月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

黒き狼たちの戦記 第44話 防壁の上で心の壁を感じた

異世界ファンタジー 黒き狼たちの戦記

 山越えを終えたベルクムント王国軍は、すぐにフルーリンタクベルク砦に攻め寄せてきた。といってもその数は千ほど。残りは山を下りてすぐの場所で野営の準備を始めている。火薬を使って山道を切り開いたといっても、それは道を塞ぐ大岩があるなど、人力ではどうにも出来ない時や出来たとしてもかなりの時間が必要だと判断された時だけのこと。行程のほとんどは人の力で道を切り開き、慣らし、少々のデコボコがあっても力づくで荷を運ぶなどして乗り越えてきた。つまり、ヘトヘトなので休息が必要なのだ。
 それでも攻め寄せてきたのは、わずか三百がこもる程度の砦であれば少人数でも落とせるだろうという考えがあるから。うまく接収出来れば、指揮官クラスはより快適な環境で休める。他の者たちも山裾の狭い空間で密集して野営するよりは遥かに良好な環境で過ごせるという考えがあったからだ。
 だがその考えはすぐに吹き飛ぶことになる。
 砦に近づいたベルクムント王国軍の狙いは陶器に火薬を込めた武器、投爆弾によって門を破壊する、そこまで行かなくても防御力を弱めようという作戦だ。投爆弾を扱う部隊五十人ほどが前に出る。だがその部隊は、突然吹き上がった炎に包みこまれ、投爆弾ごと吹き飛んでしまった。炎を操る特殊能力保有者の存在をベルクムント王国軍は知った。
 ただそれは想定内のこと。炎に対する対策はきちんと考えられている。新たな部隊が、今度は広がって砦に近づく。同じように炎が味方を襲ったが投爆弾が爆発することはない。金属の入れ物の中に入れて持ち運んでいるからだ。味方が襲われている間に別の者が入れ物から取り出した投爆弾を投げる、はずだった。だがそれを行う前に部隊は、砦の上から放たれた大量の矢と、飛び出してきた少人数の敵に次々と討たれていく。二回目の攻撃も失敗。敵のほうも、火薬を使った攻めを想定した準備をしているのだとベルクムント王国軍は考えた。
 そうなると容易に落とせるなんて考えは改めなければならない。ベルクムント王国軍は全軍一万六千のうち六千を砦攻めに回した。矢の攻撃を防ぐための盾を構え、隊列を組んで前進するベルクムント王国軍。騎士が発する、兵士が応える掛け声がこだまする。
 いくら砦があっても三百では抗いようのない圧倒的な力攻め。少しの犠牲は覚悟しなければならないが、確実に砦を落とせる正攻法。そのはずだった。
 
「……ん?」

 掛け声を乱す声。六千人の掛け声の中では、わずか数人のその乱れに誰も気づくことはない。それがベルクムント王国軍の不幸。兵の足元に転がってきたのは瓢箪。何故こんなものが、と兵士が思ったすぐ後に、地面を走る火が目に入った。まるで導火線があるかのように、まっすぐに瓢箪に向かってくる火が。

「ま、まさ――」

 兵士の声は言葉にならなかった。その前に彼の足元で瓢箪が爆発し、彼を宙に吹き飛ばしたのだ。彼だけではない。周囲の味方も一緒だ。最初は何が起こったのか分からなかったベルクムント王国軍。だが続けて飛んできた瓢箪が、答えをくれた。
 さらなる爆発。中央諸国連合軍も火薬を使った武器を持っていたのだ。

「さ、下がれ! 後退だ!」

 攻撃の中止を叫ぶ声があちこちから聞こえてくる。まさかの事態に動揺しているベルクムント王国軍の兵士たち。このまま攻め続けるのは得策ではないと指揮官が判断した結果だ。
 初日の戦いは中央諸国連合軍の勝利。だがベルクムント王国軍の被害は数百。一万六千の大軍に数百の死傷者が出たに過ぎない。

 

◆◆◆

 目の前に広がるのは数え切れないほどの篝火。ベルクムント王国軍の野営地で焚かれている火だ。大軍が展開するには狭すぎる高原に一万六千が野営しているのだ。篝火の数も尋常ではない。夜襲を警戒していることもある。ベルクムント王国軍の野営地には、まだ大量と言えるだけの投爆弾がある。隙間を丁寧に埋めた金属製の箱に入れられているとはいえ、万一それに火をつけられては大変なことになる。敵の接近を許すわけにはいかなかった。

「眩しいな。お互いに今晩は攻めないようにしようって、伝えに行ってくれるか?」

 砦の防壁の上でそれを見ているヴォルフリック。中央諸国連合軍も夜襲は警戒していて、ヴォルフリックは自ら見張りを行っている。敵が近づいてきた場合に、真っ先に行動しなければならない立場なので、そうしているのだが、仮眠くらいはしたいという思いもある。

「仮に本当に伝えに行ったとして、敵が信じると思うか?」

 ヴォルフリックの話し相手となっているのは黒狼団の仲間スヴェン。ロートが砦に紛れ込ませた仲間の一人だ。

「信じないだろうな」

 自分であれば信じない。攻めてこない可能性が高いと思っても、備えを怠るような真似はしない。

「明日はどうするつもりだ?」

 スヴェンの役目は、敗北が見えた時にヴォルフリックとブランドが逃げる手はずを整えること。だが一万六千の大軍に囲まれる事態は、すでに敗北が見えているのと同じだ。ヴォルフリックが逃げるという決断をするのではあれば、すぐに動かなければならない。

「……戦う」

「勝てると思っているのか?」

「俺が戦うのは勝つためじゃない。負けない為だ。勝つための戦いは別のやつの仕事」

 ヴォルフリックの役割は主力が到着するまでの時間稼ぎ。勝敗を決することではない。

「……負けないでいられるのか?」

 そうだとしても戦いが楽になるわけではない。命をかける価値はこの戦いにはないはずだとスヴェンは思っている。

「どうだろうな? 上手く行けば、一日くらいはなんとかなるかな?」

 それで二日。当初の計画では五日もたせろと言われているが、ヴォルフリックは敵が姿を現す二日前には伝書烏を送っている。すぐに反応してくれていれば、残り一日だ。

「……こんなところで無理する必要あるのか?」

「守らなければならない仲間がいる」

「その仲間は黒狼団ではないな」

 黒狼団の仲間であれば今すぐに逃げる選択をするはずだ。戦争の勝敗は黒狼団にとってはどうでも良いこと。中央諸国連合が崩壊しようが、ノートメアシュトラーセ王国が滅びようが関係ない。

「……まあ」

「まったく……お前はすぐにそれだ。その仲間はちゃんとお前を支えてくれるのだろうな?」

 黒狼団以外の場所でヴォルフリックが仲間を作ったからといって、それに不満はない。ヴォルフリックらしいと思うだけだ。ただ、その仲間が本当に仲間として認められる相手なのかは気になる。自分たちが犯した失敗と同じようなことにはなって欲しくないのだ。

「どうだろな? まだそれは確かめられていない」

「……今回、裏切るようなら殺すぞ」

 信頼出来ない相手であればヴォルフリックの側に置いておけない。その判断は、今の苦境で、その相手がどう振る舞うかで分かると思っている。

「物騒だな」

「そいつは俺の仲間じゃない。お前を傷つけたらその時点で敵。目には心臓を、歯には脳みそをだ」

 仲間を傷つける者には容赦しない。その傷つけるは身体だけではない。心も含まれているのだ。

「過保護。甘やかすと立派な大人に育たないぞ?」

「過保護とは違う。お前は俺たちを守ってきた。だから俺たちもお前を守る。多くの人を助けてくれたから多くの人に守られるだけだ」

「……もう昔のことは気にするな。あれは全てを自分でやっていたという俺の思い上がり。皆は何も悪くない」

 何故、仲間がここまでヴォルフリックのことを気にするのか。それは仲間を死なせたことを悔やみ、正気を失ってしまった過去を気にしてのこと。だがそれは仲間たちのせいではないとヴォルフリックは考えている。そもそも彼自身は自分がどういう状態だったか覚えていない。大変なことだったという自覚がないのだ。

「気にしなくなっても、俺たちがやることは変わらない。仲間は守る」

「……それもそうか」

「まあ、お前の場合はエマもいるからな」

「どういうこと?」

 何故ここでエマの名が出てくるのかヴォルフリックには分からない。エマは彼にとって守るべき存在。自分が守られる話とは関係ないと思っているのだ。

「お前に何かあればエマが悲しむ。エマを悲しませたくないという気持ちも俺たちにはある」

 スヴェンたちにとってもエマは守るべき存在。皆、エマに好意を持っているのだ。

「なるほど……なんか複雑」

「なにが複雑だ。俺たちの憧れの女の子の気持ちを奪っておいて」

「い、いや、それは……」

 エマに好意を向けられている自覚はヴォルフリックにもある。だがそれを人から指摘されると照れくさくて、何も言えなくなってしまう。

「一つ聞いていいか? こうして二人きりで話をするなんて滅多にないからな」

 ヴォルフリックの側にはいつもエマがいた。それ以外の時も仲間が集っていて二人だけで話す機会をスヴェンは持てなかった。長い付き合いなので実際はあるのだが、子供の頃は改まって聞くことなどなかったのだ。

「なんだ?」

「エマがお前のことを好きになるのは分かる。でも、お前はどうしてだ?」

 幼い頃からヴォルフリックはエマを守り続けてきた。そんなヴォルフリックを頼もしく感じ、彼女が想いを向けるのは分かる。だがヴォルフリックの想いはどこから来ているのかが、スヴェンには疑問だった。命をかけて、と言えるくらいの危険な状況でも、ヴォルフリックは彼女を守ってきたのだ。

「……エマは俺を恐れない」

「俺たちは恐れているか?」

「今は感じない。でも俺が炎を操れると知った時はどうだった?」

「……すまん」

 恐怖を感じた。初めてヴォルフリックの特殊能力を知った時は、今のようにお互いに深く信頼しあえていると思えるような関係ではない。その力が自分に向けられたらと考え、ヴォルフリックを恐れた覚えがスヴェンにはあった。

「謝ることはない。それが普通だ。助ける為に人を殺したのに、それで助けた人に恐れられた覚えはスヴェンにもあるだろ?」

「……あるな」

「でもエマは一切そういうのがなかった。人を殺したばかりの俺が触れても、エマは嫌がらなかった。一緒にいることを喜んでくれた」

 特殊能力を持つ自分は異常者。多くの人が恐れの感情を向ける中、エマだけは違った。それが分かった瞬間にヴォルフリックにとってエマは特別な存在になったのだ。

「そうか……」

 それはエマの目が不自由であること、それによって彼女も特別な能力を持っていることも関係しているのではないかとスヴェンは思ったが、それを口にすることはしなかった。影響していたとしても、それもエマだからこそだ。

「仲間を呼んでくれたしな。エマがいたから仲良くなれた奴らも少なくない。どうやらお前もその一人だ」

「俺は……まあ、少しはあったかな?」

「ほらみろ」

「……なんだか不思議だな?」

 視線を遠くに移して、しみじみとこれを言うスヴェン。

「出会えたことか?」

「それもあるけど、今のこの状況。目の前にいる奴らは軍隊。思いっきり、表の奴らだ。ついこの間まで裏社会で殺し合いをしていた俺たちが、こうして大国の正規の軍隊と対峙しているのって不思議じゃないか?」

「……確かに」

「シュバルツ……お前といると俺たちはどこまで行けるのかな?」

 圧倒的な大軍を前にしていてもスヴェンに恐れはほとんどない。それよりも想像してもいなかった世界に、いきなり放り込まれたことに驚きを感じている。ラングトアの貧民街の孤児である自分が、こんな立場でいることが不思議だった。
 分かっているのはヴォルフリックと共にあるから。これからもまさかの人生を歩めるに違いないという期待が、恐れを感じさせないのだ。

「……行けるところまで行く。それがどこかなんて俺にも分からない」

「それは面白そうだ」

「そうだな」

 未来が見えないのではない。ゴールが見えないのだ。明日生きられるかも覚束ない暮らしをしていたスヴェンにとっては、どこまで続くか分からない将来は喜びでしかないのだ。

「……ここまでだな」

 何者かが近づいてくる気配を感じたスヴェンは、この言葉を残すと、あっという間に闇の中に溶け込んでいく。仲間の中でも盗みに関しては右に出るものがいないスヴェン。闇に紛れるのは得意技だ。

「……ヴォルフリック様?」

 現れたのはクローヴィス。ややためらいがちに声を掛けてきた。

「どうした?」

「様子を見にきただけなのですが……誰かと話をしていましたか?」

 ヴォルフリックが誰かと話していた声をクローヴィスは聞いていた。だが、その誰かが見当たらないことに戸惑っている。

「ああ。見回りしていた兵士と。暇つぶしに付き合ってもらった」

「そうでしたか……」

「もしかして眠れないのか?」

「いえ……いや、少し」

 ヴォルフリックの問いを否定しかけたクローヴィスだが、すぐに本当のことを口した。明日の戦いはこれ以上ないほどに厳しいものになる。それを思うと寝付けなかった。

「そういう時は、一度死んでみれば良い」

「はっ?」

「本当に死ぬわけじゃない。頭の中で想像してみるだけ。色々な死に方を考えていれば、そのうち、こんなものかと思えてきて、心配するのが馬鹿馬鹿しくなる」

「……ヴォルフリック様はいつもそうしているのですか?」

 死を覚悟することで恐怖を薄れさせる。そういうことだとクローヴィスは理解した。

「俺は小さい頃に教わってから、ずっと続けていたからもう慣れた」

「それはギルベアト殿にですか?」

「いや……知り合い。何度も死にそうな目に遭っていると、明日の心配が馬鹿馬鹿しくなるって教わった。ただ俺はそこまで酷い暮らしじゃなかったからな。せめて想像することを続けてみようと考えてやってみた」

「……なるほど」

 ヴォルフリックにそれを教えたのは彼の仲間。貧民街で暮らしていた孤児であることが分かった。だが話に聞いてもクローヴィスには想像がつかない。彼は何度もどころか、一度だって本当に死にそうな目に遭っていないのだ。そんなクローヴィスでは理解出来ない心情をヴォルフリックの仲間は持っている。間違いなくブランドも。
 ヴォルフリックの仲間と自分を隔てる壁。それをクローヴィスは感じている。だがそんな彼も明日は死を覚悟することになる。一万六千対三百の戦いが待っているのだ。