速やかに出動をという命令を受けたヴォルフリックではあるが、翌日すぐに目的地に向かうのかとなるとそうではない。一応は準備期間を与えられている。三箇所の任務地のうち、どこに最初に向かうのか。その次はどこの予定か。それを決めてアルカナ傭兵団本部に報告しなければならない。それに合わせて本部から各国に使者が出る。何の通達もなく現地に行って、暴れるわけにはいかないのだ。
ヴォルフリックの部屋に集まって、話し合いを行っている愚者のメンバー。テーブルの上には渡された資料が広がり、さらに壁には大陸中央部の地図が貼られている。
「……普通に考えれば近いところからですか?」
三箇所の中からどこを最初にすると決めるといっても、これといった判断基準があるわけではない。
「資料を見る限りはどこも盗賊団の規模は同じ。被害状況も同じだからね」
クローヴィスの考えにフィデリオは同意、とまではいかないが肯定的な発言をしてきた。
「近衛騎士団はこういう場合、どう決めるのですか?」
「近衛が国外に出ることはないからね。この国の場合は王国騎士団も同じ。では国内ではどうするのかとなると、その場合は色々あるからね」
ノートメアシュトラーセ王国では近衛騎士団だけでなく、王国騎士団も国外で活動することはまずない。周辺国は全て同盟国。対外戦は二大国に属する国との戦いであるが、その場合はアルカナ傭兵団が担当することになる。
出番のない王国騎士団に不満はないわけではないが、この状況は、まだ二大国との戦いが本格的なものになっていないということ。おおっぴらに文句は言えない。
「色々、ですか……」
「声の大きい人のところが優先されるということだよ。まあ、陛下の代になって、あまりそういう声も聞かなくなったようだけどね」
他に聞いている人もいないのに小声で説明するフィデリオ。貴族批判と受け取られかねないこういう話は、おおっぴらに話すべきではないと示しているつもりだ。
ただそれを分かってもらいたいヴォルフリックは、考えることに集中していて、聞いていない様子だ。
「何か気になることでもあるのですか?」
そのヴォルフリックに声を掛けるクローヴィス。自分たちがいくら話し合っても、最後はヴォルフリックが決めること。参加してもらわないと困るのだ。
「同じ過ぎないか?」
「何がですか?」
「盗賊の規模。それに行動周期。今回の三つだけじゃない。前回任務の盗賊団とも同じだ」
盗賊団の規模はどれも二十人前後。半月に一度は、その地で被害が出ている。これらが似ていることをヴォルフリックは疑問に思っていた。
「上層部は、東のオストハウプトシュタット王国か西のベルクムント王国が裏で糸を引いていると考えているそうです。規模もやることも決められているのではないですか?」
「……お前、そういうことは早く言え」
「何か分かったのですか?」
新しい情報を得たことで、ヴォルフリックは何か考えついたのかと思って、期待したクローヴィスだが。
「考えている時間が無駄だった」
「……すみません」
さすがに期待しすぎだった。
「ベルクムント王国だと思うよ」
だが意外な人から思わぬ発言が飛び出してくる。ブランドだ。ずっと退屈そうに座っている、時には居眠りまでしていたブランドが、裏で糸を引いているのはベルクムント王国だと言ってきたのだ。
「どうしてそう思う?」
そう思う根拠を尋ねるクローヴィス。
「だって盗賊団のアジトにベルクムント王国の金貨があった。ほら、これ」
こう言ってブランドは、ポケットから取り出した金貨をテーブルの上に置いた。金色に輝く金貨。表面にはベルクムント王国の国鳥デアルクラーニヒが刻まれている。
「これは?」
「だからベルクムント王国の金貨。もしかして見たことない?」
「見たことはないが、聞いているのは、そういうことじゃない。何故、君がこれを持っている?」
「盗賊のアジトで拾ったから」
「……それは拾ったじゃなくて、盗んだ」
予想通りの答えではあるが、望んでいた答えではない。クローヴィスは頭を抱えたくなった。
「ええっ? 悪党のアジトにあったのを持ってきただけだよ?」
「悪党のアジトにあった物は、ヘァブストフェスト王国が回収して、そこから被害者に返されるんだ。それを盗んだら駄目だろ?」
アルカナ傭兵団には別途、ヘァブストフェスト王国から依頼料が支払われる。そして依頼を行った団員には傭兵団から報酬が渡されることになる。
「大丈夫。その国の人はベルクムント王国の金貨なんて持っていないよ」
「それは……そうかもしれないけど」
ベルクムント王国の商人であれば持っている。ただ黒幕がベルクムント王国であれば自国の商人を襲わせるか。ではオストハウプトシュタット王国が黒幕なのかとなるのだが、そうではないだろうとクローヴィスは思う。
「持っているのはこれだけか?」
ブランドがポケットから出したのは一枚だけ。もっと持っているではないかとクローヴィスは疑っている。
「残りは全部、ヴォルフリックに先に取られちゃった」
「はっ?」
金貨を懐に入れていたのはブランドだけではなかった。それどころかヴォルフリックのほうが多くを持っている。
「だって……落ちていた物を拾ったら、拾った人の物だ」
一応は悪いことをしたという自覚がある様子のヴォルフリック。クローヴィスがきつい目で見ているから、そう思っているだけだが。
「あ、貴方たちは……いったい、どういう教育を受けてきたのですか!?」
「受けてない」
「ギルベアト様は!? こんな真似をすれば、怒られたでしょ!?」
貧民街の孤児であるブラントは教育を受ける機会はなかったかもしれない。だがヴォルフリックにはギルベアトがいた。近衛騎士団長まで務めた彼がそんな考えを許すはずがないとクローヴィスは思ったのだが。
「ああ……いや、そんなには。なんか、午後に行ったら午後に従えとか言って、笑ってたな」
「郷に入っては郷に従え、です。いや、だからって……」
貧民街には貧民街のルールがある。そこで常識を振りかざしても仕方がない。じゃあ、死ねというのかと言い返されるだけだ。
「良いじゃないか。この金でもう少し動きやすい防具でも買えば、任務ももっと上手くやれる。傭兵団の為になる」
「…………」
目を細めてヴォルフリックをじっと見つめているクローヴィス。ヴォルフリックの口から傭兵団の為なんて言葉を聞いても白々しいだけ。この場をごまかす為に、心にもないことを言っているのは明らかなのだ。
「なるだろ?」
「……もう二度としない」
「努力する」
「努力?」
クローヴィスの目がさらに釣り上がる。
「……二度としません」
それを見たヴォルフリックは、この場は引くことにした。下手に粘って、金貨を取り上げられるようの事態になっては困るのだ。
「では今回は目をつむります」
「内緒にしていいのかい?」
クローヴィスが見逃してくれたと思ったら、今度はフィデリオが口を挟んできた。
「良心の問題だけで言っているわけじゃないよ。この金貨はベルクムント王国が黒幕であることの証拠になるかもしれない。それを傭兵団本部に隠しておいて良いのかな?」
ヴォルフリックとブラントに睨まれて、慌ててただ良心が咎めるというだけで言い出していたのではないことを説明するフィデリオ。
「……確かに。でもベルクムント王国が黒幕だと分かって、それで何が変わる?」
「何が……そう言われてしまうと……」
ベルクムント王国に抗議したとしても、相手が受け入れるはずがない。では力ずくで解決を、なんてことにもならない。ベルクムント王国との直接対決など、少なくても現時点では、中央諸国連合は望んでいないのだ。
「二国のどちらであろうと黒幕がいることは、すでにわかりきっていること。それで十分だ」
「そうだとしても、それはヴォルフリック様が言うことではないような……」
それを決めるのはアルカナ傭兵団本部、もしくは国王であり、団長でもあるディアークだ。ヴォルフリックの立場では勝手な判断をすることなく、分かったことを伝えるのが義務。
「細かいな」
「もとは近衛騎士団所属ですから」
騎士団に所属する者として、ずっと求められていた規律。それがフィデリオには染み付いている。
「でも今は傭兵で、俺の従士。この件は報告しない。代わりにこの先の任務で、また証拠を見つければいいだろ?」
「……ヴォルフリック様がそう言うのであれば」
ヴォルフリックの言う通り、今は近衛騎士団の騎士ではない。個人のモラルは横に置いて、ヴォルフリックに従うことにした。実際、ヴォルフリックの言う通り、報告したからといって、大きく何かが変わるわけではないのだ。
「じゃあ、この話は終わり。いや、防具を買いに行かなければか……時間あるかな?」
「ここに呼べば良いのです」
「偉そう」
「偉そうって……両騎士団と傭兵団があっての武具屋です。まして既製品ではない物を買ってくれるとなれば、喜んで来ますから」
既製品よりも遥かに高いオリジナルの武具を買ってくれるとなれば、武具屋は大喜びで飛んでくる。それで気に入ってもらえれば後々の商売にも繋がる、その機会を逃すはずがない。
「じゃあ、そうする」
「では手配しておきます。必要なのはもっと動きやすい防具ということで良いですか?」
さすがに一から作っている時間はない。条件に合いそうな物を持ってきてもらい、その中からヴォルフリックが気に入る物を選んで、体に合わせるのだ。
「まあ、そう」
「わかりました」
武具屋の手配が決まったところで、金貨の話は本当に終わり。話を戻して、討伐の順番を決めなければならないのだが。話し合いが再開される前に邪魔が入った。
「失礼します!」
部屋に入ってきたのはセーレンだった。
「ノックは?」
断りを入れることなく部屋に入ってきたセーレンにクローヴィスが文句を言う。
「あっ、つい、いつもの癖で」
「どういう癖だ?」
「もう、うるさいな。クローヴィスが文句を言うことじゃないでしょ?」
「言うことだ。君はあくまでも世話係。この会議に参加する資格はない」
セーレンが従士になりたがっていることはクローヴィスも知っている。今に始まったことではないのだ。
「分かっているわよ。従士になるのは父を説得したあと。そういう約束だもの」
いつの間に、そんな約束をしていたのかと、クローヴィスは視線だけでヴォルフリックに問いかけた。それに首を横に振って答えるヴォルフリック。父親を説得出来たら従士になれるというのは、セーレンが勝手に決めていること。ヴォルフリックにそのつもりはない。
「いつまでもお待たせするのは失礼だから、その話は後で。ヴォルフリック様、お客様です」
約束などないことを訴えようとしたクローヴィスの機先を制して、セーレンは来客がいることを告げてきた。
「客?」
ヴォルフリックには来客にまったく覚えがない。部屋に訪ねてくるような知り合いは、すでにこの場にいる愚者のメンバー以外にはいないのだ。
「……会議の邪魔をして申し訳ないね」
セーレンが来客が誰か答える前に、本人が姿を見せてきた。ヴォルフリックと同年代で髪の色も同じ黒。ディアークの息子で、この国の王子、さらに太陽の称号を持つ上級騎士でもあるジギワルドだ。
来客が何者か分かって、慌てて立ち上がったのがフィデリオとクローヴィス。ヴォルフリックとブランドは怪訝そうな顔をして、座ったままだ。
「ジギワルド王子殿下です」
相手が誰か分かっていないのかと思って、ジギワルドが王子であることをクローヴィスが二人に伝えたが。
「馬鹿にするな。それくらいは知っている」
ヴォルフリックに文句を言われることになった。分かっているなら立てという話なのだが、それを告げてもヴォルフリックは言うことを聞かない可能性がある。そうであれば触れないほうが気持ちマシかと思って、クローヴィスは黙っていることにした。
「いきなり来て、お願い事なのだけど良いかな?」
ジギワルドに二人の態度を気にする様子はない。臣下の無礼をいちいち咎めるような性格ではないのだ。
「聞いてみなければ分からない」
またクローヴィスがヒヤッとするような態度をみせるヴォルフリック。
「それもそうだね。少し時間をもらいたくて。良ければ、お茶を飲みながら話をしないか?」
「時間はない」
「えっ?」
クローヴィスが口出しをする間もなく、きっぱりと拒絶するヴォルフリック。これにはさすがにジギワルドも驚いた様子だ。
「あの、今は任務について打ち合わせをしておりまして。出発まで時間がないものですから、少し焦っておりまして……」
遅ればせながら拒絶の理由を説明するクローヴィス。実際にヴォルフリックが拒絶した理由も同じ。彼の場合は、この理由がなければ他を考えたかもしれないが。
「忙しいのは良く分かっていてのお願いなんだ。だからせめて、お茶とお菓子を用意してもてなそうと思ったのだけど……困ったな。母上はもう準備しているだろうし」
忙しいのは分かっている。ジギワルドも次の任務が入っている。その準備の時間を削って、ヴォルフリックの話を聞こうとしているのだ。母親に頼んでもてなしの準備までして。まさか断られるとは思っていなかったジギワルドは、少し焦った様子だ。
「……そのお菓子って美味しい?」
「えっ?」
「用意しているお菓子って、美味しいの?」
もてなしに食いついたのはブランド。期待を込めた瞳で、ジギワルドの答えを待っている。
「正直、君たちが育ったベルクムント王国のお菓子を超えるかと聞かれると、自信を持って断言は出来ない。でも私はとても美味しいと思っている」
ヴォルフリックとブランドが育ったベルクムント王国は豊かな国だ。その国のお菓子と比べられるとジギワルドには自信がない。それでもこの国では一番だと思っている。
「じゃあ、すぐに行こう」
「……良いのかい?」
ブランドは乗り気になってくれたが、肝心のヴォルフリックはどうなのか。ジギワルドは問いをヴォルフリックに向けた。
「……良い」
少し考える間があったが、ヴォルフリックも了承を返す。それを聞いたジギワルドの顔に喜色が浮かんだ。
「じゃあ、案内するよ。付いてきて」
先に廊下を出て、そのまま前を歩くジギワルド。部屋に入ることなく廊下で控えていた従士も一緒だ。
「……同じ息子でも随分と雰囲気が違うな」
その背中を見ながら、ジギワルドの耳に届かないような小さな声で、ヴォルフリックはクローヴィスに問いかけた。オトフリートには言いがかりと思うようなことで、二度ほど絡まれている。それに比べるとジギワルドの態度はかなり穏やかなものだ。それにヴォルフリックは少し驚いていた。
「母親が違うのです。ジギワルド様の御母上であるオティリエ様はそのお人柄で臣下の尊敬を集めている方で、陛下の為に王国の融和に力を尽くして来られました。今の王国の安定はオティリエ様の存在があってこそと言っても過言ではないでしょう」
「……ふうん」
ジギワルドの性格について聞いたら、母親をべた褒めする言葉がクローヴィスの口から語られた。ではオトフリートの母親はどうなのかとヴォルフリックは思ったが、その説明はクローヴィスからなかった。聞かなくても決して良いものではないことは想像がつく。
ただヴォルフリックには良い母親というものが想像出来ない。本人はもちろん、ずっと一緒にいた仲間たちもほとんどは孤児。母親がいても普通ではないのが明らかな家庭ばかりだったのだ。
その良い母を初めて見ることが出来るかもしれない。そんなことを思いながら、ヴォルフリックは歩いている。