月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #138 外れた枷

異世界ファンタジー 四季は大地を駆け巡る

 パルス王国軍による南部奪回作戦は三方向からの同時侵攻を行うというもの。それによりもともと数は少ないはずの敵戦力を分散させて戦いを有利にする。もしくは一か所に敵を集中させて、その間に他の二方面軍が南部に深く攻め入り、サウスエンド伯爵家の本拠地であり南部全体の中心都市であるエルツシュロスを奪回するというものだ。
 この作戦はパルス王国が意図した形で進んでいる。魔王軍と反乱貴族の連合軍は戦力を分散させて、三方向から攻め入ってきたパルス王国軍と対峙した。質ではかなり劣る反乱貴族家軍には、パルス王国軍の侵攻を止めることが出来ない。敗走を重ねて、占領地を次々と失うことになった。エルツシュロス奪回は成功する。それはほぼ間違いのない状況であるのだが、パルス王国側にも誤算があった。イーストエンド侯爵家軍だけは敵に押されて、南部に侵攻するどころか、逆に押し返されているのだ。

「下がれ! 急ぎ下がって、陣形を整え直せ!」

 崩壊しそうになる部隊をなんとか立て直そうと、大声で指示を出している部隊指揮官。それに応えて動き出す騎士や兵士たち。劣勢の中、そんな統率の取れた行動が出来るのは、さすがはパルス王国軍にも負けない最精鋭部隊と言われるイーストエンド侯爵家軍といったところだ。
 だがいくら踏ん張っても劣勢を覆すことは容易ではない。イーストエンド侯爵家軍は後退する一方だった。

「いくら不意を突かれたとはいえ……」

 本陣の騎士たちと共に移動しているイーストエンド侯爵の口から呟きが洩れる。今の状況がイーストエンド侯爵には信じられない。自領を出て、さらに南下して魔王軍の支配地域に向かっていたイーストエンド侯爵家軍、それに対して魔王軍は待ち受けることなく、支配地域を飛び出して、攻めかかってきた。戦いはまだ先。そう油断していたイーストエンド侯爵家軍に。
 不意を突かれてイーストエンド侯爵家軍は大混乱。それでもなんとか後方に下がり、陣形を整え直したのだが。

「敵の継戦能力は想像以上です」

 陣形を整え直したイーストエンド侯爵家軍に魔王軍は、さらに前に出てきて攻めかかってきた。何度も何度も。昼夜、休むことなく攻撃してくる魔王軍の猛攻を受け止めることが出来ずに、疲弊したイーストエンド侯爵家軍はずるずると来た道を戻ることになったのだ。

「……敵の意図をどう考える?」

 魔王軍は支配地域を飛び出して、イーストエンド侯爵領まで攻め入ろうとしている。敵領に入ってきてまで猛攻を仕掛けてくる意図がイーストエンド侯爵には分からない。

「恐らくは……我が軍の殲滅ではないでしょうか?」

「殲滅だと……?」

「東部を奪うことと言い換えても構いませんが、その代わりに敵は南部を失うことになります。今、我が軍を攻めているのと同じかそれ以上の魔族の軍が存在するとなれば話は別ですが」

 イーストエンド侯爵家軍を攻めている魔王軍は敵の主力。不意打ちによる混乱はあったとしてもイーストエンド侯爵家軍を圧倒した軍だ。そうであらねばならない。その主力のいない南部は質で劣る南部反乱貴族家軍が守るだけのはず。そうであれば他の二軍で奪回は可能で、それは魔王軍側も分かっているはずなのだ。

「東部貴族に裏切りの気配はなかったはずだ」

「はい。ですから敵の目的は東部を奪うことではないと考えました」

「我が軍が崩壊すれば同じことだが……そうだな」

 イーストエンド侯爵家軍が崩壊すれば東部を守ることは出来ない。結局は魔王軍に占領されることになるはずだ。だがあえて、すでに大部分を支配している南部を捨ててまで東部を奪おうとする理由がイーストエンド侯爵には思いつかない。目的は領地ではなくイーストエンド侯爵家軍。部下の考えは正しいとイーストエンド侯爵は判断した。

「援軍の到着はもう間もなくです。それまでなんとか支えきれれば、反撃は可能かと」

「そうだな……」

 領地に残っていたイーストエンド侯爵家軍の残留部隊、それに東部の各貴族家にも援軍の要請を行っている。質においては劣るだろうが、魔族相手ではそれは仕方のないこと。その質の差を埋めるだけの数を揃えれば良いのだ。
 魔族との戦いにおける基本的な対応。それをこの戦いでも行うだけのことなのだが、イーストエンド侯爵は心に引っ掛かりを感じていた。

「本当に裏切る人はいないのですか?」

 心に引っ掛かりを感じたのは本陣の一員として同行しているクラウディアも同じ。クラウディアの場合はそれはより具体的だ。

「動向については調査を行っている、が……」

 絶対の自信はイーストエンド侯爵にもない。自家の諜報組織は優秀であると言い切る自信はあるが、相手は個の能力で遥かに勝る魔族なのだ。実際にイーストエンド侯爵家軍はこうして奇襲を許している。

「東部にも新貴族派と呼ばれる人はいるのですか?」

 南部で反乱を起こした貴族家の多くが元新貴族派。王がアレックスに代わる中で起きた政争によって、何の利も得られなくなった人々であることが、すでに分かっている。同じ不満を東部の元新貴族派の人々も持っているはずだとクラウディアは考えている。

「……いるな。その中の何人かが裏切ったとしても……いや、違う。裏切りは最悪の時を選んで行われるはずだ」

 脅威となる数ではない。こう考えたイーストエンド侯爵だが、すぐにその考えを改めた。裏切りはもっとも効果的な場面で行われる。南部でもそうだった。戦いの中での裏切り。さらに敗走を装って逃げ込んできた貴族家軍も裏切ったことでエルツシュロスはあっさりと敵の手に渡ってしまったのだ。南部で行われたそれと同じ策略が東部でも進められている可能性は充分にある。

「助けに行かないと」

「分かっている。分かっているが……」

 魔王軍の猛攻を食い止めることもままならない状況で、貴族家の裏切りに対応する為の軍勢を割くことが出来るのか。それを行うことで本軍が崩壊してしまう可能性もある。イーストエンド侯爵は決断に躊躇いを見せた。

「チャールズが死んでしまうかもしれないのよ!」

 イーストエンド侯爵の躊躇いを見て、大声で訴えるクラウディア。
 援軍の指揮官をチャールズが務める可能性は高い。すでに敵はイーストエンド侯爵領に踏み込もうとしている。自家の一大事となれば、自軍の士気を高める為にも、イーストエンド侯爵家の人間が指揮官である意味があり、それはチャールズしかいない。逆に万一があっても安全な場所にという考えもあるが、イーストエンド侯爵の明確な命令がない限り、チャールズがそれを選択するとはクラウディアには思えない。

「……分かった。ではクラウ。部隊を率いて」

「侯爵様が率いるべきだと考えます」

 イーストエンド侯爵の言葉を遮って、部下が別動隊の指揮官は侯爵であるべきだと言ってきた。

「私はここを離れるわけにはいかない」

「ここは大丈夫でございます。敵を食い止めることに専念すれば、それほど難しい戦いではありません」

「それは……」

 嘘だ。敵の猛攻を簡単に食い止めることが出来るのであればイーストエンド侯爵家軍は今ここにいない。援軍を要請することもなかった。部下は侯爵を危険な戦場から遠ざけたいのだ。チャールズに万一があった時の為に。それがなくても侯爵とチャールズを無事に逃がすのに、より可能性の高い選択として、この戦場を離れて欲しいのだ。

「お急ぎください。魔王軍の攻撃が本格化すれば、別動隊が戦場を離れることも難しくなります」

「……分かった。すぐに部隊を編制してくれ」

「承知しました」

 イーストエンド侯爵は部下の進言を受け入れることにした。侯爵と嫡子のチャールズ、二人ともがこの戦いで命を失うような事態は避けなければならない。跡継ぎがいなくなればイーストエンド侯爵家は断絶。家臣たちも途方に暮れることになってしまうのだ。命を守ることは家を守ること。仕える家臣とその家族の暮らしを守ること。こう考えれば戦場から逃げ出すことを恥じる気持ちは生まれない。
 イーストエンド侯爵は別動隊を編制して、援軍が集結予定の地に向かうことになった。

 

◆◆◆

 イーストエンド侯爵家軍が別動隊を編制し、その部隊とともに侯爵が戦場を離れて行ったことはすぐに魔王軍の知るところとなった、魔王軍にとってはあらかじめ想定されていた動き。確認するのは、侯爵がその部隊にいるかどうかだけ。魔族でなくても簡単に調べられる事実だ。

「あの男には勝利の女神でもついているのか?」

 想定された動きをイーストエンド侯爵が見せたことがライアンには驚きだった。ライアンは戦闘力以外で優斗を評価していない。南部での作戦はそれなりに評価出来るものであったが、ここまでの謀略の才があるとは思っていなかった。

「運もかなりあると思いますけど……正義という枷を外せば、これくらいのことは考えられるということです」

 驚いているライアンに美理愛が自分の考えを伝えた。上手く事が運んでいるのは幸運もあってのこと。だが運だけというわけでもない。

「正義という枷?」

 だがライアンには、美理愛の考えはすぐに伝わらなかった。

「卑怯なことを平気で出来るようになれば、という意味です」

「……なるほど。勇者は正義。そういう存在であったことが、あの男の力を制限していたということか」

 戦闘力においても優斗の力は上がっている。人を殺すことへの躊躇いを失い、喜びを感じるようになったことで。

「枷が外れたことを私は良いことだと思っていません」

 美理愛にとっては望ましくない変化だ。性質が変わる前から色々と問題のあった優斗だが、それでも今とは比べものにならない。今の優斗を愛せる自信は美理愛にはない。

「お前がどう思おうが勝手だ。それにその枷を外したのはパルス王国ではないか? その報いを受けるのだから同情の余地はまったくないな」

 優斗を今のように変えたのはパルス王国。自業自得だとライアンは考えている。ライアンが望む、正面からの力と力のぶつかり合いにはほど遠い戦いであることに不満がないわけではないが、パルス王国に同情する気持ちはまったくなく、文句を言う気も今のところはない。

「これで勝ちは決まりですか?」

「この戦場はかなり有利になったな。このまま戦えば勝ちは間違いないだろう。だが勝敗を決めるのはここではない」

 イーストエンド侯爵家軍はその数を減らした。やや無理をしているところはあったが、ずっと優勢に戦いを進めてきた魔王軍だ。勝利を掴む可能性は高い。
 だがこの戦場は魔王軍にとって主戦場ではない。目の前のイーストエンド侯爵家軍は援軍を引き出す、貴族家軍を戦いに参加させる為の囮に過ぎないのだ。

「後を追うのですね?」

「ああ。そういう計画だからな。行くぞ」

「……はい」

 また凄惨な戦いになる。血に飢えた優斗は数え切れないほど多くの人を殺すだろう。そんな戦場に立つのが美理愛は嫌だった。だが同行を拒否することも出来ない。実際はライアン相手であれば拒否できないわけではないのだが、従順に従う、実際にどうかは別にして、ことが奴隷となった自分の義務だと美理愛は考えているのだ。
 魔王軍とイーストエンド侯爵家軍の戦いは、イーストエンド侯爵領内に移ることになる。

 

◆◆◆

 領内に残っていたイーストエンド侯爵家軍は、侯爵率いる本軍からの要請を受けて、出陣の準備を整えた。軍を率いるのはチャールズ。軍事面での評価は高いとは言えないチャールズであるので、決定までには少し議論はあったものの、自家の一大事において戦いから逃げたなどと思われることも大問題だということで、率いることに決定した。
 すべての指揮をチャールズが行うわけではない。士気を高める為に神輿の上に乗っている、実際には本陣でどっしりと腰を落ち着けている、のがチャールズの一番の役目だ。高い軍事能力が必須というわけではないのだ。
 実際に役立ったのは軍事的な能力ではなく、チャールズの慎重さだった。

「……ザッカーベルグ家が?」

「はい。チャールズ様に参陣のご挨拶をしたいと伝えてきました」

「他家からも来ているのかな?」

 東部の盟主であり、この戦いでも総指揮官を務めるイーストエンド侯爵家に他家が挨拶に来るのはおかしなことではないとチャールズも思う。それがザッカーベルグ男爵家でなければ。

「いえ。まだです。すでに到着しているのはザッカーベルグ家を含めて、三家。それも到着したばかりですので、落ち着いてからだと思います」

 挨拶に来たのがザッカーベルグ男爵家だけであることに不満を持っている。部下はこう考えて、他家をフォローする意味でこんな説明の仕方をしたのだが。

「ザッカーベルグ家は何故こんなに早く参陣してきたのだろう?」

 チャールズはそんなことは考えない。挨拶に来たザッカーベルグ男爵家のほうに疑問を感じている。

「早く……ですか?」

 素早く参陣してきたのは良いこと。部下はまだこう思っていた。

「ザッカーベルグ家の領地は近いとは言えない。それなのに他家よりも早く到着している。あのザッカーベルグ家が」

「……何か裏があるとお考えですか?」

 ザッカーベルグ男爵家とイーストエンド侯爵家の関係は良いとは言えない。新貴族派の一員として、有力貴族家の筆頭であるイーストエンド侯爵家とは政敵の関係にあったのだ。もちろん男爵に過ぎないザッカーベルグ家に正面きって敵対する力はなく、対立派閥の一員といった程度だが。

「関係改善の機会ととらえて張り切っているのであれば良いけど……」

 新貴族派は消滅。今のパルス王国において政争があるとすれば国王派と有力貴族派の争いだ。ザッカーベルグ男爵家が自家を守る為の選択として、有力貴族派に従おうと考えた可能性はなくはない。そうであって欲しいとチャールズは思う。

「……ザッカーベルグ家はどれだけの兵を連れてきたのかな?」

「……完全には把握しておりませんが、三百は軽く超えるものと」

 男爵家が三百もの兵を連れてきた。チャールズの疑念を部下も理解した。ザッカーベルグ男爵家は三百の兵、それだけの兵を率いる騎士を抱えられるほど豊かではない。ではその騎士、兵士はどこから、どのような手段で集めたのか。

「訪れた者を拘束――」

 強行策を決断したチャールズであったが、その判断は遅かった。チャールズに問題があるわけではない。彼は素早く判断した。ただ、相手が常識外れであったのだ。
 喧騒が聞こえてくる。何の騒ぎかはすぐに分かった。

「ザッカーベルグ男爵家の者どもが暴れております!」

「すぐに取り押さえろ! それとザッカーベルグ家の軍にも警戒を!」

 飛び込んできた伝令に、部下はすぐに指示を出す。悩む必要のない命令、のはずだった。

「それが……暴れている一人は、魔王を名乗っております」

「なんだって……?」

「とんでもなく強い騎士がいて! その者は魔王を名乗っております!」

 ザッカーベルグ男爵家の騎士を装っていたのは優斗自身。優斗と彼に従う元傭兵たちだ。自分の力に絶対的な自信を持っている優斗は、少数で敵陣に乗り込むなんて無茶が、平気で出来るのだ。

「守りを固めろ! 決して、ここに近づけるな!」

 魔王、元勇者である優斗がいるとなれば、数は少なくても油断は出来ない。

「チャールズ様を守れ! ここから離れるのだ!」

 万一を考えて、部下はチャールズを逃がすことを決めた。チャールズの意思は関係ない。イーストエンド侯爵の安全が確定していない状況で、跡継ぎであるチャールズを失うわけにはいかないのだ。

「お逃げください!」

「しかし……」

「早く! 付き従う者は誰だ! 急げ! 急いでこの場を離れろ!」