ソフィアとの会談を終えて、執務室に戻ったエドワード王。苦々しい思いは、今も消えていない。ウェヌス王国に得られたものはなし。エドワード個人としては失うもののほうが多かった。飾り物であるソフィアに会談の主導権を奪われたのだ。面目丸つぶれといったところだ。
ただそれはそれとして、会談内容についてはきちんと検証しなければならない。ソフィアは何の為に王都を訪れたのか。それさえも結局、分からず終いなのだから。
「城を出てからエイトフォリウム皇帝は、ごく少数の供回りを連れて、貧民街に向かいました」
城を出てからのソフィアの行動について、報告を行っているのは近衛騎士団長。近衛騎士団は城を出た後もソフィアの護衛、という名目の監視、についていたのだ。
「……グレンと一緒に住んでいた宿屋だね?」
そして銀鷹傭兵団の拠点でもある。それをグレンから聞いていれば、知っているはずのソフィアが訪れることにエドワード王は不安を感じてしまう。
「はい。ただ宿屋の滞在時間は半刻もありません」
「その短い時間で何をしていたのかな?」
滞在は短時間だった。それが尚更、怪しさを感じさせる。
「宿屋の主人に金を渡しておりました」
「金?」
「はい。未払いのままであった宿代があったようです。それを精算しておりました」
「……そんなことを、わざわざ?」
それだけの為に、わざわざ王都まで来るはずがない。他にも何かあったはず。そうエドワード王は考えている。
「借りをなくしておきたかった。部下の問いに、こう答えたそうです」
「借りをなくす……」
話としては分からなくはない。世話になった相手であっても、銀鷹傭兵団の一員であれば敵として戦うことになる。借りを返しておこうというのは、あり得る話だ。ただそれをソフィア自ら行う意味が分からない。
「その後は馴染みと思われる住民たちと話をし、それが終わると王都の外で待機していた護衛の軍勢と合流しました。出発は明日早朝と聞いております」
「軍勢に怪しい動きはないのかな?」
「外から見た限りでは何も。陣営内にいる味方からも何も報告は届いておりません」
ソフィア、そして護衛として同行してきた軍勢への監視は怠っていないつもり。その結果、異常は認められていない。
「分からない。彼女は何の為に王都までやってきたのかな?」
自分との会談は中身のないまま終わらせ、あとは住んでいた宿屋の精算を済ませただけ。そんなことの為に、わざわざ危険を冒して王都にやってくるはずがない。
「……陛下を怒らせる為ではありませんかな?」
誰に向けたわけでもないエドワード王の問いに答えたのは、ゴードン顧問だ。
「それはどういうことかな?」
「どういうことかと尋ねられましても……ただ見て感じたままを答えただけです」
「……もう少し真面目に考えてくれ。私を怒らせる為だけに、王都まで来るなんてあり得ない」
ゴードン顧問の答えに苛立ちを見せるエドワード王。謀臣が必要だと考えて登用したゴードンだが、もともと良い感情を持っていないので、こういう反応になってしまう。
「わざわざ王都まで来て、陛下を怒らせる理由であれば、思い付くことが一つあります」
「そんなもの、あるはずがない」
「あります。戦争の口実を得ることがそうです」
「……なんだって?」
「我が国に戦争を仕掛けさせる。もしくは来訪した女王に危害を加えさせることで、戦争の大義名分を得る。いずれにしろ我が国の非を問えます」
どちらの場合も、先に手を出したのはウェヌス王国。悪いのはウェヌス王国の側だ。ただ、そうであっても負けてしまえば意味はない。
「……グレンが国を離れたのは嘘か」
「いえ、それは分かりませんな。いない可能性のほうが高いと、自分であれば考えます」
「それでも勝てると思っているってこと? 我が国はずいぶんと舐められたものだね?」
グレンがいなければエイトフォリウム帝国の軍など恐れることはない。ゴードン顧問の言うとおりだとすれば、ソフィアの思い上がりだとエドワード王は思った。
「三国が相手であれば、絶対に勝てるとは言い切れません。いえ、これは言い過ぎですか。最後は勝つでしょう。ただ我が国の軍もそれなりの被害は免れませんな」
「ゼクソンとアシュラムも……そうか。だから戦いの大義名分を必要としたのか」
ゼクソン王国とは同盟を結んでいる。そうであるのにルート王国と共闘するとなれば、それはゼクソン王国の裏切りだ。だが、同盟を破棄する正当な理由があれば話は異なってくる。
「ただし、その一方で相手はメアリー様を人質であるかのような言い方をしました。この辺りは、自分にも理由が分かりません」
「……そうだね」
分からなくはない。相手が、エドワード王であれば妹を犠牲にしてでも覇権を求めると考えているのであれば。実際にエドワード王は必要となれば、その決断を行うつもりだ。
それによって臣下が不審を覚え、その状態で戦うことになれば、相手を利することになるかもしれない。
「どうなさる、おつもりですかな?」
「今はまだそれに答えを出す時ではないね。まだまだ情報が足りなさすぎる」
今の段階で戦うなんてことは言えない。三国に戦う意思があると知ったばかりなのだ。それもまだ、確定したわけではない。
「そうですか……意見を述べさせていただいてもよろしいですかな?」
「許しを得る必要があるような意見ということかな?」
「陛下が気分を害される恐れがありますので」
「……それを言われたら、駄目とは言えないな」
全ての意見に耳を傾ける態度を見せれば良いだけだったのに、余計なことを言ってしまったとエドワード王は反省した。今更だ。
「皇帝なのか国王なのか。これは、はっきりさせておくべきでしたな」
ゴードン顧問は会談の不備を指摘してきた。エドワード王のミスだ。だから意見を述べて良いかを尋ねたのだ。
「……ウエストミンシアか」
「はい。エイトフォリウム帝国を攻めたとなれば、かの国にも戦争の口実を与えることになります」
ウエストミンシア王国とウェヌス王国にとってエイトフォリウム帝国は、昔のこととはいえ、主筋。エイトフォリウム帝国を攻めれば、ウエストミンシア王国もその非を問うてくる可能性がある。「今更、何を」なんてことは通用しない。そんなことはウエストミンシア王国だって分かっていて、口実として利用するのだから。
「……喧嘩を売っているのか、喧嘩を売られるのを防いでいるのか」
「それだけでなく、これはグレンが考えたことなのか、別の者が考えたことなのかも知るべきですな」
「後者である可能性を考えているのだね? 理由を聞こう」
そうでなければ、わざわざ忠告してくるはずがない。それは分かるが、その理由まではエドワード王はすぐに思い付かない。
「ソフィア殿を犠牲にするような策を考えるとは思えません」
「……彼女がグレン以外の指示で動いたと考えるのかい?」
エドワード王はソフィアを動かせるのはグレンだけだと考えた。飾り物とはいえソフィアは王であり、セントフォーリア皇家の血を引く女性。危地に送れる臣下などいるはずがないと。
「ソフィア殿が策を考えさせ、自らの決断で実行に移したのだと考えております」
自らがもっとも危険な場所に身を置く。グレンはそういう考え方をするとゴードン顧問は思っている。それをソフィアも真似ているのだと。
「……もし彼女が……いや、その時はエイトフォリウム帝国は、とっくに滅びていたことになるだけか」
ソフィアが死ねば、後継者はフローラだけ。それを考えたエドワード王だが、それは通用しないと、すぐに思い直した。
「あの女王陛下には捨て身の怖さがありますな。もとからそうだったのか、王となって身につけたものなのか。事前に調べておくべきでした」
女王陛下という呼び方は、敬意の証。ゴードン顧問は、今回の一件でソフィアをある程度認めたということだ。
「……そうだな。もっと彼女の為人なども調べておくべきだった。情報収集にもっと力をいれよう。グレンやエイトフォリウム帝国に関することであれば、どんな小さなことでも良い。報告するように」
調査不足であったことはエドワード王も否定しない。今回の会談は完全に準備不足。それが失敗の原因だ。実際にそうだと思っているが、周囲にもそう思わせなければならない。ソフィアに自分が、王としての資質で負けたなどと思われるわけにはいかないのだ。
情報収集の強化を指示して、エドワード王は部屋を出て行く。これ以上、会議を続けても進展があるわけではない。という判断だ。
「……ハーリー大将軍。軍はどこまで回復した?」
エドワード王がいなくなったところで、ゴードン顧問はハーリー大将軍に尋ねた。過去の派閥関係を知っているエドワード王がいる場では、こういうことも聞くことは避けているのだ。
「何をもって回復したというのかは難しいところですが、ここはまだまだと言わせてもらいます」
「勝てないか?」
以前と同じではハーリー大将軍は満足していない。グレンが率いる軍に勝つ。それを目標にしているのだとゴードン顧問は受け取った。
「実戦経験が乏しい者が多く、経験豊富な騎士や兵士には彼への恐れがあります。これでは勝てるとは言い切れません」
かつてのウェヌス王国軍も実戦経験は不足していた。その時に比べれば、いくつかの戦役を経験した騎士や兵士がいる分、強くなっていると言える。だが対グレン戦となると、その経験が悪いほうに働いてしまうことをハーリー大将軍は恐れているのだ。
「……彼がいなければ勝てると考えて良いのかな?」
「そうでなければ、大将軍ではいられないでしょう」
「なるほど。では戦いの準備をしておくのだな」
「……陛下は開戦を決断されますか?」
先ほどまでの話を聞いていると、とても決断出来る状況ではない。そう判断した自分とは異なる考えがゴードン顧問にはあると知って、ハーリー大将軍は少し驚いている。
「戦う前の準備がどれほど重要か、残念ながら陛下はまだ理解されていない。目に見えている戦力はどちらが上か。それだけで判断してしまう可能性はある」
勝敗は戦う前に決まっている。これをエドワード王は理解していないと、ゴードン顧問は考えている。それが今回の失敗にも繋がっていると。
それを反省し、慎重に事を進めれば良いが、そうでない場合、結果を急ぐ可能性がある。ゴードン顧問はエドワード王から焦りを感じているのだ。
「……慎重に準備を進めます」
そしてゴードン顧問の言葉は、ハーリー大将軍への諫めでもある。戦う準備を始める前から、勝てると言い切るハーリー大将軍への。
それに気付いたハーリー大将軍は、軍人である彼に出来ることは限られているが、入念に準備を進めることにした。
もうウェヌス王国に敗戦は許されないのだ。
◇◇◇
城内でウェヌス王国の重臣たちが会議を行っている頃。貧民街の鷹の爪亭でも会議、とはいえるようなものではないが、話し合いが行われていた。ソフィアの来訪に絡んだ話し合いだ。
参加しているのは、親父さんと銀鷹傭兵団のイーグルとスターリングだ。
「当面の活動費は手に入った。あとはお前等が決断するだけだ」
ソフィアが置いていった宿代。それは一生泊まり続けてもお釣りがくるくらいの金額だった。宿代の精算などは口実で、初めから活動資金として用意されたものなのだ。
「俺にはまだ今回のことが分かっていない。今日のアレは何だったのだ?」
活動資金を渡されたのは分かる。だが、それを国王であるソフィアが持参してきた理由が、スターリングには分からない。
「お前等に会いに来たのだ」
「はっ? あれが?」
会いに来たと言われても、ソフィアがいたのは半刻ほどで、スターリングは一言も話をしていない。
「近衛騎士様が見ている前で、話なんて出来ないだろ?」
「それはそうだけど……ただ顔を見せるだけで、俺たちが味方になると思っているのか?」
「それはお前たちが決めることだ。すぐ近くにいるのに一度も会うことのない男と、身に危険が及ぶかもしれない敵国に、ただお前等に顔を見せる為だけにやってきた女性。どちらが信用出来る?」
「……本気か?」
親父さんの言うとおりであるとすれば、ソフィアに決まっている。だが本当に彼女がそのつもりでやってきたとは、スターリングは信じられない。
「旦那は今、国を離れている。絶対に戻ってくるとは言えない。その状況で味方をしてもらうには、自分自身を信用してもらう必要がある。そう考えたそうだ」
「……さすがは銀狼の嫁と言うべきなのか? セシルとはまた違う怖さを感じるな」
それだけのことに命を賭けたソフィアに、セシルとは違う、凄みをスターリングは感じた。
「一途なんだよ。ここで暮らしていた時から、ずっとな」
「女性としては褒められるが、国王としてはどうなのだ? 好きな男の為に、だけでは世の中は動かない」
ここでイーグルが口を挟んできた。世の中を良くする為には、好きな男に一途だけではどうにもならない。そう思っている。
「そういう人々が何千、何万といれば世の中は変えられる。彼等は、彼が造る世界を信じているのさ」
「……その一員になれと」
「何度も言っている。決めるのはお前等だ。誰かに頼まれたから。そんな気持ちで彼の下では働けないからな」
いざ働くとなれば、すぐに命を賭けることになる。敵組織の中で裏切りを隠しながら、三人は活動することになるのだから。
「二人だけでは正直厳しい」
グレンの下で働くことについては、イーグルはすでに心に決めていた。だがスターリングが決断しても、親父さんは鷹の爪亭を動けないので二人だけ。それで成果をあげるのは難しいと思う。
「手足となる奴等はいる。それが誰かは聞くな。決断するまでは話せないからな」
「……なるほど。スターリング、お前はどうする?」
さりげなくスターリングがどうするかをイーグルは尋ねる。これでスターリングが、味方になるのを躊躇するようであれば、この場で処分するつもりだ。
「俺は鷹でなく狼を選ぶことに決めた……こう言わないと殺されるだろ?」
「おい、それじゃあ」
「冗談だ。今更、命なんて惜しまない。どうせ失う命なら、自分がやりたいことをやって死にたい。そう思った」
多くの仲間が死んだ。その死の原因がグレンである仲間も多い。だが、それを恨む気持ちはスターリングにはない。自分たちは信念を曲げて生きていた。その罰が当たったのだと考えるようにしている。
後悔しながら死んでいった仲間のようにはなりたくない。そう考えているのだ。
「じゃあ、決まりだな。早速、全てではないが共に働く仲間を教えよう。それぞれこれから伝える宿屋に行け。食堂に行けば向こうのほうから接触してくる」
「……王都内に仲間がいるのか?」
銀鷹傭兵団ではグレンの手の者が王都に入ることを警戒している。全てを防げていると考えていたわけではないが、実際にいることを知ると複雑な思いも湧いてくる。自分もまた出し抜かれた一人になるのだ。
「あれだけの数の人が一度に集まってくれば、監視の目も行き届かなくなる。潜り込ませるのは簡単だろうな」
ソフィアの来訪を見物する為に集まってきた人々の中に紛れ込んで、王都に侵入させた。これもまたソフィアの王都来訪を利用した策。監視の隙を作る為の策だ。
「……分かった。さてはクレインの野郎だな?」
グレン以外に、そんなことを考えるとすればクレイン。銀鷹傭兵団の中で、表の仕事限定だが、策略の類いを考える役割を担っていたのはクレインなのだ。
「さあな。小国の集まりだなんて侮らないほうが良い。人材はウェヌス王国に優るとも劣らないくらい豊富らしいからな」
「とんでもないな。こういう場合は何て言うんだ? トンビが鷹を生んだじゃあな」
グレンの父親であるジンは、そういう人物ではなかった。期待して集まった人材を逆に失望させてしまった。その失望した人々の中の一人がイーグルであり、スターリングだ。
「そのまま。鷹が狼を産んだんだろ? それとも勇者が英雄を生んだか? ああ、生んだのはセシルか。魔女が――」
「どうでも良い。とにかく働き甲斐があるってことだ」
「ああ、もう一度。今度こそ」
一度は諦め、妥協した夢。それをもう一度見られるかもしれない。その期待だけで二人には十分だ。たとえ夢が実現したところを見られなくても、道半ばで倒れることになったとしても、夢に向かって前のめりで人生を終えたい。そんな生き方を取り戻したい。そう思ってしまったのだ。
◇◇◇
イーグルとスターリングの二人と同じような想いを、遠く離れた場所で抱いている人物がいる。彼等二人と同じような境遇、は言い過ぎだが、以前から繋がりがあり、彼のように立場を変えた人物だ。
「ですから、王たる者は現実を見るべきだと申し上げているのです」
ウォーレン王に厳しい言葉を吐いているのはアルビン・ランカスター。元ウェヌス王国の宰相であり、ランカスター元伯爵家の長男だ。
「私は夢を追っているつもりはない。ただ民を苦しめるのはおかしくないかと言っているのです」
「この国は速やかに富国強兵を成し遂げなければなりません。その為に必要なことです」
アシュラム王国はルート王国とゼクソン王国に遅れをとっている。もっとも遅くまで戦争状態で、かつグレンが直接統治している期間が短かったから。という言い訳はあるが、それで諦めるアルビンではない。一日も早く二国に追いつく策を考え、ウォーレン王に報告した結果が今の議論だ。
「富国強兵は必要です。でも間違ったやり方で、それを実現してどうします?」
「間違ったやり方とは思っておりません」
「そうでしょうか? 軍事においてはもっとも弱い兵を基準に戦術を考えるべきと聞いた。これは間違いかな?」
「いえ、その考えは正しいと思います」
「民はそのもっとも弱い兵と同じではないのですか? その弱い兵に無理をさせて、それで国は強くなるのかな?」
「それは……」
ウォーレン王への反論がすぐには思い付かない。軍事では正しいことも内政では異なる。それをどう説明するべきかアルビンは迷っている。
「圧倒的多数の民が苦しい思いをしていて、その国は豊かと言えるのかな?」
「陛下、私は別に民を苦しめようとしているわけではありません。富国強兵を実現するには民の協力が必要だと申し上げているのです」
農作地を拡大する為の開墾、水路工事。物流を効率化する為の道路造り等の土木工事。民の労働力を必要とする施策が沢山ある。どれも富国強兵に必要なものとアルビンは考え、その計画を考えたのだ。
「それは私も分かる。でも協力してもらうにしても、それで生活が苦しくなるのはどうなのかな? 弱者である民は守るべき存在。私はこう思っている」
「それは理想です。理想は大切ですが理想だけでは現実は動きません。私はこれを申し上げているのです」
「しかしそれを言い訳にして理想を追わないのは違うと思う」
「……その気持ちは正しい。ですが陛下は一つ間違った考えを持たれています」
「それは何かな?」
考えが間違っていると言われても、それに怒ることはない。ウォーレン王は自分の未熟さを知っている。今のやり取りもアルビンに反論しているのではなく、疑問点を尋ねているつもりなのだ。
「民を守るということの意味です。甘やかすことと守ることは違うということです。民、いえ人と言いましょう、人は貪欲な生き物なのです。何かを与えられて一時は満足しても、またすぐに与えられることを求めてしまう。それも前以上のものを」
「人は貪欲……それは悲しいことだ」
「はい。しかし、それが現実なのです。ですが欲があるからこそ、人は働くのです。だから施政者は人の欲を良い方に向けることを考えなければなりません」
「欲を良い方向に……それはどういうことだろう?」
「豊かさを自分の力で手に入れること。それに満足しなければ、さらに自分で頑張って豊かになれば良い。そう思わせることです」
「……それは良いな。たしかルート王国の人々はそういう考えを持っていると聞いた」
自分たちが国を造った。農地を広げ、水路を整備し、山の資源を探しあて、街を整え、武器を揃えてルート王国は強く豊かな国になってきた。そういう想いを自国の民にも持たせたいとウォーレン王は思っている。
「そのルート王国の人々は楽をして豊かになったわけではないでしょう。そうであれば、そのような想いは抱けません」
「苦労させることも必要……か」
「大変な思いをさせても、その結果得られた成果を、その大変な思いをした民に還元すれば良いのです。苦労が報われたと思って貰えば良いのです」
「……分かった。ただ負担は公平になるように気をつけてほしい」
「もちろんです。ではすぐに細かな点をもっと詰めて、具体的な計画案を作成します」
「ああ、よろしく」
ウォーレン王の了承を得て、次の作業に取り掛かることになったアルビン。書類を持って、自分の執務部屋に向かう。
その頭によぎるのは過去の記憶――
「弱者を守るのは正義だ。何故、正義を為しては駄目なのだ?」
「ジョシュア様を王になるのです。もっと現実を見る目を持って下さい」
「現実など、この先いくらでも見られる。我はその現実を見ても揺るがない理想を求めているのだ」
「その考えが子供だと言っているのです」
ただただ理想ばかりを語るジョシュアに呆れ、王の資質に欠けると見下していた自分の記憶だ。
何故、ジョシュアの言葉にもっと耳を傾けられなかったのか。何故、ジョシュアに理解してもらう為の努力を怠ったのか。ジョシュアを理解することを怠ったのか。
自分は何の為に働いていたのか。答えは分かっている。ランカスター家の私欲の為だ。悪事を求める自分が、正義を求めるジョシュアを導けるはずがなかったのだ。
もう一度。今度こそ。アルビンはそう誓った。