アーノルド王太子が近衛騎士団を率いて、マリアの親衛隊との戦いを優勢に進めている頃。グランフラム王国軍全体は、グレートアレクサンドロス帝国の砲撃によって崩された陣形の再構築に必死の状況だった。
大砲の射程外に部隊を後退させようとしても、砲撃はそれをさせないように退却方向に撃ち込まれてくる。空から鉄の玉が飛んできて、物凄い勢いで爆発するという現象は、魔法を知っている兵士たちでもパニックに陥ってしまうものだった。
それでも何とか指揮官が動揺する兵士たちを落ち着かせ、指示を出して後退しようとした矢先に、グレートアレクサンドロス帝国の本軍の出撃だ。
後退しようと背中を向けているところを襲われて、またグランフラム王国軍は大混乱に陥ってしまう。
この事態を治める為に多少の犠牲を覚悟して、前線に増援部隊を送ろうと命令を発したのだが。
「……動きがおかしい」
フレデリック近衛騎士団長が、前進命令を出した別働軍の動きを見て、ボソリと呟いた。
「伝令! もう一度、指示を伝えろ! 一万を前線に出して、先行部隊の退却を支援せよだ!」
マーカス騎士兵団長も、別動軍が命令とは異なる動きをしている事に気が付いて、伝令に再度、命令を伝えるように指示している。
「……違う! マーカス! あれは裏切りだ!」
「なっ!?」
別働軍の四分の一程が、前線に向かうどころか後退している。それもただ後退しているのではなく、本陣の後ろに回り込もうとしているのだ。
「強引にでも前線を後退させろ! 合流して後方を突破する!」
後ろに回り込もうとしているのは一万程の軍勢だ。今、本陣に残っているのも同じ一万。それなりの被害にはなるだろうが、突破しようと思えば出来るだろう。
だがフレデリック近衛騎士団長は、グレートアレクサンドロス帝国には何か企みがあるのだと睨んでいる。裏切って、ただ後背を防ぐだけの行動では何の意味もない。同じ裏切るなら、もっと良いタイミングがあるはずだ。
そして、この悪い予感は当たることになる。
「何だと……」
前線の味方を攻撃していたグレートアレクサンドロス帝国の新兵器、大砲が向け先を変え、本陣の、それも後方に向かって放たれ始めた。
本当の射程をこれまでグレートアレクサンドロス帝国は隠していたのだ。しかも飛んでくる砲弾の数も、これまでとは段違いに多い。
「なるほど、挟み撃ちという事か」
グレートアレクサンドロス帝国は後方を塞いで、グランフラム王国軍を王都に近づけようとしている。その上で銃で攻撃をかけるという作戦だ。
これを実現するには、とんでもない数の大砲と砲弾が必要になるはずだが、グレートアレクサンドロス帝国はこれを揃えてみせた。
この一戦でグランフラム王国の息の根を止めようと考えているのだ。
「……爆発を突破しても、敵一万が待ち構えている。残りの別働軍は……動けずか、動かずか」
別動軍の残り三万に動きは見えない。裏切った一万を討とうにも、砲撃の雨の中を進むわけにはいかない。前進しても同じだ。今度は銃で狙われるだけ。それを覚悟して全面の敵を討ち果たそうという程の戦意は、貴族家軍の寄せ集めである別動軍にはない。
「どうしますか? このままでは戦わずに、戦力を喪失する事にも成りかねません」
後方に撃ち込まれている砲撃はその位置をずらし、本陣に近づいてきている。少なくとも動かないでいる事は許されない状況だ。
「……負けか」
フレデリック近衛騎士団長の問いに、グランフラム国王は力なく言葉を返す。
「このままでは」
「逆転の手はあるのか?」
「……新兵器を何とかしなければ無理ですな」
グランフラム王国にとっての不幸は、今、自分たちを攻撃している大砲がどういうものかを知らないという事だ。投石器のように弾が必要で、その弾にはやはり限りがあると知っていれば、弾切れを待つという選択も思い付いただろう。
ただこれをしても、かなりの犠牲が出る事は確かだ。そうなるだけの砲弾をグレートアレクサンドロス帝国は用意しているのだ。
「つまりは無しか」
「この戦いにおいては」
つまり、この場は逃げろとフレデリック近衛騎士団長は言っている。
「それも、戦える力を残せたらの話だ」
逃げようにもその逃げ道を塞がれている。しかも撤退となれば、グレートアレクサンドロス帝国は間違いなく追撃をかけてくる。撤退戦というものは難しい。兵士は戦意を失っており、軍としての形を維持する事さえ困難になる。
「殿(しんがり)を残します」
「ふむ……しかし、誰が率いる?」
「私が」
「何?」
今回の殿は、万に一つも生き残れる可能性はない。それはフレデリック近衛騎士団長には当然分かっている。その上で志願をしたのだ。
「殿はただ命を捨てれば良いというものではありませぬ。最後は死ぬにしても、少しでも長く生き、少しでも長く敵の追撃を止めなければなりませぬ。それを兵に強いるのですから、私が適任かと」
「……そうか」
フレデリック近衛騎士団長の言う通り、生半可な者には任せられない。グランフラム王国は、ほぼ全軍をこの場所に集結させている。撤退するにしても、安全地帯とかろうじて言えるのはバンドゥくらいだ。そのバンドゥまでは、どれ程急いでも一月半、通常で二ヶ月はかかる。その間を逃げきれるだけの時間を、殿は稼がなければならない。
「お任せ頂けますかな?」
「一つ聞きたい。お前はもう勝てないと思っているのか?」
「……この戦いは」
「誤魔化すな。次の戦いで勝てるのであれば、その可能性があるのであれば、お前は、それを実現する為に生きようとするはずだ」
グランフラム国王とフレデリック近衛騎士団長は長い付き合いだ。お互いにお互いの考え方を良く知っている。
「……私には勝つ術が思い浮かびませぬ」
「では、誰であれば思いつく?」
「フレイ殿下ですな」
グランフラム国王の問いに、間髪入れずにフレデリック近衛騎士団長は答えた。
「……ここで殿下と呼ぶか」
フレデリック近衛騎士団長がリオンを王族扱いしたのは、これが初めてだ。
「死にゆく身ですからな。最後くらいは自分の気持ちに正直にありたいと思っております」
リオンに仕えてみたかった。それで何が見えるか知りたかった。フレデリック近衛騎士団長の思いだ。
「だがフレイはいない。そうなると……」
グランフラム国王が考える素振りを見せる。それもわずかな時間。
「本陣を前進させる。近衛を率いて付いて来い」
覚悟を決めた表情で、グランフラム国王は自ら前線に出ると宣言した。
「陛下?」
「俺には乱世は向かない。これを言ったのはお前だ」
「しかし、陛下に万一があっては」
万一があってはと言うが、この場合は無事であるほうが万に一つあるかという状況だ。
「アーノルドが後を継ぐ。おれは俺よりも余程、乱世向きだ。これからはアーノルドの意思が、グランフラム王国の意思となる。その方が将来の可能性があると思わないか?」
グランフラム国王は次代をアーノルド王太子に任せて死ぬ覚悟なのだ。これが国王としての責任感からか、それとも逆に責任逃れなのかは、フレデリック近衛騎士団長にも分からない。ただ強い意思だけは感じられた。
「……宜しいのですな?」
「フレデリック殿!?」
慌ててマーカス騎士兵団長が声をあげる。誰が考えても自殺行為だ。
「騎士兵団長は残った軍を率いて退路を切り開け。その後は、アーノルドの指示に従うように」
「陛下!? 何をおっしゃいますか!?」
グランフラム国王の言葉にもマーカス騎士兵団長は納得しない。だがグランフラム国王の決意も変わらない。視線を真っ直ぐにマーカス騎士兵団長に向けて、口を開いた。
「グランフラムの王には、国の危機に際して身を捨てて、国を守る義務がある。ここで背を向ける事はグランフラムの王の座を放棄するのと同じ。マーカス、俺をグランフラム国王として死なせてくれ。頼む」
「……陛下」
納得した訳ではない。ただグランフラム国王にここまで言われては、マーカス騎士兵団長は何も言えなかった。
「フレデリック、馬を引け!」
「既に」
フレデリック近衛騎士団長の視線の先には、他とはあきらかに格が違う立派な馬が、騎士に引かれて近づいてきている、国王専用の乗馬だ。
その馬が目の前に来る間に、グランフラム国王は出陣の支度を行う。
「近衛騎士団! 揃えっ!!」
フレデリック近衛騎士団長の号令の声が本陣に響き渡る。控えていた近衛騎士たちが騎乗して、本陣の前に整列し初めた。
その前に準備を終えたグランフラム国王と、フレデリック近衛騎士団長が馬を並べて進み出る。
「出来るだけ陛下を城門の近くまでお連れするのだ! 陛下の盾である近衛騎士たちよ! 今こそその役目を果たす時が来た! 皆の者、励めっ!!」
「「「おおっ!!」」」
命を賭しての、グランフラム国王と近衛騎士団の戦いが始まる。
◇◇◇
グランフラム王国旗が立っているとなれば、そこにグランフラム国王が居る事になる。前線に進んできた騎馬の集団に、グレートアレクサンドロス帝国軍の攻撃が集中した。
まずは大砲の砲撃、とはいっても、動く敵に対しての命中率は限りなく低い。これまで正確に砲撃しているように見えたのは、あらかじめ砲撃位置を決め、そこにグランフラム王国軍を誘導していたからだ。ほとんど被害を受けないままに大砲の射程の内側に、グランフラム国王率いる騎馬隊は侵入した。
ここからが苦しい戦いになる。グレートアレクサンドロス帝国軍の兵士の攻撃が集中する一方で、援護の為に近づく部隊は少ない。
本陣の残りの軍は指示通りに、退路確保の戦いに入っている。貴族軍の一部もそれに加勢、残りはもう撤退に入っていた。
前線に居た部隊の多くは国王を守りに向かおうとしたのだが、それは国王側が拒否している。援護に集まる余裕があれば後退して騎士兵団長の麾下に入れ。こういう命令が伝令によってもたらされていた。
それに、国王には援軍を不要とする理由もある。
「耐えろ! 耐えて、一人でも多くの敵兵を引き付けるのだ!」
フレデリック近衛騎士団長の声が響いている。部下に命令しながらも、フレデリック近衛騎士団長は群がる敵兵を全く寄せ付けない。グランフラム王国最強の武人の称号が伊達ではない事を、見事に証明してみせていた。
他の近衛騎士もさすがはフレデリック近衛騎士団長が鍛え上げた精鋭だ。一人で何人もの敵を相手にしながら、全く遅れをとる様子はない。このまま勝ってしまうのでないかという勢いだ。
もちろんこれはグレートアレクサンドロス帝国側の本隊がまだ本格参戦していないという理由もある。相手をしている兵士のほとんどは奴隷部隊なのだ。
「彼らは王都の住民よ! 自国の民を殺して何とも思わないの!?」
離れた場所からマリアが卑怯な言葉を叫んでいる。そうしなければならないほど、近衛騎士の強さに脅威を感じているのだ。
「陛下を害しようとする者は全て敵! 近衛騎士の使命を忘れるな!」
マリアの言葉に怯みそうになった近衛騎士たちも、フレデリック近衛騎士団長のこの言葉で勢いを取り戻す。仕える相手は国ではなく人。近衛騎士の心構えが、この場合は役に立った。
「手出し無用! 陛下はもうすぐ詠唱に入られる! 去られよ!」
突然のフレデリック近衛騎士団長の言葉は、アーノルド王太子に向けられたものだ。支援に駆けつけようとしたアーノルド王太子は、このフレデリック近衛騎士団長の言葉を聞いて、部隊を止めた。
「よろしいのですか!?」
部隊を停止させたアーノルド王太子に驚いて、ランバートが大声で問い掛けてきた。
「……もう手遅れだ」
「まだ間に合います! 押しているのは、陛下の近衛騎士団の方ではないですか!?」
「そうではない。陛下は、最後の魔法を使うおつもりだ」
「まさか……」
最後の魔法という言葉の意味を、近衛騎士であるランバートは当然知っている。王家に伝わる究極魔法、これを使えばどうなるかもだ。
「急いで下がるぞ。グランフラム王家の血をこの場で絶やす訳にはいかない」
「……はっ」
アーノルド王太子は、戦っている近衛騎士団長に視線を向ける。その近くに居るはずのグランフラム国王の姿は人の陰に隠れて見えなかった。その見えない父親に対して軽く一礼すると、馬首を東に向けて馬を駆けさせた。
やがて進行方向に自らの影が伸びる。太陽が照らす影ではない。グランフラム王家の究極魔法が発動したのだ。
太陽が地に落ちたのかと錯覚するくらいの巨大な炎の塊が出現し、それが周囲の兵士を飲み込んでいく。巻き込んだもの全てを焼き尽くす、広範囲攻撃魔法グランフラム【偉大なる炎】。これがグランフラム王家の究極魔法だ。
出撃していたグレートアレクサンドロス帝国軍は、その炎に飲み込まれていく。それだけでは済まない。膨れ上がった巨大な炎は、帝都の城壁さえも飲み込みそうな勢いだ。
さすがに城壁が燃える事はなく、炎の膨張を押しとどめているが、城壁の上はタダでは済まなかった。多くの兵士が炎に巻かれ、その上、城壁の上に置かれていた火薬に引火して爆発が巻き起こる。
国を守るといえるだけの威力が、究極魔法グランフラムにはあった。この魔法があるからこそ、グランフラム家は王に選ばれたのだ。
――魔法が消失した後、戦場に生き残った者は千人にも満たない数だった。それさえも、マリアの防御魔法があっての事だった。
◇◇◇
奴隷部隊を入れれば、二万を超える被害を出したグレートアレクサンドロス帝国だったが、グランフラム国王は討ち死に、というより自爆。そしてグランフラム王国軍は退却という結果で、一応は勝った形だ。
帝都城内の謁見の間では、暫定的な論功行賞が行われていた。論功行賞を急ぐ理由は相手にある。
「パトリック・アイヴァン殿。今回の戦功を称え、その恩賞としてグレートアレクサンドロス帝国子爵の地位を与える」
恩賞を告げられたのは、元ウィンヒール王国貴族であり、グランフラム王国を裏切った貴族の一人だ。裏切り者への処置を済ませておく。これが論功行賞を急いだ理由だった。
「恐れながら、陛下にお願いがございます」
恩賞を与えられたというのに、パトリック子爵の表情は暗い。内容に不満があるのだ。
「……何だ?」
パトリック子爵が何を言いたいか分かっている。分かっていてランスロットは惚けている。
「今回の戦功の恩賞として、娘を返して頂きたい」
「娘……ああ、奉公に来ている娘か。それは、まずは本人の希望を聞いてからだな」
「何故ですか!? 親が家に戻してほしいと言っているのです!」
大声を出して問いただしているが、パトリック子爵は理由を知っている。奉公など名目で、実際は人質扱いなのだ。
「しかし、元々娘を奉公にあげたのは、借金返済の代わりという事ではなかったか? 侍女として数年働いただけで、返せるような金額ではなかったはずだ」
「それは……」
莫大な借金をさせて、妻や娘、場合によっては息子を奉公という名で手元に引き取る。それを人質としてランスロット、というよりはマリアは、多くの貴族たちを思う通りに動かしている。今回の裏切りも多くはパトリック子爵と同じ、人質を取られている貴族家がマリアに命じられて行った事だ。
「まだまだ返すわけにはいかんな」
「では、せめて娘に会わせて頂けますか?」
「それは……」
今度はランスロットが言葉に詰まる番だ。本当に奉公として城で働いている者は少ない。多くは娼館に送り込んでいるのだ。会わせろと言っているパトリック子爵は、これが分かっていて言っている。
「会わせる事も許されないのですか?」
「……すぐには無理かもしれないが、手配は進めておこう」
こう答えてしまうところは、ランスロットの甘さでも優しさでもある。
「陛下。陛下は今や旧グランフラム王国の大半を統べる身。大国の王は、恐怖ではなく慈愛の心で国を治めるべきではないですか?」
パトリック子爵の本当の目的はこれにある。ランスロットは旧グランフラム王国の大半を手中に収めた。今更、ランスロットに逆らっても、どうにもならないのだ。そうであるなら臣として、ランスロットを正しい方向に導くしかない。
人質を使って脅すなどという卑劣な真似を毛嫌いするような、正しい心を持った王になってもらうしかないのだ。
「それは分かっているが、新たな物を作り上げるには、古き物を壊さなけれならない。それには厳しさが必要だ」
「すでに古き物は壊れました。グランフラム国王は死に、精鋭と言われた近衛騎士団も殉じた。グランフラム王国が嘗てのグランフラム王国に戻る事はもうないと思われます」
「……そうかもしれないが」
ランスロットの視線が隣に座るマリアに向く。ランスロットに視線を向けられている事に気付いていないマリアは、鬼の形相でパトリック子爵を睨みつけている。
パトリック子爵が、暗に自分を批判している事をさすがに分かっているのだ。
「正しき道をお歩み下さい。それが臣の望みであり、それによって陛下は、多くの者たちの忠誠を集める事になるでしょう。その時こそが、陛下が覇者として、歴史に名を刻む時です」
これまでのやり取りでパトリック子爵は、ちょっとした手応えを感じていた。ランスロットにはまだ見所がある。問題の元凶はマリアにあるのだと。
マリアさえランスロットから遠ざけられれば。これがグレートアレクサンドロス帝国を何とかしようと考える忠臣たちの共通した思いになる。