ユーロン双王国軍と対峙しているパルス王国軍に奇襲を仕掛けたライアンであるが、これまでの戦いのようにはいかなかった。奇襲といってもパルス王国軍は陣地内にいた。ユーロン双王国とは休戦状態にあるとはいえ、警戒を怠っていたわけではない。さらに想定外の方向からの攻撃であったとしても、陣地内にいるのだ。防御態勢は行軍中とは比べものにならないくらいに整っている。
ライアンはそれが分からずにパルス王国軍に攻撃を仕掛けたわけではない。守りが固いのは承知の上。力と力の正面からのぶつかり合いで、相手を打ち破る。これまでは実現出来なかった戦いを、この戦場で行おうと考えたのだ。
「それで大怪我したのでは、ただのアレではないですか?」
ライアンの言い訳、と美理愛は受け取っている、を聞いて、彼女は呆れ顔だ。
「アレとは何だ?」
「……戦闘馬鹿です」
少し躊躇いを見せたが、美理愛はライアンの問いに正直に答えた。ここで遠慮していてはライアンに通じない。また同じことをしてしまうと考えたのだ。
「それは褒め言葉だな」
だが正直に話しても、ライアンに反省を促すことにはならなかった。ライアンが求めるものは強さ。その強さを確かめることが出来る戦闘は、彼にはなくてはならないものなのだ。
「同じ戦うにしても戦い方というものがあります」
陣地に籠る万の軍勢に、六百程度の味方で攻撃を仕掛ける。個の力では上を行く魔族であっても、さすがにその状況は厳しいものがある。もっと戦い方を工夫するべき。美理愛はそう思っている。
「パルス王国の精鋭軍と戦える最後の機会かもしれなかったのだ。中途半端な戦いはしたくなかった」
ウエストエンド侯爵家軍もパルス王国では精鋭軍だ。過去も含めてユーロン双王国との激しい戦いを経験している分、イーストエンド侯爵家軍よりも上と評価されている。その精鋭軍と自由に戦える最後の機会かもしれない。ライアンはそう考えて、無理を承知で正面からの戦いを挑んだのだ。
「……やっぱり、馬鹿」
「馬鹿馬鹿、うるさい。結果は勝利と言える内容だ。貶すのではなく、褒めるべきだな」
万の軍勢を殲滅、なんて真似は出来ない。全軍を崩壊させるまでにも至らなかった。それでもライアンは満足している。敵陣深く斬り込んで、敵の実質的な総大将であるウエストエンド侯爵を討ち取ったのだ。
「褒めてもらいたいのですか?」
「……そうは言っていない」
照れた仕草。少しずつライアンが見せる、美理愛が気付けるようになった一面だ。
「とにかく、しばらく安静です。大好きな戦いはお預けですから」
「大げさな。そこまでの怪我ではない」
「そこまでの怪我です! 貴方は自分がどんな状況だったか分からないから! 私がどれほど心配したか知らないから!」
美理愛のところに運ばれてきたライアンは全身血まみれ。気を失っており、最初見た時、美理愛は遺体が運ばれてきたのだと思ったくらい酷い状況だった。治癒魔法で傷口は塞がったが、ライアンは気絶したままの状態が続き、そのまま意識を取り戻さないのではないかと美理愛は心配していたのだ。
「……声が大きい。安静にしていろと言うのであれば、もっと優しく看病したらどうだ?」
「優しくしてあげても良いですけど、私のことを好きになっても知りませんよ?」
「……馬鹿はどっちだ」
◆◆◆
東の拠点にある鍛冶場。その規模は初めの頃と比べて、遥かに大きくなっている。修行者として受け入れたドワーフ族が、自分たちが使う鍛冶場を次々と作り、大きくしていったのだ。その拡張は今も続いている。これまで以上の規模感で。
その理由はアイオン共和国から避難してきた人々。彼らもただ安全な場所で暮らせるというだけでは我慢が出来なくなったのだ。なんといってもこの場所には、彼らが神と崇めるプロンテースがいる。避難民ではなく修行者として、この地で暮らすことを望まないドワーフ族はいなかった。
彼らの強い要望を受けたアイントラハト王国はその実現の為に動き出した。ただそれはかなり大掛かりな案件だ。単純に鍛冶場を増やすだけでは東の拠点が全てそれで埋まってしまう。他に影響を与えないで新たに鍛冶場を作れる場所、結界を広げることから始めなければならなかったのだ。
結界を担当するルナたち、精霊たちにとっても困難な仕事。鍛冶場では火の力が強くなるなど、四属性のバランスが悪くなりがち。バランスの乱れは大森林の自然環境に悪影響を与える。本来、大森林内にあるのは望ましくない場なのだ。
それでも鍛冶場を拡張するとなれば、バランスの乱れを起こさないような環境作りが必要。木々の伐採は最小限に押さえ、それに伴う火事対策、という意味合いだけでなく、そもそも火の力とのバランスを取る為に周囲に水場を設ける。そのような様々な工夫をこらして、精霊の負担を重くすることなく、力のバランスを維持できるような環境を作り上げていった。
その結果、ルナが「ルナたちは天才なのです」と自画自賛した土地が出来上がり、今は鍛冶場の製造に移っている。土地の環境整備はそれに合わせて継続中だ。
アイオン共和国の鍛冶場にも負けない、はさすがに言い過ぎだが、活気に満ちた場所。その鍛冶場の建物のひとつで、プロンテースは腕を組んで、難しい顔をしている。
「……無理、かな?」
遠慮がちに問い掛けたのは冬樹。プロンテースに難しい顔をさせているのは彼の頼み事なのだ。
(……無理という言葉は使いたくない。ただ難しいのは事実だ)
無理と言わないのはプロンテースのプライド。その一言で物事を諦めてしまっては成長はない。そう思っているのだ。
「やっぱり、これってかなり凄い物なのか?」
プロンテースと冬樹の間に置かれているのは剣。冬樹がバーバラから、ギゼンの形見として譲り受けたものだ。
(……「凄い」の一言では表現出来ない。ではどう表現すれば良いのかとなると、やはり「凄い」なのだと我は思う)
「はあ……」
プロンテースの伝えたい思いは、難し過ぎて冬樹には通じなかった。
(出来の良さを褒めることはいくらでも出来る。ただ、そういうものではないのだ。なによりも不思議なのは、この剣が折れているということ)
目の前に置かれている剣は先のほうがない。途中で折れているのだ。冬樹がプロンテースに頼んだのは、これと同じ剣を作って欲しいということ。折れた剣では戦えない。なので代わりとなる剣が欲しくなったのだ。
「……やっぱり日本刀はこの世界では通用しないのかな?」
譲られた剣は、刀身が途中で折れているが、間違いなく日本刀。この世界の剣に比べるとかなり細い刀身の日本刀では、すぐに折れてしまうのだと冬樹は考えた。
(ニホントウ? これはニホントウと呼ぶのか?)
「多分。異世界の俺たちが生まれた国に昔からある剣だ。元の世界で剣道なんて習っていないけど、なんかしっくりくるんだよな。これを握った時に、これなら斬れると感じた」
その感触がプロンテースに代わりの刀を作ってもらいたいと冬樹に思わせた。剣を変えることで、習ってきた技がおかしくならないか。この不安がないわけではないが、それを超える感覚があったのだ。
(ふむ……フーキ殿はこれが斬れると感じたのか。やはり、そうか……だが、しかし……)
冬樹の言葉を受けて、悩むプロンテース。何を悩んでいるのかは冬樹には分からない。
「……その剣は死んでいるのじゃ。ギゼンが剣を捨てた時に殺した」
プロンテースの悩みを理解したのは、同席していたバーバラ。冬樹の考えを知り、それにプロンテースがどう応えるか興味があって、付いて来ていたのだ。
(死んだ……なるほど、そういうことか。だから今のこの剣を見ても、真の姿は分からないのか)
バーバラの話を聞いて、プロンテースは納得した様子だ。
「出来れば俺にも分かるように説明してもらいたいのだけど?」
(この剣の造りは素晴らしい。それは断面を見るだけで分かる。切れ味鋭く、それでいてしなやか。簡単に折れるようには我には思えなかった)
「でも折れてる」
現実に剣は折れている。折れてしまう剣では、安心して戦いに使えない。
(どう説明すれば良いか……恐らく、この剣は自ら死を選んだのだ。技は残っていても……想い、では軽いような気がするな……執念……そうだ、執念が消えてしまったのだ)
「執念……?」
(そうだ。この剣には執念が込められていた。作り手の想いがどのようなものかまでは分からないが、並々ならぬものであることは間違いない。それは分かった。ただ問題は……我に作れるか……)
命を捨てる覚悟で。そこまでの想いを剣に込められるか。プロンテースには自信がない。彼はこれからも鍛冶を続けたい。もっともっと上を目指したい。この想いが強いのだ。
「剣に魂を込めるのは作り手だけではない。使い手もまたそれが出来る。儂はそう思う」
(魂……そう、執念ではなく魂。バーバラ殿のおかげで我はさらにこの剣を理解出来た。そうなっては、作らないではいられない。我の技と知識の全てを注ぎ込んで、最高の剣を作ろう)
「……ありがとう。引き受けてもらえて良かった」
プロンテースは制作を引き受けてくれた。自身の最高傑作となるであろう剣を作ると約束してくれた。それが冬樹はたまらなく嬉しかった。世界最高の鍛冶師プロンテースが作る最高の剣。その使い手に相応しい剣士になる。冬樹の心に新たな想いが加わった。
◆◆◆
窓から差し込む淡い月明りが、かろうじてヒューガの輪郭をクラウディアに教えてくれている。規則正しく上下に動く胸。その様子をどれだけの時間眺めていたのか。その少し上にある彼の口に何度、視線を移したのか。何度、自らの唇を重ねたいと思い、それを諦めたのか。
やはり自分はヒューガのことが好きなのだ。今この時になってようやく、クラウディアはそう思えた。
共にいたのは、人生の中ではわずかな時間。自分の周りにはいなかった少し変わった男の子。何者でもない自分に接してくれる優しい男の子。孤独であった自分の前に現れた、そんなヒューガを好きになるのは当然だ。だからこそ、その想いにクラウディアは自信が持てなかった。自分は本当に彼のことを好きなのか。孤独から救い出してくれるヒーローとの恋愛物語を夢見ていただけではないのか。ヒューガと別れたあと、こんなことを考えることが多くなった。
エアルの存在を知ってしまった時、やっぱりヒューガもそうなのだと思ってしまった。一時の熱情。離れ離れになってしまえば薄れていく想いなのだと。その感情が本心からのものであるのか、クラウディアは自分自身のことであっても、分からなかった。
優しくしてくれる人。孤独を感じさせない人。まず間違いなく自分に好意を向けてくれている人。チャールズは、タイプは違ってもヒューガに似た人だった。そんな彼への好意が膨らんでいることに気付いていた。ヒューガへの感情の変化は、そんな自分の気持ちへの言い訳ではないかと思って、落ち込んだ。
クラウディアにとっては思いがけない形でヒューガと再会し、ドュンケルハイト大森林に来ることになった。ヒューガは我が道を進んでいた。自分とは違っていた。彼の周りにいる人々も同し。疎外感ばかりの毎日だった。
それでも二人きりでいる時のヒューガはかつてと同じだった。エアルの存在は、自分にヤキモチという感情を沸き立たせた。彼の隣には誰が相応しいのか考えると、胸が痛くなった。
今も同じ。胸が痛い。沸き上がる感情を抑えることが難しい。それでも、自分は決めたのだ。
心を落ち着かせ、ゆっくりと体を横にずらす。足を延ばしてみたが、床に落ちている服には届きそうにない。クラウディアはすぐに諦めて、裸のままベッドから降りることにした。誰も見ている者はいない、はずだった。
「また同じことの繰り返しになる」
「……ヒューガ」
寝ていると思っていたヒューガが声をかけてきた。
「今回は、その……大きく進んだけど、いきなりの大胆な行動という意味では同じだから。さすがに二度目は気付く」
初めてのキスもクラウディアの積極的な行動から。そのあとに待っていたのは別れだった。今回も同じ気持ちだと、さすがに気付く。そうでなくても今のヒューガを相手にクラウディアが、気付かれないようにこっそりとベッドから抜け出すなんて真似が出来るはずがない。
「……ごめんなさい」
「ディアの気持ちは尊重したい。でも、その気持ちを知らないままに別れるというのは納得出来ない。良い別れになると思えない」
お互いを尊重しての別れ。そのつもりであったが、結果が良いものであったとヒューガは思えない。再会してからの日々は、二人の距離を感じさせるだけのものだった。
「……ここに私の居場所はないと思う」
「それはこれから作れば良い。誰だって最初はそうだ」
「そうじゃないの。今のここには、私でなければならないものがないの。私がいなくてもこの国は、この国であり続ける。逆に今の私がいることで、その邪魔をしてしまう可能性だってある」
最初に感じていた疎外感。それだけがクラウディアを決断させたのではない。
「……パルス王国の王女という肩書を……もしかして捨てないつもり?」
パルス王国を捨ててしまえば、それでイーストエンド侯爵が何をどう騒いでも意味はなくなる。だがそんなことはクラウディアも分かっているはずだ。
「今、私を必要としている人がいるとすれば、それはパルスにいると思うの。私の思い上がりかもしれないけど……」
「それがどういうことか……分かっているから、そう言うのか」
何故、パルス王国がクラウディアを必要とするのか。パルス王国の王女という肩書が必要となる事態になるから。その可能性はヒューガも良く分かっている。パルス王国が抵抗を続けるのであれば新たな旗印が必要。それになれるのはクラウディアだ。
これは少し形は違うが、イーストエンド侯爵の考えと同じ。ヒューガが彼の要請を一切受け付けなかった理由のひとつだ。
「ヒューガ、私は何者でもなくなることを望んでいたけど、それは間違いだったわ。元から私は何者でもなかったの」
パルス王国の第一王女という肩書を捨てたかった。実際に捨てた。だが自分は王女として何かを行っていたのか。王女と呼ばれるに相応しい存在だったのか。クラウディアは大森林に来て、それを思った。ヒューガの隣、アイントラハト王国の王妃として自分は何が出来るのかを悩んだ時に、気が付いたのだ。
「だからパルス王国の王女に戻る? それって必要?」
「私には必要なの。上手く説明出来ないけど、それが私にとっての第一歩なの。踏み出して、前に進んで、結果はどうなるか分からないけど、そうしないと私はヒューガの前に堂々と立てない」
自分の存在を恥じるのは嫌だ。ヒューガの大切な人だから、という見方をされたくない。されないような人物になりたい。そうなれるかは分からない。だがクラウディアは、無責任だった過去を少しでもやり直す機会を逃したくなかった。逃げ出した場所から、本当の一歩を踏み出そうと決めた。
「……俺は手助け出来ない」
「助けてもらったら意味がない。私はヒューガにも自分を認めてもらいたいの」
「そうか……とりあえず戻ってくる気持ちはあるってことだね?」
永遠の別れを決めたわけではない。結果はどうなるか分からないが、今のクラウディアには再会を望む気持ちがある。それをどう受け取るべきか、ヒューガは少し悩んでいる。
「ズルいかな? 別に王妃とかそういうのはどうでも良いの。ただ、少しでも自分自身を誇れるようになってヒューガに会いたいの」
「……会いたいと思ったら、いつでも会いに来ればいい。俺と会う資格は、ディアがディアであることだけだ」
「そういうこと言われると甘えちゃうよ」
「甘えれば良い。俺もそうする」
クラウディアの体を引き寄せて、ベッドの上に寝かせるヒューガ。
「……なんか……恥ずかしいね?」
これが最後の時、と覚悟を決めてヒューガに体を預けた。だがそれが薄れた今、ヒューガとこうしていることがクラウディアは堪らなく恥ずかしい。自分の体が羞恥で赤く染まっていくのが分かる。
「……俺も今のほうが緊張してるかな」
「ヒューガも?」
「だって……ああ、またディアは俺と別れようとしているなと思っていたから。その思いのほうが強くて」
ヒューガのほうも別れの覚悟を持っていた。悲しいという思いが初めての緊張感を消し去っていたのだ。
「そっか……ヒューガも緊張するのか……」
「……今、何を考えていた?」
何故、クラウディアは自分は緊張しないと思うのか。答えが分かっている問いをヒューガは口にしてしまった。
「あっ、答えは良い。何も考えられないようにすれば良いんだ」
「それって……?」
「すぐわかる……はず」
クラウディアの唇を塞ぐヒューガ。会話の時間は終わり。それとは違う二人の時間の始まりだ。窓から差し込む月明りがその輝きを増し、二人の体を照らしている。
(……………………)
良いところでは沈黙することを覚えたルナであった。