鬼化した者たちが暴れ始めた。それを止めようとしている特殊戦術部隊と寝返り組。あちこちで始まった戦い。戦場に喧騒が広がっていく。
そんな中。戦場の中心では月子たちが尊と向かい合っていた。静寂の闇に包まれた空間。それは月子が作り出した世界。特殊戦術部隊に、出来るだけ戦いを邪魔させない為に幻影空間を展開したのだ。
誰かの息を呑む音。それが、きっかけとなった。尊の周りでウネウネと動いていた八つ首が月子たちに襲い掛かる。それを止めたのは、金色に輝く八つの尾。九尾の精霊力だ。
「ほら、俺のほうが多い。いけぇええええっ!」
残る一つの尾を尊に向ける九尾。
「なっ!?」
だがその尾は、尊の体に届く前に、剣に断ち切られて霧散した。
「蛇を止めただけで上出来だ。行くぞ!」
動揺している九尾に一声かけて、牙が前に出る。地面から伸びる先の尖った木の根。それが尊に向かって、伸びていく。
それを防ごうと動き出す尊の八つ首。その行く手を阻むように立ち上がったのは、牙のそれとは違う、幾本もの太い幹。
「なんか私、地味じゃない?」
それを操るミズキが不満そうな声をあげている。
「十分、派手だよ。届けぇええええっ!」
木の間を縫って炎の矢が、尊に向かって飛んでいく。その炎の矢は、先に尊を囲むように伸びていた牙の操る根に届き、爆発したかのような勢いで燃え上がる。
「ミズキ! 土門!」
月子の指示を受けた二人。尊の周囲に伸びる木々。それに火が燃え移り、さらに勢いが増す。それを囲む形で立ち上がる土の壁。
「フウ!」
「はい!」
月子の呼びかけに返事をしたのは、フウこと霧谷(きりたに)風真(かずま)。彼の周囲に舞い上がる土埃。それは勢いを増しながら、土門が作った壁の向こうに飛んでいった。風に煽られて、上空高く立ちのぼる炎。
「……やり過ぎじゃね?」
「……いや。来るぞ!」
土門が叫ぶとほぼ同時に壁が吹き飛び、黒い蛇の首が飛び出してくる。それを止めようと動き出す九尾の尾。だが、今回は。
「ぐっ、ぐぁああああっ」
前を塞ぐ尾を突き破った蛇の首が、九尾の腹に突き刺さる。
「九尾!」
「馬鹿、月子! 前を見ろ!」
「えっ?」
コウの声を受けて、視線を前に戻した月子。その瞬間に強い衝撃を受けて、自分の体が吹き飛ぶのを感じた。
「んっ……くっ……」
地面に叩きつけられた衝撃に、うめき声をあげる月子。地に倒れた月子の前には、背後の炎に照らされて、ゆらゆらと不気味にうごめく八つの蛇の首があった。
「……ミ、ミコト。お願い! 正気に戻って!」
月子の願いも空しく八つ首の蛇は、次々と仲間に襲い掛かり、彼等を地に倒していく。
「……や、止めて。ミコト、止めて!」
月子の必死の呼びかけにも尊は反応しない。次々となぎ倒されて、地面に突っ伏していく仲間たち。反撃する力は、もうない。
「……殺すなら……殺すなら、私を先に殺しなさい! さあ、こっちよ! ミコト!」
尊の気を引こうと叫ぶ月子。それに応えて、痛みを堪えながら立ち上がった彼女に向かって、地を這うように伸びてくる八つの黒い影。
「……皆……ごめんね」
自分が先に死んでも、何の解決にもならない。ただ月子は、尊が仲間を殺す場面を見たくなかっただけだ。
不気味な黒い蛇はもう目の前。間もなく月子の体を貫くと思われたところで――光の壁がその前に立ち塞がった。黒い蛇を跳ね返す輝く壁が。
「殺させない。大切な仲間を殺すなんて駄目! そんなこと絶対にさせない!」
尊に向かって叫ぶ天宮。その彼女に向き合う尊。尊の黒く染まった瞳が天宮に向けられた。その視線に反応して、彼女の体が眩い光に包まれる。その手には同じ輝きを持つ剣が握られていた。
黒い蛇の一つが天宮に向かって、その首を伸ばしてくる。それに構わずに天宮は、尊との距離を詰めた。
「……信じる。信じているから」
左側面から回り込むように襲い掛かってきた黒い蛇。その方向に合わせて、天宮の体を包む光が輝きを増した。
「くっ」
衝撃を感じた天宮。だが、それに耐えきって天宮は前に踏み込んだ。振り下ろした剣。それは無音で、尊の持つ剣に止められる。
さらに切り返して、剣を横に薙ぐ天宮。尊はそれを軽く後ろに跳んで躱すと、地面を滑るように低い姿勢で前に出てきた。
黒い蛇に足を払われる天宮。光がかなり軽減してくれたが、衝撃を完全には受け止めきれずに、天宮は体勢を崩してしまう。
そこに振るわれる尊の剣。天宮は地面を転がって、それを避けた。
「はあ、はあ、はあ」
戦いが始まって、まだ数分。それでもう天宮は息を切らしてしまう。天宮にとっては何十倍にも感じる時間なのだ。
息を整えながら、立ち上がる天宮。その天宮に左右から黒い蛇が襲い掛かってくる。一瞬の迷い。それが天宮に隙を作る。そもそも迷う必要などないのだ。
「んぐっ……あっ……」
これまでとは異なる強い衝撃を受けて、その場に跪く天宮。目の前を塞ぐ黒い影は、尊のものだ。見上げる天宮の目に入ったのは、感情のない黒い瞳、釣り上がった口角だった。
ゆっくりと振りかぶられる剣。その瞬間に天宮は死を覚悟した。止められなかった。そんな後悔の思いも胸に湧いてくる。
瞳から溢れる涙。天宮はそっと目を閉じて、その時を待った――唇に何かが触れる感覚。そして。
「そんな簡単に諦めないでもらえますか?」
聞き覚えのある声が、耳に届いた。
「えっ……?」
目を開けた天宮。その瞳に映ったのは、いたずらっ子のような笑みを浮かべている尊だった。
「最後まで彼女を信じ切れなかった。それが敗因ですね」
「それは……ごめんなさい」
左右どちらに対処するか迷った。迷う必要などなかったのだ。どちらからも守ってくれるはずだった。それを自分の思考が邪魔したことを、天宮も気付いている。
「信じ切ること。諦めないこと。この二つを忘れなければ、貴女はもっともっと強くなれます」
「尊に勝てるくらいに?」
「えっ? 呼び捨て?」
「あっ……」
会えない間、心の中ではずっと名で呼んでいた。それが言葉として出てしまったことに、天宮は照れている。
「まあ、いいか。貴女と僕の仲だから……初めてだった?」
「……えっ? ええっ!?」
天宮の手が自分の唇に伸びる。唇に何かが触れた感触。その何かは何だったのか。それを考える余裕が出来たのだ。恥ずかしさで耳まで真っ赤に染めている天宮。
「やっぱり、天宮さんの反応は面白い」
「……それは誰と比べて?」
楽しそうな尊の声に、不機嫌そうな声が返ってくる。
「あっ、月子」
「『あっ、月子』じゃないわよ! 私のことは気持ち悪い蛇で、ぶったたいておいて、その女には何!? 何!? さっき何してた!?」
不公平な扱いに激高している月子。
「月子たちが先に酷いことするから。すごく熱かったから、お返し」
「それは……それは……だって、ミコトが暴れるからでしょ!?」
やり過ぎた。そう思った月子だが、それは今だから思えること。月子たちに手加減する余裕なんてなかった。実際に尊は、攻撃を跳ね返してみせたのだから。
「ちょっと消化不良で」
「消化不良?」
「……もう一度、暴れても平気?」
空を見渡して、尊は月子と天宮に問い掛けてくる。
「それって?」「どういう意味?」
意味を問う二人。だが、答えを得る前に邪魔が入ってきた。
「天宮隊員。その二人から離れろ」
朔夜、そして特殊戦術部隊の面々だ。支援部隊も銃を構えて、周囲を囲んでいる。
「……嫌です」
「命令違反は軍法会議にかけられることになる」
「その命令は何の為の命令ですか? この国を守る為の命令とは思えません!」
朔夜は私欲で動いている。本人にこれを言えば、私欲ではなく崇高な目的の為、とでも返してくるだろう。その崇高な目的とやらが、幻であるとも知らずに。
「……仕方がない。天宮隊員も裏切り者だ。処分しろ」
朔夜の命令を受けて、やや戸惑いながらも戦闘体勢に入る特殊戦術部隊と支援部隊。
「……止めろ」
その彼等の耳にも、尊の呟きが聞こえてきた。
「……彼女を助けたければ、剣を渡せ」
「止めろ」
「剣を渡せと言っているのだ!」
「止めるんだ! 桜っ!!」
尊の耳に届いてきた「バッドエンドだね。お兄ちゃん」の言葉。最悪の結果を防ごうと、桜に向かって叫ぶ尊だが。それで桜が止めてくれるのであれば、今の状況にはなっていない。
重い衝撃音とともに足下が大きく揺らぐ。それを感じているのは尊だけでなく、この場にいる全員だ。それに少し遅れて、強い衝撃波が人々の体を震わせた。
「なっ!?」
遠くに見えるのは、暗闇の中に立ち上る真っ赤な光。天高くそびえるその赤い光は、富士山の上で輝いていた。
「……噴火した?」
疑問符がついているが、目の前の光景は誰が見ても、富士山の噴火だ。まさかの事態に呆然としている人々。事実を思い知らせるかのように、空から土や小石が降ってくる。
「来る! 気をつけて!」
尊の叫び声。何が来ると問う気持ちの余裕がある人はいない。ただ、富士山のほうを見上げて、怯えているだけだ。
さきほどに比べれば遙かに小さいが、強い衝撃が地を震わす。人の体の何倍もの大きさの岩が空から降ってきた。人々はそう思った。
だが、それは岩ではない。丸まっていた体をゆっくりと動かすそれ。上体が起き、両腕が伸ばされる。
「……な、何、あれ?」
「鬼」
月子の問いに、尊は一言で答えた。
「えっ?」
「あれが本物の鬼、いや、鬼(もの)か」
「あれ、人間なの?」
完全に起き上がった鬼は、三メートルはあろうかという長身で、横幅もがっしりとしている。真っ黒な瞳は月子も知る鬼の特徴だが、尖った牙、異常に長い腕は人間のそれではない。ある意味、鬼そのものではあるが。
「だから鬼(もの)。鬼になったのではなくて、最初から鬼。黄泉軍(よもついくさ)の鬼だよ」
「……何、そのヨモツなんとかって?」
「分かりやすく言うと黄泉(よみ)の国の兵隊さん」
「えっ? 異世界人ってこと!?」
「なんか違う気がするけど……まあ、そういうこと」
異世界という表現が正しいかは微妙だが、人の住む場所とは異なる空間に住まう人たちだ。
「そういうこと、話して良いの?」
天宮が二人の会話に割り込んできた。尊は制約を理由に、ずっと秘密を話そうとしなかった。今話している内容は、その制約を受けていた事柄ではないかと天宮は考えたのだ。
「もう黄泉の門は開いたから。口止めの約束を守る必要はなくなった」
「……これからどうなるの?」
「とりあえず……目の前のアレを何とかしないとだね」
尊の言う黄泉の鬼はすでに動き始めている。知性など感じさせず、身近にいる存在を手当たり次第に殺そうと暴れ始めていた。