夜空に浮かぶ三機のヘリコプター。特殊戦術部隊配備のヘリコプターだ。尊が現れると確信していた朔夜は、万全な体勢を整えて、この戦いに臨んでいた。このヘリコプターはその中でもとっておきだ。従来の第七七四特務部隊に配備されていた移動用のヘリとは違う。対地攻撃用のヘリなのだ。
その攻撃ヘリの機関砲の銃口が尊たちを向いている。人が用いる機銃とは異なる太い銃身が。
「……エビスさん、離れて」
「いや、でも」
「月子を連れて離れて!」
「……わ、分かった。さあ、月子ちゃん」
月子を安全な場所に。尊のその意図を知っては、断ることは出来ない。エビスは月子を連れて、この場所から離れようとした。
「……嫌」
「月子ちゃん」
だが、それを月子は拒否する。尊を残して逃げることに抵抗を覚えているのだ。
「月子。僕の為を思うなら、ここから離れて。月子を庇いながら、戦う自信は僕にもないから」
「庇ってもらう必要なんてない。自分の身は自分で守る」
「早く! エビスさん!」
揉めている時間はない。ヘリコプターはすでに攻撃態勢に入っているのだ。
「月子ちゃん、ごめん!」
エビスは強引に月子の体を引き寄せると、オフロード車椅子のアクセルを一気に踏み込んだ。太いゴツゴツしたタイヤが土を噛み、飛び跳ねるように走り出す。
それにわずかに遅れて、上空で破裂音のような音が響き渡る。空から降り注ぐ機関砲の弾。それはエビスが作った防弾傘を打ち破る。
「ミコト!」「尊!」
重なった声は月子と天宮のもの。尊の身を案じて名を叫んだ二人。だが尊への攻撃は、二人の思いなど関係なく、さらに強まる。
火を噴いて宙を飛ぶのはロケット弾。戦車に向ける兵器を、人一人を殺す為に使ってきた。爆発音と共に、土煙が宙を舞う。
「撃て! とにかく撃ちまくれ!」
朔夜の命令を受けて支援部隊からも、尊が立っていたであろう場所に向けて、雨あられのごとく銃弾が撃ち込まれていく。肉片さえも残さない。そんな勢いだ。
とてつもなく長く感じる数十秒間――銃声が止み、辺りを静寂が包む。生きているはずがない。誰もがそう思っているのだが、その誰もが緊張から解き放たれないでいる。
体の奥から強い警戒心が湧いてくるのだ。
「……あ、あれは?」
土煙が舞う中、照明に照らされた影。小さな人影の上で、ゆらゆらと揺れている八つの影は、まるで蛇のように見える。
ただ影だけであっても、それを見ているだけであっても、恐怖で体がすくんでしまう。
「……とうとう本性を現したな」
ほぼ全員が信じられないものを見て、呆然と立ちすくんでいる中、朔夜だけが納得した様子だ。
「さ、朔夜。あれは……生きているのか?」
百武が朔夜に事情を尋ねる。事情といっても、問いの内容は意味のないもの。聞くまでもなく、尊は生きている。映る影がそれを示している。
「生きている。あれこそが奴の本性だ」
「本性とは何だ?」
「八岐大蛇(やまたのおろち)」
「なんだって……? お前、こんな時に下らない冗談を……」
「さあ、奴を殺せ! 殺して剣を奪うのだ! その時こそ、俺は王になる。この国の新しい歴史が俺の手で造られるのだ!」
「朔夜……?」
恍惚とした表情で、訳の分からないことを叫び出す朔夜。正気を失っている。その叫びを聞いた多くが、そう思って呆然としている。だが、今はそれに気持ちを向けている場合ではない。それを全員が思い知ることになった。
影の一つが宙に伸びる。その影に貫かれた攻撃ヘリは、制御を失って地面に落ちていく。凄まじい衝撃音。それに続く爆発音。攻撃ヘリは一気に燃え上がった。
それを見て、他の二機が急上昇を図ろうとするが、それは許されなかった。八つの影が宙に伸び、機体を貫き、叩き、切り裂く。地面に落ちる前に空中分解する機体。
「……倒せ。全員でかかれ! 奴こそ最凶の鬼! 共通の敵だ!」
朔夜の号令の声が響く。それに反発を覚える者は多いが、共通の敵という言葉は真実であることが、すぐに分かる。正しくは、相手には敵味方の区別はないということが。
「誰か、ミコトを止めろ!」
「誰が止められる!? 普通でも敵わないんだぞ!」
「文句を言っていないで守りを固めろ! 俺だけじゃあ、保たない!」
尊の攻撃は見境がない。月子が逃げ込んだ、土門が作りあげた防御壁に対しても、容赦なく攻撃を仕掛けてくる。
その攻撃は当然、特殊戦術部隊にも向けられている。地を這うように伸びる黒い影が、兵士たちをまとめて貫いていく。
「奴を囲め! 四方から一斉に攻撃を仕掛ける!」
一般兵では太刀打ち出来ない。百武は能力者たちによる一斉攻撃を仕掛けようと動き出した。味方は六十はいるのだ。勝てないはずはない。そう思っていたのだが。
「何故、当たらない!」
能力者たちの攻撃はほとんど尊に当たらない。四方から一斉攻撃を仕掛けても、その攻撃は尊の体に届く前に、全て八つの影によって防がれてしまう。いくつかすり抜ける攻撃があっても、それによって尊がダメージを受けた様子は全くないのだ。
「防御体勢!」
一方で尊の攻撃は、守りを固めても簡単にそれを打ち破り、味方に傷を負わせていく。数の優位など、まったく関係ない。
「朔夜! どうすれば、倒せる!?」
あまりに強すぎる相手。事情が分かっている様子の朔夜であれば、弱点を知っているのではないかと思って、百武は問い掛けたのだが。
「……そんな馬鹿な」
朔夜も、尊のあまりの強さに衝撃を受けていた。
「あの馬鹿……」
収拾出来ない事態を作りあげた朔夜に怒りがこみ上げてくるが、それに意味はない。この作戦は百武も同意していたこと。責任は彼にもある。彼に同情すべき点があるとすれば、それは無知だったことだけだ。
「駄目だ! もう保たない!」
厳しい状況は月子たちも同じ。身を隠している防御壁がいよいよ保たなくなった。
「俺が行く」
壁が崩壊するのは時間の問題。そう考えた九尾は、尊と戦うことを決意した。
「ミコトに勝てると思っているの?」
そんな九尾を、ちょっとひねくれた言い方で止めようとする月子。
「俺のほうが数が多い。殺しても恨むなよ?」
九尾のほうが、尊の操る八ツの首より一つ数が多い……それで勝てるなら苦労しない。特殊戦術部隊は六十人がかりで戦っていて、苦戦しているのだ。
「もしかして、それ冗談?」
「……うるさい」
「うるさくない。戦っても死ぬだけよ」
「隠れていても死ぬ。俺だけじゃない。お前だって、今の奴相手では無事でいられないかもしれない」
真剣な表情で自分を見つめる九尾。この一日で月子の九尾の印象は、随分と変わることになった。もっと早く仲良くなっておけば良かった。そうも思った。
「……私も戦う」
その機会を作ろうと思えば生き残るしかない。
「戦えるのか?」
「殺す為じゃない。止める為に戦うの」
鬼のままで尊をいさせたくない。元に戻そうと思えば、まず尊を止めること。月子の戦う動機はこれだ。
「それ良い。私も戦う」
その月子の言葉にミズキが同調する。そして当然、他の仲間たちも。
「殺すのも無理ゲーなのに、生きて捕らえるのか。月子はいつも無理な要求ばかりだな」
「そうそう。俺たちって可哀想」
「うるさいな。文句はあとでいくらでも聞いてあげるから頑張りなさい」
「はいはい」
命をかけて戦う、という雰囲気ではない。それが彼等の強み。どんな状況でも最後はなんとかなる。楽観的過ぎるかもしれないが、最後まで諦めることはないのだ。
「そっちは攻撃役ばかりだな。守りはこちらで引き受けよう」
月子の仲間たちで守りに適しているのは土門くらい。あとは、月子は特別として、攻撃タイプだ。それでは今の尊と戦うのは厳しい。そう考えて、九尾は守りを引き受けることにした。
「じゃあ、行くわよ」
「ああ」
尊に向かって駆け出す月子たち。
その少し前――特殊戦術部隊の側でも新しい動きが生まれる。数で押すという戦い方は通用しない。そう考えた特殊戦術部隊は集団を複数に分けた。特務部隊時代の分隊を基本とした五部隊と『YOMI』からの寝返り組で七部隊。八部隊で尊の八つ首にそれぞれ対応し、残りの四部隊が尊本体への攻撃を担当するという布陣だ。
考えられてはいる。それぞれの部隊に役割を果たす力があれば、という前提では。
「ミコトの動きを止めろ!」
こう叫ぶ者がいるが、そんな役割を持った部隊はいない。いたとしても簡単には止められない。彼等は忘れている。八つ首の蛇が顕現していなくても、尊は強いということを。
八つ首に気を取られている間に、尊の接近を許した部隊。
「剣人!」
その部隊の一人。剣人の体が、尊の蹴りで吹き飛ばされる。
「なんなんだ!? なんなんだ、こいつは!?」
精霊力など持たなかったはずの尊。それでも強いことは分かっていたが、強化鍛錬のおかげで強くなった自分たちでも刃が立たない。これには納得がいかない。
「焦るな! かならず隙はある! それを見つけて、攻撃するんだ!」
宗方分隊指揮官が、周囲を落ち着かせようと声をあげるが、事態はさらに悪化することになる。
響き渡る銃声の音。いつの間にか、尊の手に渡っていた支援部隊の銃だ。その銃弾を受けた隊員がどうなるか。
「……うぁ、うわぁああああっ!」
「栄輝!?」
苦しげな声をあげる栄輝。栄輝の体を覆っていた眩い光がくすんでいく。黒く染まる瞳は、鬼化の始まりだ。
「そんな……」
このまま鬼化が進めば、栄輝はただ殺戮本能の赴くままに暴れ出す。その栄輝を倒すことは難しくはない。考える力を失った鬼を倒すには、ただ上回る力を向ければいい。個の力で上回らなくても、数を揃えれば良いのだ。それがダーク・バレットをこの戦いで揃えた理由だった。そうであるのに。
「あっ……う、撃たれた……い、嫌だ! 助けてくれ!」
さらにもう一人。剣人を撃ったところで、尊は離れていく。別の部隊に向かったのだ。それを追う余裕は宗方たちにはない。尊と戦う前に栄輝を、そしてもうすぐ剣人を倒さなければならなくなる。
まず間違いなく尊は計算でそれを行った。鬼化したはずの尊は、冷静に知性を働かせている。この事実は、朔夜たちの作戦の根底を揺るがすものだ。
「……全滅する。このままでは全滅する! 指揮官! 早く救援を!」
自分たちの手には負えない。特殊戦術部隊に諦めが広がっていく。だが、特殊戦術部隊はまだ全戦力を投入していなかった。数人しかそれに気が付いていないが。
「戦わないの?」
天宮に問い掛けてきたのは三峯紗耶。
「私は……」
尊と戦う気にはなれない。
「このままだと犠牲者は増えるばかり。下手したら全滅ね。それでも良いと?」
仲間を守る。天宮が持っていた強い気持ちを彼女は刺激しようと考えた。だが。
「……彼は殺せない」
天宮にとって尊は大切な存在。鬼になったからといって殺せる相手、実力は関係なく、ではなかった。
「でも……彼女たちは戦うつもりみたいよ」
「えっ?」
天宮の視線の先に、尊に立ち向かう月子たちがいた。
「……もう一度聞くわ。貴女は戦わないの?」
同じ問いではあるが、意味は違う。月子が尊を殺そうとするはずがない。その月子が戦おうとしているとすれば、それは尊の為。自分は尊の為に戦わないのか。三峯の気持ちに関係なく、天宮はそう受け取った。
天宮の瞳に強い光が戻る。戦う決意を決めたのだ。尊を殺す為ではなく、救う為に。