グランフラム王国は西部がアレクサンドロス王国、北部と王都周辺がウィンヒール王国、南部はファティラース王国、そして東部がグランフラム王国という形となった。だがこの構図は、ほんの数ヶ月で崩れる事になる。
ウィンヒール王国軍は王都から撤退。代わりにアレクサンドロス王国軍が王都を占拠すると、グレートアレクサンドロス帝国に国名を変更。ランスロットは皇帝を称する事となった。
皇帝となったランスロットの名でウィンヒール王国、ファティラース王国、そしてグランフラム王国に対して、臣従するようにとの命令が発せられた。
この命令に対し、ウィンヒール王国の国王であるエルウィンは即座に臣従を誓い、その代わりとして、ウィンヒール王国領土における絶対不可侵の自治権を与えられる事となった。あらかじめ密約があったのだ。
一方でファティラース王国とグランフラム王国は、何が何だか分からない慌ただしい動きに、状況が掴めないでいた。何故自分たちが臣従を誓わなければならないのか、それ以前に、皇帝とは何者かさえも分かっていない。
グランフラム王国は勿論の事、ファティラース王国も臣従を拒否する事となった。
グレートアレクサンドロス帝国の帝都キヨト。占拠したグランフラム王国の元王都周辺の制圧が完了すれば、帝都の機能はそちらに移す予定だが、今はまだグレートアレクサンドロス帝国の政治はこのキヨトで行われている。
その玉座に座るのはグレートアレクサンドロス帝国の皇后となったマリア。皇帝であるランスロットは軍を率いて出ているので、今はマリアが政務を担当しているのだ。
「グランフラムは分かるけど、ファティラースも拒否してきたの?」
臣下の報告にマリアは不満そうだ。
「いきなり臣従しろですので、無理もないかと」
臣下の言い分はもっともだ。だがこの発言は少し軽率だった。
「……貴方、皇后である私に非があると言っているの?」
「い、いえ、決してそのような事では……」
マリアの怒りの表情に、臣下は自分の失言を察して顔を青ざめさせている。臣下にとって、今のマリアは以前のマリアではない。皇后になる前は、誰にでも優しく接していたマリアだったが、今は少し気に入らない事があるだけで、臣下を罪に落すこともあるのだ。
権力を得て人が変わってしまったと多くの者は思っていたが、これは間違いだ。人が変わったのではなく、誰にでも優しいのが臣下の歓心を得る為の演技だったのだが、これはまだ知られていない。
「今回は許してあげる」
臣下の怯えた表情を見てマリアはご機嫌だ。こうして自分の権力を確かめて、喜んでいるのだ。
「はっ。ありがとうございます」
「下がりなさい……さて、次はどうするの?」
マリアの視線が斜め左に立っている文官に向く。グレートアレクサンドロス帝国宰相ボルドー・コーエン、元マリアの攻略対象者だ。マリアは一度手放した攻略者たちを四年前から集めていた。そのメンバーに、更にランスロットの臣下の中から、お気に入りを集めて『Team Maria』を名乗るのは、さすがに露骨すぎるので、親衛隊という名称の組織を作っている。
ボルドー宰相については建国にあたって、その才覚を買われて親衛隊から外れて、文官の最高位に抜擢されていた。
「ここまでは、ほぼ予定通りです。ウィンヒール王国の待遇を見て、ファティラース王国も倣ってくれれば楽だったのですが、まあ南部を直轄領に加える機会を得たという事で宜しいかと」
「そうね。でもこうなるとグランフラム王国はエルウィンに任せるの?」
グレートアレクサンドロス帝国がファティラース王国の制圧にかかるとなれば、グランフラム王国とはウィンヒール王国が戦う事になる。そういう約束なのだ。
エルウィン側からの要求で、グレートアレクサンドロス帝国だけが勢力を広げるのを許したくないという思いからきている。臣従はしてもエルウィンは野心を残しているという事だ。
「そういう約定ですのね」
「こちらがグランフラム王国で、エルウィンにファティラースを任せたら、どうなの?」
マリアはグランフラム王国と戦いたいのだ。戦って、アーノルド王太子に目の前で膝を折らせるのが望みだ。
「ファティラースの先にはメリカ王国があります。まあ、東からでも攻められますが、どうでしょう?」
ボルドー宰相はマリアの考えをはっきりとは否定しない。こういう配慮がマリアに気に入られる理由でもある。
「メリカ王国をエルウィンに取られるというの?」
「可能性は完全に否定出来ません。ただ万一があります」
ウィンヒール王国が単独で、メリカ王国と戦えるとはボルドー宰相は思っていない。グレートアレクサンドロス帝国にそれが出来るのは銃火器という新兵器があるからだ。
可能性は限りなくないに等しいはずなのだが、言い方一つで相手の捉え方は変わる。
「メリカまで手に入れるとなるとエルウィンが調子に乗るわね……」
マリアもエルウィンの野心には気付いている。長い時間を一緒に過ごした仲だ。エルウィンの性格などは分かっている。
「それとは正反対に、グランフラム王国との戦いに苦戦する可能性もあります。グランフラム王国にはバンドゥの兵が居ますから」
全く正反対の事をレイモン宰相は言い出した。ボルドー宰相はどちらかと言えば、こちらの可能性を考えている。
ウィンヒール王国とグランフラム王国との戦いが長引き、その間に自国はファティラース王国を、そしてその先のメリカ王国を手中に納める。ここまでいけば大陸全土がグレートアレクサンドロス帝国にひれ伏すことになるだろう。
これを話せばマリアは喜んでファティラース王国を攻める方を選ぶだろうが、万が一そうならなかった時の事をボルドー宰相は恐れているのだ。
「……今も強いの?」
魔神戦役においてマリアはバンドゥ領軍の強さを目の当たりにしている。先の展開よりも、まずはバンドゥ領軍がマリアには気になった。
「アーノルドの指示で、かなり兵力を拡充させてきたようです。個々の力は別にして、総合的には以前より強いのではないかと思います」
「そっか。どうしようかな」
わずかにボルドー宰相の眉が歪む。バンドゥの話を出したのは失敗だったと気付いたのだ。バンドゥ領軍に対してマリアは劣等感を持っている。これをボルドー宰相は知らなかった。
マリアは劣等感など認めない。必ず払拭しようとする。バンドゥ領軍との戦いを選ぶ可能性があった。
「……良いわ。楽しみは後に取っておく事にする」
しばらく考えた結果、マリアの口からはこの言葉が出てきた。ボルドー宰相としては一安心だ。一番良いと思える戦略に進むことが出来る。
「ではファティラース王国討伐の準備を進めます」
「いつ頃になるの?」
「皇帝陛下による新帝都トキオの掌握が済めばすぐに。ひと月後を予定しております」
「そう。じゃあ、ちょっと体を動かしておかないと」
「……皇后陛下も出陣されるのですか?」
これはボルドー宰相の予想外の事だった。
「当たり前でしょ? 親衛隊を率いて出るから。バンドゥ領軍と決着をつける時まで、少しでも多く実戦経験を積んでおかないと」
「しかし……」
「何? 宰相は私が戦場に立つのが不満なの? 私は勇者よ?」
「……いえ、承知しました。準備を進めます」
マリアの説明が口実である事をボルドー宰相は知っている。自分も元親衛隊だったのだ。
学院の時からマリアの根本は変わっていない。実力と美貌を兼ね備えた親衛隊員たちは、マリアの逆ハーレム要員なのだ。
だが皇后となった今、マリアは軽々しく男と会うことが出来なくなった。会えても侍女が必ず側に付いている。マリアはこれを窮屈に感じていた。城の外であれば自由に動ける。戦場に出ようとする理由はこれだ。
分かっていてもボルドー宰相は何も言えない。言えば自分にも災厄が振りかかる事が分かっているのだ。
◇◇◇
王都を奪われたグランフラム王国は、バラバラになった王国騎士兵団の集結を懸命に図りながら東へと落ちていった。北西南と、全て独立王国となったからには、東しか行ける方向がないのだ。
そうなると行き着く先はバンドゥ領となる。
グランフラム王国は東端のバンドゥ領、カマークを拠点として反攻を図ることにした。ただ事は簡単ではない。グランフラム王国の支配地域は四カ国の中で最小だ。負け馬に乗る貴族家など滅多にいるはずがなく、味方の軍勢の数が増える見込みはない。
現状の打破を図る為に、カマークでは毎日会議が開かれている。議論しても解決策など中々見つからないのだが、議論以外に出来る事がないのだ。
「……ファティラースとの同盟は無理なのか?」
議論を黙って聞いていたグランフラム国王がポツリと呟いた。
同盟を結ぶとなれば、ファティラース侯家の独立を認める事となる。そうせざるを得ないほどに、グランフラム国王は追い詰められている。
「同盟を打診しても宜しいのですか?」
グランフラム王国の宰相セイド・ライトハムが恐る恐る尋ねる。何もしないでいれば滅びるだけだ。セイド宰相も同盟が結べるのであれば、結びたいと思っている。
ただこれは元のグランフラム王国を取り戻すのを諦める事でもある。国王がどこまで分かって言っているのか不安なのだ。
「滅亡を防ぐには、これくらいしかないのであろう? しかもファティラースが受け入れるかも分からん」
「はい。ですがファティラースも追い詰められている側です。北にアクスミア、南東にメリカ王国。中々に厳しい位置かと」
メリカ王国がこの機に乗じる可能性はあり過ぎるくらいにある。グランフラム王国の分裂によって、力関係は逆転している。ファティラースだけを相手にするのであれば、まず間違いなくメリカ王国の勝ちだ。
「そうだな。では使者を送ってくれ」
「はっ」
「後は、ファティラースの回答が来てからか」
グランフラム国王は明らかに気力を失っている。使者を送って帰ってくるまでに二ヶ月以上はかかる。この間、何もしないでいる事は許されるはずがないのだ。
「反攻作戦はどうしますか?」
ここでアーノルド王太子が口を開いた。アーノルド王太子はバンドゥを反攻の拠点にする為に来たのだ。ただ使者の帰りを待っているだけなど、我慢がならない。
「それは同盟が結ばれてからだ」
「同盟を結ぶには、相手にその価値があると認められなければなりません」
「……お前は価値が無いというつもりか?」
実際に大した価値はない。今のグランフラム王国の力は、以前の侯家よりも、あらゆる面で劣っている。かろうじて五分に近いのは兵数だけだ。その兵数も独立した後の三王国の軍と比べれば、一番少ないという状況なのだ。
この事実は分かっているはずなのに、グランフラム国王は受け入れる事が出来ていない。こちらから同盟を申し込む、独立を認めてやるだけで同盟条件には十分だと思っているのだ。
「では同盟を結んだ後、具体的にはどう動くつもりですか?」
「何だと?」
「ランスロットとエルウィンは臣従関係にあります。我が国とファティラースが同盟を結んでも、あらゆる面で劣っています。同盟を結んだからといって、相手が我が国を恐れる理由はありません。結局は戦って、そして力を見せつけなくてはならないのです」
「……そのような事は分かっている」
「では反攻作戦の立案を速やかに進めましょう。時間はいくらあっても足らないのです」
「そう思うのであれば、まずお前から提言をしろ」
グランフラム国王とアーノルド王太子の間の溝は確実に広がっている。亡国を目前にして落ち込んでいる国王と、事態解決に向けて積極的に行動しようとしているアーノルド王太子。治世の人と乱世の人の違いが、二人にズレを生じさせている。
「ではお許しを頂けたので、話をさせて頂きます」
アーノルド王太子は作戦案を考えてきていた。しかもグランフラム国王の許しを得て、話をするのであるから、正式な作戦案として検討される事になる。
アーノルド王太子の考えを察して国王は苦い顔だが、今更止めろとも言えない。
「ファティラースだけでなく、オクス王国とハシウ王国にも使者を出す事を提案します。内容はグランフラム王国の危機に際し、同盟国として力を貸して欲しいというもの。要は派兵の要請です」
「……軍など出すはずがない」
「可能性は全くない訳ではありません。結果として駄目であっても構いません。使者を出す目的は、オクス王国とハシウ王国の動向を探る意味もあるのです。二国は完全独立を目指すのか、それとも又、どこかの国の支配国となるのか。その場合は二国との国境の防衛体勢を強化する必要があります」
「…………」
オクス王国とハシウ王国が攻めてくる。この可能性をグランフラム国王は考えていなかった。今のグランフラム王国はオクス、ハシウ両国と同等程度の国力しかないと頭では分かっていても、やはり心が受け入れていないのだ。
「オクス王国かハシウ王国のどちらか、もしくは両方がバンドゥを攻めるような事態はなんとしても避けなければなりません。その為にも我が国は力を示さなければならないのです」
「……具体的には?」
「ウィンヒールと戦い、これに勝利します」
「アクスミアはどうするつもりだ?」
「ランスロットの軍はファティラースに向かいます。そしてウィンヒールは、嫌でも我が国に向かってきます。当面はこの形での戦いになるようです」
「……何故、それが分かる?」
グランフラム国王は大きく目を見開いている。アーノルド王太子の話しぶりが、まるでリオンのそれのように感じたのだ。
「情報を入手しました。信用できる情報だと俺は思います」
「ウィンヒール相手の戦争か……」
ウィンヒールだけを相手にすれば良いと知って、グランフラム国王の気持ちは少し軽くなったようだ。考える瞳にやや力が戻っている。
「方針を決めなければなりません。守りに徹するのであればバンドゥは堅牢な地。やすやすと攻め落とされる事はありません。しかしこれをすると、バンドゥ以外の地を放棄する事になります」
バンドゥの周囲もグランフラム王国の支配下だ。だがそれらの領主は、グランフラム王国に絶対の忠誠を誓っている訳ではない。一番近くに居る大軍がグランフラム王国軍であるというだけだ。ウィンヒール王国軍が領地に攻め寄せてくれば、平気で裏切るだろう。
それをさせない為には、グランフラム王国に領地を守る力があると示さなければならない。ウィンヒール王国よりも、グランフラム王国に付いたほうが良いと思わせる必要があるのだ。
「打って出るか……」
考えるまでもなく、こうするしかない。再集結したグランフラム王国軍はおよそ二万。この数でもバンドゥだけで養える数ではない。打って出て、逆にウィンヒール王国の支配地域を奪うくらいでないと、国を保てないのだ。
「その方向で宜しいですか?」
「……勝てるのか?」
「勝ちます。勝つことを以外を考えている状況でありません」
「……そうだな」
何もしなくても滅びが待つだけ。であるなら負けを恐れても意味はない。負けたとしても少し滅びが早くなるだけだ。
グランフラム国王の裁可を得て、グランフラム王国軍はウィンヒール王国との戦い、侵攻作戦に動き出す事になった。
◇◇◇
グランフラム王国の重要決定がなされている会議の横で、別の会議が開かれていた。会議といっても畏まったものではない。お茶を飲みながら、雑談をするかのように話をしているだけだ。
「うまく行くでしょうか?」
心配そうな顔でソルは、エアリエルに問いかけている。
「王太子は馬鹿ではないわ。必要な情報を与えれば、正しい判断を下すはずよ」
アーノルド王太子の情報源は黒の党だ。情報の内容は全てエアリエルの耳にも入っている。
「しかし、国王がどう判断するかです」
「この場合は大丈夫だと思うわ。防衛戦をどれだけ勝ち続けても、それだけでは滅びてしまうのは馬鹿でも分かるわ」
エアリエルの国王に対する評価はどんどん辛口になっている。あれだけの準備をして城を抜け出したのに、結局、国王がバンドゥにやって来てしまった今の状況に、納得出来ない思いも影響している。
「ウィンヒール王国の戦力が気になります」
「そうね。数は倍かしら?」
「はい。従属貴族家を含めた侯家の軍勢はおよそ四万でした。ウィンヒールに関しては微増というところで、それほど変わっていないはずです」
これはファティラース王国も同じ。グレートアレクサンドロス帝国だけは多くの貴族家や、王国騎士兵団を取り込んで倍増している。領地も最大であり、四国の中では抜きん出ている。
「四万の全ては動かさないわね?」
国を空っぽにする訳にはいかない。治安維持や国境の守りなど、軍の仕事は色々とあるのだ。
「普通は。ただグレブリが攻めてくることはないと判断して国境の守りを捨てれば、三万か、下手すればそれ以上を動かすかと」
「ソルはどう思っているのかしら?」
「私であればグレブリへの守りは捨てます。半分の二万を配置しても防げませんから。それよりも、少しでも早くグラフラを滅ぼし、その力を取り込む事を目指します」
「そうね……ねえ、グレブリとかグラフラって」
グレブリがグレートアレクサンドロス王国、グラフラがグランフラム王国である事は分かる。ただソルがこういう言い方をする事が、エアリエルは気になった。
「ヴィーナス殿が」
「ヴィーナスが?」
「リオン様も時々長い名は縮めて使っていたと聞きました。ヴィーナス殿はそれが面白くて真似しているそうです」
「ヴィーナスとそんな話を?」
同じ近衛として二人が一緒に居る時間は長い。だが今の話は明らかに勤務時間外での会話だ。エアリエルは二人がこの話をしているのを聞いた覚えがなかった。
「はい。リオン様の話をよく教えてもらっています」
「あら、そうなの?」
エアリエルの視線が、後ろで控えているヴィーナスに向く。その時にはヴィーナスの顔は真っ赤に染まっていた。実に分かり易い反応である。
「それで気になったのですけど、エアリエル様の事はエアリエル様のままでした。確か、ご両親は愛称で呼ばれていたかと」
「ええ。エアルって呼ぶわ。リオンにもエアルと呼んでとお願いしたのだけど、夫婦になったからって、急に馴れ馴れしく呼ぶのは嫌だというの」
「それは……」
ソルには理解出来ない感情のようだ。
「リオンには時々変な拘りがあるわ。ソルはヴィーナスの事はヴィーとでも呼ぶのかしら?」
「はっ? どうしてですか?」
「あら、こういうところは似るのね?」
「何がですか?」
残念ながら今のところ、ソルにはヴィーナスへの恋愛感情はない。それどころか気持ちに気付いてもいないようだ。こういう事に鈍感なところはリオンと同じだ。
「良いわ。まだ時間はある。その為にも頑張ってもらわないと」
リオンはいつか必ず迎えに来る。これを信じてエアリエルはバンドゥに留まっている。あちこちで戦乱が巻き起こっていて、フラウを連れて旅をするのは危険だという判断もあっての事だ。
その日が来るまで、グランフラム王国にはバンドゥを守り切ってもらわなければならない。その為に少しだけ、エアリエルたちはグランフラム王国に手を貸すことにしていた。