マーキュリー率いる黒色騎獣兵団の千名は無事、貧民街の者たちを回収して、後方に下がろうとしている。当然、帝国はそれを許すまいとして、懸命に防いでいる。マーキュリーの部隊の前に立ち塞がっているのは、グランフラム王国を裏切った部隊だ。それが陣形を組んで、黒色騎獣兵団に対峙していた。
「逃がすな! ここは何としても、耐えるのだ!」
兵士に激を飛ばしているのは、マーカス騎士兵団長。グランフラム王国を裏切った今となっては、元王国騎士兵団長というべきだろう。
「無理する必要はない! 敵はわずか二千だ! やがて疲れる時が来る!」
マーカスは持久戦を図っている。正しい選択だ。兵数に余裕がある帝国軍とは異なり、不思議の国傭兵団は、常に戦い続けていなければならない。
いつかは疲弊して戦えなくなる事は間違いない。ただ問題は、それまで帝国軍が保つという前提が成り立ってこそだ。
その前提を打ち壊す最初の存在は、まるで空から落ちてきたように突然現れた。獣の様な姿をした、それでいて二つ足で立ち上がっている、その異形の者たちは、マーカス率いる軍勢の陣形のど真ん中に飛び込んでくると、その場で周囲の兵をなぎ倒し、散々に暴れまわった上で、又、大きく飛んで、前に進んでいく。
「……魔物、なのか?」
魔神戦役に参陣していたマーカスは、魔物を見た事がある。だがマーカスの知る魔物とは、少し違う気がする。とにかく何だか分からない異形の者たちだ。
だがマーカスは、それに驚くよりも先に考えるべきだった。その異形の者たちが、一体、どこから現れたかを。
「後方! 騎獣部隊が来ます!」
「なっ、何だと!?」
兵の警告の声にマーカスが後方を振り返った時には、もう黒と赤の二つの騎獣部隊は、陣形のすぐ後方に迫ってきていた。
マーカスが何かを命じる余裕などない。騎獣部隊は駆けてきた勢いのまま、陣形を、後方から深く抉っていく。
「陣形を乱すな! いや、中に通せ! 通した上で、再包囲しろ!」
さすがは元グランフラム王国騎士兵団長というところだ。マーカスは突撃を防ぐよりも、受け流して帝国軍の包囲網の中に取り込む事を選んだ。二千が四千となっても、大した事はないという判断だ。
だが不思議の国傭兵団は、これで全てではなかった。騎獣兵団に少し遅れて機動歩兵団、機動歩兵と呼べる兵は抜けたので、ただの歩兵団ではあるが、が現れた。
「まだいるのか!? 後方の敵を迎え撃て!」
一度、後方に意識が向いていた帝国軍の反応は早かった。後方に向けた陣形を組んで、敵の突撃に備えたのだが、敵の歩兵よりも先に、竜巻が襲いかかってきてしまう。
「……エアリエルかっ!」
エアリエルの魔法だと見抜いたからといって、それで防げるわけではない。渦巻く強力な風属性魔法が、整えたばかりの帝国軍の陣形を切り裂いていく。
「陣形を再編しろ! 敵の突撃に備えよ!」
マーカスの号令が響く。それに応えて、帝国軍の陣形は又、形を整えていく。
「耐えろ! ここを耐えれば、我らの勝ちだ!」
何か根拠がある訳ではない。だが崩されれば、せっかくの包囲が無駄になるのは間違いない。ここが踏ん張りどころと、マーカスは感じている。
「耐えたところで勝ちにはなりません。それ以前に耐える事など出来ません」
「……何だと?」
不意に掛けられた声。声のした方向にマーカスが視線を向ければ、そこには抜身の剣を握ったソルが立っていた。
「さてと、騎士らしい戦いは、これが最後かもしれません。 マーカス殿、いざ、尋常に勝負を」
「今更、一騎打ちもあるか! 者共、討て! ソル・アリステスの首であれば、恩賞は安くないぞ!」
ソルの一騎打ちの申し込みを拒否して、マーカスは周囲の者に、ソルを討つように命じた。
「なるほど。裏切り者とは愚かなものです」
「何だと!?」
「貴方には一騎打ち以外の選択肢はなかったというのに。もう良い。誰でも良いから討て。少しはリオン様に褒めてもらえるかもしれない」
一騎打ちはマーカスにとっての最善の選択肢だった。何故なら、マーカスの周囲には、すでに立っている味方は、ほとんど居ないのだから。
後方に気を取られているような状態で、マーキュリーたちを防ぎきれるはずがない。前後から陣形をずたずたにされて、マーカスが率いていた一万は、戦闘力を一気に失っていた。
「……馬鹿な。どうして、勇者が負けるのだ!? 最後に勝つのは勇者では無いのか!?」
マリアの言うような台詞を、マーカスは叫んでいる。元はマリアから吹きこまれた言葉だ。マリアに誑かされて、マリアの言葉を信じ込んでマーカスは、グランフラム王国をずっと前から裏切っていた。マリアとの付き合いは、まだ魔人討伐を行っていた頃からだ。
「そうだとしても、その勇者が誰かを考えるべきでした」
「……何だと?」
「異世界から来た事が勇者の証というのであれば、もう一人、勇者と呼ばれるべき御方がいらっしゃいます」
「……そんな、まさか」
今のソルが『御方』という相手は限られている。そして、勇者と呼ばれるだけの人物は誰かとなると、それは一人しか居ない。異世界から来たなど知らなくても、勇者と呼ばれるに相応しい力を見せている人物だ。
それを知った時、マーカスの心に広がったのは驚きではなく、納得だった。英雄と呼ばれたその人は、グランフラム王国に栄光をもたらすはずの人だった。自分を含めた多くの者たちが邪魔をしなければ。
「本人は勇者と呼ばれる事は拒否なさるでしょうけど」
「……だろうな」
「どうやら貴方も犠牲者の一人。それについては同情しないでもありませんが……無用の事ですね?」
「ああ、その通りだ。一つ聞きたい。お主は今、誰の近衛だ?」
「……フラウ様の近衛ですが、それは忠誠を向ける主の命に従っての事です」
こんな言い方をしたのは、マーカスが望む答えが分かっていたからだ。ソルは、リオンの近衛騎士である必要があった。
「……そうか。それは良い。では、やろうか?」
「はっ。では、参る!」
結局は、ソルとマーカスの一騎打ちとなる。と言っても、マーカスに勝つつもりはない。自分の選択が間違いであったと分かったからには、マーカスは元のグランフラム王国の騎士に戻りたかった。
もちろん、こんな虫の良い話が許されるはずがない。マーカスは潔い良い死を選んだ。仕えるべきだった人の近衛騎士の手に掛かるという方法で。
ソルの剣が一閃。首筋から血を撒き散らしながらマーカスは、ゆっくりと倒れていった。
「……この後は?」
近づいてきたマーキュリーに、ソルは、この先の戦いを確認する。
「この部隊を完全に崩壊させて、包囲網を解く。そこからは真正面からの戦いになるのだと思う」
「そうか。分かった。では、一気にケリをつけよう」
率いていたマーカスが既に討ち取られている。グランフラム王国からの裏切り部隊に、抗う力は残っていないはずだ。ソルは一気の制圧に向けて、部隊を動かしていった。
◇◇◇
包囲網の中央では、かなり激しい戦いが繰り広げられていた。
マーキュリーの部隊が離れて、不思議の国傭兵団の軍勢は千名ほどになった。マリアは、これをチャンスと見た。正しい判断だ。
温存していた親衛隊五千を率いて、不思議の国傭兵団に攻勢を掛ける。マリアにとって、最精鋭部隊の親衛隊での参戦。しかも敵の五倍の部隊だ。これでケリが付くはずだった。
だが親衛隊五千でも、不思議の国傭兵団を突き崩す事が出来ない。リオンを討ち取ろうにも、数人掛かりで対峙しても、逆に圧倒される始末だ。
「このままでは近づけない! 火属性魔法を何とかしなさい!」
リオンの周囲を飛び回る火竜。リオンに近づこうとすれば、たちまち、それが襲いかかってくる。剣を合わせる事も出来ない状況では、数の利も活かせない。
味方に命令を発して、水属性魔法で攻撃をさせる。だが、その水属性魔法が、リオンに全く通用しない。
「何でも良いわ! いえ、一斉攻撃よ!」
という事で、魔法での一斉攻撃を仕掛けても、それを超える魔法の数で全て叩き落とされるか、霧散させられる。
「突撃よ! 順番に突撃しなさい!」
魔法が駄目であればと、犠牲覚悟の突撃を命令しても、本当に犠牲を出すだけで終わる。剣での戦いでも、リオンに太刀打ち出来なかった。
「とにかく攻め続けなさい! いつかは疲れるはずよ!」
最後は無策で、ひたすら攻め続けるだけになる。だが結局は、これが正しいのだ。リオンも人である以上は、永遠に戦い続ける事など出来ない。
攻める側からすると、無限なのかと思うくらいの魔力も、戦い続けていれば、いつかは途切れる時がくる。
だからマリアは小細工など使わずに、もっと早く、この方法を取るべきだった。それが現れる前に。
「……来たか」
リオンの周囲に突然、現れたその者たちを見て、帝国の兵士たちは固まってしまった。彼らの多くは帝国が出来てから徴兵された者たち。魔物を見たことがないのだ。
見たことがある帝国兵も、その者たちの姿には呆気に取られている。彼らが戦った魔物たちの中に、同じ姿の魔物はいなかった。それだけではなく、一目見ただけで、ハイクラスなのが分かった。
「……獣人?」
マリアも、この世界での獣人族を知っているわけではない。ファンタジーの一般的な知識として獣人を知っていて、それと、目の前の者たちが重なっただけだ。
「……貴方、魔人だったの?」
魔物を従わせる者は魔人。この理屈でいくと、こういう結論になる。
「魔神を倒した覚えはあるが、魔人になった覚えはない」
「……じゃあ、どうして、そんな化物が従っているのよ!」
「獣人族を化物呼ばわり? お前、そんな偏見を持って、よく異世界に来られたな?」
少なくとも亮の知識では、獣人族を悪として書いている小説の方が少ない。目の前の獣人たちは、モフモフには程遠い、野性味溢れる見た目ではあるが。
「この世界に獣人族はいないわ!」
「……目の前にいるけど?」
「……魔人。貴方こそ、魔人だったのね!? 貴方が、私の倒すべき敵!」
倒すべき敵である事は間違いない。倒したい気持ちは、リオンの方が遥かに強いが。
「皆! 力を合わせて戦うのよ! 魔人は私たちの共通の敵! 人間の敵よ!」
マリアは不思議の国傭兵団の団員にまで、協力を呼びかけている。それだけではない。グランフラム王国へ伝令を送ることまでした。
リオンを魔人と認識した事で気力が蘇ったようだ。これこそが最後の戦いと思い込んでいるのだ。当然、マリアの頭の中には、主人公である自分が勝つというエンディングしか浮かんでいない。
「……主」
隣に立つロスが、リオンに声を掛けてきた。この骨格で、どうして滑らかに言葉が出るのだろうと、いつもリオンは思ってしまう。
「そんな、情けない顔するな……してるよな? 情けない顔?」
ロスは狼人族。狼の顔をしている。狼の情けない顔が、どういうものか、リオンが知っているはずがない。
「……落ち込んではいる。今ので少し立ち直ったが」
ロスの声には笑いが含まれている。リオンのおかげで、少し気持ちが和らいだのだ。
「今だけだ。これから先は、あんな無礼な事は誰にも言わせない。そういう世界にしてみせる」
「……ああ」
魔神から開放されて、多くの魔物が、この世界で自由になった。自由になったといっても魔物は人間にとっての敵、討伐対象だ。生き残るには人目につかないように、ひっそりと暮らすしかない。だが、そうしていても、いつの間にか存在がバレて、討伐者がやってくる。
リオンたち不思議の国傭兵団もその討伐者の一つだった。ただリオンが他の討伐者と違ったのは、彼らに知性が、人格がある事を知っていた事。自分たちの生活を守るために、仕方なく戦っているのだと知ると、すぐに戦いを止めた。
それだけではなく、獣人族が隠れ住む場所を新たに見つけ出し、生活の支援までしてくれた。彼らがリオンに仕えるのは、その恩返しの為だ。
「今こそ、決着を付けるわ! この世界の為に!」
マリアが又、大層な台詞を叫んでいる。リオンが魔人と思った途端に、勝てる気になっているのだから、呆れるしかない。
「倒せるなら、倒してみろ!」
リオンもマリアに言い返す。決着を付けたいのは、リオンの方なのだ。
「ええ、倒すわよ! それが選ばれた勇者である私の使命だもの!」
「何が勇者だ! 元は何の力もないくせに!」
マリアの思い込みを聞くのも、もうウンザリだ。これを最後にしなければならない。
「何ですって!? 私は異世界から召喚された勇者なのよ!」
「偉そうに! その異世界では、ただのOLか学生だろ!?」
「それが何よ! 私は! 私は……えっ?」
リオンが何を言ってきたのか、その意味を、マリアは理解した。理解したのだが、信じられなくて戸惑っている。
「そろそろ理解したらどうだ? ゲームはもう終わっている! それもバッドエンドで!」
続くリオンの言葉が、マリアに、はっきりと思い知らせた。リオンは自分と同じ異世界からの召喚者だと。
「……う、嘘でしょ? 貴方も召喚者なの!?」
「ゲームは終わっている! 主人公補正なんてものはない! そして、この世界で、確かに俺たちは生きている! この意味が分かるか!?」
「……どういう事!?」
「お前は死ぬ! 主人公でなくなったお前を、世界は守ってなんてくれない!」
マリアの自信の根拠。これをリオンは、はっきりと否定した。脅しでも何でもない。ただ、事実を告げただけだ。
「……私が死ぬ?」
「ああ、俺が殺してやる。ヴィンセント様の復讐は、まだ終わっていない」
抜身の剣をぶら下げてリオンは、ゆっくりとマリアに近づいていく。それを遮る者は、誰もいない。誰もが混乱しているのだ。リオンも又、異世界から来た者であるという事実を、いきなり知らされて、何を信じれば良いか分からなくなっている。
「……だ、誰か、助けて。あの男を殺して!」
先程までの自信は何だったのかと思うくらいに、マリアは怯えた声で助けを求めている。それに応じて親衛隊の者たちが、マリアを守ろうと動き出したのだが。
「お前たちに選択肢を与えてやる。俺の敵として死ぬか、大人しく俺に従って、その女を好きにするか、どちらかを選べ」
その親衛隊員たちに、リオンが驚きの提案をしてきた。
「……えっ?」
「俺に従うなら命は助けてやる。その女も好きに扱えば良い。元々、それが望みだったのだろ? だったら望みを叶えれば良い。飽きるまで、その女を抱いてみろ」
「……な、何を言っているの?」
「別に親衛隊に限った話じゃない! この女に恨みを持つ者がいるだろ!? その恨みを晴らしたらどうだ!? 恐れる事は何もない! 俺が、この戦の勝者の俺が許すのだ!」
「ばっ、馬鹿な事を言わないで!」
兵士に恨みを買っている事に関しては、身に覚えがあり過ぎる程あるマリアだった。
「うるさい。大人しくしてろ」
リオンの言葉が終わると共に、マリアの足元から氷が立ち上っていく。氷の塊に両足を固定されて立っていられなくなったマリアは、地面に背中から倒れていった。
「これで逃げる事は出来ない。ちょっと、やり辛いけど、まあ、そこは我慢してもらおう」
「やっ、止めて! お願い、リオンくん! 私を助けて! 貴方と私の仲じゃない! ねえ、私は貴方と戦いたかったわけじゃないの。それどころか……」
「お前にも選択肢をやる」
マリアの言葉を途中で遮って、リオンは話しかけた。選択肢と聞いて、マリアの顔には卑屈な笑みが浮かんでいる。この状況から逃れられるのであれば、リオンの奴隷になる事でも喜んで選ぶだろう。
「お前が勇者として慕われているなら、お前はここから逃げ出す事が出来る。そうでなければ……まあ、自分の幸運を祈るんだな」
マリアには選択肢などない。選択するのはマリアに好き勝手に使われていた兵士たちだ。マリアにこれを告げたところで、リオンは背中を向けて、マリアから離れていった。
それを止めようとする者はいない。周囲を囲んでいた兵士たちは武器を捨てて、戦意のない事を示している。中には跪いている者までいる。
誰もが認めていた。この戦いの勝者はリオンだと。
「活躍の機会がなかった」
戻ってきたリオンにロスが文句を言う。せっかく獣人の姿に戻ったのに、ろくに、その戦闘力を発揮しないままに、戦いが終わってしまった事を軽く怒っているのだ。
「機会なんて、この先、いくらでもある。俺たちの本当の戦いはこれからだ」
「……そうか。では、その時を待とう」
「後は勝手にやってもらう。それが望みのようだからな」
グランフラム王国軍が陣取っている場所に向かって、グレートアレクサンドロス帝国軍の騎馬隊が駆けている。ランスロットが自ら率いる近衛騎士団だ。
それに対してグランフラム王国の陣地からも、騎馬隊が飛び出してきた。先頭に立つのはアーノルド。お互いの望み通りに、グランフラム国王とグレートアレクサンドロス皇帝による頂上決戦が始まる。
本当の意味での勝者など生まれない、虚しい頂上決戦が。
それを興味なさげな様子で、ぼんやりと見ていたリオン。視線の先に近づいてきたエアリエルとアリスを見つけて、その顔がほころんだ。
不思議の国傭兵団の戦いは、この瞬間に終わりを告げた。