東方完全制覇、そして大陸全土の覇権を手に入れる為の次のステップとしてレンベルク帝国征服を試みた傭兵王。だがその目論見は完全にはずれ、国境付近での戦いで敗北を喫しただけでなく、多くの臣下の離反を招くことになった。元傭兵たちの多くが、従う兵士を引き連れて、いくつかの集団に分かれ、マーセナリー王国の各地で領主であるかのように振る舞っている。領主の真似事をしている者たちはまだマシだ。その中のいくつかの勢力は、ただ支配地域の冨を貪るだけ。野盗と変わらない悪事を繰り返していた。
さらにマリ王国が、少しは領主らしく振る舞っている者たちに手を伸ばし、自国に引き入れようと画策している。彼らの支配下にあるマーセナリー王国の領土を自国に吸収してしまおうという企みだ。
当然、傭兵王も指をくわえて見ているわけではない。なんとかマーセナリー王国全土の支配権を取り戻そうとしているのだが、離反者があまりにも多く、容易には進まない。レンベルク帝国との戦い以前の力を取り戻すまでにはかなりの時が必要であり、はたして完全に元通りになるのかも怪しい状況だ。
「……ここまでの結果になるとは正直思っておりませんでした」
部下からマーセナリー王国の現状について報告を受けたマンセル王国宰相シュトリングは、率直な感想を口にした。マーセナリー王国は勝てない。アイントラハト王国のソンブからこの予想は聞いていたが、ここまでの結果は想定外だったのだ。
「Sランクは偽りであったという噂があるが?」
一緒に話を聞いていたメルキオル王太子もこの結果には驚いている。その原因として考えられる一つについて、シュトリング宰相に尋ねた。
「真偽のほどは不明ですが、どちらであっても状況は変わらないでしょう。傭兵王は周囲が期待するSランクとしての実力を示せなかった。それが全てです」
「無敵という仮面が外れた事実に変わりはないか……それだけでという思いもあるが……」
「恐らく、きっかけに過ぎないのではないでしょうか?」
Sランクではない、もしくはSランクというのは思っていたほど強くない。こう思っただけで多くの臣下が離反するとはシュトリング宰相も思わない。もともと不満が溜まっていた中で、今回の敗戦がそれを表に噴出させるきっかけになったのだと考えた。
「満足出来る報酬を与えられない雇い主では、傭兵を繋ぎ止められないか。君臣の関係ではなく、雇い主と傭兵のままだったのだな」
勝ち続け、領土を広げてきた傭兵王であるが、得た支配地域は豊かとは言えない。それどころか戦争で荒れてしまっている。働き続けてきた元傭兵たちに充分な報酬を、旨みのある領地を与えられているとは言えない状況だ。
「成り上がりの弱み、といったところでしょうか。傭兵王は急ぎ過ぎた。強みでもあったそれが今回は悪い結果に結びついたのだと思います」
事を起こしてからずっと動き続けてきた傭兵王。それが結果、周囲の不意を突くことになり、勝利を得ることが出来た一因でもある。だが土台のない所に高く積み上げられたそれは、ひとつの躓きで形を失うことになってしまった。
「再起は可能と思うか?」
「傭兵王の裁量次第では。ただし、レンベルク帝国が侵攻しないという条件付きです」
レンベルク帝国がマーセナリー王国に侵攻すれば、いくつにも分かれてしまっている傭兵集団に抗う力はない。戦力が激減している傭兵王もそれは同じだ。
「レンベルク帝国が動かない可能性はあるのか?」
自分であればマーセナリー王国の占領に動く。メルキオル王太子はこう思う。
「可能性はあると思います。上手く戦わなければ、かつてのマーセナリー王国の二の舞。割拠する小集団に翻弄され、消耗してしまうことになりかねません」
ダクセン王国との戦いで、早々に王都を陥落させたマーセナリー王国であったが、その後、各地に散った王族討伐にかなり手間取ることになり、当初計画を大いに狂わせることになった。マーセナリー王国に比べて遥かに統治能力の高いレンベルク帝国であれば、それほどの不手際を見せることはないはずだが、慎重さは必要だとシュトリング宰相は考えている。
「レンベルク帝国がどう出るか……軽々しい動きはしないのだろうな」
他国不干渉を貫いてきたレンベルク帝国。戦いを仕掛けられたからといって、いきなり領土欲を露わにすることはないのではないかとメルキオル王太子も考えた。
「マーセナリー王国の今後については傭兵王が再び国をまとめ上げるか、マリ王国が吸収してしまうかのいずれかになる可能性が高いと思われます。その後に備えてレンベルク帝国はどうするか。恐らく我が国と同じ考えではないでしょうか?」
「要地を押さえて、次の戦いに備えるか」
先の戦いでマンセル王国はこれを行った。ダクセン王国との国境にある拠点を奪い、そのルートからの侵攻を難しくした上で、本来の敵であるアシャンテ王国と向き合ったのだ。
「問題はどこまで深く踏み込むかですが……それ次第で結論を急がなければならなくなります」
「我が国と国境を接することになるとな……」
レンベルク帝国とマンセル王国が旧ダクセン王国領に手を伸ばした場合、両国は国境を接する、そこまでいかなくてもかなり接近する可能性がある。そうなった場合、マンセル王国はレンベルク帝国とどのような関係を築くか。現時点で敵対の意思はなく、出来れば同盟を、それは無理でも不戦条約くらいは結びたいのだが、他国不干渉が原則であるレンベルク帝国とどう交渉すれば良いのか。
答えはあるのだ。ただその為にはまず仲介を頼む国との結びつきを強めなければならない。
「陛下はまだ悩まれておいでですか?」
「パルス王国との交渉を薦める者は少なくない」
得体のしれない国と国交を開くよりは、大国パルス王国の庇護下に入るほうが安心。こう考える臣下は少なくない。メルキオル王太子とシュトリング宰相であってもその声を無視するわけにはいかない。最終的な決断は国王が行うこと。その意向を無視して事を進めることなど出来ないのだ。
「大国の庇護下で平和に暮らせるのであれば、構わないと思います。ですが、その保証はありません。少なくとも今はまだ戦乱の行方は決まっておりません」
パルス王国もまた戦乱の渦中にある。その状況でパルス王国に従って、はたして自国の利になるのか。何も得るもののないパルス王国の為の戦いに巻き込まれることをシュトリング宰相は恐れている。
「ユーロン双王国との戦争がいつ終わるか。それを読み切れると判断しやすいのだがな」
ユーロン双王国との戦争に駆り出され、それで消耗したくない。だがその戦いがパルス王国の勝利に終わったあとから交渉を開始して、はたして受け入れられるのか。従わせるのではなく奪う。パルス王国がこう考える可能性はある。
「……パルス王国と戦うという決断は難しいですか?」
シュトリング宰相はパルス王国と戦う可能性も考えている。その為にアイントラハト王国とレンベルク帝国、さらにマリ王国も引き込んで、新たな東方同盟を作り上げるという方策だ。
パルス王国が大陸全土の制覇を目論んでいる以上、従属したとしても安心出来ない。一方でアイントラハト王国とレンベルク帝国に、あくまでも現時点ではだが、大陸制覇の野心はなく、関係も対等なものになる可能性が高い。組む相手としてパルス王国よりもずっと条件は良いのだ。
「パルス王国の侵攻を跳ね返せる。そう思えるものが必要だ」
「マーセナリー王国に勝った程度では、ですか……」
「位置関係もな。矢面に立つのは我が国。そう考えてしまうようだ」
パルス王国と戦いになった場合の最前線はマンセル王国になる。後方の安全圏にいるレンベルク帝国、大森林に守られたアイントラハト王国がどこまで本気で支援をしてくれるのか。こういった意見もある。メルキオル王太子、そしてシュトリング宰相もその考えは理解出来る。パルス王国はそれだけ強大な国なのだ。
「情報を得る為にもアイントラハト王国との交渉は進めていこうと思いますが?」
「それは問題ない。こういう表現はなんだが、今の我が国は両勢力を天秤にかけている状況だ。測り間違えることがないように情報は少しでも多く得ておくべきという考えは陛下もお持ちだからな」
「承知しました。では引き続き進めます」
◆◆◆
マンセル王国でメルキオル王太子とシュトリング宰相が今度のことを話し合っている頃、話題に上っていた交渉相手であるヒューガはレンベルク帝国の都にいた。ささやかではあるが戦勝の祝賀会を行うので、それに参加して欲しいというレンベルク帝国の誘いに応じた結果だ。
祝賀会など面倒という気持ちもあり、まだマーセナリー王国の行く末が流動的な状況で前線から離れて良いのかという意見は伝えたのだが、レンベルク皇帝の強い希望ということで同行することになったヒューガ。当初思った通り、誘いに応じたのを後悔することになった。
城に繋がる大通りを進むアイントラハト王国軍に向かって、沿道に並ぶ多くの人々から歓声があがる。これのどこが「ささやかな祝賀会」なのだと思うくらいの歓迎ぶりにヒューガは戸惑っている。ここまで来る途中でもあちこちで沿道に人が立ち、歓声をあげる姿を見てきた。だが、それは同行しているレンベルク皇帝、そしてレンベルク帝国軍へ向けられたもの。そうヒューガは受け取っていたのだが、今、行列にレンベルク皇帝もレンベルク帝国軍もいない。援軍であるアイントラハト王国軍を出迎える形をとる為という理由で、先に入城しているのだ。
「……どういうつもりだ?」
この状況はレンベルク帝国が作り上げたもの。その意図を考えたヒューガであるが、特に思いつくものはない。
「良いじゃない。皆、喜んでくれている。勝った時に、はしゃぐのは普通でしょ?」
隣に並ぶエアルは深読みしていない。勝利を祝いたい気持ちは当たり前のこと。手助けしたアイントラハト王国に素直に感謝を向けてくれているのであれば、それは喜ぶべきことだと考えている。
「そうだけど……」
「そんな渋い顔していないで笑顔、笑顔。なんなら手を振ってみたら?」
「嫌だよ。恥ずかしい」
嬉しいより恥ずかしい。ヒューガがレンベルク帝国の企みを疑うのは、これも理由だ。素直に歓迎の気持ちを受け入れることに照れているのだ。
ただヒューガが考える通り、レンベルク帝国には企みがある。アイントラハト王国、そしてヒューガの印象を良くしようという狙いなので悪いことではない。アイントラハト王国はレンベルク帝国の人々にとって得体の知れない存在。エルフ族だけでなく魔族も暮らす国だ。
関係を強めるにあたって、レンベルク皇帝は国民のアイントラハト王国に対する不安を少しでも払拭しておきたいのだ。その試みは今のところ上手く行っている。レンベルク皇帝が期待していた以上に。
形は似ているが、その巨体と額から伸びる角から、明らかに普通の馬とは異なる不思議な生き物に乗って大通りを進む若き英雄。その彼の隣には同じ生き物に乗った、驚くほど美形のエルフ女性が並んでいる。絵画から抜け出してきたような二人の姿。それだけで沿道に並ぶ人々は大喜びだ。
さらにその後ろには、数は少ないが、鍛え上げられていることが一目で分かる軍勢が一糸乱れず行進している。自国軍とはまた異なる、まるでおとぎ話に出てくるような不思議な雰囲気を持った軍勢。それが帝都の人々を興奮させていた。
「やっと到着だ」
前方にレンベルク帝国軍、そしてその最前列に立つレンベルク皇帝の姿が見えた。単独での行進はすぐそこまで。こう思ってヒューガはホッとした、のだが。
『おぉおおおっ!?』
周囲の人々から、これまで以上の大きなどよめき声があがる。
「……ルナ」
突然、宙に現れて、そのままヒューガの前にチョコンと座ったルナを見て、驚いたのだ。
「ルナも声援を受けたいのです」
「声援って……じゃあ、手を振ってみれば?」
「そうするのです!」
「あっ」
大勢の人の前でも恥じらうルナではなかった。それはそうだ。目立ちたいから人々を驚かせる形で姿を現したのだ。左右に並ぶ人々に手を振るルナ。それを見て、人々は大喜び。その反応にルナも大喜びだ。
「……ルナ。着いたぞ」
「了解なのです」
ただルナの楽しい時間はあっという間に終わり。ヒューガたちはホーホーを降り、歩いてレンベルク帝国軍の前に進んだ。
「最後に主役の座を奪われたな」
笑顔で迎えたレンベルク皇帝の第一声はこれだった。
「最初から主役ではない。俺たちはあくまでもお手伝いだ」
「ふむ。そうであっても危機を救ってくれた同盟軍を歓迎しないわけにはいかない。このあとは城で宴を開くので楽しんでくれ」
「宴……」
歓迎の宴と聞いてもヒューガは喜べない。面倒なことは嫌いなのだ。
「嫌そうな顔をするな。美味いものを食い、美味い酒を飲み、生きていることを喜ぶ。これを少し大人数で行うだけのものだ」
「それであれば、まあ」
「始まれば楽しく感じられる。レンベルク帝国がどういう国かも少しは分かってもらえるはずだ。さあ、行くぞ」
浮かない顔のヒューガの肩を抱いて、城に向かって歩き始めるレンベルク皇帝。それを見ている周囲の人々は、内心で大いに驚いている。レンベルク皇帝は気難しい人ではない。だが臣下や民が気安さを感じられる人物でもない。
そのレンベルク皇帝が、これまで存在も知らなかった大森林の小国の王に向ける親しみ。アイントラハト王国の王ヒューガとは、どれほどの人物なのか。よく分かっていない人々は、レンベルク皇帝のこの態度だけでヒューガに対する評価を一段高めることになった。