加えますか。ヨルとヘル、そしてバルだと自分だけが仲間外れみたいになるからですよ」
ヨルムンガンドとヘル、そしてバルドル。三人とも最後がルになるのに、フェンはそうではない。同じように出来ないわけではないのだが、無理やりそうしても、フェンの感性では、おかしな名に聞こえてしまうのだ。
「……いや、意外。ええ? そんな子供みたいだったの? それとも実際に子供だったの?」
「子供という年齢ではありませんね。ただ私たち三人はまるで……これくらいにしておきましょう。これ以上、話をすると羞恥心からフェンが正気を失いそうです」
「……そう。残念」
話を途中で止めた理由は、フェンの為ではない。ユリアーナにはそれが分かった。ヨルムンガンドにも、これ以上、話を続けたくない理由がある。だがその理由については、まったく見当がつかない。
三人が仲良かったのは事実。その関係を壊してしまったのはヨルムンガンドだ。彼がバルドルを殺したりしなければ、良い関係は今も続いていたかもしれない。ふと思ったこれを、ユリアーナはすぐに否定する。それはあり得ない。あってはならない。ヨルムンガンドがバルドルを殺さなければ、今のジグルスはない。生まれていても今のジグルスとは異なる存在になっていたはずだ。バルドルには死ぬ理由があった。それが何かは分からないが、そういうことなのだとユリアーナは思い直した。
◆◆◆
アイネマンシャフト王国の支配地域。領土と呼ぶべきかもしれないその地は、魔王軍との衝突が続きながらも、何とか人々の暮らしが成り立ち始めている。明日は生きていられるか分からない不安な日々。そんな厳しい暮らしを送る中で人々は、種族に関係なく、助け合って生きることを学んだ。アイネマンシャフト王国というのは結局、戦争が、敗戦があったからこそ成り立った国なのだ。
その戦争から生まれた国を、平和が訪れたあとも、どう成り立たせるか。戦いを勝利で終わらせることと同じかそれ以上に難しい課題。どうすれば実現出来るかをジグルスは考え続けている。
だが、その答えのひとつはすでに出ている。そしてその効果も、ジグルスが気が付かない間に、出てきていた。
「リーンは空が飛べて良いな。僕も飛びたい」
有翼族のリーンが空を飛べることを羨んでいる人族の子供。
「そうかな? 僕はテオみたいに速く走りたい。そのほうが楽しそうだ」
リーンのほうは地面を速く走れるテオが羨ましい。空を飛べても走ることは苦手なのだ。
「ええ? 地面を走るより、空を飛ぶほうが気持ち良くない?」
「空を飛びたいなら飛竜に乗れば良い。風の感じ方は変わらないし、なんといっても疲れない」
空を飛ぶというだけであれば飛竜に乗るという方法がある。それをリーンは言ってきた。
「じゃあ、リーンは馬に乗れば良い。速く走れるよ。疲れないのも同じ」
テオのほうは馬に乗ることで走る代わりになると言い出した。リーンが求めているのはそういうことではないのだが、それはテオには分からない。
「馬か……同じ気分になるのって難しいみたいだね?」
馬に乗るのは少し違う。そう思うと同時に、飛竜も少し違うかもしれないとリーンは気付いた。お互いに相手と同じ気分を味わうのは難しいのだとも。
「人には得意なことと苦手なことがあるって、学校の先生も言っていたね」
「そうだね。出来ないことを悔しく思わないで、出来ることを喜べとも言われた。それで出来ない人を助けてあげないといけないって」
「あっ、それ僕も聞いた。同じだね?」
「同じだ」
子供たちへの教育内容は基本同じ。人族ばかりの村であろうと、魔族ばかりの拠点であろうと、説明の仕方が違うだけで考えかたは同じ。他種族の特徴を尊重しよう。お互いに足りないものを補い合うことで物事は上手く良く、暮らしは良くなる。種族融和、種族間差別をなくす為の教育が行われている。
「空を飛べるから僕はこうしてテオに会いに来られる。これは良いことだよね?」
「うん、僕も嬉しい。僕は何が出来るかな?」
自分たちは助け合っているか。授業で教わったことが実際に出来ているか、二人は確かめようとしている、
「テオは……こうしてアジトを見つけてくれる。空からだと、こんな場所は見つけられない。テオのおかげで僕たちは一緒に遊べる」
二人が話しているのは村の外れにある小屋。農具が置いてある小屋の屋根裏だ。二人にとっては秘密基地のような場所。誰にも見つかることなく、雑談をしたり、おもちゃで遊んだりしていられる場所なのだ。
「他の子たちは何が得意なのかな?」
テオが会ったことがあるのはリーン以外だと獣人族の子供。警護隊関係者の子供だけだ。だが他にも違う特徴を持った子供がいることを授業で習っている。
「そうだな……鳥人族の子は僕よりも速く空を飛べる。走るのは僕よりも苦手だけどね?」
「そうなんだ。あとは?」
「前に会ったのは狼人族の子だったよね?」
「そう。クルルって女の子」
その女の子には頻繁に会うことが出来ない。最前線に比べれば安全だとはいえ、警護隊が巡回するような地域だ。子供が拠点外を自由に動き回れる場所ではない。警護隊が顔見せの時に、同行してきただけなのだ。
「狼人族は走るの速いよね? 熊人族は力が強いね。足もまあまあ速いけど、力の強さのほうが凄いかな? 他にも色々な仲間がいる」
「良いな。僕も会いたいな」
「その内、会えるよ。もう少しすれば、もっと自由に移動できるようになるって、お母さんが言っていた」
そうなる為にジグルスを筆頭に、軍部は懸命に戦っている。戦場に出ない大人たちも、農作業はもちろん、拠点建設や改修工事などの労働を頑張っている。
「その時が楽しみだな。友達が増えたら、もっと色んな遊びが出来るよね?」
「そうだね。毎日、楽しいよ」
こう思える子供が増えること。他種族に恐れではなく、親しみを抱く子供が増え、育ち、この国を支えてくれること。これが戦後もアイネマンシャフト王国を成り立たせる為の答えの一つ。まだ先の話だ。だが十年後、二十年後のこの国の為に大人たちは頑張っている。次の世代に、その次の世代にも繋げる為に。
「あっ、僕、もうそろそろ帰らないと。お母さんが仕事を終えて戻ってきちゃう」
「ええ……残念。また来てね」
「うん。またね」
往復の時間があるので、この村にいられる時間はわずか。それでもリーンはこの場所を頻繁に訪れている。テオは一番仲の良い友達。その彼に会う為であれば、苦労は惜しまない。たとえ、村に来ていることが知られるとお母さんにひどく怒られるとしても。だからこそ、来たくなってしまうのかもしれない。
アイネマンシャフト王国の子供たちのひとつの日常。ジグルスたちが守りたい日常のひとつだ。