月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

悪役令嬢に恋をして 第108話 真打ち登場?

異世界ファンタジー 悪役令嬢に恋をして

 初戦を、ほぼ完敗という結果に終わったグランフラム王国ではあったが、グレートアレクサンドロス帝国軍がすぐに侵攻を開始しなかったおかげで、どうにか軍を立て直す事が出来た。
 バンドゥが四方を山に囲まれていた事も幸いだった。兵士は逃げたくても逃げる場所がなかったのだ。
 それでも鉄車部隊はほぼ全滅。多くが帝国軍に討たれたか、捕虜になったかしている。 その数はおよそ二千。砦に篭っていて逃げきれなかった兵も含めると、初戦だけで三千程の損害となっている。兵士の補充がままならないグランフラム王国にとっては、かなり厳しい状況だ。
 だからと言って諦めるつもりはアーノルドにはない。グレートアレクサンドロス帝国軍の動向を慎重に見極めながら、軍を動かし続けていた。 
 グランフラム王国領内のある村、といっても、バンドゥの場合、村の多くが砦となっている。その砦の手前で領内の制圧に出たグレートアレクサンドロス帝国軍に、バンドゥ領軍が襲いかかっていた。

「敵襲! 迎撃体勢を取れ!」

 グレートアレクサンドロス帝国軍から号令の声が聞こえる。この号令を受けて急いで陣形を整えようとする帝国軍ではあったが、既に手遅れだった。
 十分に陣形が整わないうちに騎馬隊の突入を許す。こうなるともう立て直す事は出来ない。中途半端な陣形を、更にズタズタに引き裂かれて統制を失っていった。

「撤退だ! 下がれ!」

 帝国軍は早々に敗北を悟って、撤退の命令を発しているが、それを許すバンドゥ領軍ではない。こうして本軍を離れた制圧部隊に対し、地の利を活かして奇襲をかけ、少しでも敵兵力を削るというのが作戦の目的なのだ。
 バンドゥ領軍は撤退しようと背中を向けた敵兵士に、容赦なく剣や槍を振るっていく。この追撃は敵部隊が街道に出るまで続いた。
 そこから又、グレートアレクサンドロス帝国が知るはずのない裏道を利用して、次の目標に向かう。これの繰り返しだ。
 その一方でグランフラム王国騎士兵団の主力部隊も、敵兵力の削減に動いている。王国騎士兵団の目標は南北国境の砦を攻めているグレートアレクサンドロス帝国軍だ。本軍に大きく戦力が劣る別動部隊であれば、十分に戦う事が出来る、という理由だけではない。南北国境の戦いを放置していては砦に篭もる部隊が降伏しかねない。そうなれば、せっかく足止め出来ている敵兵力ニ万まで、本軍への合流を許すことになってしまう。
 これは絶対に避けなければならない事態で、勝てる勝てないではなく、救援部隊を出す必要があったのだ。
 この状況はカマークを、ほぼ空にするというリスクを伴うものだが、帝国の本軍はしばらく動くことはないと、グランフラム王国は見極めていた。
 バンドゥ領内であれば、グランフラム王国の諜報力はグレートアレクサンドロス帝国に勝る。地の利は、軍事でも諜報でも、グランフラム王国を優位に導いていた。
 これに考えが至らないままに安易に国境を超えたグレートアレクサンドロス帝国側の失敗だ。自軍にかなりの被害が出たところで、ようやく帝国側もこれに気が付いた。

「それで、どうするつもりなの?」

 グランフラム王国に良いようにやられている状況に、初戦の快勝などすっかり忘れてしまったマリアは不機嫌だ。全てお前の責任だという雰囲気でアランに問い掛けた。作戦立案の担当ではあるので、責任があるのは確かではあるが。

「周辺の村の制圧は後回しにします。村から徴発したところで、得られる物資はたかがしれていますから」

 初めから分かっていた事だ。銃弾や砲弾の補給を待つ間、何もしないでいるのは勿体無いとマリアが言い出した為に、意味のない制圧部隊を出動させたのが間違いなのだ。

「南北の国境は?」

「北部は撤退させます」

「えっ? 負けちゃったの?」

「いえ。負ける前に撤退させようとしているのです。国境を抜いてしまった今となっては、他の二箇所の砦を落とす事にそれほどの必要性はありません。それであれば、合流させた方が良いとの判断です」

 三千が篭もる砦に一万の軍勢を張り付けているのだ。元々敵兵力を分散させる目的での三方向からの侵攻だったのだが、それに意味がなくなったのであれば、合流させた方が良い。

「南は?」

「南はそのままです」

「どうして南はそのままなの?」

「元々南は、侵攻作戦が終われば、不平分子の鎮圧に向かう予定でした」

「そうだったわね」

 南部の叛乱を、結局は軍の力で押さえ込もうとしている。しかもランスロットの許可を得ること無くだ。自分が失敗したと人に思われるのがマリアは許せないのだ。それが時に事態を一層混乱させているのを分かっていない。

「こちらが後退しても、グランフラム王国側はすぐに砦の兵を引き上げさせる事は出来ないでしょう。その間にカマークへの侵攻を開始します」

「いよいよね。次は少しは活躍する場があるわよね?」

「いえ。マリア様はこの地でお待ち下さい」

「……どうしてよ?」

 ただ勝つだけではマリアは納得しない。活躍して、自分の名声や価値を高めるつもりなのだ。

「グランフラム国王には奥の手があります。近接であの魔法を使われて、マリア様は絶対に防ぎきれる自信がありますか?」

「それは……」

 ハイランド王家の究極魔法グランフラム。前王が王都攻防戦で使った時は、マリアは離れた場所にいた。それでも防ぐためには、最上級の防御魔法でギリギリという感触だった。周囲を見捨てて、自分だけであれば平気かもしれないが、さすがにそれを口に出すほど、マリアも馬鹿ではない。目の前に居るアランたちが見捨てられる張本人なのだから。

「あれがある限り、マリア様をグランフラム王国との戦いの前線にお出しするわけには参りません。今回はご辛抱下さい」

「……分かったわ。活躍は次の戦いにとっておく」

 マリアも死を覚悟してまで戦いに拘るつもりはない。大人しくアランの言う事を聞くことにした。グレートアレクサンドロス帝国軍は北部の国境に配置していた別動部隊との合流を待って、カマークへの進軍を行う事を決めた。

◇◇◇

 カマークでの決戦の日は近い。迎え撃つグランフラム王国側は何度も何度も、作戦会議を繰り返している。カマークが落ちればグランフラム王国は領土というものを失う事になる。負けるわけにはいかないのだ。

「これまでの戦いを分析すると、やはり野戦に、それも近接戦闘に持ち込む事が出来れば、我が国にも十分に勝機が生まれると考えられます」

 マーカス騎士兵団長が、グレートアレクサンドロス帝国軍の戦力分析の結果を報告している。
 数では劣っていても、個々の兵の質ではグランフラム王国が優れている。当然だろう。グレートアレクサンドロス帝国の兵士はロクに鍛錬もしないままに、戦場に送り込まれた者たちだ。その未熟な兵士を強兵にしているのが、銃火器なのだ。

「その野戦にどうやって持ち込むのだ? 鉄車は失敗した。重装歩兵では尚更ではないのか?」

「銃は盾でも防げます。問題は大砲なのですが、その弱点が分かりました」

「何? それは何だ?」

 銃火器さえなければ倍の敵相手でもアーノルドは負けるつもりはない。その弱点が分かったという事実は朗報だ。

「命中率がひどく悪い事です。一発目はまず当たりません。そこから目標に当たるように、調整しているようです」

「……しかし、鉄車はかなり大砲の直撃を受けていたようだが?」

「はい。ただあれは、予め目標地点を定めておいて、そこに鉄車部隊を引き込んで足止めをしたからだと考えられます」

 この推測は正しい。大砲の命中率は致命的に悪い。測量方法については、この世界に元々あったのだが、火薬の品質が安定していない為に、大砲によってどころか砲撃の都度、射程が変わったりするのだ。
 この問題をグレートアレクサンドロス帝国は大量の大砲を用意し、一定の範囲に絨毯砲撃を加える事で解決している。下手な鉄砲も数打てば当たる、そのままの対策だ。

「つまり、その範囲に入らずに動き続けていれば、そうそう大砲は当たらないという事か」

「そうなります」

「銃も同じか?」

「同じですが……」

 ある程度の距離があれば、銃の命中率も変わらない。だが大砲と銃では違いがある。

「何かあるのか?」

「人が持って使う銃は向け先をすぐに変えられます。それに命中率の悪さなど問題にならない程の数を、アレクサンドロスは揃えております」

 銃の場合は命中させる為の距離の縛りがない。敵のいる方向に向かって、大量の銃弾を放つだけだ。動き続けていても銃隊の射線に入ってしまうと、当たらないでいる方が難しくなる。

「……なるほど。足の遅い歩兵は大砲、騎馬は銃という事か」

「そして騎馬も、大砲の攻撃範囲に入ればただでは済みません」

「そうだな……」

 帝国は銃や大砲の利点や欠点を、どこよりも分かっている。その上で最適な戦い方を編み出し、それが出来る状況に敵を引き込もうとしている。
 今回はその帝国がもっとも好むであろう拠点攻防戦だ。攻略対象が動かない拠点攻撃は、大砲がその能力をもっとも活かせる場面となる。

「アレクサンドロス側が陣地構築を終える前に攻撃を仕掛ける。これが最善の戦い方だと思うのですが」

「カマークへの進軍中を叩くか……」

 マーカス騎士兵団長の進言通りにするとなれば、これ以外にない。且つ地の利を活かすことが出来れば奇襲も可能だ。これ以外にない作戦に思えるのだが。

「おそらくはアレクサンドロスも分かっているはずだな?」

 グランフラム王国が思い付く事であれば、グレートアレクサンドロス帝国だって想定しているはずだ。これに対する備えがないと考えるのは、都合が良すぎる。

「はい。しかし陣地を構築されるよりは、まだマシです。それに戦いは攻める側に、より多くの選択肢があります」

 いつ、どこで、どのように攻めるかは攻撃側が選ぶことが出来る。その全てに備える事は難しいはずだ。マーカス騎士兵団長はこれに賭けようとしている。

「……どう攻めるかだな」

 相手が思いもよらない場所や方法で奇襲をかければ良い。アーノルドもこう考えた。これで進軍中を攻撃する事は決定。あとは攻める場所や方法の検討だ。グランフラム王国の軍議はまだまだ続くことになる。

 

◇◇◇

 そしてグランフラム王国が考えた奇襲は見事に破られる事になる。
 グレートアレクサンドロス帝国が思いもよらない場所からの不意打ちには成功したのだ。だが帝国軍に突撃をかけた騎馬部隊は、序盤こそ敵を圧倒していたのだが、混乱から立ち直った帝国軍に想定外の反撃を受ける事になった。

「……あんな武器を隠していたとは」

 味方の惨状を見て、アーノルドは呆然としている。
 戦場に鳴り響く爆発音。銃によるものでも大砲によるものでもない。帝国軍の兵士が投げる鉄球が爆発しているのだ。
 人の手で投げる爆弾。射程は当然短くなるが、攻撃にかかる時間、命中率は銃よりも余程優れていた。直撃させる必要はない。爆発で相手の戦闘力を奪ったところで、近づいて止めをさす事を目的とした武器なのだ。
 手榴弾、帝国軍ではこう呼んでおり、今回の戦いで初めて戦いに投入した兵器だった。先の戦いで牛を爆発させたのもこれであり、人に持たせて敵陣に突撃させれば、それが特攻隊となる。

「撤退のご指示を。このままでは騎馬部隊の被害は甚大になります」

「マリアは? 敵の本陣はどこだ?」

 アーノルドはまだ、この場での戦いを諦めていない。ここで引き下がっても、次の戦いはもっと困難になる可能性が高いという理由もある。

「敵の本陣は円陣の中央だと思うのですが、あれは届かないのではないでしょうか?」

「魔法を届かせるには、もう少し近づく必要があるな」

「まさか!?」

 マーカス騎士兵団長は先王の事を思い出した。先の戦いに絶望し、せめてもの意地を見せるために、死を選んだ時の事だ。

「早とちりするな。まだ死ぬつもりはない。マリアを討てば敵は引くかもしれない。あれでも王妃だからな」

「確かに」

 この世界の戦いでは、総大将が討たれてしまえばほぼ負けとなる。代わりを務められる者がいれば良いが、そうでない場合は味方の士気が一気におちて、戦うどころではなくなってしまうからだ。
 リオンが武勇に優れるオリビア王女を、メリカ王国軍の弱点とみなしたのは、これが理由だ。
 敗色濃厚の時の一発逆転の手段。これが敵軍の精神的支柱を打ち倒す事だ。この手段をアーノルドは採ろうとしている。

「マリア・アレクサンドロスはいない」

「何?」

 不意に背後から聞こえてきた声に、アーノルドは慌てて振り返った。

「国境の陣地」

 片膝立ちの男はそんなアーノルドを気にする様子もなく、続けて言葉を発する。

「……バンドゥ党の間者か」

 見たことのない顔ではあるが、漂ってくる雰囲気からアーノルドは、黒の党の者と判断した。

「誘い」

「……俺を誘っていると言うのか」

 あり得る話だ。アーノルドがマリアを狙おうとしたのと同じように、グレートアレクサンドロス帝国側はアーノルドを討ち取れば勝ちになる。国王という点だけでなく、アーノルドが持つ究極魔法の脅威さえなくなれば、勝ちは動かないと考えているのだ。

「陛下、やはり退却を」

 マーカス騎士兵団長もこの可能性を認めた。そうなればもう退却するかない。

「……分かった」

 グランフラム王国の奇襲は失敗に終わった。グレートアレクサンドロス帝国の奥の手を掴んでいなかった事が敗因だ。分かっていたとしても、対処法を思い付けたかは微妙ではあるが。
 次の戦いはカマーク防衛線となる。グランフラム王国にとっては勝ち目の見えない絶望的な戦いだ。

 

◇◇◇

 グランフラム王国の奇襲が失敗した後も、グレートアレクサンドロス帝国軍は警戒を緩める事無く、ゆっくりとカマークに向かって来る。
 準備の時があると喜ぶ気にはなれない。防衛準備などとっくに終わっている。新たな作戦も思いつかない。グランフラム王国の者たちにとっては真綿で首を絞められているような、嫌な時間が続いているだけだ。
 そんな暗い雰囲気の中。グランフラム王国のほとんど者たちがすっかり忘れていた来訪者が現れた。その来訪者を迎える為に王国の主立った者全員が謁見の間に集まっているが、雰囲気はやはり暗いままだ。
 来訪者の姿を見て、暗いというより、諦めの雰囲気に変わっているが。

「不思議の国傭兵団の方をお連れしました」

 来訪者を先導してきたランバートの表情も周囲の者達と同じようなものだ。

「不思議の国傭兵団の団長をしているアリスよ。よろしくね」

 スカートの裾を摘んで、軽く膝を折る。アリスのこんな芝居がかった仕草は、周囲の反感を買っても、雰囲気を和ませる事にはならなかった。

「お前が、団長?」

 メイド服のような服装をした美少女に傭兵団の団長だと名乗られても、アーノルドは信じられない。傭兵という職業の者に会うのは初めてなのだが、戦いを生業にするからには、騎士か兵士のような屈強な男だと思っていたのだ。

「そうよ。何か問題でも?」

「……戦争を手伝うと聞いたのだが?」

「ええ。お仕事の依頼があると聞いてやってきたの。どんな依頼?」

「依頼は、グレートアレクサンドロス帝国との戦いだが……」

 アーノルドの心の中では、仕事を頼む気持ちがすっかり失せている。

「それは知ってる。どんな成果を求めているか聞いているの」

「成果とは?」

「求める成果によって金額が違うの。だから何をして欲しいか、はっきりさせて」

「……そう言われてもな。傭兵に仕事を頼むのは初めてで」

 アーノルドにとってアリスは苦手のタイプで、ややペースに巻き込まれている。エアリエルに対する態度と同じだ。エアリエルの場合は苦手だからこそ、惹かれてしまう結果になった。

「そうね。例えば、今近づいてきているグレートアレクサンドロス帝国の軍。これを追い返すのなら金貨三千枚ね。当然、グランフラム金貨で」

「何だと?」

 金貨三千枚と聞いて、アーノルドだけでなく周囲の者たちの口からも不満の声が漏れ出している。

「あれ? もしかして払えないの?」

「金貨三千枚もあれば、今の倍の軍勢を楽に編成出来る」

「じゃあ、妥当な金額じゃない。その軍より、ずっとマシな働きをしてあげるのよ?」

「な、何だと!?」

 声を上げたのマーカス騎士兵団長。アリスの言葉を自軍への侮辱と受け取ったのだ。これは正しい。アリスは侮辱しているのだ。

「お金が惜しいなら役に立たない軍は解散させて、私たちに全て任せれば? その方がずっと効率的よ」

「……我が国の軍は十分な働きをしている」

 自国の軍を侮辱されて、頭に来ているのはアーノルドも同じだ。アリスを見る目が、厳しいものに変わっている。

「あらそう? 聞いた話だと負け続けみたいだけど?」

「……勝敗には運もある」

「じゃあ、貴方に運がないのね?」

「何だと!?」

 アリスの侮辱はアーノルドにまで及んだ。これでは仕事の交渉ではなく、喧嘩を売りに来ただけだ。

「確かに上に立つ者には運も必要ね。その点、うちの団員たちは幸せだわ」

 幸せだと思っているとしても、それはアリスが団長だからではない。これはこの場にいる、ほとんどの者には分からない事だ。

「言いたい事はそれだけか?」

「あっ、何か怒ってる? これは交渉は決裂って――」

 不意にアリスの体がふわりと浮いた。そのまま数歩後ろに下がった位置に、音もなく降り立つ。

「ん?」

 アリスの立っていた場所には、空を切った剣を持ったフラウが立っていた。

「……いやぁああああっ! か、可愛いぃいいいいっ!」

 フラウを見たアリスは大声で叫ぶと、そのままフラウに駆け寄って行く。

「ほっぺ触って良い? 良いよね? ほら触った。ぷにぷに~」

「んんっ」

 フラウの頬を指で突っつくアリス。フラウの方はイヤイヤをしながら、くすぐったそうに目を細めている。

「パパそっくりね? ちょっと吊り目気味なのはあの女のせいね。よし下げちゃお」

 今度はフラウの目尻を指で下げ始めた。そんなアリスの様子にさっきまでの怒りも忘れて、周囲は呆気に取られている。

「よし、私たちの子供にしよっと。王様、この子を報酬にしてくれたら、そうね……王都を奪い返すくらいはしてあげても良いけど?」

「……お前は何を言っているのだ?」

「だから、この子は私の娘にするの。家族三人で幸せに暮らそうね、フラウ」

「フラウはエアリエルの娘だ」

「問題なし! 私は血の繋がっていない子でも大切にするもん!」

 それがリオンの子であれば、なんて言葉をアリスが口にする事はない。アリスの目的は、グランフラム王国との交渉を決裂させる事なのだ。

「そうではない。そんな事は許せない」

「……あっそ。じゃあ、交渉は決裂という事で」

「そういう訳にはいかないっ!」

 アリスの企みを阻む声。オクス王国のアレックス王子の声だ。

「……何よ? 貴方、部外者でしょ?」

 この台詞は、アリスがアレックス王子を知っている事を意味する。だがこれを気にする者はいなかった。オクス王国でも傭兵団は働いている。顔見知りであってもおかしくはないと考えたのだ。

「参陣している以上は部外者とは言えない。副団長はどうした? 交渉事は副団長の仕事のはずだ」

「……風邪引いたみたい。だから私が代わりに来たの」

 明らかな嘘だが、否定する証拠もない。

「そうであれば尚更、きちんと交渉をまとめるべきではないのか?」

「相手にその意思がないもん。だからホワイトも文句は言えないはずよ」

 これも否定出来る事ではない。そして依頼を断る理由に十分になる。

「……では、俺が雇う」

 アレックス王子はそれが分かっている。それでも不思議の国傭兵団を戦いに引き込もうと思えば、こう言うしか無かった。

「金三千を払えるの?」

「それは幾ら何でも吹っ掛け過ぎだ。正規の値段を提示しろ」

「……金五百。これは通常料金よ」

 何気に嘘を付くのが苦手なアリスだった。

「高いな。依頼内容を変える。敵の兵器の無効化だけではどうだ?」

「う~ん、三百」

「高すぎだろ?」

「グレートアレクサンドロス帝国の戦力は銃火器が全て。それを無効化出来たら、残った兵士なんて雑魚だもん」

 これも言い分としては納得出来るものだ。アレックス王子も、こう思っているから無効化だけの依頼で十分と考えたのだ。

「分かった! 大砲だけ! これでどうだ!?」

「じゃあ、おおまけにまけて百! これでどうだ!?」

「よし、乗った!」

「ん?」

 交渉を見事に成立させたアリスだった。

「交渉は成立だ。まさか契約を破るような真似はしないだろうな?」

「……まんまと乗せられた感じ。でも契約をしたからには守るわよ。じゃあ、明後日の朝ね」

「分かった」

 依頼を受けたくなくてもアリスも、グレートアレクサンドロス帝国の動向はきちんと把握している。最後にフラウの頭をなでて、アリスはこの場から去ろうとする。

「ち、ちょっと待て」

 それを止めたのはアーノルドだ。

「……何?」

「本当にアレクサンドロス軍と戦うのか?」

「グレートアレクサンドロス帝国軍。国として認めないなんて、下らない建前に拘っているから勝てないのよ。まあ、こっちには関係ないか。雇い主はオクス王国のアレックス王子だからね」

「……元々は我が国の戦いだ」

「だから、こっちには関係ないの。仕事の邪魔はしないでね? 邪魔すると、先に貴方たちを潰すから」

 これまでの惚けた雰囲気を消し去って、アリスは言い放つ。その冷たい、殺気さえ感じる視線に、アーノルドは言葉を失い、そのまま謁見の間を出ていくアリスの背中を、ただ見送りしか出来なかった。

「言いたい事は色々あるだろうが、まずは明後日の戦いを見てからにしてくれ」

「……アレックス王子は、あの傭兵団の何を知っているのだ?」

 強引に戦いに引き込むだけの何かがある。それだけはアーノルドにも分かっている。

「……時は乱世。乱世を治めるのは、英雄の仕事と昔から決っている」

「どういう事だ?」

 アーノルドの問いに答えないままに、アレックス王子も謁見の間を出て行く。残された者たちは何が何だか分からないままだ。ただ一人、顔を真っ青にして呆然と立ち尽くしているソルを除けば。