ヒューガの失踪は翌日の早朝には明らかになった。毎日、早朝から夜遅くまで鍛錬や仕事やらで忙しくしているヒューガだ。その姿が見えないとなれば、すぐに何かあったと周囲の人は気付く。まして前日の出来事を考えれば。
行く先は明らか。アイントラハト王国の人々はすぐに対応に動き出す。ハンゾウ配下の忍びたちはイーストエンド侯爵家軍の動きを把握する為に現地に飛び、大森林からも部隊が動く。イーストエンド侯爵領に向かうとなれば、大森林から移動したほうが早いのだ。ヒューガとエアルも大森林を経由していることが明らかになり、目的地の予想は間違いないとなった。
蚊帳の外なのはアインシュリッツ王国の人々。彼らには彼らでやらなければならないことはあるのだが、それを指示、もしくは許可を与えるヒューガがいなくなり、さらにその代行者となれる人々も国外に出てしまったとなれば、やれることは限られてくる。まして、何をすると明確に指示を受けていない人たちは。
「甘いところばかりじゃねえと思ったが、今回のこれはどうかと思うな」
今回の事態に対して、ライナルトは批判的な言葉を口にした。国政は下手だったが王としての責任感は彼なりに持っていた。今回のヒューガの行動は無責任だと思うのだ。
「確かに無責任かもしれない。だが必要なことであるとも俺は思う」
ライナルトの相手をしているのはサイモンだ。暇な時間をライナルトはよろず相談所で過ごしている。かつて臣下であった人たちと顔を合わせるのは気まずいが、それを乗り越えて、また普通に話せるようになりたい。そのきっかけがないかを探しているのだ。
「必要? 好きな女の為に仕事を放りだすことが必要って、どういうことだ?」
だがなかなかそのきっかけが掴めないので、相手をしてくれるサイモンと話すしかない。
「王はあらゆることに正面から向き合ってきた。エルフたちのことはその代表例だが、それ以外にも、問題の大小に関係なく、色々なことを考えてきたと俺は思う」
「……それと今回の件がどう関係する?」
「そんな王が唯一避けていた問題が彼女のことだ。彼女について王は考えることを避け、結論を出すことをしようとしていなかった」
クラウディアに会いに行くことも、大森林に来るように誘うこともなく、ヒューガはただ待っていた。それをサイモンは問題を放置しているのだと考えていた。
「やっぱり分からねえ。国王としての問題と一人の男としての問題だ。一緒にすることじゃねえだろ?」
「それは……いや、これは話すべきではなかったな。今のは俺の憶測に過ぎない。エアル殿が話すのであればまだあれだが、それ以外の人には本当のことは語れないだろう」
「おい、それで終わらせるなよ」
「いや、憶測を話して、周囲に誤った影響を与えるのはまずい」
サイモンの持っている考えは、特に意味もなく、セレネと語り合っている中でなんとなく生まれたもの。クラウディアとのことは私的なことでも、公的なことでもある。そんな問題を憶測で話すべきではないとサイモンは考えた。
「じゃあ、飲め」
「なに?」
突然、テーブルの上に置かれたグラス。それを置いたのは意外な人物だった。
「……ガロン」
その人物はライナルトにとっても驚きの人物。かつて仕えていた、今は相談員として働いているガロンだった。ライナルトがもっとも話したいと思い、もっとも実現は難しいと考えていた相手だ。
「酒の場であれば好き勝手話しても問題ないはずだ」
ガロンがグラスを置いたのはこれからサイモンが話すことを酒の席での話にする為。酔った人間が話したことに責任はないという理屈だ。
「しかしな……」
だがサイモンは躊躇ってしまう。酒の席というのはただの口実に過ぎない。話を聞いた人たちは戯言とは受け取らないはずなのだ。
「俺たちも話を聞きたいのだ。王のことを知れば知るほど興味が湧いてくる。だが知れば知るほど分からなくもなる。王とは何者なのか。これを知る手掛かりが欲しい」
「……分かった」
ガロンがグラスに注いだ酒を一気に飲み干すサイモン。それで酔うわけではない。ガロンの気持ちはサイモンもかつて感じたもの、ヒューガは何者なのか。今も答えは得られていないが、同じ思いを抱く相手に自分が得たものを伝えようと決心したのだ。
「じゃあ、聞く方も酔っぱらったほうが良いな」
こう言ってライナルトもグラスの酒に口をつける。それが合図であるかのように周囲にいた相談員たちも酒を頼み始めた。皆、興味を引かれて、話に耳を傾けていたのだ。
「……まず相手が何者かを話そう。王はディアと呼んでいるがそれは愛称で、本当の名はクラウディア・サラ・パルス。パルス王国の第一王女だ」
「おいおい」
クラウディアの正体を知って驚くライナルトとガロン。それは周囲の人たちも同じ。小さなどよめきが辺りに広がった。
「今は第一王女の身分ははく奪されているが、王家の血筋であることに違いはない。パルス王国の第一王女の事件を知っているか?」
「事件?」
「パルス王国内では有名なのだがな。まあ、良い。知らないのであれば話そう。彼女は幼い頃に魔族に誘拐された。だがこの事件には裏がある」
「裏って……」
魔族に誘拐されたという事実だけで驚きだ。さらに裏と言われてもライナルトはただ戸惑うことしか出来ない。
「誘拐は手柄に逸った者が勝手に行ったこと。彼女は魔王にその事実を知らされ、謝罪を受けた」
「魔王が謝った?」
「そうだ。彼女は一切、危害を加えられることなく、魔王の城で暮らしていた。すぐに返されなかったのは、間違いでしたなんて伝えてもパルス王国の人々は信じないと思ったからだそうだ」
サイモンもこの件についてはまた聞きだ。セレネから教えられたのだ。
「……気を使う魔王だな」
「魔王とは、いや、魔族とは本来そういう存在なのだ。人族に敵意を向けるのは、人族が先に手を出したから。無条件に敵として殺し合いをするわけではない」
「それだと悪いのは……ああ、そういうことか。悪いのはパルス王国。その第一王女様は悪に加担しようとしているわけだ」
ヒューガが何故、クラウディアが戦いに加わることに驚き、動揺したのか。好きな人が悪事を行うとしているのであれば、当然だとライナルトは思う。
「救出されたように見せかけて彼女はパルス王国に戻った。だがそれでも人々は彼女を疑った。魔族が化けた偽物ではないか。本人だと分かったあとも洗脳されているのではないかと。パルスの城は彼女にとって居心地の悪い場所だったのだ」
「だからイーストエンド侯爵家に逃げ出したのか」
「いや。ヒューガと二人で王都から逃げ出したのだ。ヒューガは召喚されてパルス王国の城にいた。出会いの詳しいことまでは知らないが、そこで二人は出会い、密かに王都から抜け出した」
「……それはあれだな。王になる前の話だ。また、とんでもねえことを」
大国パルス王国の第一王女を連れて逃げる。それも今と違って力のない状況で。やっぱり、とんでもない奴だとライナルトは思った。他の人たちの感想も似たようなものだ。
「彼女にどういう想いがあったのかは知らない。一緒にレンベルク帝国まで逃げるつもりだったはずが、彼女は王を置いて姿を消した。イーストエンド侯爵家に行ったのだ」
「振られちまったのか?」
「そういうことではない。王も彼女もいつか一緒になる時が来る。そう思っている。彼女と別れた王は知り合いのエルフに連れられて、大森林に入った。そして王になり、今がある」
「いやいや、どうやって王になったかも知りてえけど?」
「話すと長くなる。それに今の話は本題ではない。前振りだ」
クラウディアの素性とヒューガとの係わりを話したのは、今回のことについて自分の考えを述べる為の前振り。事前知識として必要だと思ったから話しただけだ。
「なんだか、今の話を聞いただけで、それは飛んでいくだろうって納得したけどな。でもまあ、続きを聞こう」
「パルス王国の王都を出た時の二人は、召喚された異世界人でもパルス王国の王女でもなく、ただの男の子と女の子だった。そのまま二人が共にいれば、問題はなかったはずだ。ただ今とは違う世界になっていただろうが」
「王は大森林に入ることなく、レンベルク帝国でひっそりと暮らしていた? あり得ねえと思うのは俺だけか?」
そんな存在ではない。誰にも知られることなく、世界の片隅で暮らすなんてことが許されるはずがないとライナルトは思う。一方でそれは今を知っているからだという思いもあるが。
「俺もそう思う。運命という言葉を王は嫌うが、人とは異なる何かを持って生まれたのは間違いない」
「王女様と別れるのは必然だった。その二人が今再会するのも必然って言いたいのか?」
「少し違う。ただの男の子と女の子ではなく、王は異種族を統べる王になった。そして彼女は……何者かになろうとしている、もしくは元々一人の女の子にはなっていなかったか。王も恐らくはそれに気付いている。気付いていて気付いていない振りをしていた。時間を別れた時で止めていたのだ」
「……大森林の王の隣にパルス王国の王女は座れねえか」
ライナルトもパルス王国にとっての悲劇。ドュンケルハイト大森林の悲劇については知っている。二人は、少なくともクラウディアは何の肩書もない一人の女性でないとヒューガの隣に座ることは出来ないと考えた。
「どういう結論になるかはまだ分からない。だが王が王であり続ける為には、はっきりしなくてはならない問題だ」
「王の座を捨てて、王女様を選ぶ可能性は?」
「それはない。王はそこまで無責任ではない。その可能性があるのであれば、先に進もうとはしていないはずだ」
ヒューガがエアルを捨てることは、ルナとの結びつきを断つことは絶対にない。ヒューガとドュンケルハイト大森林が離れることはないとサイモンは考えている。サイモン一人の考えではない。この話はセレネと何度か話をして、彼らなりに出した答えだ。
「大森林の外であれば王女様も居場所があるって考えている可能性もある」
「大森林の外であっても王が統べる国は異種族共存の国だ。そして王は、民から受け入れられない女性を王妃にはしない。だからこそ、考えることを避けてきたのだ」
「王女様との未来がない可能性か……もう結論は出ているじゃねえか?」
クラウディアはヒューガの国の王妃にはなれない。ヒューガが王であることを止めない限り、二人が結ばれることはなく、ヒューガが王であることを止めないとなれば結論はもう出ているとライナルトは考えた。
「いや。彼女の本当の気持ちは我々には分からない。魔族と戦おうというのは我々でも間違いだと分かるが、それを止めることが出来れば、もともと彼女は魔族に認められている、唯一と言って良いパルス王国人なのだ」
エルフ族との関係を抜きにすれば、クラウディアはアイントラハト王国の王妃に相応しい女性だ。エルフ族との関係も、パルス王国人だというだけで拒絶されるようなことはない。エルフ族の側の意識は変わっているのだ。
「なるほど。一人の男としても絶対に止めに行かなければならず、その結果がどうなるにしろ王として結論を先延ばしにしていてはならない問題か。今回の件が今必要だって言葉の意味は分かった。しかし……王になった経緯も気になるな。今聞いた内容だけで吟遊詩人の唄になりそうだ」
「その吟遊詩人の唄にお前も語られる可能性がある」
ずっと黙って話を聞いているだけだったガロンが、ここで口を開いた。
「俺が?」
「俺はお前と同じように傭兵稼業の理不尽さに憤り、行動を共にすることを選んだ」
「あ、ああ」
いきなりガロンはライナルトと行動を共にしていた理由を話し始めた。その意図が分からずにライナルトは戸惑っている。
「お前はこの世界の仕組みを壊そうとして傭兵から王に成りあがり、大陸全ての国を侵略しようとした。偉そうにしていた奴らをこの世から消し去ろうとした」
「ああ……失敗したけどな」
「一緒に行動していたが、俺はお前とは目的が違った。俺は……吟遊詩人に語られるような存在になりたかった」
「はい?」
そんなことに命をかけて、と正直ライナルトは思った。その気持ちがそのまま口から出た。
「笑えるだろ? だがな、俺はこう思ったんだ。いつか自分は、くだらない奴らのくだらない依頼の為に命を落とす。道端で死ぬならまだマシだ。誰も足を踏み入れることのない場所で、その死を誰にも知られることなく、野ざらしにされたまま朽ち果てていく。そんな終わりは真っ平御免だと」
「……ああ、そうだな」
ガロンの気持ちはライナルトにも分かる。この場にいる相談員全員が共感できる想いだ。
「無名の傭兵で終わりたくない。歴史に名を遺すような存在になってやる。英雄でも悪党でもなんでも構わない。俺の存在を世の中の奴らに知らしめたい。そう想っていた」
「そうか……」
ガロンがそんな気持ちを持っていたなんてことをライナルトを知らなかった。気付けなかった自分が情けなかった。
「だが俺には無理だ。俺はそこまでの存在じゃないと思い知った。だがライナルト。お前にはまだ可能性がある。王は吟遊詩人に歌われるような人物。この先、必ず歴史に名を残す人物だ。そしてお前にはそんな英雄を支える力がある。主人公は無理でも登場人物にはなれる力がある」
「…………」
「頑張れよ。そんなお前であれば、俺はこの先も応援してやれる。臣下としてでなく、友として。そんな関係に戻れると思わないか?」
「……ああ、そうだな。王と臣下では上手く行かなかった関係も、友としてならきっと上手く行く。俺はそう思う」
こんなタイミングでやり直すきっかけを得られるとライナルトは考えていなかった。もっともやり直したくて、もっとも無理であろうと思っていたガロンが、自ら手を差し伸べてきてくれたのだ。
こんな嬉しいことはいつ以来か。ライナルトはもう思い出せなくなっていた。それほど長く、辛い時を過ごしていたのだ。傭兵王などと呼ばれるようになってからずっと。
そんな二人のやりとりを間近で見ていたサイモンも少し感動してしまう。ただその感動は長くは続かなかった。サイモンのグラスに酒を注いできたガロン。その目には笑みが浮かんでいる。それを見てサイモンは気付いてしまったのだ。目の前で行われた出来事は、全てではないにしても、芝居が入っていることに。
ライナルトの性格を良く知るガロンは、彼が余計な野心を抱かないように釘を刺したのだ。ヒューガに仕えることで自分の未来は輝くとライナルトに思い込ませることによって。これは命を救ってもらったことに対する、ちょっとした恩返し。それをガロンはサイモンに伝えてきたのだ。