イーストエンド侯爵の領主館では、普段とは異なる緊迫した雰囲気の中で打ち合わせが行われていた。パルス王国南部を占拠した魔族と裏切った南部貴族たちの討伐にイーストエンド侯爵家からも軍を出すことが王都で決まった。それを受けた軍事会議が開かれているのだ。
敵には魔族がいる。しかも敵の首謀者は元勇者であったユート。手強い敵であることは間違いない。精鋭だと言い切る自信があるイーストエンド侯爵家軍ではあるが、甘く見れる相手ではないのだ。
「北部での戦いにおいて魔族は狡猾といえる作戦を採っております」
まずは敵の戦い方を知ること。魔王領侵攻戦での戦いの様子について情報共有を行っている。
「王国軍の進路にいくつもの砦を設置。様々な罠を仕掛けております。たとえば王国軍を砦内に引き込んだ上で、火をつける。そうかと思えば、罠だと考えて無視して通り過ぎたところを、砦に籠っていた軍勢で後背から奇襲をかけるなどです」
「ただ力攻めするわけではないのだね?」
チャールズはこの情報を初めて知ったわけではない。だがこの場は知らない人に共有する場。分かっていることも改めて確認することにしている。
「慎重であるというより、敵の心を折る為の策と戦いに参加した者は感じたそうです」
「心を折る?」
この情報はチャールズも初めて聞いた。王都で改めて前回の戦いについて検証した中で、イーストエンド侯爵も知った情報だ。
「砦が見えると次はどんな罠なのか、また裏を書かれてしまうのではないかと気持ちが落ち込み、前に進むことに恐怖を覚えるようになったという証言があります」
「戦意をくじかれたってことだね?」
「はい。数で劣る部分を質で補う。もともと個々の能力では上回っている魔族ですが、さらに敵の質を落とすことを企んだのだと分析されております」
これは考え過ぎ。魔王の死とそれによる戦いの放棄を見据えていた当時の魔王軍にそこまでの意識はない。そもそも策を考えたのはヒューガなのだ。
「同じことを南部でも行ってくるのだろうか?」
「可能性はあります。ただこちらの侵攻路が分からない状況で、どれだけの罠を用意することが出来るのか。やや楽観的な推測もされております」
北部での戦いでは魔王城に向かって、ほぼまっすぐに突き進んでいた。北に伸びる半島地域だ。侵攻路はいくつもあるわけではない。だが南部はそうではない。パルス王国側はいくつもの侵攻路を選択出来る。
「侵攻路を知られていなければか……そう考えること事態が楽観的だと思うけどね?」
魔族の情報収集能力を人族の常識で測ってはならない。チャールズはこのことを知っている。
「その通りだと思います。罠はあるという前提で我が軍は進むべきです」
「あとは?」
「敵戦力の分析については充分とは言えない状況です。前回の戦いよりも魔族の数が少ないのは間違いないとのことですが、はたして北部で魔族は全力で戦ったのかという疑問が持たれているようです」
戦力分析を行おうにも、その元となる前回の戦いの情報が正しいものであるか分からない。魔王が亡くなったことで魔族側は戦いを止めた、という情報はパルス王国では公になっていない。それでも分析を行う中で、何かおかしいという意見が出てきたのだ。
「わざと負けたと?」
「その可能性があるということです。そうであれば敵を過小評価することは危険。こういう考え方です」
「……そうだね」
真実をクラウディアは知っているのではないか。そう考えて、同席している彼女に視線を向けたチャールズだが、その表情からは思いは読み取れなかった。
「さらなる不確定要素として魔王を名乗るユート・キリュウがおります」
「彼の実力は分かっているのでは?」
「そうなのですが彼が魔王を名乗ることになった経緯が不明でして。たった一人で、いえ、元聖女のミリアも一緒である可能性は高いですが、それでもたった二人で魔族を従えられる力があるということです。我が国の、もともとの彼への評価はそれほどのものではありません」
これも情報不足からくる誤認だ。ユートの目的が自分を騙し、屈辱を与えたパルス王国への復讐にあるということが分かっていれば、また異なる分析結果になったはず。だがアレックス王が首謀者の一人である企みは公にされていない。
「……隠していた力があった、目覚めた? それとも別に事情があるか」
「彼は本当に魔王なの?」
「えっ?」
会話に割り込んできたのはクラウディアだ。ユートが魔王を名乗っている。それが彼女には信じられないのだ。
「魔王さ……前の魔王は力で魔族を従えていたのじゃない。その……その人柄で魔王になったの」
言葉に気を付けながら、前の魔王について説明するクラウディア。
「ああ、ディアは魔王を知っているのだったね。でも人柄?」
「その……とにかく力だけで魔王にはなれない。これは確かなの」
前魔王の慈愛の心が多くの魔族の気持ちを惹きつけ、さらに多くの魔族を守る為に彼女は魔王となった。イーストエンド侯爵家の人々の前でも、ここまでのことは口に出来ない。彼らもまた魔族に対しては否定的な目を持っているのだ。
「そうなると別の事情があるってことだね? それは何だろう?」
「……分からないけど、共通の目的があるのだと思う。たとえば……戦うこととか」
ヴラドから生き残ったのは自分とライアンだけであることをクラウディアは聞いている。ヴラドが自分の側にいるからには、南部の魔族を率いているのはまず間違いなくライアン。そのライアンが求めるものが何かとなると、この答えになる。
「戦う? とにかく戦いたいから、南部で反乱を興したってこと?」
だが何も知らない人たちにとっては、信じがたい答えだ。
「たとえばの話。魔族には戦うことが全てって人もいるってことだよ」
「その戦う相手にパルス王国を選んだ。でも元勇者は何故? いや、元勇者のほうが主導しているのか。だから魔王……」
南部貴族が協力していることからユートが積極的に動いているのは間違いない。魔族にユートが協力しているのではなく、逆であるとすればクラウディアの言っていることは間違いとは言えなくなる。戦う動機はユートにあり、戦いを求める魔族はそれに協力しているだけ。チャールズは事実に辿り着いた。それが事実であるという確信は持てないが。
「今のお話が事実であれば魔王の実力は、こちらが評価しているままとなります。ただ誤りであった場合は過小評価することになってしまいます」
この件について話を続けても結論は出ない。そう考えた家臣は、話を終わらせる為に割って入ってきた。
「……無理に決めつける必要はないね。勝つために万全を期す。それだけだ」
「はい。作戦は以前お伝えしたのと変わらず、三か所からのの同時侵攻作戦。目標地点はサウスエンド伯爵領のエルツシュロスで変りありません」
今回、パルス王国が考えた作戦は三か所からの同時侵攻作戦。王都からまっすぐに南下するのがパルス王国軍。東部がイーストエンド侯爵家軍。そして西部からはユーロン双王国と対峙している軍勢から一部を引き抜いて作戦に参加させることになっている。
数が少ない敵をさらに分散させようという意図。三方向から同時に侵攻していくことで、少なくとも南部貴族の反乱勢力の駆逐は、早期解決を図れるという考えもある。
「順番も変らずかな?」
三か所同時侵攻と言いながらも、侵攻するタイミングはずらす計画だ。
「いえ、変更となりました。当初、中央、西側、東側の順番でしたが、中央、東、西に変わるとのことです」
「我々が主力ではなくなった?」
今回の作戦における主戦力はイーストエンド侯爵家軍。他の二軍で敵を引き付けて、イーストエンド侯爵家軍がエルツシュロスを奪回するというのが基本方針だった。順番の変更はイーストエンド侯爵家軍も敵を引き付ける役に変わったことを意味するとチャールズは考えた。
「いえ、変わりはありません。ただ西部の軍勢が早い段階でユーロン双王国との戦場から離れることに慎重論があったようです」
「敵の動きを見極める為か……理屈としては分かるけど、それを行えば結局早い者勝ちになりそうだね?」
敵に捕捉されれば戦いとなる。戦いとなれば侵攻の足は止まる。結局、最後に動き出す軍が一番早く目的地まで辿り着く可能性が高い。イーストエンド侯爵家軍が主戦力と言いながら、実際は主戦力を決めることは止めたのだとチャールズは理解した。
「魔族を多く引き付けた軍が不利かもしれませんが、結果、その戦いに勝てば一番の手柄だと評されることになると思います。順番の変更は必ずしも悪いことではありません」
「主戦力がどこか決めるのは敵か……我が軍はどう評価されているのかな?」
もっとも強力な魔族の軍を当ててくるのは、もっとも手強いと思われた軍。自家の軍がどう評価されているのかチャールズは気になった。
「高く評価されているでしょう」
自身満々でこう言い切る部下。だがこれはチャールズが求める答えではない。
「……出発は早まるのかな?」
「はい。侯爵様がお戻りになられたら、すぐに発つことになります。五日後くらいかと」
今回の戦いではイーストエンド侯爵自らが総大将となる。自分には任せておけないということだと受け取っているチャールズとしては、やや残念なことだ。軍を率いることに自信があるわけではないので、文句はないのだが。
「……ディア?」
クラウディアに問いを向けるチャールズ。名を呼ばれただけで問いの意味がクラウディアには分かる。
「私も同行する」
今回の戦いにクラウディアも参加すると言っている。チャールズとしては止めさせたいのだ。
「危険な戦いだ」
「だからこそだよ。私には戦う力がある。大変な戦いであれば尚更、戦わないではいられない。ただ待っているだけでは皆に申し訳ないもの」
クラウディアは安全な場所でただ待っているなんてことは受け入れられない。自分はイーストエンド侯爵家にお世話になっている意味。その恩を返す機会だと考えている。
「……領地を守ることも大切な仕事だよ?」
自分は安全な場所で待っているだけの身だ、なんて嫌味はチャールズは口にしない。口にしないが、残っていても役に立つということはクラウディアに伝えた。
「それは……それはチャールズがいれば大丈夫。私が得意なのは魔法。自分が一番得意なことで役に立ちたいの」
「そう……最後は父上が判断することだ。ここで話してもあまり意味はないね」
あまりしつこく説得しては周囲に変に思われるかもしれない。クラウディアが言うことは聞かないことについて不快に感じる人もいる。こう考えてチャールズは話を終わらせることにした。それに、戦いに備えて話し合わなければならないことはまだ沢山あるのだ。
戦いが迫っている。また新たな戦いが。パルス王国にとっては、途切れることなく起こる戦争が。
◆◆◆
パルス王国による南部奪回作戦。それがもう間もなく開始されることをユートたちは掴んでいる。南部の反乱に対してパルス王国がなんらかの動きに出るのは分かりきっていること。魔族でなくてもそれを掴むことは難しくないのだ。ただ魔族の場合はその速さが違っている。情報を得るタイミングだけではない。得た情報を伝えてくる速さもだ。どちらかといえば後者のほうが役に立つ。状況の変化に素早く対応出来るからだ。
「……三か所同時ね」
報告を聞いて笑みを浮かべるユート。
「厄介だな。全てに対応するのであれば」
ライアンにも焦りはまったくない。ユートの考えをすでに理解しているのだ。
「全てに対応しても良いけどね? ただ、移動が面倒かな?」
三か所から同時に攻められるからといって、自分たちの戦力を、魔族と直卒の元傭兵たちだけのことだが、分散させるつもりはユートにはない。逆に各個撃破の機会だと考えているくらいだ。
「さすがに三軍全ては無理だろう。最初の戦いでこちらの意図が知られる可能性は高い」
「追いかけている時間が無駄か。守りを固められても面倒だからね?」
意図が知られれば、おそらくパルス王国は戦線を縮小し、守りを固める。それは面倒だとユートは考えた。
「別にかまわん。強敵のほうが戦いがいがある」
ライアンはどうでも良い。彼が求めているのは強敵。際どい戦いになるくらいのほうが良い。
「君はね。僕にはパルス王国を滅ぼすという目的がある。戦いは効率的に進めたいね」
「効率的か……ではどういう戦い方をお望みだ?」
ユートが目的を達成することに協力すると約束しているライアンとしては、全て自分の望むままにいかないのは理解している。ユートを知れば知るほど、ユートの側に約束を守る意思があるのかという疑問が強まっているくらいだ。
「三つの軍の中で一番強いのはどれかな?」
「西次第だが、恐らくは東のイーストエンド侯爵家だろう」
ユーロン双王国との戦線から引き抜かれる軍勢は、精鋭にはならないだろうとライアンは考えている。ユーロン双王国に戦線を突破されるなんて事態は、パルス王国にとってあってはならないこと。そちらの戦線を優先するはずだと。
「イーストエンド侯爵か……じゃあ、そこと戦おう」
「良いのか?」
イーストエンド侯爵家軍は精鋭。ライアンとしては望むところなのだが、それをユートから言い出したことに不安を感じた。なにか企んでいるのはないかと思ったのだ。
「戦いを行えば、どうしても傷つく。連戦となれば回復させる間もないからね」
「今が最大戦力ということか」
戦いが続けばそれだけ自軍も損耗する。そうであれば無傷の今、敵のもっとも強い軍勢と戦うべき。ユートの考えはライアンも納得のいくものだ。
「出来れば中央と西を深く引き入れてからにしたいけどね。簡単には引き返せない状況になれば」
「お前……考える頭があったのだな?」
「僕を馬鹿にするな。僕は優秀な人間だって前に教えたはずだけど?」
ライアンに馬鹿にされて、ユートの表情に怒気が浮かぶ。
「そういうのは自分では言わないものだ。他の二軍を深く引き込むか……出来なくはないな」
もうライアンには慣れっこだ。ユートの感情は小さなきっかけで大きく波打つ。それをいちいち気にしていられない。
「じゃあ、やって」
「やれることはな。さて、もう精気を放つのは充分だな? お前もそろそろ動け」
「英気を養うのは。それに充分じゃなくても問題ない。気に入った女の子は連れて行くからね。あとの物は皆に任せる」
「では指示を出せ。作戦開始だ」
パルス王国の動きを受けて、ユートたちも動き出す。一部の南部貴族の軍勢を残して、魔族とユート直卒の部隊はエルツシュロスを離れることになった。