傭兵団施設の食堂。今日のその場所はいつもとは違う騒がしさ。多くの騎士や従士が興奮した様子で大声で語り合っている。感謝祭を間近に控えて皆が浮かれているから、ではない。彼らの興奮は喜びから生まれたものではなく、その逆。初めて見た武器に恐れを抱いてのことなのだ。
ベルクムント王国と繋がっている疑いのあるノイエラグーネ王国の調査に赴いていた隠者ルーカスは、ディアークの期待に応える働きを見せた。ノイエラグーネ王国の騎士団長が隠し持っていた火薬を見つけ出し、それを持ち帰ってきたのだ。さすがに全てではない。火薬が入った箱を二箱。それ以外は全て火をつけて吹き飛ばした。ノイエラグーネ王国騎士団長と共に。
その持ち帰った火薬、ひょうたんに火薬を詰めた武器の威力を今日、実際に試してみたのだ。多くの騎士、従士が見守る中でそれは行われた。どのようなものか知っておくことで、敵に使われた時の動揺を少しは押さえられるだろうという考えで、傭兵団だけでなく両騎士団の騎士たちの見学も許可されたのだ。
多くの人が集まった屋外鍛錬場。その実験にはヴォルフリックも駆り出された。爆発の威力を知っているのは任務に参加した愚者、太陽、月の三チーム。その中でもっとも詳しいと思われたのがヴォルフリックだったのだ。
ヴォルフリックの意見を参考にして、危険地帯が決められる。人々はその円の外で見学することになる。それが済んだところで実際の爆破。円の中央に置かれたひょうたん型火薬武器に火をつけるのもヴォルフリックの役目。
そんなことに自分の炎を使わせられることになり、実に不満そうな顔を見せながらもヴォルフリックは炎を放つ。ひょうたんの口から伸びる導火線に火が付き、それは爆発した。
轟音と爆風に驚いた人々。食堂が騒がしいのは、それについて語っているからだ。敵の新兵器は味方の脅威。それにどう対応するべきか、答えの出ない議論が続いていた。
「……騒がしい。ゆっくりと食事を楽しめないじゃないか」
それにヴォルフリックは文句を言っている。朝から晩までスケジュールを詰め込んでいるヴォルフリックにとって、食事の時間は気持ちを休める時間。その時間を邪魔されるのが気に入らないのだ。
「いや、それは仕方がないでしょう? あれを見て、落ち着いて食事をしているほうが異常です」
「俺は落ち着ているけど?」
「我々はすでに見ていました」
「まあ、そうだけど」
任務で初めて見た時も、ヴォルフリックは動揺していない。ただ、それも事前に知識としてあったからだと言われれば反論出来ない。クローヴィスの言い分を受け入れることにした。
「実際問題、あれにどう対抗すれば良いのでしょうか?」
クローヴィスも他のテーブルと同じように火薬について議論したいのだ。
「……これだって爆発するのだろ? いっぱい作ってもらえば良い」
足をあげてこれを言うヴォルフリック。あげた足には逃走防止の魔道具がはまっている。逃走防止用魔道具も爆発するという点では火薬と同じ。たくさん作って対抗すれば良いとヴォルフリックは考えた。
「魔道具はそれほど数を作れません。素材が貴重である上に、作成も大変なのです」
「あのクソ爺を死ぬほど働かせればいい」
自分を騙して逃走防止用魔道具をつけた魔術師エアカードは、ヴォルフリックにとってクソ爺だ。そのクソ爺を酷使することに対して、心を痛めることなどない。
「特殊能力があれば何でも出来るわけではありませんから」
「出た」
「何が出たのですか?」
「神意のタロッカが揃えれば何でも願いが叶うなんて夢物語を信じているくせに、特殊能力は万能ではないと言う。おかしいだろ?」
「おかしくはありません。神意のタロッカと特殊能力の限界は別の話です」
クローヴィスにとってはまったく矛盾していない。別問題という認識だ。
「神様のカードが認めた特殊能力に欠陥がある。おかしいだろ? それともお前は神様は万能ではないと言うのか?」
ヴォルフリックはクローヴィスのように考えない。神意のタロッカを信じていないので、それを否定する考えが生まれるのだ。
「それは……そうは言いませんが……」
神様は万能ではないと言えば、その万能ではない神様が作ったカードを何故、信じられると言われるに決まっている。こういう時のヴォルフリックの問いには議論の罠が含まれていることをクローヴィスは、もう理解している。
「真面目な話、不思議だ。どうして信じられる?」
「どうしてって、貴方だってカードの不思議さは目の当たりにしたはずです」
ヴォルフリックはカードに選ばれている。何度引いても愚者のカードしか出なかったのだ。
「それと願いが叶うは別。それともカードを集めて願いを叶えた人を知っているのか?」
「……知りませんけど」
「俺だって何の根拠もなく否定しているわけじゃない。疑問点があってのことだ。一つは今のこと。神意のタロッカに願いを叶えてもらった人の話なんて聞いたことがない」
火薬はどうでも良いのだが、神意のタロッカについては議論する気がヴォルフリックにもある。ずっと疑問に思っていたことを話したいのだ。
「それは公になっていないだけではないですか?」
「神様にしか叶えられない願いが叶ったのに?」
それはとんでもないことであるはず。神の奇跡が起きたというのに、それに誰も気づかないなんてことがあるのかとヴォルフリックは考えているのだ。
「……人には言えない願いだってあるはずです」
「じゃあ、もう一つ。なんで人々は神意のタロッカを奪い合わない? 神意のタロッカの存在を俺はここに来て、始めて聞いた」
本当に何でも願いが叶うなら、多くの人がそれを求めているはず。だが神意のタロッカの話をヴォルフリックは、この国よりずっと大国であり、人の行き来も比べものにならないほど多いベルクムント王国の都で聞いたことがない。
「それは……知る人ぞ知る情報だからで……」
「ドラゴンボールは皆知っているけど?」
「何ですか、それ?」
「何だろう? とにかく、過去に神意のタロッカが願いを叶えたという証拠がない。それに条件である特殊能力保有者だって、もっと重宝されているはずだ。俺が調べた限り、特殊能力保有者とそうでない者との争いはあっても大切にされていたという記録はない」
「そんなこと、どこで調べたのですか?」
特殊能力保有者とそうでない人々の争いの記録など、どこにあったのか。それをヴォルフリックはどうやって見ることが出来たのか、クローヴィスは不思議だった。
「ここで」
「はっ?」
「王国騎士団の書庫に、結構な数あったけど?」
「この国にそんな資料があるのですか……」
「知らなかったのか……何のためだろうな? クズ王が傭兵団をいつか倒してやろうとでも思って、集めていたのかもな」
アルカナ傭兵団に関わりを持つ者であれば、知っていてもおかしくない。過去の争いの歴史は知っておくべきだとヴォルフリックは思う。てっきり資料があるのはその為だと思っていたのだがクローヴィスは資料の存在も知らなかった。彼が特殊能力保有者でないからだとはヴォルフリックは思わない。彼の父親は特殊能力保有者であり、アルカナ傭兵団の幹部なのだ。
「……あり得るかもしれないですね」
「特殊能力保有者がどこかの国に集まったという記録も見つからなかった。だから……あれ?」
「どうかしたのですか?」
「どうして二大国は特殊能力保有者を集めないのだろう? 実際はいるのか?」
アルカナ傭兵団に対抗する為に、二大国は何故、特殊能力保有者を集めないのか。待遇であれば遥かに良いものを用意出来るはずだ。
「……どうでしょう? 私も知りません」
「火薬よりもそれのほうが脅威じゃないか? でも、ベルクムント王国でそういう噂を聞いたことないな……」
ベルクムント王国で特殊能力保有者の噂をヴォルフリックは聞いたことがない。貧民街と歓楽街の裏社会では届く情報に限りがあるが、それ以外の情報ルート、不正役人や不正軍人がそれだが、を黒狼団は持っていた。火薬についての情報もそこから入手したのだ。
「では、いないのではないですか?」
「お前さあ、火薬については神経質になって、どうして敵の特殊能力保有者にはそんなに無頓着なの?」
「特殊能力は絶対的なものではない。そう考えられるようになったからです」
「……確かに」
クローヴィスの言葉は、もともとヴォルフリックの考え方。それを言われれば納得するしかない。
「貴方こそ、どうしてそこまで火薬に無頓着なのですか?」
「怖くないから。火薬の対処方法はもうある。敵が爆発させる前に爆発させてしまえば良い」
任務でそれが分かった。対処方法が見つかれば、あとはそれをどう戦い方に組み込むか。そこまで来ていれば、ヴォルフリックにとっては恐れよりも楽しみのほうが上回るのだ。
「……それで助かるのは貴方だけですよね?」
「俺の炎は俺と俺の仲間は傷つけない。お前が俺の仲間であれば大丈夫だ」
「ちなみに仲間かそうでないかは、どう決めるのですか?」
「……多分、俺かな?」
「私の問題ではなく、貴方の気持ち次第ってことじゃないですか!?」
実際にはヴォルフリックの気持ちが全てではない。ただそれはヴォルフリック自身にも分からないことなのだ。
◆◆◆
ベルクムント王国の王城では恒例の舞踏会が開かれている。毎年、感謝祭前に行われる、王室主催の舞踏会としては最大規模のものだ。表御殿にある四つの大広間を使うだけでなく、その前に広がる庭園まで開放して行われる大舞踏会。王家は勢ぞろい。貴族家とそれに従う騎士家などの関係者、大商家等の有力者、その他著名人が集い、参加者の数は三千を軽く超える。
それだけの客を迎える王家の側は大変だ。王家と有力貴族家だけが入室を許される一番奥の大広間で、ただ飲食やダンスを楽しんでいるというわけにはいかない。ホストとして、手分けして会場中を回り、出来るだけ多くの人々と挨拶を交わさなければならないのだ。
カタリーナ王女もその責任を負わされた一人。経験を積めば皆、ある程度は慣れるものであるが、彼女が年末の大舞踏会に参加するのは、これが初めてのこと。何度も続く見知らぬ人との会話に、すっかり疲れてしまっていた。
彼女に仕えている人々も、そうなることは分かっている。そもそも本番前に、自分が担当する人の名前とその人との会話で使うネタを覚えることで、すでに疲れてしまっているのだ。
会場の隅にある、目立たないように周囲を仕切られている休憩所に向かうカタリーナ王女と御付きの侍女。広い会場の中に数か所、そういう場所が用意されている。わざわざ休憩の為に表御殿の奥に戻る手間と時間を省くためだ。
「飲み物はいかがいたしますか?」
「そうね。欲しいわ」
「では取ってきます。すぐに戻ってまいりますので」
飲み物を取りに行った侍女を見送って、一人で休憩所に入るカタリーナ王女。置かれていた椅子に座って、大きくため息をついた。
「……疲れた」
「広すぎる会場ですから」
「えっ?」
独り言に対して、返ってくるはずのない言葉が返ってきた。それに驚いてカタリーナ王女が声のしたほうに視線を向けるとそこには黒い、所々銀糸で縁取られた騎士服を着た若い男が立っていた。金色の髪を後ろに撫でつけた、切れ長の青い瞳の若い騎士。美男子と評して間違いのない騎士だ。
「広すぎて会場を歩いているだけで疲れますよね?」
「え、ええ」
「私はこういう会が初めてで、慣れていないこともあるのかもしれません。見知らぬ人と挨拶することにさえ、疲れてしまいます」
「私もです」
共感できる言葉が相手の口から出てきたことで、貴方は誰で何故ここにいるのかと誰何することを忘れて、普通に会話を続けるカタリーナ王女。
「私とのこれも疲れますか?」
さらに、悪戯っ子ぽい笑みを浮かべて問い掛けてくる騎士。
「……いえ。疲れるという思いは湧きません」
年齢が近いからか、相手にそれほど畏まったところがないからか、カタリーナ王女も彼との会話は疲れるとは感じない。
「それは良かった。私もです。貴女とこうしてお話をしていると何故だか、ホッとします。同志を見つけた感覚でしょうか?」
「そうかもしれませんね?」
カタリーナ王女の顔にも笑みが浮かぶ。これまで顔に張りつけていた笑みではなく、自然な笑みだ。
「私の名はカーロです。貴女は?」
「私は……リーナと申します」
相手は自分が何者か分かっていない。王女だと分かってしまうと態度を変えてしまうかもしれない。そんな風に思ったカタリーナ王女は、嘘の名前を教えてしまう。
「リーナ殿ですか……可愛らしいお名前ですね、なんて言うと気障ですか? あっ、いえ、これは作った態度ではなく、本気でそう思ったから口にしたことなのですが……」
自分が発した言葉に照れている騎士。そんな態度もカタリーナ王女の心を和ませるものだ。
「カーロ殿はどちらかにお仕えしている騎士なのですか?」
「はい。ヴァルツァー伯爵家に仕えています。最近仕え始めたばかりで、挨拶も兼ねて連れてこられました」
実際は連れてこられたのではなく、強く求めて付いてきたのだが、それは言う必要のないことだ。
「そうでしたか……伯爵のお側にいなくて大丈夫なのですか?」
「お許しは得ています。ここから先は新任騎士の出番はないとのことですので、こうして自由にさせてもらっているのです」
これは事実。ヴァルツァー伯爵としては秘密を知るカーロに、ずっと側にいて欲しくない。王家や国中の貴族家が集まるこんな場で、趣味を暴露されては身の破滅になってしまう。
「あの……実は」
咄嗟に偽名を使ったものの、自分が王女であることはすぐにバレる。そう考えて真実を告げようとしたカタリーナ王女であったが。
「王女殿下。入ります」
その前に侍女が戻ってきてしまった。これで嘘をついたことが分かってしまう。カタリーナ王女はそう思ったのだが。
「こちらへ」
「えっ……?」
カーロに腕を引かれて、奥に連れていかれてしまう。
「王女殿下? 入りますがよろしいですか?」
カタリーナ王女の返事がないことに戸惑っている侍女。
「……ここは王女殿下の為の場所だったようですね?」
その侍女に聞こえないようにカーロは、カタリーナ王女の耳元で語りかけている。
「そ、そうですね」
それに対して、また嘘、とまでは言わないが、真実を告げることをしないカタリーナ王女。
「罰せられてしまうのかな? 仕え始めたばかりなのに……困ったな」
「……大丈夫です。王女殿下とは知り合いですので、私のほうから話をしておきます」
「そうなのですか? そうか……良かった。ありがとうございます」
カタリーナ王女に頭を下げるカーロ。心の中では、本気で頭を下げたい気持ちが少し湧いてきていた。
「では……また機会があれば」
「ええ。是非」
カーロから離れて、仕切りの外に出るカタリーナ王女。侍女との会話は小さくてよく聞こえないが、彼女がなんとか誤魔化そうとしているのは分かる。
「……思っていたよりも良い人だな」
大国の王女など高慢ちきな嫌な女だと思っていた。だが実際に言葉を交わしたカタリーナ王女は、美女とは称されないだろうが、愛嬌のある可愛い顔をした普通の女の子。その女の子を騙していることに少し胸が痛んだカーロだった。
だからといってこれで終わらすわけにはいかない。カーロには他人を傷つけでも守りたい大切なものがあるのだ。休憩所を出て、会場の出口に向かう。カタリーナ王女との接触に成功したことで、もう舞踏会に用はないのだ。
華やかな衣装を着た集団が、カーロとは逆に会場に入ってきた。舞踏会を盛り上げる為に呼ばれた歌劇団であることはすぐに分かった。露出の多い衣装を着た美しい女性たち。その中でも一際目を引く色気のある美女とカーロの視線が交差する。だがそれだけだ。言葉を交わすことはない。
カーロ、そしてヘルツも、それぞれ自分のやるべきことをやるだけ。来たるべき時が来るまでは赤の他人なのだ。