もう後は滅びるだけと思われていたグランフラム王国が息を吹き返した。ウィンヒール王国との戦いは、グランフラム王国が圧倒的に優勢な状況で進んでいるのだ。
ただこれは当然の結果で、冷静になって戦力分析を行えば、グランフラム王国側の有利は明らかだった。
ウィンヒール王国が優っているのは兵数と領土の広さだけ。指揮官と兵の質はグランフラム王国騎士兵団が上。特に指揮官は質だけでなく、数でも圧倒している。元々十万を超える軍勢を指揮出来るだけの指揮官が揃っていたのだ。その全員がグランフラム王国に残った訳ではないが、二万の軍勢を率いるには贅沢過ぎる数となっている。王国騎士兵団十万の頂点であった騎士兵団長が今は一万の軍勢の指揮を執っているのだ。
戦力におけるグランフラム王国の優位点はこれだけではない。戦争においては、それほど有効な武器と言えない魔法によって、ウィンヒール王国軍は圧倒されていた。グランフラム王国が優れているというより、ウィンヒール王国が劣っているのだ。
グランフラム王国側において突出した魔法の力を持つのは、グランフラム王とアーノルド王太子。そこにエアリエルだけでなく、オクス王国のアレックス王子、ハシウ王国のハリー王子が加わる。魔力は血統が影響する。王族はどの国でも、もっとも魔力に優れた者たちなのだ。
一方でウィンヒール王国。そもそもウィンヒール侯家の直系がいない。エルウィンは才能に溢れているが、そこには限界があり、しかもそれを伸ばす努力を怠ってきた。本人は努力をしていたつもりだが、エルウィンのそれは、リオンやエアリエル、そしてヴィンセントには遠く及ばない。
エルウィンにとって不幸な事だ。もしエルウィンが子供の頃にヴィンセントたちと行動を共にしていれば、自分の才能の限界を知り、余計な自信も、それが生み出した野心も持つことはなかったかもしれない。
だがエルウィンは本妻に遠ざけられ、実の母にも離れから出る事を許されずに過保護に育てられ、自分の実力を知る機会がなかった。試しの儀においても魔道具を使った増幅、つまり不正を仕込まれ、実力以上の評価を受けているのだ。これもエルウィンが知らされていない真実だ。
とにかく攻め込んだはずのウィンヒール王国は押し返され、逆に自らの支配地域に攻め込まれる事になった。
ウィンヒール王国の不幸はそれだけではない。とうとう恐れていた事態が起こった。
初めは十人ほどだった。家を捨て、身分を捨てて、ウィンヒール王国からグランフラム王国へ、というよりエアリエルの下へ馳せ参じる者が現れた。その彼らをエアリエルが受け入れ、それに対してグランフラム王国も何も言わなかったと分かると、十人が数十人に、そして遂に貴族家が寝返りを表明するようになった。
もうウィンヒール王国は戦うどころではない。味方の引き止めに追いまくられる事になる。それでも一度出来上がった流れは止まらない。
やがて数の優位さえウィンヒール王国は失い、グランフラム王国に抗う力を持たなくなった。後はもう逆に滅ぼされるのを待つのみ。
ここまで追い込まれればエルウィンも、自信も見栄も全てを捨てられる。自国を救う唯一の道を選択する事になった。
「情けない。もう終わりか」
膝を床について頭を垂れているエルウィンに、玉座の上からランスロットは冷たく言い放った。
「何卒、貴国からの援軍を」
ランスロットに何を言われても、今のエルウィンに反抗する事は出来ない。ウィンヒール王国を滅ぼしたくなければ、グレートアレクサンドロス帝国の力を借りるしか無いのだ。
「援軍と言われてもな。せめてもう少し粘ってもらいたかったな」
実際にランスロットも今、援軍を乞われても困る。ファティラース王国との戦いは優勢ではあるが、まだ決着は付いていない。それにファティラースが終わったら、次の目標はメリカ王国なのだ。ファティラースよりも更に強い相手との戦いが待っている。
「しかし、このままグランフラム王国が力を取り戻す事になれば、貴国にとっても危険な存在になります」
「望むところだ。正直に言うと俺はウィンヒール王国が、グランフラム王国のものとなっても全く困らない」
「……何ですって?」
エルウィンが、自分ではこれ以上無いと思うくらいに下手に出ているのは、自国を守る為。ランスロットにその気がないのであれば、こんな屈辱を我慢する必要はないのだ。
「やはり俺の競争相手はアーノルドだ。アーノルドとの決着は自らの手でつける」
ランスロットにとってアーノルド王太子はライバルだった。そして少なくともランスロットの方は今もライバルだと思っている。いや、皇帝という高みを目指すようになって、ようやく本当の意味で、そう思えるようになったのだ。
もうアーノルド王太子におもねる必要はない。本気で潰しにいける。ランスロットはそれが嬉しかった。
「では、その為の出陣を」
エルウィンは別にグレートアレクサンドロス王国にグランフラム王国を討ってもらってもかまわない。ウィンヒール王国さえ存続出来て、自分が王で居られるなら。
「だから言っている。今は無理だ。せめてファティラース王国との戦いが終わってからでないとな」
「それはいつですか?」
「……どれくらいだ?」
ランスロットは問いを近くに控えていた臣下に向けた。
「攻略は順調ですが、少なくともあと二ヶ月はかかるかと。そこから軍を戻して、ウィンヒール王国となると……援軍は早くて三ヶ月、いえ四ヶ月後でしょうか?」
「だそうだ」
「四ヶ月……」
思っていたよりはずっと早い。グレートアレクサンドロス王国のファティラース王国の攻略は本当に順調なのだ。だが四ヶ月間、ウィンヒール王国が耐えられるかとなると、かなり微妙なところだ。
これ以上、負けが進めば貴族の離反は益々増えるだろう。そうなれば更にウィンヒール王国の崩壊は加速する事になる。
「四ヶ月も無理なのか? それは又、アーノルドも頑張っているのだな」
「頑張っているのは、エアリエルとバンドゥ領軍です」
「何だと?」
エルウィンの言葉にランスロットが反応を示した。これまでの余裕綽々の態度とは明らかに違う反応だ。
「我が国の苦戦は、多くの離反者が出たからです。それはそれで王として情けない限りですが、相手は我が父である前ウィンヒール侯爵を人質のようにして、臣下に働きかけているのです」
エルウィンは更にランスロットを刺激しようと、嘘を交えて説明を続ける。
「……それはつまり、元ウィンヒールの従属貴族がエアリエルの下に流れているという事か?」
「はい。そのとおりです」
「そうか……」
アーノルド王太子が力を増すのは良いが、エアリエルの力が増すのは許せない。ランスロットの心情はこういう事なのだと、エルウィンは判断した。諦めていた援軍に光が見えた気がしている。
「臣下の切り崩しが激しく、正直、四ヶ月は保たないと思います」
「……無理だな。援軍は出せない」
「なっ!?」
まさかのランスロットの言葉。期待が高まっていた分、エルウィンの衝撃は激しかった。
「もしエアリエルが力をつければ、間違いなくマリアは自分で討つと言い出すだろう」
「……どうして?」
「理由は分からないが、とにかく許せないらしいのだ」
マリアにしてみれば、エアリエルは悪役で踏み台キャラだ。そのエアリエルが、まるでヒロインのように人々の間で語られ、リオンが死んだ後も城に引き取られて、アーノルド王太子の側に居る事が許せない。
ゲーム設定があってこその少し複雑な感情ではあるが、要は嫉妬だ。
「そのマリアさんは、今何処に?」
「ファティラース王国との戦いの最前線に居るはずだ。呼び戻すことは不可能だな」
「そんな……」
エルウィンにとって死刑宣告に等しい言葉だった。
「ただ一つだけ方法がある」
「それは何ですか!?」
「ウィンヒール王国を差し出せ」
「……何?」
「ウィンヒール王国の領土がグレートアレクサンドロス帝国になれば、それは援軍の派遣ではなく、自国防衛の為の派兵だ。嫌などとは言えないな」
これではグランフラム王国に滅ぼされる事と何が違うのか分からない。結局、ランスロットにウィンヒール王国を救おうという気持ちはないのだ。
ここで救ってもどうせ後で滅ぼす国。ウィンヒール王国はグレートアレクサンドロス帝国にとって、そういう国なのだ。
「分かった。グレートアレクサンドロスになど頼った俺が馬鹿だった」
「そうだな。他人に頼る暇があるのであれば、自分で何とかしろ」
「ああ。そうさせてもらう」
プライドを捨ててグレートアレクサンドロス帝国に、ランスロットに縋りに来たエルウィンの望みは叶うことはなかった。ウィンヒール王国はこれまで通りに、単独でグランフラム王国と戦う事になるのだ。勝ち目など一つもないというのに。
◇◇◇
グレートアレクサンドロス王国に援軍を断られて、それでもう終わりという訳にはウィンヒール王国の者たちはいかない。エルウィンは却って覚悟が決まったようで、最後のあがきとばかりに積極的に戦いの準備を進めている。
ただ国王であるエルウィン一人が孤軍奮闘しているような状況で、他の重臣たちは国の事よりも保身に必死だ。ラング・ウスタイン宰相を筆頭に、エルウィンの侯爵位継承、そして王国建国に動きまわった者たちは、自らの野心の為に行動してきた者がほとんどだ。ウィンヒール王国に殉ずる気持ちなど、これっぽちもない。
「我が国に臣従したい?」
グランフラム国王は、ウィンヒール王国からの使者の言葉に戸惑っている。この状況での使者であるから、停戦交渉か何かだと予想はしていたが、まさかいきなり臣従を申し出てくるとは思っていなかった。
「はい。今回の諍いにおける我が国の負けは明らか。負けたからには潔く、勝者に従うのが正しい在り方と考えます」
負けを認めていながらも、どこか自分勝手な申し出に聞こえる。実際にそうだ。臣従するという事以外、使者は何も言っていない。グレートアレクサンドロス帝国に見捨てられたので、グランフラム王国に乗り換えようというだけなのだ。
「……そちらの言う臣従とは、どのような事を言っているのですか? もう少し詳しく聞かせて欲しい」
グランフラム王国のセイド・ライトハム宰相が割って入って、ウィンヒール王国の使者に問い掛けた。国王が直々に交渉するまでの状況ではないと考えたからだ。
「臣従の条件については、貴国の要求を伺った上で交渉に入らせて頂きたい」
自らの手札を隠そうとしているようにも聞こえるが、そうではないとセイド宰相は判断した。
「急に言われても思いつくのはエルウィン王の首、賠償金の支払い、後は臣従という事であれば毎年の進貢でしょうか」
「……そうですか。今の内容が貴国の要求の全てと受け取って、よろしいですか?」
「ああ、もう一つ。ウィンヒール王国の全ての貴族から爵位を取り上げます」
「それは……」
エルウィンの命に対しては冷静に反応した使者が、爵位の取り上げには動揺を見せる。この使者の様子でセイド宰相は確信した。この使者は正式な使者ではない。少なくとも国王の意向を得てきたものではないと。
「誤解のないように言っておきますが、今話した条件はこの場で思い付いた事を述べただけですので、正式なものではありません」
「あっ、そうでしたか」
セイド宰相の言葉に安堵の表情を見せる。使者としてあまり質が良いとは思えない。愚鈍な使者はグランフラム王国にとって望むところだが、問題は交渉を進めるに値する相手かどうかだ。
「もう少し具体的な内容を詰めないと、交渉を進められるかどうかも分かりません。貴国側はこの先どう進めるつもりですか?」
「もし貴国に交渉を進めても良いという意思があるのであれば、当方は改めて交渉団を派遣して、詳細を詰めていきたいと思っています」
思いがけずマトモな返答だった。この話が事実であるならば、規模は分からないが、交渉団を送り出せるだけの調整は付いているという事になる。
「……交渉には私も参加する事になると思うのですが、当然、貴国側も?」
少し考えて、セイド宰相は交渉団の参加者について尋ねた。曖昧な聞き方はワザとだ。グランフラム王国の宰相に釣り合うとなれば最上位者を出すしかない。これで使者の背後が何者かある程度分かる。
「それなのですが……我が国の宰相は交渉がある程度固まったところでと考えております」
使者の答えは求めるものには足りない。セイド宰相は少し使者を揺さぶることにした。
「まさか、貴国の宰相は交渉に反対しているのですか? それでは交渉はまとまらない」
「あっ、いや、そうではなく……」
「では、どの様な理由なのですか? 理由もなく、交渉の場に出ないというのは、我が国を軽んじていると捉える事になります」
相手が動揺を見せたところでセイド宰相は更に強く押す。
「……身の安全の保証を求めております。これをお約束頂けるのであれば」
使者はやはり外交を、それも戦時交渉を任されるような人物ではなかった。無理もない。グランフラム王国の宰相と元は侯家の従属貴族では格も違えば能力も、そして経験も違う。この使者の件だけでなく、ウィンヒール王国は、グランフラム王国と戦うには、圧倒的に人材不足なのだ。
「身の安全……それは交渉中であれば当然の事です。約束しましょう」
「ありがとうございます。ただそれは……エアリエル様にも同様にお約束頂けるものでしょうか?」
「エアリエル?」
ここで何故エアリエルの名が出るのかセイド宰相には分からない。グランフラム国王に視線を向けても、軽く首を振られて終わり。それではとアーノルド王太子に向けても同じ結果だ。
エアリエルの約束など、独断で答える事など出来るはずがない。それ以前に何故、エアリエルの約束を求めるのかがセイド宰相は気になった。ウィンヒール侯家内部の事情であるとは何となく分かる。だがそれであれば前侯爵の許しを求めるのが普通のように思える。
結局は本人に聞かなければ分からない事だと、セイド宰相は一旦、この場を終わらせる事にした。
「……分かりました。これについては、きちんと確かめた上で回答します。先の話はそれからと言う事で宜しいですか?」
「ええ。もちろん」
◇◇◇
そしてすぐにエアリエルは、使者が引き上げた後の本陣の天幕に呼ばれる事になった。当然エアリエルの表情は、これ以上ないというくらい不機嫌だ。
「ウィンヒール王国の使者が来たのだが、その使者が交渉の話の中でラング宰相の身の安全の保証を求めてきた」
エアリエルの不機嫌アピールにめげることなく、セイド宰相は話を始めた。
「それと私が呼ばれた事にどういう関係があるのかしら?」
「最後まで聞いてくれ。身の安全は交渉中となれば当然の事。我らは受け入れたのだが、使者は君の約束も必要だと言うのだ」
「……はっ?」
わずかに間を空けて、エアリエルは驚きの声を発する。何を言われたのか、すぐに理解出来なかったのだ。それはそうだ。国と国との交渉にエアリエルの名が出てくる事がおかしい。
「ウィンヒール王国のラング・ウスタイン宰相は知っているかな?」
「ええ。ウィンヒール侯家の従属貴族の筆頭だったわ。何度か顔を合わせた事もあるわ」
そして二度と顔を合わせたくない人物である。
「そうか。その彼がこんな事を求める理由に何か心当たりはないか?」
「あるかないかで言えばあるわ」
ラング宰相にはエアリエルに対して、後ろめたいところが山程ある。だがエアリエルが殺意を抱くものとなると絞られる。その中でもっとも重いものは、エルウィンの出生の秘密だ。
エルウィンの存在はヴィンセントを苦しめた。エルウィンを侯家の後継者にする為に、ヴィンセントは見えない所で様々な嫌がらせを受けた。そしてヴィンセントをリオンから引き離し、その結果ヴィンセントは殺された。
全てがエルウィンとその父親であるラング宰相の仕業とはいわないが、積極的に関わっていたのは事実だ。
「……それはどのような事なのだろう?」
「エルウィンはお父様の子ではないわ。父親はラング宰相なの」
「「「なっ!?」」」
全く躊躇うことなく、エアリエルはエルウィンの秘密を話した。驚いたのは、この場にいる面々だ。これがグランフラム王国分裂前に明らからになれば大問題に発展する。侯爵位の継承における不正ともなれば、事は侯家内の問題では済まないのだ。
「……証拠はあるのか?」
ここでフレデリック近衛騎士団長が口を開いた。その顔には苦笑いが浮かんでいる。
「ないわ」
「ではどうして分かったのだ?」
「リオンがラングとエルウィンの従者だったウォルの会話を聞いたの。ちなみにウォルもラングの息子よ」
「やはりリオンか。つまりそれを知ったのは?」
「学院時代だわ」
周囲から大きな溜息が漏れる。リオンが関わっていた事は察していたが、まさか学院時代に、これだけの情報を入手していたとは思わなかった。それもこの事実をずっと隠していたのだ。
リオンらしいといえばそれまでだが、やはり隠していて良い情報ではない。
「どうして、それを話さなかった?」
「証拠がなければ話しても意味はないわ。それとも証拠がなくても罪に落とせるのかしら?」
エアリエルの言葉の意味を理解しない者はこの場にはいない。全員が思い知らされた。エアリエルはまだ、ヴィンセントと自分を罪に落とした事を許していないのだと。
「ラングが交渉に現れるのであれば私はカマークに戻るわ。従属貴族の筆頭として忠心を向ける振りをしていた、その裏でお父様を裏切っていた男の顔なんて見たくないもの。それにラングも私がいない方が安心すると思うわ」
このエアリエルの言葉に、フレデリック近衛騎士団長だけでなく、セイド宰相もグランフラム国王に視線を向けた。向けられたグランフラム国王も又、マーカス騎士兵団長に視線を向ける。
エアリエルは貴重な戦力だ。カマークに戻して問題ないかは、グランフラム国王も判断が付かなかった。
結果、少し悩んでマーカス騎士兵団長は頷きで返す。すでに数でもウィンヒール王国を圧倒している。今更、負ける心配はないとの判断だ。
――この日から数日後にエアリエルはカマークに向かった。それと同時にオクス王国とハシウ王国の軍勢も陣を引き払って帰途につく。戦況が定まったのであれば、帰国したいという両国の要望を受けての事だ。グランフラム王国側も無理を言えない。それを受け入れる事とした。