イーストエンド侯爵家本軍の救援の為に編制された軍勢は、魔王である優斗が自ら率いる軍勢による奇襲を受けて、崩壊した。指揮官であるチャールズの安否は不明。陣を逃れたのは間違いないが、その後の消息は、現時点においては、明らかになっていない。
この報告を受けたイーストエンド侯爵は、自分たちがまんまと敵の策略に嵌ってしまっていたことを知った。今更だ。彼の選択肢は大きく三つ。一つは引き返して本軍に合流し、戦いを続けるというもの。もう一つはこのまま先に進み、優斗率いる魔王軍と戦うという選択。そして三つ目は、戦いを放棄して王都に向かうというもの。
だがどの選択を選ぶこともイーストエンド侯爵は許してもらえなかった。彼が決断するより前に戦いが始まってしまったのだ。もっとも望ましくない形で。
本軍から分かれたイーストエンド侯爵率いる別動隊はこれまでよりも少ない数で、優斗と傭兵たちが合流した魔王軍と戦うことになったのだ。一気にケリをつけようとする魔王軍と本隊が現れるまで、なんとかしのごうと考えているイーストエンド侯爵家軍。激しい戦いが繰り広げられている。
「右から敵! 攻撃を集中させて!」
クラウディアもただ同行しているだけではいられない。魔法部隊を率いて戦いに参加している。
「焦らないで! 一人一人確実に!」
攻撃を集中させて、一人一人確実に倒すように指示を出すクラウディア。魔族の魔法攻撃への耐性は強い。中途半端な攻撃では倒せないことを彼女は知っているのだ。
「左! 意識を集中させて! 確実に当てるの!」
一つ一つは致命傷を与えられなくても数を、同時に命中させることが出来れば倒せる。その実現を支えているのもクラウディア。彼女は自らも魔法で攻撃している。倒すことが目的ではない。複数の魔族が部隊に近づかないようにするのが目的だ。
クラウディアの魔法は他の人よりは一段も二段も上。一撃で倒すほどの威力ではないが、ダメージを与えるくらいの威力はある。
「……自らの手で殺さなければそれで許さると思っているのか?」
だがクラウディアの魔法でも充分にダメージを与えられない相手もいる。
「……ライアンさん」
クラウディアの目の前に現れたのはライアンだった。クラウディアの部隊はイーストエンド侯爵家軍の中で、組織立って抵抗を続けている数少ない部隊のひとつ。魔王軍の主力であるライアンの気を引くのも当然だ。
「知らない仲ではないのでな。ある程度は目をつむってやっていたが、さすがに目障りになってきた。ここからは昔馴染みではなく、敵として扱ってやる」
「…………」
それはつまり、ライアンは自分を殺すつもりだということ。当たり前のことだが、こうして宣言されるとクラウディアも動揺しないではいられない。
「姫の敵は私の敵。これを分かっていての台詞でしょうね?」
そのクラウディアの前に現れたのはヴラドだ。クラウディアを隠すようにして、ライアンの前に立ち塞がった。
「邪魔するつもりか?」
「姫を守ることは私にとっての最優先事項。貴方の邪魔になろうと関係ありません。仮に契約違反だとしても引くつもりはありません」
クラウディアを守ることがライアンの戦いの邪魔をすることになり、それをなんらかの契約違反と判定されて、世界に咎められるかもしれない。だがヴラドにそれを恐れる気持ちはない。クラウディアを見捨てるなんて選択はないのだ。
「……子供の頃のじゃれ合いとは違うのだぞ?」
子供の頃から二人は同じ時間を過ごしてきた。亡くなった二人、そして前魔王とずっと一緒だったのだ。
「分かっていますよ」
「そうか……では仕方ないな」
敵として立つというのであれば、戦うしかない。ライアンはこう割り切って、戦闘モードに入った。ヴラドも同じ。向かい合った二人は常人では視認するのも難しい、激しい戦いを開始した。
クラウディアにはどうしようもない。ただ戦いの成り行きを見守るしかない。出来れば二人とも無事で戦いが終わるという都合の良すぎる結果になることを願って。
「……へえ。こんな良い女が敵にいたなんて。今日はついているな」
だがそこに最悪の邪魔が入る。目を細めてクラウディアを見ている優斗。彼もまた抵抗を続けている部隊を気にして、近づいてきていたのだ。
「出来れば手荒な真似はしたくない。どう? 僕と一緒に来ない?」
「……断るわ」
「その選択はないな。君は僕の物になる。これはもう決まったことだ。いや、きっと僕がこの世界に来る前から決まっていたことだね」
クラウディアを勝手に自分の運命の人にする優斗。半分は本気だ。クラウディアのような美しい人と出会うのは転生者である自分にとって必然。勇者から魔王に変わっても、この意識に変化はないのだ。
「それはあり得ませんね」
優斗はライアンよりもは遥かに危険な存在。そんな彼をクラウディアに近づけるわけにはいかない。
「……なんだ、お前? 人族じゃないな?」
「私が何者であろうと貴方には関係ありません」
「ああ、何者であろうと関係ない! 邪魔する奴は殺すだけだ!」
ヴラドに襲い掛かる優斗。閃光のようにしか見えないその攻撃をヴラドは躱してみせる。
「……面倒そうだな。おい! その女を捕まえておけ!」
戦いは長引くと判断した優斗はクラウディアを捕らえるように周囲に指示を出す。それに応えて、真っ先に動き出したのは元傭兵たちだ。
「独り占めかな……そうだろうな」
「飽きたら回してもらえるかもよ? これまでだってそうだっただろ?」
「こんな美人飽きるのか?」
「どんな美人だって散々楽しんだあとは飽きる。男なんてそういうものだ」
「じゃあ、楽しみに待つか」
下卑た笑みを浮かべながらクラウディアに近づいていく男たち。ただ彼女も無抵抗で捕まるつもりはない。
「ぐあっ!」
無詠唱で放たれた魔法が男の一人を打ち倒す。
「……この女。気を付けろ! 面倒な魔法を使うぞ!」
だからといってクラウディアの捕獲を諦める男たちではない。ここは戦場。仲間が、場合によっては自分が命を落とすことは当たり前にある。一人倒されたからといって怯えてはいられない。
警戒を強めて、クラウディアに近づく男たち。魔法で抵抗するクラウディアだが、包囲は少しずつ、確実に縮まっていく。
「させません!」
「それはこっちの台詞だ!」
包囲を崩そうと動き出したヴラドだが、優斗がそれを許さない。ヴラドの動きに付いて行けるだけの力が彼にはあった。
「ライアン! 見てないで手伝え! これもパルス王国との戦いだろ!?」
ヴラドが優斗との戦いを始めたことで傍観者となっていたライアンに、参戦を求める優斗。
「……どちらの戦いのことだ?」
パルス王国との戦いだと言われてしまうとライアンも無視できない。協力を約束しているのだ。
「どっちでも良い! とにかく女を捕まえろ!」
「だからそれはさせません!」
「じゃあ、俺が女をやる!」
なんとか阻止しようとするヴラドだが、優斗とライアンの二人を止めることはさすがに出来ない。戦闘力を単純に比較すれば、劣るくらいなのだ。
クラウディアに迫る優斗。彼女が放つ魔法も優斗を傷つけることは出来ない。それだけ力の差があるのだ。
「大人しく俺に従え!」
「誰が従うか。バーカ!」
「何……?」
クラウディアを捕まえようと伸ばした腕に向かって振るわれた剣。咄嗟に腕をひっこめた優斗に向かって、さらに剣が振るわれる。それを避けようと大きく後ろに飛んだ優斗。視線の先には、黒光りする剣を抱えた男が立っていた。
「誰だ、お前?」
「名乗るほどの者――」
「ヒューガ!?」
優斗が認識していないのを良いことに素性を誤魔化そうとしたヒューガだったが、クラウディアの声がそれの邪魔をした。
「ヒューガ? えっ? ヒューガって、あの日向か?」
「さあ? あの日向ってのが分からないから」
「一緒に転移してきた日向、確か……そうだ。黒島日向だろ?」
「……そんな名前だったこともあったかな?」
しらばっくれることに意味はないのだが、素直に認めることに何となく抵抗感を覚えるヒューガだった。
「……何故、邪魔をする?」
「戦いの邪魔をするつもりはない。俺はただ彼女を止めにきただけだ」
「その女と知り合いなのか?」
「そうじゃなければここにはいない。とにかくパルス王国との戦いは勝手にやってくれ。俺は彼女を連れて、ここを去る」
ヒューガの目的はクラウディアを止めること。魔族との戦いを止めさせることだ。実際にはやや手遅れではあるのだは、それでもこれ以上、戦わせたくない。優斗が絡んでいれば尚更だ。
「それは許せないな」
「お前の許しは必要ないと思うけど?」
「……彼女を置いて消えろ。そうすれば同じ異世界人としての情けで命は助けてやる」
情けなどではない。ヒューガにクラウディアを見捨てさせようとしているだけだ。二人の関係を妬んで、クラウディアにヒューガの情けないところを見せようとしているのだ。
「それはつまり、お前は俺の敵になるということか?」
「敵? 僕と対等なつもりか?」
「対等なつもりはないな。お前みたいなクズと同等に見られたくない」
ヒューガの侮辱に応えたのは優斗の剣。ヒューガの首を狙って振るわれた剣は、空を斬ることになった。
「少しは出来るようになったようだね?」
「これで? この程度で褒められるとは思わなかった」
「……貴様」
ヒューガの挑発に優斗は気持ちを抑えられない。肥大したプライドが自らを貶める他者の言動を許せないのだ。ヒューガに向けて物凄い勢いで剣を振るう優斗。だがその剣はヒューガに届かない。その事実がますます優斗のプライドを刺激する。
「周りを囲め! 嬲り殺しにしてやる!」
元傭兵たちに指示を出す優斗。一対一で正々堂々となんて考えは優斗からは消えている。いかに凄惨に、惨めに殺すか。このほうが優斗にとっては重要なのだ。
ヒューガを包囲しようと動き出す男たち。その輪が完全に閉じる前に、黒い大きな影が飛び込んできた。
「うわっ!」
「なんだ!?」
「がはっ!」
包囲の輪を作ろうとしていた男たちの体を吹き飛ばす巨大な生き物はホーホー。エアルが乗るホーンホースだ。
突然の乱入に混乱する男たち。その男たちに向かって、ヒューガの剣が振るわれる。優斗に比べて大きく技量に劣る男たちでは、ヒューガの攻撃を避け切れない。エアルの攻撃もあって、男たちは次々と地に倒れていった。
「ライアン!」
元傭兵たちではヒューガは抑えられない。そう考えた優斗はライアンの名を呼ぶが。
「それは私闘だ。俺が協力する戦いではない」
「なんだって?」
「その男が望む通りに女を渡して、この場を去らせろ。それで事は終わる」
ライアンはヒューガと優斗の争いを私闘と位置付けた。そうでないとヒューガと戦うことになる。大森林の王であるヒューガと戦うことがどう判定されるのか、エルフ族と魔族との契約と優斗と自分との個人的な契約のどちらが優先されるか分からないのだ。
はっきりさせる方法はある。ヒューガが優斗に対して行ったように、敵として位置付けること。だがヒューガがそれに乗るはずがなく、ライアン自身も積極的にそれを行う気になれない。
「その女は僕の物だ。渡すつもりはない!」
ライアンが頼りにならないとみて、また自らの手でヒューガを殺そうと動き出す優斗。
「私も貴方にヒューガを殺させるつもりはないわ」
その剣を遮ったのはエアルだった。
「お前……何だ!? 何なんだ一体!?」
エアルの顔を間近で見て、さらにヒューガへの怒りを強める優斗。美しい女性は全て自分の物。そうであるはずなのに、ヒューガの周りに二人も、これまで会った中でも最高クラスの女性がいることが納得出来ないのだ。
勝手な思い込み。だが今、優斗を動かしているのは自分の思い通りにならないこの世界への怒り。彼にとっては大切なことなのだ。
「うぉおおおおっ!!」
雄たけびをあげながらヒューガに襲い掛かる優斗。さらに鋭さを増した攻撃にヒューガは防戦一方。もともと自分が得意な守りに徹することで凌いできたヒューガだ。反撃の隙は簡単に見つけられるものではない。
「エアル! ディアを!」
「でも……」
優斗を止められている間にクラウディアを逃がす。こう考えたヒューガだが、彼が厳しい戦いを強いられている状況で、その側を離れることにエアルは躊躇いを覚えてしまう。
「急げ! 俺一人のほうがなんとかなる!」
「……分かったわ。すぐに戻るから!」
クラウディアを戦場から逃がすことが出来れば、それでヒューガに戦う理由はなくなる。それを理解したエアルは、クラウディアを半ば強引にホーホーの上に引き上げて、全力で駆けさせた。クラウディアの抵抗も自分がこの場にいる限り、ヒューガも動けないのだという事情を理解して、すぐに止む。
「恰好つけて。まあ、良い。お前をなぶり殺しにしてから彼女たちを狩ってやる。それもまた楽しそうだ」
「凄いな。初めてお前を認める気になった」
「はあ?」
「すごいクズっぷりだ。ここまでのクズは全世界を見渡してもまずいない。お前のそのクズさ加減は歴史に名を残すレベルだな」
「……クズだろうが何だろうが、人に舐められるよりはマシだね。僕は僕を馬鹿にした奴らを決して許さない。お前もだ」
自分を騙し、表向きは持ち上げておいて、裏では嘲り笑っていた者たちを優斗は許せない。どれだけ悪党に思われようが、かつて味わった屈辱を二度と経験したくない。
「その考えは認める。そこに自分の名が加えられたことには納得出来ないけど」
「お前も奴らと同じだ。騙されている僕を馬鹿にしていたのだろ?」
「お前……大変な目に遭ったのが自分だけだと思っているのか? この世界が誰もが楽に生きられる楽園だとでも思っているのか?」
そんなことはない。この世界は元いた世界、ヒューガたちが生まれ育った国に限ってだが、遥かに厳しい。死を身近に感じる世界なのだ。
「……うるさい! この腐った世界を僕が楽園にしてやるのさ! 暮らしやすい、良い世界にしてやるのさ!」
「訂正しろ。お前のそれは、自分にとってだ。お前にとっての楽園が万人にとっては地獄である可能性を考えてみろ」
「黙れぇええええっ!」
優斗の猛攻が再開された。目にも止まらぬ勢いで剣を振るう優斗。それを避け、受け、守り続けるヒューガ。人族の常識を外れた、魔族であっても驚嘆するような攻防が続いていく。
それを止めたのは、一本の矢。優斗の部下の一人が放った矢だ。普段であれば楽々躱せる程度の矢。だが優斗の攻撃を防いでいるヒューガに普段の余裕はない。視界に入った影を避けるので精一杯。バランスを崩したヒューガの反応が遅れた。そこに振るわれる優斗の剣。
「あっ……」
それを受けて吹き飛んだのは、クラウディアはホーホーに任せて、一人で駆け戻ってきていたエアルだった。なんとか二人の間に割り込み、優斗の剣を自らの剣で受けたエアルであったが、その勢いを殺すことが出来ずに、体ごと後ろに吹き飛ばされてしまった。
「この女! 邪魔するな!」
「エアル! 逃げろ!」
怒りのままにエアルに襲い掛かる優斗。ヒューガの声に反応してその場から逃れようとしたエアルだったのだが、
「くっ……」
立ち上がることが出来ずに地面に崩れ落ちてしまう。
「動いて……動いて!」
膝を押さえて叫ぶエアル。限界が来ていたのか、優斗の一撃を受け止めたせいか、とにかく痛めていた膝が動かせなくなっていた。
「……へえ。怪我したのか?」
そんなエアルを嬉しそうに見下ろしている優斗。
「ぐっ」
這ってでも逃れようとしたエアルだが、優斗に足を踏みつけられてうめき声をあげることになった。
「動くな。お前もだ! 動くとこの女を殺すぞ!」
エアルを助けようと動き出したヒューガに向かって、制止を命じる優斗。それを受けてヒューガは言われるがままにその場にとどまった。
「この女を助けたかったら武器を捨てろ!」
「お約束のようなクズっぷりだな?」
「捨てろ!」
ヒューガに命じながら、エアルの膝に向かって力一杯、足を踏み下ろした優斗、エアルの叫び声が、喧騒が静まってきていた戦場に響き渡った。
「ヒューガの言う通り、あの男は歴史に名を残すようなクズだな」
心底呆れた様子で呟くライアン。この思いは他の魔族にも共通するものだ。ライアンに従っている魔族の多くは、彼と同じように力と力のぶつかり合いを求めている。類は友を呼ぶではないが、そういう人たちがライアンの周りには集まっているのだ。
その人たちにとって、今、目の前で繰り広げられている出来事は、吐き気がするような下衆なもの。人族らしいと思う人もいるが、そう割り切っていても優斗の行為は嫌悪感を与えるものだ。そんな思いが、自然と戦いの手を止めさせていた。
戦いが中断し、静まりかえった戦場。そこに優斗の笑い声が高らかに響き渡った。