ウエストエンド侯爵の戦死。この事実はパルス王国に衝撃を与えた。これまで何度も、まさかの事態が訪れ、その度に大いに揺れたパルス王国であったが、ウエストエンド侯爵戦死の報は、王国の崩壊を多くの人々に実感させるものだった。
南、東、西の三方での敗北。パルス王国貴族の頂点に立つ四エンド家が立て続けに負け、前回の魔族との戦いを含めると四人の当主が、実際にはイーストエンド侯爵は生きているが、戦死した。これで敗北を考えない人はいない。それだけではない。四エンド家の崩壊はパルス王国貴族から重しを外すことにもなった。各貴族家は何者の顔色も窺うことなく、それぞれが勝手に動き出そうとしていた。
貴族家の状況を察して、なんとか統制を強めようとするアレックス王、そしてパウエル相談役であったが、優斗はそれを許さない。さらなる混乱を巻き起こす為に、これまでパルス王国上層部でも一部の人しか知らなかった魔族領侵攻戦の真実を、全国に広める手を打った。味方になった貴族たちから他の貴族へ。それを聞いて離反を決断した貴族は、自己の行動を正当化する為に領民にその事実を公表する。さらにその情報が商人たちなど、各地を渡り歩く人々によって他の地域に広がっていく。
「全国に広がるのにそう時間はかからないね?」
思い通りの展開になって優斗は上機嫌だ。
「情報の伝達速度は加速していく一方。それに合わせて寝返る貴族どもも増えることでしょう。さすがは魔王様。そのお知恵は、常人とは比較するのも馬鹿馬鹿しいほどの、素晴らしさです」
上機嫌な優斗をさらに舞い上がらせているのはヴィーゼル。イエナに続いて味方になった魔族だ。
「君もなかなかだよ。ライアンは大怪我をしたそうじゃないか」
「あのような単純な男を嵌めるなど簡単なこと。私の知恵など、魔王様には遠く及びません」
ライアンを西に向かわせたのはヴィーゼルの策。ライアンが好む強敵との戦いを餌にしたつもりだ。
「ライアンが大怪我しただけでなく、奴に従う魔族にもかなりの被害が出たみたいだ。これでもう偉そうなことは言えなくなる」
目的はライアンの力を弱めること。魔族の味方がどんどん増えていく。そうなると、扱いにくいライアンに頼る必要はない。優斗にとってライアンは目障りな存在なのだ。それはライアンに従う者たちも同じ。自分ではなくライアンに忠誠を誓う者たちは無用な存在だ。
「もう声を聞く必要もないでしょう。魔王様には我らがおります」
「そうだね。イエナはどうしているかな?」
イエナはパルス王国軍と戦っている。その戦況を優斗は尋ねた。
「それについては私が」
優斗の問いに答えたのはヴィッターハン。彼もまた新たに味方になった魔族。その中でも情報管理を担当している。これもまたライアンの立場を弱める為のもの。優斗はライアンに頼らなくて良い体制にしようとしているのだ。
「じゃあ、報告を」
「正直、苦戦しております。イエナが戦っているのはパルス王国軍の精鋭部隊。容易には打ち破れないようです」
「そうなの? それは、ちょっとだな……」
イエナの戦いは自分の望むようには進んでいない。それを知った優斗は不満そうだ。
「ライアンのように馬鹿正直に正面から攻撃すれば、味方の被害を増やすだけ。戦いはこれで終わりではありません。イエナも慎重に戦いを進めているのでしょう」
「確かにそうだけど……」
「敵はパルス王国の最後の精鋭軍。足止めしているだけでも意味があります。イエナが敵軍を引きつけていることでパルス王国の揺らぎは加速します。王都に攻め入るのも苦労が少なくて済むでしょう」
ヴィーゼルとヴィッターハンが順番に優斗を宥めようとする。イエナを庇っているわけではない。彼らは競争相手。利の少なそうなパルス王億軍との戦いはイエナだけに押し付けておきたいのだ。
「王都攻めか……いつくらいになりそうかな?」
「私としては時間をかけるべきだと考えております。魔王様が考えた策はこれからますますパルス王国を苦しめることになるでしょう。寝返る者たちも時間の経過とともに増えていきます」
わざわざ王都を落とさなくてもパルス王国は奪える。こう考えているヴィーゼルは王都攻めに積極的ではない。
「……アレックスが逃げないかな?」
それは優斗も分かっている。王都を奪わなくても、従う貴族がいなくなればパルス王国は滅びたも同然。それを狙った策なのだ。ただアレックスに逃げる隙は与えたくない。自分を辱めたアレックスにはそれに相応しい報いを受けさせる。こう考えているのだ。
「王都から逃げても行く場所はありません。全てが魔王様の物になるのですから」
「そうだけど」
「逃げ続けることは出来ません。何もかも失って、惨めに落ち延びているパルス国王を追い詰めて、苦しめて、最後は晒しものにする。魔王様のお望みはこういうことではありませんか?」
優斗が持つ残虐性をヴィーゼルは理解している。そうであるから、こうして優斗の右腕のように振る舞っていられるのだ。
「それ良いね。そうだね。王都攻めは後回し、いや、攻めるのではなく、多くの臣下を引き連れて、凱旋という形が良いかな?」
「なるほど。それは妙案です。そのような形になるように進めましょう」
「国名は何が良いかな?」
「国名、ですか?」
優斗に対して、上手に振る舞っているヴィーゼルであるが、こういう話が突然に飛んでしまう事態にはまだ慣れていない。
「そう。僕の国の名前。考えているのだけどこの世界の言葉を僕は良く知らなくて。たとえば……魔王って他に言い方ないの?」
「ああ……エルケーニッヒ、でしょうか?」
「エルケーニッヒ。エルケーニッヒ王国、いや、エルケーニッヒ帝国だね……悪くないね」
まあまあ気に入った様子の優斗。ただその様子を見ているヴィッターハンは渋い顔だ。渋い顔で、優斗に気付かれないように、ヴィーゼルに合図を送っている。
「……あっ、失礼しました! 間違いです。確か……タフルだったかと」
ヴィッターハンの合図に気が付いたヴィーゼルは、自分の答えが間違いであると優斗に伝えた。
「タフル……エルケーニッヒのほうが良いね?」
「いや、それには愚か者という意味もありまして。魔王様には相応しくないかと」
「それは嫌だな。じゃあ……勇者は?」
魔王は駄目。その代わりに優斗は勇者を選んだ。何でも良いのだ。意味が悪いものではなく、響きが恰好良く聞こえれば。
「ヘルト、とか?」
「気に入らない」
「えっ、では……ヴァイスハイトというのは如何でしょうか? 魔王様に相応しい知性を意味する言葉です」
何でこんなことを自分が、と思いながらも別の国名を提案するヴィーゼル。
「ヴァイスハイトか。ヴァイスハイト帝国皇帝ユート……ユート……改名しようかな?」
改名まで考え始めた優斗。ただそれはヴァイスハイト帝国に関しては、悪くないと思っている証でもある。
「時に名は、その人の運命を示すとも言います。魔王様の運命はすでに輝きに満ちています。それをあえて変える必要があるでしょうか?」
優斗の名前まで考えさせられてはたまらない。ヴィーゼルは、少なくとも今は、それを考えないように優斗を説得しようとする。一人で考えるのであれば、別に問題はないのだ。
「……そうだね。じゃあ、ヴァイスハイト帝国皇帝ユート。これを第一候補とするよ」
「それがよろしいと思います」
国名が決まってホッと一安心、と思ったのだが、それは少しだけ早かった。
「エルケーニヒの別の意味って何?」
「えっ?」
「さっき君は愚か者という意味もあるって言ったよね? 「も」ってことは別の意味もあるってことでしょ? やっぱり、魔王という意味もあるの?」
ヴァイスハイトはあくまでも第一候補。決定したわけではなかった。
「……似たような意味で……臆病者だったかと」
「どうしてそんな言葉と間違うかな? 気が付かなかったら恥をかくところだった」
「申し訳ございません。少し疲れているのかもしれません」
「そうだね。毎日打ち合わせばかりだ。今日はもう終わりにしよう。ゆっくりと休むと良いよ」
ヴィーゼルを気遣う優斗。こういう気持ちまで失ったわけではない。自分に忠実な人には、気に入らないことがない限り、好意を向けるのだ。とくに今は、皇帝を名乗ろうかという時。臣下には寛容な姿勢も見せるべき、なんてことも考えている。
「お心遣いに感謝いたします。ではお言葉に甘えて」
「私も」
ヴィーゼルに続いてヴィッターハンも優斗の前から下がっていく。残って、まだ国名の議論になっては困るのだ。ヴィーゼルは優斗に嘘をついた。魔族としては避けるべきことであるが、それよりも優先すべきことがあったのだ。
エルケーニッヒにはいくつかの意味がある。ひとつは魔王。そして別の意味は、妖精の王、時にエルフの王ともいわれている。その名を冠する国を興す資格は、優斗にはない。それを自分たちが導いたなんてことになっては困る。
欲望を満たす為であれば、道理に外れる行動も躊躇うことのない彼らであるが、この件に関しては別なのだ。
◆◆◆
アイントラハト王国で、久しぶりに各部署の責任者が一堂に会した会議が行われる。開催場所は旧都の大広間。全責任者が参加する会議だから、というわけではない。他の場所では参加出来ない出席者がいる。その人の為に、その場所が選ばれたのだ。
他の拠点には入れない、本来は会議に参加する資格のない出席者、イーストエンド侯爵はその場の雰囲気にやや気圧されていた。
玉座の前に勢ぞろいしたアイントラハト王国の重臣たち。エルフ族、人族、そして魔族と思しき人たち。それだけでなくドワーフ族までもいる。ドワーフ族の人々は臣下ではなく、イーストエンド侯爵と同じ、来賓という立場なのだが、それは彼には分からない。そこまでの情報はイーストエンド侯爵の耳には入っていないのだ。
イーストエンド侯爵が気圧されているのは、たんに他種族が勢ぞろいしている、ということではない。揃った人たちが纏う雰囲気がそう感じさせていた。格下であるはずのグランでさえ、そうなのだ。
ただこれには理由がある。アイントラハト王国の普段の会議は、もっとくだけた雰囲気の中で行われている。自由闊達に意見を述べる。その為に意識してそういう雰囲気を作り上げている面もある。
今、大広間をそれとは違う雰囲気が覆っているのは、この会議の意味を皆が理解しているから。いよいよこの時がきた。この思いが、普段とは異なる雰囲気を作り上げているのだ。
その雰囲気がさらに一段、高まる。ヒューガが姿を現したのだ。
「……待たせたかな? すぐに始めよう」
玉座に腰かけ、やや前のめりの姿勢で会議の開始を指示するヒューガ。儀礼を省くのはいつものことだ。だからといって会議の中身が軽くなるわけではない。大広間の雰囲気も変わらない。
「ではまずパルス王国の状況について、ご報告を」
いきなりイーストエンド侯爵に関わる内容。意識したものではない。段取りを考えて、こうなっただけだ。
「元勇者はパルス王国東部から動いておりませんが、他の地域では大きく事が動き出そうとしております。まずは西部。ユーロン双王国と対峙するパルス王国軍を率いていたウエストエンド侯が戦死しました」
「なっ!?」
驚きの声はイーストエンド侯爵のもの。他の人たちに驚きはない。皆、知っているか、それほど重要なことだと考えていないのだ。
「パルス王国軍そのものはまだ戦力を残しておりますが、戦いは終わるものと考えております」
「その根拠は?」
ここからは新しい情報。ウエストエンド侯爵が戦死したあと、西部の戦線がどう動くかを探っていた結果が届いたのだ。
「ユーロン双王国との戦いでこれ以上、戦力を損耗するわけにはいかない。パルス王国がこう考える可能性が高いからです」
「だろうな……それに対して、ユーロン双王国はどう動く?」
パルス王国軍が戦線を放棄することは予想出来た。西を守り続けている間に、パルス王国が滅びてしまう。戦線の縮小は当たり前のこと。遅いくらいだとヒューガは考えている。
「まだ確証はありませんが、パルス王国西部の占拠に動くものと思われます」
「馬鹿な!? そんなことが許されるのか!?」
また声をあげたのはイーストエンド侯爵だけ。それはそうだ。報告内容に対して、いちいち反応していては会議が進まない。イーストエンド侯爵も自国の会議ではここまでの反応は見せない。
「イーストエンド侯。貴方がこの場にいるのは我が国の好意。それを後悔させるような態度は慎んでもらおう」
心を射抜くような鋭い視線を向け、普段とは異なる、威厳を感じさせる態度でイーストエンド侯爵を窘めるヒューガ。
「……申し訳、ない」
そのヒューガから発せられる圧に、イーストエンド侯爵は自分の心が萎縮するのを感じた。
「……ユーロンは領土を取りに行くか。意外と度胸があるな」
パルス王国の領土に踏み込めば、それだけ優斗と戦う時期が早まる。魔族との戦いをユーロン双王国は恐れていない。これはヒューガには少し意外だった。
「元勇者の支配力が強まる前に奪えるものは奪っておく。そのほうが戦いは有利に進むと考えているようです」
「……時間の経過がどちらに有利に働くか。なるほどな」
イーストエンド侯爵と同じ考え。だが前に踏み込むことで自国の力を高めようと考えている点で、ユーロン双王国の決断には意味があるとヒューガは思う。イーストエンド侯爵の場合、自国の力を増す手段がないという理由があるが。
「まだ結果が出たわけではありませんが、現時点では正しい判断だと思います」
「何故?」
「パルス王国の貴族に選択肢を与えることになります」
優斗が流した情報にとって、帰趨に悩むことになった貴族たち。勝ち目のないパルス王国は見限るべきと思いながらも、やはり魔王を名乗る優斗に従うことには抵抗を覚える貴族に、ユーロン双王国は別の選択肢を与えることになる。人族が治めるユーロン双王国に仕えるという選択肢だ。
「確かに。ユーロン双王国は無傷で多くの領土を手に入れる可能性があるか……」
ユーロン双王国には優斗と戦う意思があり、それに備えての戦力増加に成功する可能性もある。状況は悪いものではない。悪くあっても考えが変わるわけではない。
「ソンブ!」
「はっ!」
「マンセル王国に行け! 行って、いつまで待たせるつもりだと伝えてこい!」
「承知しました! 必ずや、陛下の望まれる結果を得てまいります!」
これまでと違う強気な対応。これがヒューガの決断の証。それを理解しているソンブも、強気な答えを返す。マンセル王国の決断が与える影響を理解しているのだ。
「ユリウス!」
「……えっ? 俺!?」
ここは自分の出番ではないと考えていたユリウス。ヒューガが自分の名を呼んだことに気が付いて、驚いている。
「そう、お前。マリ王国に行ってくれ」
「……それは、使者として?」
「その通り。マリ王国に行って、交渉してきてくれ」
「それはどうだろう? 俺は不適任だと思うけどな」
ユリウスは元マリ王国の文官。遠慮のない性格から周囲に疎まれて閑職に回されていた。マリ王国に恨みがあり、相手も悪感情を持っているはずだ。自分は外交の使者として相応しくないと考えた。
「不適任だとすれば、それはお前自身が客観的に物事を判断出来ないからだ」
「それはあるけど、それだけじゃねえ。相手だって俺が使者だと知れば、まともに相手にしない」
「そうだとすれば、所詮はそこまでの相手だということだな」
「何?」
ユリウスは、自分はマリ王国に同盟を求める為の使者を任されるのだと思い込んでいた。だが、そうではない。彼を選ぶ理由はヒューガの中では、きちんとあるのだ。
「マリ王国に行って、相手が相変わらずな奴らだと思えば、喧嘩を売ってきてもかまわない」
「おいおい……喧嘩を売っても良いって言うけど、国と国の喧嘩……本気か?」
国と国の喧嘩。それは戦争だ。ヒューガは自分にマリ王国に宣戦布告してきても良いと言っている。そう考えて、ユリウスはまた驚いた。
「敵か味方か。色をはっきりとつけたいだけだ。相手が仕掛けてくるでのあれば、仕方ないけどな」
「……なるほどね。信頼出来るやつだけを味方に。これは変わらねえってことか」
利害関係だけで同盟は結ばない。アイントラハト王国の臣下になることと同じ基準なのだとユリウスは理解した。
「味方は守らなければならない。仲間が命をかけて守るのだ。その価値のある相手であって欲しいだろ?」
「分かった。私情は抜きで、冷静に見てくることを約束する……いや……約束致します。陛下……で良いのか?」
「お前がそれを望んでくれるなら、喜んで」
「……心から望みます。我が王」
その場に跪き、頭を垂れるユリウス。ようやく認められた。その喜びが心に広がっている。
「いい年して泣くな」
「泣いてねえよ! 爺!」
グランの余計な一言で雰囲気は一変。畏まっていたユリウスも普段の様子に戻ってしまった。
ヒューガのユリウスへの指示は重大な意味を持つ。マリ王国との戦争も辞さない。アイントラハト王国はこれまでとは異なり、積極的な領土拡張に踏み出すことになるのだ。
そんな重大決定を行った場にはそぐわない雰囲気。それもまたアイントラハト王国らしいといえばそうなのだが、それでは済まない人物もいる。
「ちょっと待ってもらおう! さすがに黙っていられない!」
イーストエンド侯爵がその人だ。