ギルバート宰相は忙しい時間の中、エドワード王との打ち合わせの時間をもうけた。エドワード王との会議は頻繁に行われている。だが今日話し合う内容は他の人がいる会議の場で話すべきことではない。そう考えてエドワード王に個別に時間をとってもらったのだ。
「……自分は王妃に相応しくない。フローラはそう考えているってことだね?」
話し合う内容はフローラのこと。ギルバート宰相はフローラとの約束を守り、彼女の思いをエドワード王に伝えているのだ。
「それだけではありません。陛下のお気持ちに対して不安を感じているようです」
「私の気持ち? それはどういうことだろう?」
「陛下は、その、フローラ様が皇帝家の血筋であるから結婚を望まれているのではないかと……」
本人に面と向かっては言いづらい内容。だが話さなければ、この場をもった意味がない。
「……それか。そう思われるのは当然かもしれないね。ウェヌス王国の王である僕と彼女では政略結婚と思われても仕方ない」
フローラの不安を当然のものと受け取るエドワード王。だがギルバート宰相が求める言葉はこういうことではない。
「誤解を解かれてはいかがですか?」
「話すことは出来る。でもそれをフローラは信じてくれるだろうか?」
「話してみなければ分かりません」
どういう結果になるかはギルバート宰相も分からない。だが何もしないままで誤解がとけるはずがない。
「そうだよね……どうすれば説得出来るか私にも思い付かない」
だがエドワード王は異なる捉え方をした。成功可能性がないのでは話しても意味はないと考えている。
「フローラ様も陛下のお立場は理解されています。公の立場としてフローラ様の血筋が必要であれば、それを正直にお話して納得していただくべきです」
ただ誠意を見せれば良いとギルバート宰相は考えている。フローラが納得するまで話し合いを続ければ良いのだと。
「……私はフローラには幸せになって欲しいと思っている。王妃という立場が彼女にとって辛いものであれば、無理に置くことはしない」
「陛下?」
「もちろんずっと側にいて欲しいよ。でも私は国王ではなく一人の男として、彼女も王妃ではなく一人の女性として居続けることが正しいのではないかと思い始めた」
「それは……」
王妃という立場以外でフローラを側に置く。その意味を考えてギルバート宰相は言葉に詰まった。
「我が儘だね。でも……大公領にいた時が私にとって何より幸せな時間だった。あの時のような時間をどうしても求めてしまう」
「お気持ちは分かります。しかし……」
重責を背負っている今のエドワード王には、確かにそういった気を許せる人との穏やかな時間が必要かもしれない。エドワード王の気持ちはギルバート宰相にも理解が出来た。だがそれでフローラは良いのか。彼女をそんな立場に置くことには納得出来ない。
「フローラには話してみようと思っている。不誠実に思われるかもしれない。でも、そうじゃない。僕は血筋や地位など関係なく、一人の女性としてのフローラを求めているのさ」
「……フローラ様は輝く場所にいるべき方です。いえ、フローラ様の輝きが国を照らすと私は思っております」
ウェヌス王国にはフローラが必要なのだ。戦乱が続き、それも負け続けで暗く沈んでいる人々の心に光を灯してくれる。そういう存在なのだとギルバート宰相は信じている。
「……平和な世の中であればね。でも今この国はそうじゃない。私は国を守る為に私情を殺して動かなければならない」
だがそのギルバート宰相の気持ちをエドワード王は受け入れようとしない。
「……何かお考えがおありなのですか?」
それには理由があるのだとギルバート宰相は考えた。フローラを王妃に出来ない何かがあるのではないかと。
「周囲が敵だらけになる状況は避けなければならない。その為には出来るだけの手を打つべきだ」
「その手とはどのようなものですか?」
「……たとえば政略結婚」
「な、なんですって?」
このような話は、仮の話としてもギルバート宰相は初めて聞いた。しかもただの政略結婚ではない。フローラ以外の女性を王妃にしようという話だ。ギルバート宰相は驚かずにはいられない。
「一つの手としてだ。上手くいく可能性は低いけど、たとえばウェストミンシア王国と婚姻関係を結べれば」
「ウェストミンシア王国、ですか……」
可能性としてはかなり低い。今の状況でウェストミンシア王国が政略結婚を受け入れるとはギルバート宰相には思えない。それを喜ぶわけにもいかないが。
「良好な関係なんて一時的なもので良い。国力を回復する時間を稼ぎたい」
「……お考えは理解出来ます。ですが、その交渉を行うのであればグレン殿との交渉実現に向けての動きも、もっと積極的なものにすべきではありませんか?」
優先すべきはグレンとの友好関係を築くこと。それをギルバート宰相は告げた。
「……すでに出来ることは行った」
「フローラ様が話し合い実現に協力するとおっしゃってくださいました」
「なんだって?」
「もちろんグレン殿と連絡がつけばの話です。ですが、フローラ様が直々に動くとなればエイトフォリウム帝国も無視出来ないのではないでしょうか?」
実際のところは分からない。ソフィアは公の場でフローラを妹とは思っていないと宣言した。それが本気であればグレンに取り次ぐこともしないかもしれない。
それでもウェストミンシア王国との交渉よりも実現可能性は高いとギルバート宰相は考えている。
「……具体的にはどうする?」
「フローラ様が自ら書かれた手紙を送る。思い切ってフローラ様にエイトフォリウム帝国に使者として行ってもらうほうが良いかもしれません」
「……それは少し早いね。まずは手紙か」
フローラを王都から出すつもりはエドワード王にはない。戻ってこないというだけでなく、知られては困ることを聞いてしまう可能性もある。その点、手紙であればやり取りを把握出来る。フローラに見せたくない手紙は見せなければ良いのだ。
「ではフローラ様にお願いしてみます。ただ一つ条件があります」
「条件だって?」
「もっと自由に色々な人と話をしたいそうです。多くのことを知らないままで、この先のことは決められないとおっしゃっておりました」
「……分からなくはないが、自由に動き回るのは危険だ」
心配はフローラの身ではなく、彼女をグレンに奪われること。
「もちろん護衛は付けます。勇者たちとも話をしたいそうです」
「……では自由にというのは?」
「近衛騎士を外して欲しいという意味です。つまり……記憶が戻るのを邪魔しないで欲しいということかと……」
「邪魔をしているつもりはないけど……そうだね。彼女はもうグレンのことを知ってしまった。傷つく心配はなくなったかな」
すでにフローラは自分に不信感を持っている。そうであれば記憶を戻しても戻さなくても同じだ。エドワード王はそう判断した。
「ではよろしいですか?」
「ああ。ただ護衛はしっかりと。そうだね、勇者に念押しをして置こう。また彼と話す機会を作ってくれるかな?」
健太郎を懐柔しておけばフローラが何を知ったか、それによって何を思ったかを報告させることが出来る。それを命じる為の場をエドワード王は持とうと考えた。
「承知しました。手配しておきます」
物事はフローラの望む方向に進もうとしている。さすがは魔女の養女、ということではない。そうなるように周囲が動いているからだ。別の目的を持った策略として。ギルバート宰相のようにただフローラに対する好意から。理由はそれぞれだ。
◇◇◇
第三軍の調練場。兵士たちの活気は以前よりも更に高まっている。健太郎が何かを行ったからではない。第一軍と第二軍が出撃した。次は自分たちの番だと思うのは当たり前のこと。実戦への、死への恐怖が新兵たちの調練に熱を入れているのだ。
きっかけは何であろうと健太郎が求めていた状況。訓練の様子を見ている健太郎の表情は満足そうだ。満足そうな表情を浮かべている理由はそれだけではないが。
「……ケンタロさんは訓練をしなくて良いの?」
健太郎のすぐ横で訓練の様子を眺めていたフローラが問い掛けてきた。
「ああ、僕は強いから……じゃなくて、別の時間に個人的に訓練しているからね」
フローラに怠けているように思われたくないので、健太郎はいつもとは違う言い訳を口にした。個人的に訓練をしているのは本当であるので、嘘をついているわけではないが。
「でも他の人があんなに頑張っているのに……」
「あっ、いや、違うんだ。今の僕は個人の能力よりも指揮官としての知識を得るのが大切で」
「指揮官……」
「な、何?」
フローラの疑わしげな視線に健太郎は動揺してしまっている。
「見ているだけが指揮官のお仕事なの?」
訓練の指導はカルロたち元トリプルテンのメンバーたちが行っている。カルロたちが行っていることが指揮官の仕事だとフローラは思っているのだ。
「それは……僕はまだ勉強中ってことさ」
今はカルロたちの指導法を学んでいるところ。健太郎はその様子を見て学んでいる、つもりだ。
「まだ小隊長だものね」
「……まあ」
小隊長は将ではない。指揮官という言葉が適切かは微妙なのだ。
「……戦争に行くの?」
「いつかはね……心配しなくて大丈夫。僕は必ず生きて帰ってくるから」
「うん、大丈夫。心配はしていないから」
「はい?」
「ケンタロさんは強いのでしょう? だから心配はいらないよね?」
「そ、そうだけど……」
それでも少しくらいは心配して欲しいと健太郎は思う。ただこれは勝手な思い込みというもの。フローラは健太郎に心を許したつもりはないのだ。
「兄に手紙を書いたの」
「えっ?」
「陛下と話し合いの場を持って欲しいとお願いする手紙」
「ああ……その前にフローラが会いに行くべきだよね? そうじゃないと実現はしないと思うな」
会談の実現に対して健太郎は否定的だ。健太郎にも彼なりの考えがある。それが分かってフローラは少し驚いた。
「……どうしてそう思うの?」
「今の状況はグレンから見れば人質を取られているようなものだ。大切な妹を、あっ、えっと……女性を人質にとるような相手との話し合いに応じるはずがない」
「……私がお願いしても?」
健太郎の話はフローラに複雑な感情を抱かせた。人質にされていると心配してくれているのであれば嬉しい。だが自分の頼みを聞いてくれないことは少し寂しい。
「フローラの意思か分からない。無理矢理書かされている可能性だってあるからね」
「そうだね……兄は陛下のことをどうしてそんな風に疑うのかな?」
これはフローラが強く答えを求めていることの中の一つ。
「どうだろう? いくつか可能性はあるけど相手はグレンだからね。僕の考えが合っている自信はまったくないね」
「ケンタロさんが考えている可能性って何?」
「……ひとつは君が生きていることを伝えなかったことかな?」
「伝えなかったって?」
「それは……えっと……フローラはどこまで知っているのかな?」
答えを返すにはフローラにとって良い気持ちのしない事実を話さなければならない。それに気付いた健太郎は、フローラがどこまでの事実をすでに知っているか尋ねた。
「……どこまでって?」
この時点で健太郎に全てを正直に話す気にはなれない。フローラは問いで返した。
「グレンがどうして敵になったかとか……」
「私が殺されたと思って、復讐する為」
「あっ、知ってたのか。そう。でもフローラは生きていた。もっと早い段階で君が生きていることをグレンに知らせることが出来れば、状況は変わったかもしれない。僕がこうして生きていられるのもフローラが生きていたからこそだと思う」
「……どうして陛下は?」
健太郎が語ったことについてフローラは考えていなかった。まだ知ってしまった幾つかの事実について細かいところまで考える余裕がないのだ。
「君を戦争に巻き込みたくなかったから? でもグレンはそう思うかな?」
エドワード王がフローラの生存を知らせなかった理由は色々ある。だがどれが真実であるかは本人しか分からないことだ。
「……ケンタロさんはどう思う?」
「グレンがどう考えるかはフローラのほうが分かるはずだ。ただ僕に言えるのは、それによって死ななくて良かったかもしれない人が大勢死んだ。それは正しいことじゃない」
フローラの生存を知ったグレンがどう行動したかは今考えても分からない。ゼクソン王国への協力を止めた可能性はあるが、はたしてそれが許されたか。グレンは生きていないかもしれない。
「……意外と考えているのね?」
「えっ? その言い方は酷くない?」
「だって……」
「なんてね。白状するとこれは皆と話した結果。僕もどうしてグレンがここまで拒絶するのか分からなくてね。食事会の時に聞いてみたらそれぞれ意見があって、こういうことじゃないかって話になった」
結論とは言えないが、この考えは元トリプルテンのメンバーたちによって導き出されたもの。もともと高い分析力を持っていた彼等だ。得られた情報から仮説を導き出すくらいは出来る。
「……他にも何かあるの?」
「あとは……ああ、フローラが昔この大陸を支配していた帝国の皇帝の血を引いていることを公表したこと」
「兄はどうしてそれを問題視するの?」
「えっ? さすがにこれは僕も分かったよ。政治利用だよね?」
嬉しそうに話す健太郎。ようやく少しだが良いところが見せられたと考えたのだが。
「それくらい私でも分かるよ」
「あっ、そう……」
すぐに落ち込むことになった。
「私が知りたいのは具体的にどう利用するのかってこと。これについては話してないの?」
「……ああ、話した。話したけど結論は出なかったね。誰かがあげたのは国を乗っ取る為じゃないかって」
「国を乗っ取るって?」
「帝国の後継者はフローラと姉のローズさんだけ、今はソフィアさんだね。そのソフィアさんが……いや、これはアレだな……」
「……アレ?」
「僕たちの話は国王には悪意があるとグレンがとらえていた場合の仮説だから。どうしても国王に対してアレになる」
エドワード王が悪人であるという前提での仮説。それをフローラに説明することに健太郎は躊躇いを覚えたのだ。まして今話そうとしたのはエドワード王がソフィアの暗殺を考えているという内容なのだから。
「……ああ、アレね……えっ!?」
「いや、だからアレだから! あくまでも可能性! それも偏った考えでの可能性だからさ!」
「そ、そうだよね。いくらなんでも……」
エドワードがソフィアの暗殺を企んでいるなんて話はあり得ない。あって欲しくはない。
「とにかく国王を疑っているグレンに対しては信用を得る努力をしないと。その方法として僕が一番良いと思うのはフローラが会うことだ」
「僕が?」
「……皆が」
「そうだよね。でもそれは無理。陛下が許してくれない」
「なんか……どうして皆が良いと思う方向と逆を行くのかな?」
それはエドワード王もグレンには悪意があるという前提で物事を判断しているから。悪意があると考えてしまうのは、そうなることに心当たりがあるから。
エドワード王とグレンの間には信頼関係が全くというほどない。これが事をおかしくしているのだ。
「ケンタロさんは陛下のことをどう思う?」
「……よく分からない」
「そう……」
答えは得られない。それはそうだとフローラは思う。健太郎がエドワード王の為人を詳しく知るはずがないのだ。
「何を考えているのか分からなくて。まだグレンのほうが分かりやすいよね?」
「ええっ?」
「……ここ驚くところ?」
「だって、どうしてケンタロさんに兄のことが分かるの?」
エドワード王と同じか、それ以上に分からないはずだ。フローラはそう思っている。
「グレンの本音はわかりにくい。でも彼は必要な時にははっきりと口に出して言ってくれる。駄目なものは駄目。良いことは良いってね」
「……それは理解しているのとは違うよね?」
「そうだね。でもグレンが駄目と言ったものは駄目。良いと言ったことは良いんだ。今はそう思えるようになった」
「それって……」
健太郎はグレンのことを信頼している。言葉をそのまま受け取ればそういうことになる。そう受け取って良いのか。今はそれを判断出来る段階ではない。
「グレンの不思議なところはね、本人が望んでいないのに人の上に立ってしまうところ。周りがグレンを祭り上げるんだ。そういうところ似ているかもね。皆がフローラの為であれば何でもしようとする」
「そんなことないよ」
「そんなことある。違いがあるとすればグレンはそれによって苦しむことも、あっ……ごめん! 別にフローラが楽(らく)しているってことじゃなくて!」
「……ううん。謝らなくて良い。それは事実だから」
健太郎の言うとおり、苦しんだ覚えはない。今に至るまでグレンはどのような苦労を重ねてきたのか。その側でローズ、ソフィアはグレンをどう支えてきたのか。それをフローラは知らない。知らないことに落ち込んでしまう。
「あ、あれだよ。皆、フローラの笑顔が見たいのさ。悲しむ顔を見たくないのさ。君が笑顔を向けてくれればそれで苦労が報われるんだよ。だからフローラはずっと笑っていないといけない」
フローラの落ち込んだ様子を見て、慰めの言葉を口にする健太郎。
「……ありがとう」
もしかするとこの人も苦しみを乗り越えてきたのかもしれない。勇者として祭り上げられていた健太郎が、今は落ちこぼれといわれる小隊の隊長なのだ。何かあったのは間違いない。自分を慰めようと必死な健太郎の顔を見て、フローラはこんなことを思った。