感謝祭明け四日目くらいになると、実家で過ごしているだけでは退屈になった人々が、新しい年の始まりに神への祈りを捧げる為に教会に行く、という名目で外出するようになる。そうなると食堂や商店はそういった人々目当てに普通に営業を始めることになる。傭兵団も同じ。遠方に帰省した人たちは別にして、施設に通う騎士や従士が増えていく。感謝祭前後をきっちり休む、という表現は微妙だが、のは戦争だけというのが世間の実情だ。
太陽のメンバーに関しては、すでに全員が傭兵団施設に顔を見せている。自分だけいないということになればジギワルドの不興を買うかもしれない。彼の性格ではそんなことにはならないのだが、従士たちはそう思ってしまうのだ。次期国王になる可能性が高いジギワルドに仕えているのだ。将来のことを考えて、距離を置かれるようなリスクは冒せないというところだ。
「火薬について、その後、何か分かりましたか?」
新年の挨拶を終え、休暇中の出来事について少し話をしたところで、ファルクが火薬について尋ねてきた。ジギワルドは休暇中は家族、つまり国王であるディアークと過ごしているのだ。色々と話を聞けていると考えてのことだ。
「いや、あまり話はなかったね。ベルクムント王国がノイエラグーネ王国に提供したものであることは、ほぼ間違いないようだけど」
「……その件を陛下に伝えたのはオトフリート様だということでしたが?」
オトフリートの従士たちが自慢していたのをファルクは聞いていた。そのすぐ近くでオトフリートが苦々しい顔をして、それを聞いていたのには気づかなかったようだが。
「あれは愚者からの情報だよ」
「なんですって?」
「愚者はあれが火薬というもので、ベルクムント王国が持っているということを知っていた。それを聞いた兄上が、父上に伝えただけだ」
ディアークには事実を歪めてオトフリートの手柄にしてあげる気はなかった。別の者が聞けば、また違ったかもしれないが、相手はジギワルド。嘘をついてオトフリートの評価があがっているように思わせるのもおかしいと考えた結果だ。
「愚者が……彼は何故、それを知っていたのでしょう?」
「彼はベルクムント王国の都で暮らしていた。それで耳に入ったようだと父上からは聞いている」
これについてはディアークはジギワルドに嘘を教えた。ただ住んでいただけで耳にするような情報でないことは彼も分かっている。ただ、ではどうやっての答えを、推測はあっても、持っていないのだ。
「そうですか……このままでよろしいのですか?」
ヴォルフリックがオトフリートに情報をもたらしたと知って、ファルクの表情が厳しいものに変る。
「よろしいって何が?」
「愚者のことです。愚者とオトフリート様の距離は、思っていた以上に縮まっていると思うのですが」
これを二人が聞いたら、全面的に否定することになるだろう。だが周囲からはこう見える部分があるのだ。
「……アデリッサ様に騙されているのだと思うけどね。だからといって、どうすれば良いのかってことになると」
アデリッサは悪女であるから近づくな。そう思っていても、口に出すことはジギワルドには躊躇われる。陰口を言っているような、実際にそうなのだが、気持ちになってしまうのだ。
「彼自身には問題がかなりありますが、味方にしておくべきだと思います」
「たしかに能力は高いね。あそこまでとは正直思っていなかった」
三団対抗戦で、そのあとのディアークとの対戦で見せたヴォルフリックの実力は、ジギワルドの予想以上だった。明らかに自分よりも上。同年代に自分以上の実力者がいるということに、ジギワルドは内心ではかなりショックを受けている。
「陛下の評価もかなり高いと聞いています」
「そうかな? そうかもしれないね」
「……やはり、お耳に入っていないのですね?」
ジギワルドの反応は鈍い。それは自分が知る情報を彼が知らないからだとファルクは判断した。
「何のことかな?」
「三団対抗戦の直後に愚者が陛下の執務室を訪れたそうです」
声のトーンを一気に落とすファルク。ここから先の話は第三者に聞かれるわけにはいかないのだ。
「……それで?」
その話をジギワルドはディアークから聞かされていない。全てを教えてもらえているとは思っていない。教えられていないということは、これからファルクが話す内容は重要だということ。ジギワルドは少し気持ちを引き締めた。
「こともあろうに、何故、後継者選びを先延ばしにするのかと陛下を問い詰めたそうです」
「そんな真似を?」
「陛下の答えは、簡単に言うと決め手がないというものだったのですが、その時に陛下は、愚者がオトフリート様を支えるのであれば、すぐに決めても良いと言われたそうです」
「…………」
ジギワルドは言葉を失ってしまう。はっきりと言葉にすることはなくても、自分が後継者に選ばれることにジギワルドは自信を持っていた。尊敬する父と比べれば、足りない部分が多くあることは自覚している。今すぐに指名されないことにも納得していた。だがオトフリートが後継者になる可能性があるなど、まったく考えていなかったのだ。
「愚者は迷うことなく拒絶しましたが……この先、万が一があると……」
ヴォルフリックの気持ちが変わり、オトフリートを支えるとディアークに誓うようなことになったら。可能性がないとはファルクは思えない。二人の距離は、彼が恐れているような関係ではないが、ジギワルドとのそれよりも遥かに近いのだ。
「……父上は愚者の何を評価しているのだろうね?」
これをディアークに直接確かめるのは難しい。何故これを聞くのかと疑問に思われれば、ヴォルフリックとのやり取りを知っていると気付かれる可能性がある。答えは簡単だ。話を聞ける位置にいた者は限られている。その近衛騎士は地位を失い、その騎士が情報を漏らしていた相手も処罰されるかもしれない。その主であるジギワルドに対する評価も悪いものになるだろう。
「分かりません。分かりませんが、オトフリート様の欠点を補うに充分な何かを持っているものと考えられます」
「そうなのだろうね……」
ジギワルドの母はヴォルフリックのことを気にしていた。それはヴォルフリックがディアークに敵意を向けているから。ただ愚者のカードに選ばれた特殊能力保有者を懐柔する為だと考えていたのだが、それは誤りだったようだとジギワルドは思った。
誤りだったわけではない。最初の目的はジギワルドが思う通りのことだった。ただ、ヴォルフリックへの評価がディアークの中で変わっていく様子に気付けなかっただけだ。
「いかが致しますか?」
「そうだね……まずは話す機会を増やすくらいしかないのではないかな? 我々は彼のことをよく分かっていないようだ」
オトフリートに付くくらいであれば消してしまえ、なんてことはジギワルドは言わない。彼の性格は基本、陽であるので、そういう発想に頭がいかないのだ。では汚れ仕事はジギワルドの知らないところで部下が、とも今のところはならない。そんな真似をしても、すぐにアルカナ傭兵団幹部に真実を暴かれてしまう。彼らはそう考えている。
ジギワルドはディアークを、部下たちはアルカナ傭兵団幹部を出し抜こうという考えを持たない。こんなところがディアークが彼らを物足りなく感じる点のひとつであることが分かっていない。ヴォルフリックに支えさせれば、オトフリートは上手くやれるかもしれないと考える理由のひとつであることが分かっていないのだ。
◆◆◆
ヴォルフリックとブランドの日常は、感謝祭明けであっても、ほぼ変わらない。街にある黒狼団の食堂に行っている時間が出来た以外は、いつもと同じように朝から晩まで鍛錬だ。感謝祭明け四日目になって、実家で過ごしていたクローヴィスとセーレンも鍛錬に加わるようになってからは、外に出るのに要する時間はあっても食事そのものの時間は最低限となって、鍛錬時間も普段と変わらないものになっている。
これで充分なんてことは彼らにはない。クローヴィスとセーレンは基礎を身につけるのにまだまだ時間が必要だ。ヴォルフリックとブランドも、現時点ではディアークに遠く及ばないことが分かっており、強くなるための努力はいくら行っても満足することはないのだ。
そんな彼らの日常が、今日は違うものになっていた。セーレンの父、力のテレルが鍛錬場に現れたことによって。
「……今、なんて?」
やや呆然とした表情でセーレンは父親に聞き返した。
「俺から一本でも取れたなら、従士になることを認めてやる」
「本当に?」
「こんなことで嘘は言わない。言う必要もない」
従士になるのを許すと言ったわけではない。テレルは自分から一本取れたらという条件を出したのだ。世話係に過ぎないセーレンが、上級騎士である自分に立ち合いで勝てたらという、まず実現することはない条件を。
「……分かった。やる」
容易ではないことは分かっている。それでもこれまでまったく受け入れる余地のなかった父親が認めてくれる機会。挑戦する以外の選択はセーレンにはない。
「じゃあ、審判は俺がやってやろう」
「駄目だ」
「はっ?」
審判を買って出たヴォルフリックに向かって、間髪入れずに拒絶を告げたテレル。
「お前の審判は信用出来ない」
「ひどい……」
テレルの言葉に落ち込む、振りをするヴォルフリック。内心では、魂胆を見透かされたことを悔しがっていた。
「では私が審判を務めましょう」
ヴォルフリックに続いて審判を買って出たのは、アーテルハイドだった。彼だけではない。ディアークも、ルイーサにトゥナもいる。アルカナ傭兵団の幹部が勢ぞろいというところだ。
「暇なのか?」
「休日返上で打ち合わせを行っていて、さっき終わったところだ」
ヴォルフリックの嫌味に、ディアークは事実で答える。気分転換の意味はあるが、暇つぶしというわけではない。
「すぐに始めますか?」
これを言うアーテルハイドはすでに審判の位置についている。テレルには準備など必要がない。実力差が大きいことは明らかなのだ。
「ああ、問題ない」
「……私も」
セーレンは、すでに充分以上に体は温まっている。立ち合いの開始を遅らせる理由はない。アーテルハイドを挟んで向かい合うセーレンとテレル。それと同時にヴォルフリックとブランドも動き出していた。それぞれ向かい合う二人の右横に、立ち合いの邪魔にならないように距離を空けて立っている。それを見てクローヴィスも、セーレンの左側に立った。
「……始め!」
その様子に苦笑いを浮かべながら、アーテルハイドは立ち合いの開始を告げる。
合図と同時に動いたのはセーレン。一気に間合いを詰めると上段に構えた剣を振り下ろす。それを片手で握った剣で振り払うテレル。はじき返された剣を引き戻し、前に突き出すセーレン。だがそれもテレルの体に届くことなく、振り払われる。弾き飛ばされた剣が地面を転がっていく。
「勝者、テレル!」
テレルの剣がセーレンの肩口に当てられて、勝負は決した。
「……自分の実力を思い知ったか?」
テレルはセーレンの攻撃を片手で振り払うだけ。ほとんど動くこともなかった。セーレンが一本を奪うことなど不可能だ。それは誰の目にも明らかであるはずなのだが。
「ちょっと工夫が足りないな。次は頑張れ」
「……分かった」
ヴォルフリックから渡された剣を構えるセーレン。これで終わるつもりは、彼女にはない。ヴォルフリックも終わりだとは思っていない。
「……始め!」
二本目が開始された。
大きく踏み込んで間合いを詰めるセーレン。剣を斜め下から切り上げると同時に、その体が回転しながら宙に跳ぶ。その勢いのままに頭上から剣を振り下ろしていった。ヴォルフリックがディアークとの対戦で見せたのと同じ動きだ。
だがその剣も、テレルに両手を使わせることには成功したものの、受け止められて、体ごと弾き飛ばされる。
「……セーレンさんの持ち味は力? 父親がそうだからといって、同じである必要はない」
「……そうね」
ヴォルフリックよりもずっと体の軽いセーレンが、テレルを力で押し切れるはずがない。
三本目。セーレンは一撃で勝負を決めるのではなく、手数で圧倒することを選んだ。だがその手数でも、片手で剣を振りまわすテレルを超えることが出来ない。
四本目。フェイントをいれて、テレルを惑わそうとするが、それも通用しない。逆にそれで出来た隙をテレルに突かれて、地面を転がることになった。
「……大丈夫か?」
「……へ、平気。次は?」
「……中途半端は通用しない。もっと速く、もっと強く」
「いい加減にしろ! もう分かっただろ!? 何度やっても無駄だ!」
セーレンに助言しようとするヴォルフリックを怒鳴りつけるテレル。何を助言されてもテレルが不覚を取ることはない。基礎の能力が違い過ぎて、戦い方を工夫してどうにかなるものではないのだ。
「……何度やっても無駄?」
「ああ、そうだ。娘が俺に勝てる可能性はない」
「可能性はある。今、勝てないからといって、それが永遠であるわけじゃない。彼女が努力を続ける限り、いつか勝てる日は来る」
可能性がないなんて言葉を認めるわけにはいかない。それはセーレンの、自分たちの努力を否定することになってしまう。
「それはいつの話だ? お前は娘に何年も報われない努力を続けろと言うのか?」
「彼女はすでに続けている」
「なんだと?」
「父親に認められていないのに、彼女はずっと努力を続けてきた。その努力を、片手にも足りない立ち合いの結果で否定されて堪るか」
「…………」
セーレンはずっと諦めないで強くなろうとしてきた。自分が男の子でないことに父親が失望していることを知ったあとも。それでも強くなって、従士として父親と一緒に戦うのだと決めたことを拒絶されたあとも。
ヴォルフリックが求めているのではない。セーレンが自分自身の意思で努力を続けているのだ。
「……今日はどうやら無理だ。でもせめて、この先の為の何かを見つけよう。今の自分の全てを向けてみよう」
黙り込んでしまったテレルから視線を外し、セーレンに向けて、これを告げるヴォルフリック。
「……分かった」
大きく頷いて前に進み出るセーレン。一度深呼吸をして、構えを取る。もともとそれほど大きくない体を小さく丸めて、低く、地を這うかと思うほどに低く構える。
それを見てテレルも構えをとった。両足をこれまでよりも大きく広げて、両手で剣を中段に構える。
「……始め!」
アーテルハイドの始めの声。その声が耳に届くのに、わずかに遅れて衝撃音が響く。セーレンの体が一瞬でテレルの足元に移動する。地を這う剣。甲高い金属音が響き渡った。
「うぉおおおおっ!」
テレルの雄たけび。受け止めた剣を、セーレンごと力で押し返してしまう。テレルの頭よりも高く吹き飛ばされたセーレン。その体が地面に落ちる前にヴォルフリックは受け止めた。
五本目もセーレンの攻撃がテレルに届くことはなかったのだが。
「…………」
自分の足元に目を向けるテレル。地面をえぐる足跡が、わずかではあるが、目に映った。自分の足をはみ出している足跡を見て、テレルは大きくため息をつく。
「……もう良い」
また立ち合いを始めようとするセーレンに、テレルは終わりを告げた。
「私はまだ戦えます」
「そうではない。もう分かったと言っているのだ」
「分かった……?」
父親の言葉の意味。セーレンは心の中に膨らむ期待を、無理やり押し込もうとしている。期待が裏切られるのが怖いのだ。
「従士になりたければなれ。許してやる」
「……本当に?」
はっきりと言葉にされた許可。それでもこんな問いをセーレンは返してしまう。
「本当だ。団長が証人だ。これ以上、信じられる証人はいないだろ?」
「……あ、ありがとう……ありがとうございます! やったぁーーー!!」
ようやく実感がわいて、喜びを爆発させるセーレン。その彼女にヴォルフリックが、クローヴィスもブランドもお祝いの言葉を伝えていく。
「……愚者」
「ん?」
「……娘を頼む」
誰の従士でも良いわけではない。ヴォルフリックであれば。テレルにはそういう思いがあるのだ。
「……い、いや、それは、ちょっと。そこまでの責任は取れない」
「……はっ?」
だがその思いはヴォルフリックには届かなかった。
「お互いの気持ちもあるし。セーレンさんは俺のことを好きではないと思う。俺も……その……結婚するなら……」
「誰が結婚を許すか!? とくにお前はない! お前だけは絶・対・にない!」
「……あっ、仲間として?」
「当たり前だ!」
当たり前。テレルに同調する声が愚者のメンバーたちからも聞こえてくる。この状況で結婚の話になるはずがない。ヴォルフリックのあり得ない勘違いをからかうブランド。それにクローヴィスと当人であるセーレンも加わった。
それを見て、もう自分の出番はないとその場を離れるテレル。
「……本当に良いのか?」
そのテレルにディアークが声を掛けてきた。
「戦うのなら愚者のもとで。そう思った」
「そうか……」
世話係のままであれば戦いに参加することはない。これをディアークは口にしなかった。人に言われるまでもなく、テレルは分かっている。それでも従士になることを認めたのは、セーレンが諦めることはないと分かったから。いつかは従士になる時が来る。そうであるならヴォルフリックと共に戦わせたい。信頼出来る仲間と戦わせてやりたい。そう考えたからだとディアークは思った。