月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

悪役令嬢に恋をして 第103話 老兵は死なず

異世界ファンタジー 悪役令嬢に恋をして

 バンドゥ南部の領境は、今はファティラース王国との国境だ。その国境の砦で両国の交渉が行われていた。同盟交渉という名目で始まった交渉ではあるが、今では中身が変わっている。ファティラース王国は領地の支配力を失いかけていて、国としての体を成さなくなる寸前の状況なのだ。
 王国騎士兵団や近衛騎士団のような大規模な職業軍人の軍事組織を持たないファティラース王国において、民衆の叛乱は致命的だった。民衆の叛乱を治める軍の兵士も又、民衆なのだ。裏切りが相次いで軍は瓦解し、ファティラース王国は叛乱を押さえる術を失った。残った王国騎士団、元侯家と従属貴族家の騎士たちが叛乱に立ち向かったが、膨れ上がる叛乱勢力の前では多勢に無勢。抗いようがなく、騎士団もすでに壊滅寸前となっている。
 こうなっては、もはや同盟など意味はない。交渉はファティラース王国の残った組織を、グランフラム王国に吸収するという内容に変わっていた。当然の事ではあるし、ファティラース王国にとってもベストではないが悪い話ではないはずだった。

「もう、いい加減にしてくれない?」

 ファティラース王国の交渉担当にシャルロットが切れている。ファティラース王国との交渉が思うように進まなかった為に、シャルロットもグランフラム王国側の交渉団の一員としてこの地に派遣されていた。
 元ファティラース侯家の人間であるシャルロットだ。ファティラース王国側も少しは軟化すると思ったのだが、グランフラム王国の思惑は完全に外れている。

「お嬢様。今はそれぞれが国を代表する身。そのような慣れ合った態度は慎むべきです」

 ファティラース王国の交渉担当は当然、シャルロットが知っている相手。元ファティラース侯家の家宰で、赤ん坊の頃からシャルロットを知っている相手だ。

「そっちこそ、慣れ合っているじゃない」

「先程の言葉は、お嬢様の成長を見守ってきた者としての言葉です。交渉とは別」

「……やりにくい」

 交渉相手として、これほどやり難い相手はいない。交渉とは別と言いながら、相手はシャルロットの言葉をグランフラム王国の言葉として聞こうとしないのだ。
 かといってシャルロット以外の担当者が話しても結果は同じ。ファティラース王国側は、グランフラム王国の提案を受け入れる気配が全くない。

「立場はどうでも良いわ。分かっているでしょう? このままでは皆、死んでしまうのよ?」

「まだ、決まった訳ではございません」

「決まったようなものよ。ファティラース王国なんてものは滅びる。その時に皆はどうするつもりなの?」

「主に殉じるのが臣下の努めでございます」

 家宰であったマイクの家は、代々ファティラース侯家に仕えている家柄なのだ。しかもマイク本人も仕えるようになって、四十年近くになる。これくらいの覚悟は出来ている。

「貴方はそれで良いかもしれない。でも他の人は? 生き延びたいと思っている人だっているはずよ」

「……そう思う者は逃げれば良いのです。殉死は強制するものではございません」

 強制はされないかもしれない。だが逃げるという行為も勇気がいるものだ。誰かが逃げ出せば、それに続く事も出来る。だがその最初になる者が中々出ないのだ。

「ファティラース国王は何を考えているの? 今の状況を招いたのは国王よ。その事に何の責任も感じていないというの? そんな人は上に立つ資格はない。国が滅びる前に国王を止めたらどうなの?」

 父親であるファティラース国王にシャルロットは遠慮がない。二人の間に出来た溝は埋まる事なく、今日まで来ているのだ。

「最後まで出来ることを為そうとされております。それも上に立つ者の責務かと」

「それは自分一人でやればいい。周りを巻き込むことはないわ」

「一人では今の困難に打ち勝てません。全員の力を合わせて、乗り切るのです」

 綺麗事。マイクの口から出てくるのは、こんな台詞ばかりだ。マイクの中でシャルロットはまだ教え諭すべき子供なのだ。これでは話し合いにならない。シャルロットの苛立ちは募るばかりだ。

「全員の力を合わせて頑張れば、それで満足? 死んでしまえば、何も残らないのよ?」

「人はいつか死にます」

「そんな事は分かっている。貴方は良いわ。もう何十年生きたの? もう思い残す事もないのでしょうね? でも貴方よりもずっと若い人は? ジェフも、もう思い残す事なく生きたと貴方は言うの?」

 ジェフレッド・ランチェスター。シャルロットの弟だ。このままファティラース王国が滅びれば、まず間違いなく命を落すことになるだろう。

「……王族として受け入れなければならない責務です」

「王族としてね。では聞くけど、ジェフはそれを望んだの? 自ら望んで王族となったのであれば責任もあるでしょう。でもそうでなければ? ジェフは自分の人生を少しでも生きられたの?」

「それは……」

「愚臣とは貴方のような人の事を言うのね? 口から出るのは綺麗事ばかりで、何の解決にもならない。忠誠を口にするけど中身は空っぽ。ねえ、諫言という言葉を知っている? 知らないわよね?」

 完全にシャルロットは頭に血が上っている。マイクを罵倒するような言葉を口にし始めた。

「お嬢様といえど、その侮辱は許せません!」

 侮辱されたマイクの方も、声を荒げたのだが。

「じゃあ、ファティラースを何とかしてみなさい! ただ死ぬのではなく! 主を、国を救うために命を掛けてみなさい! それが臣下の責務よ!」

 シャロットに怒鳴り返されて、何も言えなくなった。

「言い訳なんて許さない。私が知っている人は仕えた主の為に、たった一人でグランフラム王国を敵に回そうとした。それだけの事をしてから偉そうな事を言いなさいよ。それが出来ない貴方を、私はファティラースの忠臣だなんて決して認めない」

 これがとどめ。マイクだけでなく、この場に居るファティラース王国側の全員が、何も言えなくなって交渉どころではなくなってしまう。交渉役としては、シャロットは見事に大失敗してしまった。

 

◇◇◇

 進まないファティラース王国との交渉の為に動いたのはシャロットだけではない。グランフラム王国ではただの客人であるエアリエルの父、セドリック・ウッドヴィルもアーノルドの願いを聞いて交渉に赴いていた。
 しかもファティラース王国の都、ファティラース国王自身に会いに行くというやり方だ。
 かつては同じ三侯の当主。それなりに知った仲だ。急な来訪にもファティラース国王は面会を許し、しかも執務室で二人だけで会うという厚遇を見せた。
 ただその面会の様子はというと、二人とも一言も口を利かずに、お茶を飲んでいるだけだった。

「……ん」

 かなりの時間が経ったところでセドリックが、ファティラース国王にお茶のおかわりを要求してきた。

「……おい! お茶だ!」

 ファティラース国王の声を聞いて、侍女が部屋に入ってきた。すでに茶器を持っているのは、さすがというところだ。空になった茶器と交換して、また部屋を出て行く。
 それでまた部屋は沈黙に包まれていった。

「……お前は何をしに来たのだ?」

 耐えられなくなったのはファティラース国王だ。隠居のセドリックとは異なり、国王という忙しい身分である事が不利だった。

「全く、相変わらず堪え性がないな。もう少し我慢していれば、状況は違ったかもしれないのに」

 セドリックが揶揄するような言葉を口にするが、これは今の状況を言ったものではない。グランフラム王国からの独立の決断を指しての事だ。

「貴様も相変わらず怠け者だな。その無責任さには呆れるばかりだ」

 これはセドリックの侯爵位からの引退に文句を言っている。二人は常にこんな感じなのだ。対立しながらも、年齢も近く同じ立場にいる事で、遠慮無くものを言える数少ない存在。これは亡くなったアクスミア侯爵も同じだ。

「仕方がない。孫の存在を知っては、まだまだ死ぬわけにはいかないからな」

「孫?」

「フラウという名の女の子だ。これが可愛くてな。孫に出会った瞬間に、俺は長生きしたいと思ってしまった」

「……そういう事だったのか。しかし、何故だ?」

 フラウがエアリエルの子だった。この事実はファティラース国王には衝撃だ。自分の孫のはずだったのだ。しかも何故こういう事になったのか、ファティラース国王にはさっぱり分からない。

「さては父親を勘違いしているな」

「……リオン・フレイの子なのか……そうだとして、やり方としてどうなのだ?」

 セドリックの言葉で、ファティラース国王は大体の事情を理解した。これくらいでないと侯家の当主など務まらない。

「お前の娘が考えた事だ。聞きたければ娘に聞け」

「シャルロットが……あの馬鹿は何を考えているのだ?」

 他人の子供を自分の子として育てようとしたシャルロットの気持ちは、ファティラース国王には全く理解出来ない。理解出来ないのが普通だ。

「もう一つ驚く事を教えてやろう」

「何だ?」

「お前の娘も又、リオンの事が好きなようだ」

「な、何だと!?」

 この反応は王としてのそれではない。父親としての反応だ。ファティラース国王は、セドリックの思惑にまんまと嵌っている。

「はっきりと聞いたわけではないが、近頃は一緒に過ごす事が多いのでな。何となく分かった。フラウを守ろうとしての行動らしいが、リオンの娘であるという事が大きかったのかもしれんな」

 フラウと遊んでいれば、自然とシャルロットと過ごす時間も長くなる。もう母娘を装う必要はないのだが、シャルロットはフラウの母親代わりを止めようとしなかった。 

「……正室を拒否したのはそれが理由か。ここまで馬鹿とは思わなかった」

「そうかな? もしかしたら、その一途さが報われるかもしれん」

「報われるって、何がどうなって報われると言うのだ? どんなに想っても、その相手は……嘘だろ?」

 セドリックの言葉の意味に、ファティラース国王は途中で気が付いた。

「娘のエアルが生きていると言うのだ。最初は死を認められなくて、そう思い込もうとしていると思ったのだが、どうもエアルの周囲の者たちも、リオンは生きていると考えているようだ」

「貴様の娘を気遣ってではないのか?」

「その可能性はある。だが唯一の生き残りと言われている近衛騎士のソル・アリステスも、リオンが生きている前提で話している。エアルがその場に居なくてもだ」

 馬鹿親であるセドリックではあるが、ウィンヒール侯家を継ぐことを許された身だ。優秀で、油断のならない人物なのだ。

「……生きていたとしても、今更、何が出来る?」

「あれは王家の血を引いているとはいえ、元は本当にただの貧民街の孤児だったのだ。言葉使いは丁寧で綺麗な顔はしていたが、瞳は獣のそれのようにギラついていてな。危険な感じがしたが、だからこそヴィンセントの側に置いた。気弱で怠け者のヴィンセントには良い刺激になるかと思ったのだ」

 急にセドリックは昔話を始めた。ファティラース国王は、これに対して何も言わない。リオンの事は、やはり興味が引かれる話なのだ。

「だがあれはとんでもない男だった。まだ子供のくせに、何人もの侍女と関係を持ってな」

「何だと?」

「しかもその関係を使って相手の侍女を脅し、自分の情報源にした。ヴィンセントの跡継ぎの座を守る為に、ヴィンセントの評判やエルウィンの事を調べたかったようだ」

 セドリックはリオンの行動を把握していた。それでいて見て見ぬ振りをしていたのだ。リオンの行動がヴィンセントの為であったからだ。

「……それはいつの事だ?」

「学院に入る前の事だから十歳か、十一歳か」

「なるほど。とんでもないな」

「それだけではない。学院に入る直前に、たった一人で貧民街の組織を一つ潰している。自分の素性で、ヴィンセントに迷惑が掛かることがないようにという理由でだ」

「……貴様、よく黙って見ていられたな?」

「ヴィンセントの為なのだから、止められないだろ? しかも途中からは、リオンが何をしているのか掴めなくなった」

「……噂の組織は、その時から出来上がっていた訳か」

 リオンには影で支える組織がある。この話はファティラース国王も知っている。バンドゥ領で手に入れたものだと思っていたのだが、そうではなかったと今、分かった。

「そこからはお前も知っての通りだ。ヴィンセントを失った後、バンドゥ領主となったリオンは領地を信じられない勢いで発展させ、魔人討伐、メリカ王国との戦いでも驚くような活躍をしてみせた」

「ああ。そうだな」

「そのリオンが、何もしていないと思うか?」

「……そう考えるか」

 貧民街の孤児からグランフラム王国の英雄になったリオンだ。「今更、何が出来る」などとは言えない。

「この先、まだまだ大きな展開が待っている。俺はそう思っている」

「貴様が隠居を決めたのは、これが理由か」

「また勘違いをしている。俺はお前が知っている通り、怠け者だ。隠居の身を捨てるつもりはない」

 セドリックには野心はない。リオンがグランフラムで何をしようと隠居のままでいるつもりだ。

「では、何故、これを私に話す? 何かをさせようというのではないのか?」

「お前も隠居したらどうかと思ってな。もう俺たちの時代ではない。小娘の、そしてリオンのやり方は俺たちでは考えつかないものだ。立ち向かえる相手ではない」

「……二人のやり方が同じ?」

 セドリックの言葉の中で、ファティラース国王が気になったのは、この事だった。

「二人とも民の声というものを意識している。情報を作り、それを広め、事実として固めてしまう。これまでにも情報操作は当たり前にあったが、民衆に対してやった者を俺は、この二人しか知らない」

 貴族である二人にとって民衆は力のない者たちだ。民の声などいくらでも無視出来る、はずだった。だが実際には、グランフラム王家は世間の評判というものを気にして、リオンの思う通りに動かされ、ファティラースは、マリアによる民衆の扇動によって滅びようとしている。
 もちろんそれ以前に、それぞれの弱体化があっての事だが、それでも民衆を使うという発想はこれまでにないものだ。

「確かにそうだな。貴族の時代は終わりか」

「貴族の時代が終わったのかは分からん。ただ時代は変わった。ほんの数年の間にだ」

「その変化に我らは付いて行けなかった訳か。何とも情けない話だ」

「恥と思うな。たまたま時代が変わる節目に居合わせただけだ。そうであれば時代が、この先どう動くのか、見届けたいと思わないか?」

「生き恥を晒せと?」

 国を滅ぼして、多くの臣下の命を犠牲にして、生きてはいられない。ファティラース国王はこう考えている。グランフラム王国の申し入れを受けないのはこれが理由だ。

「何が生き恥だ。どうせお前の事など、すぐに皆忘れる。その程度の存在なのだ」

「……自分が忘れられない」

「忘れろとは言っていない。お前には罪を背負って生きる責任があると言っているのだ」
 
 死ぬことではなく、生きることで罪を償えとセドリックは言っている。

「……生きて何をする?」

「しばらくは孫の誕生でも楽しみに待っていろ。生まれてしまえば、もう退屈はしない」

「そんな事の為に?」

 侯家の当主として、働き詰めの生活をずっと続けてきたファティラース国王だ。何もしない生活が想像付かなかった。

「お前は孫を知らないから、そう言えるのだ。孫というのはな、子供とは違う愛しさがあるのだ。無責任の愛おしさというものだ」

「何だそれは?」

「自分の子供には立派に育てなければとか思うものだが、孫にはそういう感情は湧いてこない。育てるのは親だからな。こっちは、ただ可愛がれば良いだけだ」

「……そういうものなのか?」

「そういうものだ。まあ、お前も孫が生まれれば分かる。だから、その時まで生きろ」

「……もしかして、生きろと言う為だけに来たのか?」

 セドリックは形式的には、グランフラム王国からの使者という事になっている。だが、セドリックの話は、隠居して余生を楽しめという事だけだ。

「俺はグランフラム王国の人間ではない。グランフラム王国に協力しようがしまいが、どうでも良いことだ」

「それで、ここまで来たのか?」

 民衆の叛乱はかなりの規模に膨れ上がっている。外交の使者といっても、国内は安全に移動出来る状態ではないのだ。

「エドワード三世王は死んだ。バーナードの馬鹿野郎も。この上、お前にまで死なれては、俺は誰と喧嘩すれば良いのだ?」

「……そうか。確かに、そうだな」

 ファティラース国王はこの日、王国の解体を宣言した。ファティラース王国は滅びたのだ。
 ファティラース国王と家族、そして同行を希望した臣下とその家族たちはグランフラム王国に身を寄せる事になったが、ファティラース国王自身は隠居して、ただのダグラス・ランチェスターとなった。その結果、フラウにお爺さんが一人増える事となった。