バレル千人将の助言を受けた健太郎は、自分なりに何をすれば良いかを考えた。実戦経験を得る機会は簡単には得られそうにない。たとえ得られたとしても、今の隊員たちでは経験を得る前に命を失ってしまうかもしれない。それでは鍛えることにならない。
勇者としての特別な力を得た自分も、実戦を経験するまでにはそれなりの期間をかけてもらった。実際に経験した時、人を殺すことに怯え、実行した後は心が折れた。それを健太郎は思い出した。
バレル千人将の言うとおり、自分は焦っていたのだと健太郎は思う。まだ心の中に、周囲に自分を認めさせたいという気持ちがあるのだと。それが駄目なこととは思わないが、その為に共に戦う人たちに無理をさせるのは間違っている。それでは何も変わらない。
ではどうするか。良案は見つからなかった。とにかく地道に鍛錬を続けていくこと。それくらいしか出来ることはないと。
ただ変えたことはある。その鍛錬を厳しいものにすること。ただ訓練メニューを厳しくするだけではない。それを自分も含めて全員がこなすことを課すこと。無理だという言い訳を許すことなく、限界まで続けさせること。
当たり前のことかもしれないが、健太郎には出来ていなかった。隊員たちに嫌われるのを恐れる気持ちが、それをさせていなかったのだ。それもまた自分への甘さ。健太郎はそれを知った。
「……もう教えられることは教えたと思いますけど?」
自分に会いに来た健太郎に、ウンザリした顔を見せているのは観察局の局員。グレンが隊長であった当時にトリプルテンの隊員であったフランクだ。
「ああ、それには感謝している。おかげでグレンの鍛錬方法を知ることが出来たよ」
健太郎は、グレンがトリプルテンの小隊長だった当時の話を、何度もフランクに聞きにきていた。元トリプルテンだった隊員のうち所在が明らかで、すぐに会いに行けるのがフランクだったのだ。
「私が知っていることなど極一部。参考にはならなかったでしょう?」
「そんなことはない。グレンがどう考えていたかは、すごく参考になる」
「そうですか……」
健太郎がグレンの真似をしようとしていることは理解出来る。第三軍第十大隊を精鋭と言われるまでにしたグレンのやり方は高く評価されているのだ。だが、その方法であれば軍に残されているはず。それに当時を知っている兵士は、かなり減ったとはいえ軍に残っているのだ。自分に聞きに来る必要はないとフランクは考えている。
「それでまた教えて欲しいのだけど、新兵に心構えを持たせるには、どうすれば良いと思う?」
「はい?」
「危機感を持たせたくて。死にたくないという思いが強ければ、鍛錬での真剣味が増すよね?」
「そうだと思いますが……そういうのは実戦を経験することで理解するものでは?」
健太郎の質問は、グレンの調練方法とは関係ないように思える。そうであれば尚更、自分に聞くことではないとフランクは思う。
「その実戦経験を積む前の話。僕の小隊はまだ実戦には早くて。でも実戦に出れるようになる為には、もっと訓練に身を入れてもらわないと」
「……先輩兵士が自分の経験を話すなどして教えたりします」
「なるほど。確かにそういうのは必要だね。先輩兵士か……」
健太郎の視線がフランクの顔に釘付けになる。トリプルテンにはその先輩兵士がいないのだ。
「……い、いや、私は観察局の人間ですから」
健太郎の考えを読み取ったフランクは、慌てて拒絶の言葉を口にした。
「少しだけ時間もらえないかな? グレンの下にいた貴方の話は、僕も是非聞きたい」
「そういうことは現役の兵士にお願いしてはいかがですか?」
「そうするべきだとは分かっているけど、グレンの下にいた人は残っていないよね?」
「まあ」
グレンと戦うのが嫌で皆、軍を辞めていることは、フランクも知っている。
「……もしかして辞めた人たちがどこにいるか知っている?」
「いえ、知りません」
これは嘘。数人の居場所は知っている。だがそれを健太郎に教えるわけにはいかない。以前も健太郎は彼等の力を利用しようとしたが、誰もそれに応じなかったことをフランクは知っているのだ。
「……誰か知っている人いないかな? その人たちの力を借りたいことがあるんだ」
「さあ? 私には心当たりがありません」
「そうか……どうせならフローラが知っている人が良いと思ったのだけど、難しいか」
「フローラ様ですか?」
何故、ここでフローラの名が出てくるのか。これは確認しておくべきだとフランクは考えた。また健太郎が良からぬことを企んでいるのだと思ったのだ。
「……彼女を守る力が欲しくて。すぐに何かあるというわけじゃないんだ。でも……いや、ごめん。貴方に話すことではないね」
「フローラ様には私も何度かお会いしたことがあります。ゼクソン王国との戦いが始まる前のことですが」
トルーマンに指示された行軍計画の策定を行っていた時のことだ。フランクもその作業に加わっていて、フローラには何度か会っている。
「ああ、何度も遊びに来ていたからね。あの時はソフィア、当時はローズと名乗っていたね。彼女もいて……」
健太郎は、その先を言葉にしようとしなかった。ソフィアとの約束、健太郎が勝手に思っているだけだが、についてウェヌス王国の人間に迂闊に話してはいけない。そう思ったのだ。
「私は……あの方に特別な思いがあります。これは本来、許されることではないのですが」
健太郎の口を割らせるには、少しリスクを取る必要がある。フランクはそう考えた。
「僕もそうだ。グレンには返しきれない恩がある。償うべき罪もある。今はもう敵とは思えない。競争相手にはなりたいけどね」
「……その彼の為に何かをしようとしているのですか?」
「それは……」
さすがに健太郎もこんな真っ直ぐな誘導には引っかからない。
「国に災いをもたらすようなことであれば、聞きません。でも、そういうものでないのなら、私にも少しだけですがお手伝い出来ることがあるかもしれません」
そうであればと、フランクはもう一歩踏み込んでみた。これがグレンに好意的な人物を暴き出す為の罠であれば、まんまと嵌まったことになると思いながら。
「……グレンの下で働いていた人たちに軍に戻って欲しい。戻って、僕を助けて欲しい」
「それは何の為ですか?」
「……フローラを守る為」
「なるほど。王妃候補となったフローラ様を守る為であれば、何の問題もありませんね。もしかして陛下のご指示ですか?」
これに協力することは大きな問題にはならない。フローラはエドワード王のお妃候補。ウェヌス王国の王妃になろうという人を守る為なのだ。という建前をフランクは口にした。
「あっ、いや……」
エドワード王の指示ではない。場合によっては、そのエドワード王からも守る必要があるのだ。ということを頭に浮かべた健太郎の反応は、フランクには分かりやすい。
「陛下の命令書はないのですか?」
「ない」
あるはずがない。これはエドワード王には決して知られてはいけないことだ。
「そうですか……せめてフローラ様の文書があれば彼等を説得し易いのですけど。あっ、もちろん、その前に居場所を調べなければなりませんが」
「……フローラの文書があれば、説得出来るの?」
ここにきてようやく健太郎もフランクの話が少しおかしいことに気が付いた。王妃候補とされているが、今のフローラには何の権限もない。そのフローラの文書が何故必要なのかと思った。
「フローラ様は小隊の中でも大人気でしたから。彼女の為なら命も捨てるという男は少なくないと思いますが?」
「……そう。僕では信用出来ないか。それはそうだね」
彼等が自分の為に動くことはない。フローラの為だと言っても、それを証明出来なければ同じだ。必要なのはフローラがそれを望んでいるという証。それがあれば恐らく人は集まる。フランクの言い方はそれを感じさせるものだ。
だが、その証を入手することが出来ない。これは健太郎が勝手にやっていることなのだ。もう少しで、健太郎は味方を得られたかもしれなかった。だが、そのもう少しを縮める術が健太郎にはないのだ。
◇◇◇
健太郎がまた自分の意とは異なる行動に出ようとしている。それをこの時点で、エドワード王が知ることはない。フローラへの行為は許しがたいものであるが、その待遇を落ちこぼれ小隊の隊長にまで落とした健太郎のことを気にしている暇は、エドワード王にはないのだ。それに何か問題があれば報告が届くはずなのだ。それが来ない間は、彼のことなど眼中にはない。
エドワード王を忙しくさせている最大の案件はモンタナ王国侵攻。そして頭を悩ませているのが東国三国への対応だ。
「エイトフォリウム帝国について何か情報はあるかな?」
グレンはどこで何をしているのか。エイトフォリウム帝国の軍事力はどの程度か。ゼクソン王国、そしてアシュラム王国に何か動きはあるのか。知りたいことは山ほどある。だが、これまで何も情報は掴めていないのだ。
「ソフィア様は宿泊地以外は、どこに寄り道することもなく帰国しました。宿泊地での滞在時間は最小限。滞在中も宿にこもったままで、特別な動きはありません」
報告を行っているのはスパロウ。銀鷹傭兵団の一員であるが、表向きはウェヌス王国の諜報部門の所属となっている。傭兵団員の中で唯一、表に出ている人間だ。
「それは何もないってことかな?」
そのスパロウにエドワード王は冷たい視線を向ける。今の報告は何の中身もないもの。それに不満を示しているのだ。
「い、いえ。同行が拒否されたのは、街道を南下して七日ほど経ってからですが、その場所にこれまで知らなかった砦が築かれておりました」
「……なんだって?」
「以前はなかったはずの砦です。まだ工事途中ではあったようですが、外観はかなり出来上がっていたとのことです」
「どうして、これまで気付かなかったのかな?」
これをスパロウに聞くのは少し可哀想だ。気付けなかったのは銀鷹傭兵団ではなく、本来のウェヌス王国の諜報部門なのだから。ただスパロウはその諜報部門の所属となっているので、エドワード王も問い質さないわけにはいかない。
「……ルート王国、あっ、エイトフォリウム帝国はルート王国と名乗りを変えていることが判明しました」
銀鷹傭兵団ではとっくの昔に掴んでいたこと。これをこの場で公式なものにした。
「そう……帝国ではなく王国。当然ではあるね」
エドワード王も話を合わせる。ただ詳細まで聞くのは時間が勿体ないので行わなかった。
「ルート王国周辺の防諜はかなり厳しく、多くの間者が行方不明になっておりました。そのことから諜報組織の弱体化を恐れて人員を送り込むことを控えていたのですが、それが今回の事態を許した原因かと」
「……街道から七日の距離でもそうだと?」
そこまで防諜範囲が広がっていたのか。それがエドワード王の疑問だ。
「結果として、そうでした」
「……同行員は抗議を行ったのかな?」
「行ったようですが、その場所は我が国も認めた国境だと言い返されたそうです」
「その証……いや、求めてもないと返されるだけか。ルート王国は戦う気満々。それは分かったか」
構築された砦はウェヌス王国との戦争を考えてのものに決まっている。抗議を行っても、国境戦を争っても無駄。文句があるのなら攻めて来いということだとエドワード王は考えた。
「分かっているのは砦の外観だけなのか?」
ここでゴードン顧問が問いを発してきた。砦が構築されているという事実は、軍部にとって極めて重大な問題なのだ。
「はい。中に入ることはもちろん、近づくことも許されなかったようです」
「……今から調べることは?」
「かなりの犠牲を覚悟すれば。成功する可能性は低いと考えますが」
もともと侵入が困難であったのに、さらに砦が出来上がったのだ。成功するとはスパロウには思えない。
「防諜はどのような方法で行われているか分かっているのかな?」
「相手にも諜報組織があるのでは?」
「いつの間にそのような組織が出来上がったか分かっているのか? 元からあったとは思えん。だからといって、一から作りあげたものとも考えられん」
諜報組織など一年、二年で作れるものではない。間者には特別な技術が必要で、それを身につけるだけで何年もかかるはず。しかも完璧な防諜を行っているルート王国の間者は、ウェヌス王国のそれを上回る能力を持っているはずだ。
「それについては分かりません」
「ゼクソン王国の組織である可能性は?」
「……否定は出来ませんが、確定も出来ません」
ゼクソン王国に優秀な諜報組織がなかったことをスパロウは知っている。ただ銀鷹傭兵団での情報なので、曖昧な答え方を選んだ。
「ゼクソン王国の動きは?」
「……よろしいですか?」
ゴードン顧問の問いに答えて良いのか。それをスパロウはエドワード王に確認した。情報を隠す意図はない。ただ、勝手に話を進めて良いのか気になっただけだ。
「かまわない。私も聞こうと思っていたところだ」
「では。ゼクソン王国は国境を閉じております」
「何だって!?」「なんと!?」
エドワード王とゴードン顧問が同時に驚きの声をあげた。国境が閉鎖されているという事実も驚きだが、そんな重要な情報がこれまで届かなかったことにも驚いている。
「公式なものではありません。ただ交易が停止していることで、ゼクソン王国への入国を求める理由を失った状態となっているのです」
「交易停止だって大問題だ。どうしてそんなことになっているのかな?」
「現地の担当者に聞いた限りは、取引条件の見直しを求められていると。ゼクソン王国側は現在の契約は不公平だと主張しているようです」
「それも含めて、どうして情報が届かない? まさか国内までルート王国の諜報組織が制圧しているなんて言わないだろうね?」
事は外交問題だ。問題が起きているのであれば速やかに王都に報告すべきこと。それが届かないことが、エドワード王には許せない。
「伝令が数日遅れているだけです。事が起きたのは、ルート王国が砦を築いていることを知った手の者が、ゼクソン王国の動向を探ろうと入国を試みた時ですから」
「それは……情報が届かなかった理由だけでなく、知りたかった情報も手に入ったのかな?」
「かなりの確率で、ゼクソン王国は時期を合わせて抗議を行ってきたものと考えられます」
ルート王国とゼクソン王国は連携している。懸念していたことが、ほぼ事実だと分かった。
「……エステスト城塞とその砦もまた連携して動くのでしょうな」
その為のルート王国の砦。ゴードン顧問が考えたことも事実でありそうだ。
「それを行えば同盟違反だ」
「それを非難して、事は解決しますかな? 今はまだ、公式には交易が一時的に停止しているだけ。ゼクソン王国が軍を動かすとすれば、それは我が国が動いた後。いや、ゼクソン王国には他国の評判を気にする理由はありませんかな?」
ウェヌス王国が他国の評判を気にするのは大陸制覇を目指しているから。小国が競争相手であるウエストミンシア王国に流れてしまうのを避ける為だ。ゼクソン王国が同じように他国の評判を気にするとは限らない。
「……勝てないとゴードンは考えているのか?」
「勝つ為には、かなりの犠牲を覚悟しなければならないと考えているのです」
勝てないとはゴードン顧問は言わない。顧問という立場であっても、それを口にするべきではないと思っている。負けるつもりもないが。
「アシュラム王国の国境を突破することは?」
「以前のままであれば、それほど難しくはないでしょう」
だがアシュラム王国の国境の砦が以前と同じままのはずはない。アシュラム王国もまた戦いに備えているはずなのだ。
「……モンタナ王国の件を急ごう」
「三国がただ待つだけでいるとは限りませんが?」
モンタナ王国に軍を派遣すれば、その隙を突こうと三国が動きだすかもしれない。その可能性をゴードン顧問は口にした。全力でモンタナ王国を攻めろ、なんて命令を出されては困るのだ。
「それほど多くの兵は必要ない、はずだ。三国への備えを整えた上で、モンタナ王国に派遣する軍勢の規模を決めれば良い」
「だそうだ」
「承知しました。すぐに作戦計画を立案します」
ゴードン顧問の声にハーリー大将軍が答えた。エドワード王にとっては苦々しい態度だが、ここは我慢するしかない。今はまだ軍部を、ゴードン顧問を押さえ込むだけの力を持っていない。それを手に入れる為の態勢は整っていないのだ。
今はまだ、であり、いつまでもこの状況を許すつもりはないとしても。