アルカナ傭兵団の施設は王城のすぐ隣、王国騎士団と一部の施設を共有しているが、その部分を除いても、かなり広大な敷地だ。そこにあった王家と有力貴族家の屋敷はすべて取り壊し、王国騎士団の施設があった場所はそれを別の場所に移し、さらに王城の敷地だった場所まで加えて造り出した敷地。いざという時には、王国騎士団施設とともに王城への侵入を防ぐ防衛施設にもなるので、軍事的な面では、城は拡張された形だ。
エアカードとの話を終えて、文官の案内でその施設に向かったヴォルフリック。自由に出入りを許されていないという点については、エアカードの話は嘘ではなかったようで、施設の入り口のところで文官とは別れることになった。
「ここから先は私が案内する」
代わりに案内してくれることになったのはヴォルフリックと同年代くらいの騎士服姿の男。
「…………」
怪訝そうな顔で相手を見つめているヴォルフリック。
「……クローヴィスだ」
その視線にクローヴィスは戸惑いを覚えながら、名乗った。
「クローヴィス。お前は何を企んでいる?」
「はっ?」
「ここには色々な思惑を持っている奴がいるから気をつけろと言われた。そう言った奴もとんだペテン師だったから、お前はどうだかと思って」
「……私はただ案内役を命じられただけだ」
とんでもなく変なやつ。それがクローヴィスのヴォルフリックに対する第一印象になった。正しい認識だ。
「そうか……じゃあ、お願い」
「ああ、こっちだ」
クローヴィスの先導で入り口の門をくぐる。門を抜けた先は高い壁が両側にそそり立つ通路だった。少し進むと通路は左に折れる。そこで幅は一気に広くなっていた。その少し先はまた壁。よく見れば右に曲がっているのが分かる。
壁の上に視線を向けるヴォルフリック。だが下からでは上の様子はまったくわからなかった。
「……今は何も置かれていない」
先を歩いていたクローヴィスが今は何もないことを伝えてきた。つまり何かが置かれる時があるということ。石か熱せられた油か、とにかく侵入してきた敵を攻撃する何かだとヴォルフリックは思った。
さらに先に進んで通路を右に折れ、また右に。曲がる度に通路は広くなったり、狭くなったり。順番にそうなるのかと思えば不規則であったり。それも敵の侵入を防ぐ仕組みなのだと考えながら、ヴォルフリックはクローヴィスの後について、通路を進んでいく。
通路の幅が一気に広がり、両側の壁に扉が並んでいる場所にたどり着いた二人。クローヴィスは迷うことなく、いくつもある扉のひとつを選んで、中に入っていく。
「これを全部覚えるのは大変そうだな」
なんて呟きを漏らしながら、ヴォルフリックも続く。
「ここは住居棟への入り口だ。今は、だが」
「違う時もあるってことか?」
「原則、月に一度、変わることになる。ここを出ていく者もいるので、そうした者から情報が漏れても問題ないようにだ」
「うへぇ」
さらに覚えるのが大変になると考えて、ヴォルフリックはうんざり顔だ。
「長くいれば慣れる。行くぞ」
通路を奥に進むクローヴィス、だが。
「……何をしている?」
ヴォルフリックは付いてきていなかった。入り口近くにとどまったまま、壁をあちこち押している。
「行き先が変わるってことは壁が動くってことかと思って」
「そうだが、人の手で簡単に動くようでは意味がないだろ?」
「……それもそうか」
壁が動くのは間違いない。さらに人の手では動かないということは、何らかの動かす仕組みがあるということ。そして恐らくはその仕組みを動かす場所も。それを知ったからといって何の役に立つか分からないが、今はとにかく情報を得ることだとヴォルフリックは考えている。
通路を進むとすぐに長い階段があった。それを上に昇ると周囲が一気に明るくなる。陽の光が入ってきているのだ。
「……ここから壁の上に出られる。一応教えておくと、この上を進んでも城の入り口まではたどり着けない」
ここまで昇ってこられれば城内に侵入するのは容易、なんてことにはなっていない、壁の上部は所々、先に進めないように塞がれているのだ。
「このフロアには大食堂と室内鍛錬場がある。居住スペースはさらに上だ」
目的の場所はもうひとつ上。クローヴィスとヴォルフリックはさらに階段を昇っていく。ひとつ上の階に出ると廊下にずらりと並ぶ多くの扉が目に入る。
「奥の部屋だ」
ヴォルフリックに割り当てられた部屋は一番奥の部屋。入り口すぐには十人は座れる大きなテーブルが置かれた、それでも余裕のある広い部屋。その奥には机や本棚が置かれている執務室とその隣に寝室がある。手前の部屋だけでもギルベアトと暮らしていた家よりも広い。ヴォルフリックにとってはかなり贅沢な環境だ。
「上級騎士用の部屋だ。従士たちを集めて打ち合わせなどを行うこともあるので、広く作られている」
ヴォルフリックに用意されたのは上級騎士用の部屋。見習いではあるが住居環境については待遇に変わりはなかった。
「他の上級騎士もここに?」
「部屋はいくつかあるが実際に使われているのはエアカード殿だけだ。他の上級騎士は別に屋敷を与えられている。家族で住むにはこれでも狭いからな」
実際には家族がいなければ他に屋敷が与えられないわけではない。上級騎士には、実績に応じてだが、貴族並みの待遇が与えられる。貴族並みといっても大国の貴族と比べれば質素なものだが、ノートメアシュトラーセ王国内では最上級の待遇になる。王都屋敷もその一つだ。
「……分かった」
「ここでの暮らしの細かいことは、あとから来る世話係が説明してくれる。といっても掃除、洗濯は希望した時に世話係がやってくれる。食事は十二時と十八時の二回、食堂に行けば食べられるし、軽食程度であれば別に用意してもらえる。これくらいだ」
「……さっきあった鍛錬場は自由に使えるのか?」
「陽が出ている間、という条件付きで」
「道具は?」
「鍛錬場に倉庫があって、その中にある。そこの鍵が空いているのが明るい間だけということだ」
倉庫に置いてある武器は刃を潰してある鍛錬用の剣や槍。だからといって二十四時間解放しているわけにはいかない。刃が潰れていても人を傷つける武器になるのだ。
「ずっと借りていることは出来ないのか?」
「ああ、そうか……俺では答えられないので、聞いてみる」
「じゃあ、頼む」
ヴォルフリックは自前の武器を持っていない。取り上げられたままなのだ。それがいつまでのことがクローヴィスには分からない。ヴォルフリックに武器をもたせるかどうかは上の判断だ。
「他に何か聞きたいことあるか?」
「いや、ない」
実際には、ないわけではないのだが、それはあとから来るはずの世話係に聞くことにした。ここで暮らす以上は、世話係とは嫌でもこの先ずっと付き合うことになるのだ。
「……もう良いけど?」
立ち去ろうとしないクローヴィスに用はないと告げるヴォルフリック。
「いや、俺のほうに用がある」
クローヴィスが立ち去らないのにはわけがある。ここまでの案内のほうがおまけ。本題はこれからなのだ。
「何?」
「……俺をお前の従士にしてもらいたい」
「嫌だ」
「はっ?」
「だから、イ・ヤ・だ」
クローヴィスの申し出をきっぱりと拒否するヴォルフリック。
「何故?」
その理由がクローヴィスには分からない。ヴォルフリックは従士を雇っていかなければならないが、次の従士試験までは候補者はほとんどいない。志願してきた相手を拒否出来る立場ではないはずなのだ。
「変な魔道具をはめたクソ爺が厄介な輩が近づいてくるから気をつけろと言っていた。俺は騙したクソ爺だが、これは正しいと思う」
「俺は厄介な輩なんかではない」
「そんなの分からない。それに仮にそうではなかったとしても、これまで誰も雇ってくれなかった約立たずだ。危険な任務を共にする気にはなれない」
「俺は役立たずではない!」
役に立たないと言われて怒りを露わにするクローヴィス。実際に、彼がフリーでいるのは能力が低いからではない。ただそれについてはヴォルフリックも分かっている。分かっていて挑発しているんだ。
「じゃあ、どうして?」
「それは……」
さすがにこんな単純な策には引っかからなかったクローヴィス。だが引っかからなかったからといって結果が良くなるわけでもない。
「何らかの訳あり。それも俺には話せないような理由だ。お前はそういう相手に命を預けられるのか?」
「…………」
黙り込むクローヴィス。ヴォルフリックの言葉に反論出来ないのだ。
「だから従士には出来ない。理由は納得出来たはずだ」
「……側に誰もいないと不便だ」
「それは認める。だからといって側にいるのがお前でなければならない理由はない」
「…………」
今のヴォルフリックにクローヴィスを受け入れる気持ちは微塵もない。クローヴィスだからではない。この時点では誰が言ってきてもヴォルフリックは拒否した。
気まずい雰囲気、といってもクローヴィスが一方的に発しているのだが、を崩したのは扉を叩く音。そのすぐあとに聞こえてきた声だ。
「失礼します! この部屋のお世話係となったセーレンです! よろしくお願いします!」
部屋に入ってきたのは銀色の髪を肩で揃えた、黒い世話係の制服を着た女の子。ぱっと見は怜悧な感じがするのだが、良く動く黒い大きな瞳が幼さを感じさせる。
「……では私はこれで」
世話係のセーレンと入れ替わりに部屋を出ていくクローヴィス。そのクローヴィスと視線を交差させたセーレンは、笑みを浮かべて彼の背中を見送ると扉を閉めて、ヴォルフリックに向き直った。
「……何か?」
自分をじっと見つめているヴォルフリックに気がついて、少し戸惑い顔のセーレン。
「彼はここ長いの?」
「えっ? ああ、クローヴィスですね。そうですね。かなり長いです」
「まだ誰にも仕えていないと聞いた。何か問題があるのかな?」
「……真面目すぎるとことでしょうか?」
少し考えてセーレンはヴォルフリックの問いに答えを返した。
「真面目だから仕える相手が見つからない? そんなことある?」
真面目であることが敬遠される理由になるとは思えない。
「それは……彼が相手を選んでいるのです。これだと思う人が見つからなくて」
選ばれていないのではなく、選んでいない。誰にも仕えていない本当の理由をセーレンは話すことになった。
「ふうん……それで彼の父親って、どのカードの人?」
「えっ?」
突然の問いに戸惑いを見せたセーレン。自分は何か失敗してしまったのかと考えて、大きな瞳が泳いでいる。
「良かった。どうやら不意を突けたみたいだ」
そんな彼女に嬉しそうな笑みを向けるヴォルフリック。世話係の彼女も曲者である可能性を考えていたのだが、これまでの反応では予想を大きく下回る普通の感じ。簡単にわかりやすい反応を見せてくれた。
「えっと……」
「隠してもいずれ分かることだ」
「……アーテルハード様、です」
「名前言われてもな……」
「法王の称号を持つ」
「それも分からない。俺、その人に会ったことあるのかな?」
「貴方が大広間で陛下に、その、襲いかかろうとした時に止めた人です」
これを知るセーレンもただの世話係ではないことが明らかになった。
「ああ、あの人か……あの人の息子ね。じゃあ、腕については信用出来たのか」
現時点では戦いにもならないと思ってしまう相手。その息子であれば、それなりに鍛えられているはずだとヴォルフリックは考えた。
「……従士にされるのですか?」
「それって良いの?」
「良いのって、何がですか?」
「盗み聞きしていたってことだよね? 俺と彼の会話を。そうじゃなければ彼が従士になりたいって言ったことなんて分かるはずがない」
「……はい。すみません」
ハッとした表情をして、すぐに謝罪を口にするセーレン。
「まあ、良いけど。それで用件は何?」
「ご挨拶ついでに着替えをお持ちしました。あと洗濯が必要な場合は、扉の横に置いてあるカゴに入れておいてください。こちらで洗います。掃除は基本、毎日致しますがご希望の時間帯とかありますか?」
「日中であればいつでも」
ずっと部屋にこもっているつもりはない。やるべきことは山程ある。ヴォルフリックにはすでにそれが分かっている。
「承知しました。お食事は下の階の食堂で召し上がることになります。時間はお昼が十二時から。夜は十八時からです。軽食であれば日中はいつでもご用意出来ますので、私か、いなければ食堂の職員にお申し出ください」
「分かった」
「他に何かお知りになりたいことはありますか?」
「……本を読める場所は?」
少し考える振りをしてヴォルフリックはこれを尋ねた。
「本、ですか……図書室であれば隣の棟にあります。ここからですと一つ下の階に降りて、食堂の横にある廊下を進んでいただきますと渡り廊下が見せてきます。そこを渡って突き当りを左に折れ、右手にある階段を降りると図書室があるフロアになります。扉の上に看板が出ていますので、すぐに分かると思います」
「図書室はいつでも開いているのかな?」
「確か……十時から十六時の間が自由に閲覧出来る時間だったと思います。念の為に調べておきますね」
「お願い。あとは下の階以外に鍛錬場はないのかな? 出来ればもっと広いところ」
調べものと鍛錬。当面はこの二つがヴォルフリックのやるべきこと。ただその二つにかける時間が長いのだ。
「屋外の施設があります。図書室がある棟のさらに先にあるのですが……よろしければ、あとでご案内致しますか?」
「そうだね。じゃあ、昼食のあとにでもお願いしようかな」
「わかりました」
「聞きたいことは以上。セーレンさんのほうはまだ何かあるかな?」
「いえ。ありません」
「じゃあ、また午後に」
「はい。ごゆっくりお休みください」
扉の前で一礼してから廊下に出ていくセーレン。一人っきりになったところでヴォルフリックは、まずセーレンが持ってきてくれた着替えを手に取り、片付けを始めた。
タンスは寝室。持ってきてもらった着替えをしまうには十分すぎる収納力だ。
(……従士にってのは監視役ってことだよな。あの人の息子が監視役。これはどう捉えれば良い?)
クローヴィスが従士になりたいと申し出てきたのは自分を監視する為。それは分かるが、その目的についてはヴォルフリックは少し悩んでいる。
(単純に俺が逃げ出さないように。そうだとすればクソ爺の魔道具には欠陥があることになる)
足首につけられた魔道具が完璧なものであれば監視なんて必要ない。魔道具に欠陥があるのか、それとも逃亡しないように監視するわけではないのか。どちらの可能性もある。
(逃亡防止でなければ……面倒な奴らを近づけさせない為。これはあるな。ただあの人の息子が監視役である必要あるか?)
反王国、というより反傭兵団の人たちをヴォルフリックに近づけない為。恐らくは傭兵団の中でも上位にいるであろう人物の息子が、自分の側にいれば近づきづらいだろうとヴォルフリックも思う。だがそういう人々の接近をそこまで警戒する必要があるのかとも思う。
ヴォルフリックはアルカナ傭兵団の施設にいるのだ。誰と会っていたなんでことは簡単に把握出来るはずだ。
(……謀反人候補をあぶり出すつもりはないのか? だったら俺を生かす理由はない)
わざわざ事を荒立てる必要はないと考えている可能性をヴォルフリックは考えた。再びの反乱は成功しない。その自信があるのであれば、国内で混乱を起こしたくないという考えになるのも理解出来る。
ただその場合は、格好の囮である自分を何故生かしているのかという疑問がヴォルフリックには湧いてくる。
(……カードか。だとすれば次の同じ儀式で選ばれなければ俺は殺されるな。いつなのか早めに知っておかないとか)
ヴォルフリックの頭の中には、ミーナの息子ということで自分に向けられているアルカナ傭兵団の好意が、前提条件として入っていない。殺されるか利用されるか。このどちらかで考えてしまうのだ。
(……情報を得るなら世話係だな。どちらも騙すのは簡単そうだけど、世話係のほうは騙されたことにも気づかないでいてくれそうだ。彼女も上級騎士の誰かの娘である可能性は高いけど……傭兵なんていってもこの待遇だからな。良家のお嬢ちゃんってことか)
世話係のセーレンも監視役。それも、クローヴィスと同じように上級騎士の誰かの子だとヴォルフリックは考えている。二人の間に漂う雰囲気には慣れがある。実は二人は恋人同士なんてことでなければ、かなり昔からの付き合いがあるのだとヴォルフリックは判断した。ヴォルフリックにもいる幼馴染のような関係だと。
その幼馴染たちとヴォルフリックは、ギルベアトの目を盗んで、小さな頃から悪さをしてきた。孤児である彼らが生きる為には、そういうことが必要だったのだ。その経験と知識がヴォルフリックにはある。傭兵を名乗っていてもその暮らしは貴族並み。本人であればまだしも、その子どもたちでは強かさとずる賢さでヴォルフリックに敵うものではない。