アーノルド王太子の視線に気付いたマリアが近づいてくる。ランスロットに同行を頼むことなく一人でだ。
ランスロットの妻といってもマリア本人は無爵位。一人で王族の前に出るのは無礼なのだが、本人には全く気にする様子はない。実に嬉しそうな笑みを浮かべている。
マリアの無礼は今に始まった事ではないので、アーノルド王太子も何も言わない。それに無礼と分かっていて、わざとやっている可能性も考えられる。挑発にわざわざ乗ってやるつもりは、アーノルド王太子にはない。
「お久しぶりです。王太子殿下」
この言葉遣いはかつてのマリアのそれではない。
「ああ。久しぶりに会うと、言葉遣いも随分と変わるものだな」
アーノルド王太子は、それを真っ直ぐに指摘した。
「これでも侯家の一員ですから。礼儀作法は一から学びましたわ」
つまり一人で現れたのはわざとだ。マリアの悪意ははっきりとした。もっとも、マリアに悪意があろうとなかろうと、アーノルド王太子の敵意は変わらない。
「随分と活躍のようだ。色々と噂は聞いている」
これは嫌味だ。ランスロットの領地から聞こえてくる噂はどれも悪い噂ばかり。そして、その多くはマリアによるものとされている。
「ようやく私も役に立てたようですわ。それが王太子殿下の為でないのは残念ですけど」
アーノルド王太子の嫌味など、マリアは全く気にした様子がない。気付いていない訳ではない。マリアの返事もちょっとした嫌味だ。自分を側に置かなかった事を皮肉っているのだ。
「張り切るのは良いが、領民に無理をさせるのはどうだろう?」
「無理なんてさせていませんわ。領民も皆、領地が豊かになった事で、その恩恵を受けています」
「その恩恵を受けている領民の陰で苦しんでいる者も居るのではないのか?」
「……それは奴隷の事を行っているのかしら? そうだとしたら、王太子殿下は随分とお優しい。私は領民を思う事で精一杯で、とても奴隷にまで気持ちは回らないわ」
奴隷は領民とは認められない。そういう意味でマリアの言っている事は正しい。奴隷を酷使する事で領民は、確かに楽が出来ているのだから。
「奴隷に対しては何をしても良いと言うのか?」
「……お言葉ですけど、王太子殿下。私のしている事は王太子殿下と深い関係にあった方の真似よ」
マリアの口調がやや粗野なものに変わる。アーノルド王太子が批判的な事ばかり言うので苛立ってきたのだ。
「真似?」
「リオンくん、フレイ様と呼んだ方が良いかしら? 彼も盗賊を奴隷にして働かせていたじゃない」
「それは全然違うと思うぞ。そもそもリオンは盗賊たちを奴隷になどしていない。強制労働は罰であり、その罰が終われば自由にしていた」
盗賊は罪人ではあるが、領民としてリオンは扱っていた。犯罪者であろうと領民は領民。罪を償えばそれで終わり。この考え方は異世界人としての考えが影響を与えているはずなのだが、マリアは同じようには考えないようだ。
「似たようなものよ。とにかく私は領民を幸せにしている。これは事実よ」
「多くの者を犠牲にしてだ。他人の犠牲の上に立つ幸せは本当に幸せなのか?」
「……甘い考え。まあ、それは良いわ。シャルロットさんは?」
「シャルロットはこういう場には出ない」
「まあ? これから正妃、いえ、将来は王妃になろうという方がそんな事で良いのかしら?」
公にはなっていないはずの情報をマリアは知っていた。あえて口にするのは自分の力を誇示する為だ。マリア個人の力ではなく、アクスミア侯家の力のはずだが。
「……正妃になると決まった訳ではない」
少し躊躇いながらも、アーノルド王太子は事実を話した。シャルロットが拒んでいる事も知っていると考えたからだ。
「では、その正妃の座はどうするつもりかしら?」
「どうするとは?」
「ずっと正妃を置かないという訳にはいかないわ。かといって誰でも良い訳でもない。大国の王妃は、それに相応しい美貌と才覚を持っているべきよ」
つまり自分が相応しいとマリアは言っている。ランスロットと一緒にこの場に来なかった理由はこれだ。
「……外見や能力だけで相応しいかどうかの判断は付かないと思うが、既婚者は相応しくないのははっきりとしているな」
「……あっ、そう。それは残念」
マリアの顔にわずかではあるが、落胆の色が見える。
まさかと思いながらアーノルド王太子は、マリアが正妃になる可能性を否定したのだが、このマリアの反応は自分の勘違いでなかった事をアーノルド王太子に分からせた。
「本気なのか……」
「冗談よ。ただシャルロットさんに王妃は荷が重いかなとは思うわ」
「シャルロットは王妃の座など望んでいない」
「じゃあ、どうして結婚したの? それとも本心ではシャルロットさんも正妃の座を望んでいるけど、王太子殿下が、学生時代の思いを未だに忘れられないのが許せないのかしら?」
「何だと!?」
マリアの挑発にまんまとアーノルド王太子は乗ってしまった。
「悪い噂が流れているのは王太子殿下のほうではないかしら? 私の耳にも入っているわ。王太子殿下は弟の妻を王宮に閉じ込めて……痛っ!」
「なっ?」
更に続いたマリアの侮辱に我慢できなくなって席を立ったアーノルド王太子だったが、何もしていないのに、マリアは脛を抱えて蹲ってしまった。
どうしてそうなったのかは一目で分かる。立ち上がったアーノルド王太子の腰にも届かない背丈の小さな騎士が、これまた短い模造剣を握って、マリアの前に立っていた。
「……な、何するのよ!」
「おひおき(お仕置き)」
舌っ足らずの言葉は、マリアには何を言っているか聞き取れない。
「……どうして私の脛を叩いたのと聞いているのよ!?」
「わりゅい、やちゅ、へいばい(悪い奴、成敗)」
「何言っているか全然分かんない! この子供の親は誰!? 謝りなさいよ!」
子供相手に文句を言っていても埒が明かないと、マリアは大声で親に出てくるように求めた。だがマリアの問い掛けに誰も応える者はいない。
「……黙っていても調べれば分かるのよ!? 早く名乗りなさい!?」
「俺だ」
ようやく返ってきた答えはマリアにとって意外な人からのものだった。アーノルド王太子は、しゃがみ込んで子供の頭を撫でている。
「ええっ? だって、生まれた子は王女のはずよ?」
「その通り。フラウは王女だ」
「……嘘?」
マリアが驚くのも無理はない。フラウはリオンが着ていた黒い騎士服を、そのまま子供服にしたような服を着ていて、とても女の子には見えない。
黒髪をおかっぱにして、まっすぐに整えた前髪の下からは、太めの眉が覗いている。意思の強そうな、生意気そうな目の下には小さな鼻と口。赤い頬はぷっくりとしていて、常に膨れっ面をしているようにも見える。
これはこれで愛嬌のある顔なのだが、とても美形のアーノルド王太子とシャルロットの間に出来た子供とは思えない。本当の親がリオンとエアリエルと知っても同じ思いを抱くだろう。
血のつながりを感じさせるとすれば真紅の瞳くらい。強いてあげれば目の形も、リオンとエアリエルを足して二で割ったような感じなのだが、これに気付く者はまずいないだろう。
「フラウ。こんな所に出て来たら駄目だろ?」
父親らしい雰囲気でアーノルド王太子がフラウに話し掛ける。三年間以上、親として振舞ってきたのだ。父親ぶりはすっかり板についている。
「ごみ」
「ごめんなさい。謝罪の言葉を省略するものじゃない」
「ん」
何気に謝るのが嫌いなフラウだった。この辺は子供の頃のエアリエルに似ている。
「彼女にも謝っておけ。遊びとはいえ、人の脛を剣で打つのは良くない」
「………」
ただでさえ、ぷっくりしている頬を更に膨らませて、フラウは不満を表している。
「ちゃんと謝る」
「……ゴミ」
アーノルド王太子に二度も言われて、ようやくフラウはマリアに謝った……多分。
「謝られた気がしないわ」
「まだまだ言葉が拙いのだ。さて、フラウを奥に連れて行かねばならない。悪いがこの辺で引き上げさせてもらう。ああ、キール。領地の話をもう少し聞きたい。執務室で待っていてくれ。ランバード、キールの案内を」
「はっ」
フラウを口実にして、アーノルド王太子は舞踏会の場から下がる事にした。確かめるべき事は確かめられた。この場にはもう用はない。それよりも領地の事や、それ以外の国内事情をキールを含めて話したかった。とくにマリアの事は、きちんと伝えておきたいのだ。
フラウを抱きかかえて、アーノルド王太子は会場から去っていった。それでも舞踏会は続く。宴ではなく、謀略の場として。
◇◇◇
フラウは会場のすぐ外に居たエアリエルに預ける事になった。こうなるとアーノルド王太子は思っていた。幼いフラウは一人では会場まで出てこれない。シャルロットかエアリエルのどちらかが一緒なのは分かっていた。では、どちらかとなると、その答えはフラウの行動にある。シャルロットは本当の母親でない分、逆にフラウを大事にし過ぎて、ああいう真似はさせないのだ。
確かに女の子、それも王女があんなお転婆でどうするのかという思いはアーノルド王太子にもあるが、今回の件に限っては少し気が晴れる出来事なので、何も言う事はしなかった。
国の事を考えると気が重くなる毎日が続く中で、フラウの存在は救いだった。正直アーノルド王太子もフラウと離れたくないという気持ちはある。
だがそんな私情に今、流されては、後々後悔するかもしれない。それだけアーノルド王太子の中で危機感が募っていた。
「待たせたな」
舞踏会の会場から下がって、それほど間はない。実際にキールとランバードの二人は部屋に着いたばかりだ。それでもアーノルド王太子がこう言ったのは、他に待たせていた者が居たからだ。
「いえ、私もさっき終わったばかりです」
会場に居なかったシャルロットだ。
「では、早速分かった事を話してくれ」
「ええ。大体は予想通りですね。噂にあった人たちは全員、社交の場からは消えています。個人的に交流のあった人とも数人話せたけど、連絡が途絶えているって言っています」
会場には居なかったが、シャルロットは何人かの知り合いと会っていた。密かに調べる事があったからだ。
「そうか……具体的な証言は得られなかったのか?」
「残念ながら。怪しそうな人とコンタクトを取ろうとしたけど断られました。自らの意思か、脅されての事かは分かりません」
「……状況証拠だけではな」
シャルロットの説明を受けたアーノルド王太子は不満そうな顔をしている。求めていた情報には足りていないのだ。
「王太子殿下。これは何の話ですか?」
何となく不穏な内容だとは分かっても、それ以上の事はキールには、さっぱり分からない。
「会場で話していた事の続きだ。マリアについての不穏な噂の一つ」
「彼女は何をしたのですか?」
キールもマリアの事を全く知らない訳ではない。だがキールの印象は、自己中心的で目立ちたがりではあるが、暗さを感じさせるものではない。マリアと不穏な噂というものが、キールの中で今ひとつ結びつかない。
「東部一の歓楽街といわれるカマークの真似。但し、それをかなり悪質にしたものだ」
「悪質……」
「裏娼館とでも言えば良いのか? 借金を返せなくなった貴族家の令嬢に娼婦をさせて稼いでいるという噂がある」
「それは……」
良くある話だ。カマークにも没落貴族の娼婦が居るが、それも借金返済の為だとキールは聞いたことがある。そもそも貴族かどうかに関係なく、生活に困っているから娼婦になるのだ。
「それだけであれば俺も問題視はしない。どうやら、その借金がランスロットのところからの借金であり、ランスロットの側から積極的に貸し付けたものだという話なのだ」
「最初から娼婦にするつもりで、という事ですか?」
「恐らくは。きっかけは色々だ。その中で金額の多寡は別にして、一番質が悪いと思うのは、宝飾品やドレスを売りつけるというものだ」
「そんな商売まで?」
「商人を紹介するという形を取っているが、売り込んでいるのはマリアだ。あの女は見た目だけは良い。珍しいドレスや宝飾品を身につけて社交の場に出て行けば、それを真似したいと思う女性は少なくないようだ」
自分自身も、その容姿に籠絡されていた時期があったはずなのだが、アーノルド王太子は他人事の様に話している。思い出したくない事として、記憶から抹殺しているかのようだ。
「それで借金までするのですか?」
「一つ一つが異常に高い。それを代金は後払いで良いと言って買わせておいて、その支払いも終わらないうちに、次の商品を勧める。この積み重ねだ」
「それは買う側にも問題があるような……」
キールの言う通りだ。買う側にも問題はある。だがマリアがやっている事は、アーノルド王太子の話以上に悪辣だ。買わざるを得ない状況に相手を追い込んでいるのだ。この段階ではアーノルド王太子もそれは知らない。
「それは認める。だが最初から娼婦を強要する為に、意図して借金を背負わせているのであれば、許される事ではない」
「確かに」
「それにマリアの動きが個人的な問題では済まなそうなのだ。マリアの動きがどう結びつくかは分からないのだが、アクスミア侯家が密かに戦争の準備をしているという噂も届いている」
アーノルド王太子の話題は、どんどん事が大きくなっていく。
「……そんな事が許されるのですか?」
「許されるはずがない。だが噂はあっても確たる証拠が掴めていない。防諜が徹底していて調べきれないのだ。元諜報部員のかなりの数が流れたという噂まである」
「そうですか……」
アーノルド王太子の熱心な説明にもキールの反応は鈍い。キールは優れた部隊指揮官ではあっても、政治や策謀には向いていないのだ。もちろんアーノルド王太子もこれは分かっている。この場に呼んだのは別に聞きたい事があったからだ。
「そこで聞きたい事がある」
「何でしょうか?」
「リオンが持っていた力を知りたい。出来るものならそれを手に、いや、借り受けたい」
これがキールをこの場に呼んだ一番の理由だ。
「リオン様の持っていた力ですか?」
「バンドゥ以外の力をリオンは持っていたはずだ。それが何なのか分からない。分かっているのは今、王国にもっとも欠けている諜報部のような力だという事だけだ」
これをキールに尋ねるという事は、エアリエルはレジストについて何もアーノルド王太子に話していないという事だ。それはソルも、ヴィーナスも同じ。エアリエルたちにとってレジストは最後の頼みの綱だ。アーノルド王太子が、国王が自分たちを裏切った時の為の。
「……私は知りません。確かにリオン様の所には怪しげな者が出入りしていましたが、それは商人だと聞いておりました」
アーノルド王太子にとって残念な事に、キールはレジストの存在は知らない。
「その商人はどこに?」
「一人はカマークにおります。今のカマークはその商人が作り上げたようなものです」
「カマークか……バンドゥに戻ったら聞いてみてくれないか? そしてもし、その商人が我々の考えているような存在である場合は、直接話をしたいと伝えてくれ」
「分かりました」
このアーノルド王太子の依頼は最初から失敗が見えている。レジストがその素性をリオンの許可なく明かすはずがない。まして相手がアーノルド王太子では、万に一つも可能性はない。レジストには後ろ暗いところが山程ある。マリアに優るとも劣らない卑劣な犯罪者集団なのだから。
◇◇◇
今や、アーノルド王太子に完全に敵視される存在となっているマリアは、舞踏会を引き上げて帰路についていた。馬車には舞踏会で一緒だったサイモン伯爵夫人とオークリー子爵家令嬢のシェリーも同乗している。ただ馬車の中の雰囲気は舞踏会場のそれとは大違いだ。
「もう、止めさせて」
サイモン伯爵夫人は険しい表情でマリアを睨んでいる。つい先程まで舞踏会で見せていた表情とは、全く異なるものだ。
「止めさせてって何をかしら?」
厳しい視線を向けられても、マリアに怯む様子はない。
「何の価値もない、下品なものを褒める事よ」
「あら? でも買ってくれた人は皆、満足しているわ」
「それは私の嘘を信じているからよ!」
目利きで名高いサイモン伯爵夫人が良い物だと言えば、それを疑う者は滅多にいない。実際には自分の方が正しいとしても、サイモン伯爵夫人の評判が高すぎて、自分の目に自信が持てないのだ。
「そうだとしても、それは貴女が悪いわ。皆を騙すなんて」
「……貴女が脅すから」
「人聞きが悪い事言わないで。ねえ、シェリーさん?」
「……私も、もう嫌。もう人を嵌めるのは嫌なの」
もう一人のシェリーもマリアに脅されている一人だ。シェリーの役目はサクラ。他の者がマリアの勧める商品を買うように流れを作る役目だ。
「私に向かってそれを言うの? 散々私に酷い事をしたくせに」
シェリーは学院時代の同級生。そしてマリアを虐めていた女子生徒の一人だ。だがこれを脅されて、シェリーはマリアに従っている訳ではない。
「それは、もう謝ったわ」
「そうね。謝ってもらったわ。でもね、シェリーさん。悪いのは私ではなく、貴女の父上よ?」
「それは……」
「借りたものを返さない。ちょっと言うことを聞くだけで、返済を待ってあげているのだから感謝してもらわないと」
シェリーがマリアに従っているのは、父親に返せないほどの借金があるからだ。それはサイモン伯爵夫人も同じ。魔物の被害からの復興に必要な資金や、他の借金の返済に必要な資金をマリアはランスロットの名で、あちこちに貸し付けていた。その中で利用出来そうな者をこうして従わせているのだ。
「……それは父が何とか」
「その台詞は何度も聞いた。でも良いわ。シェリーさんは辞めてもらって結構よ」
「……本当に?」
「ええ。だって、もう貴女と会うことは無いもの。さあ、着いたわ。馬車を降りて」
気がつけば馬車が止まっている。シェリーの家の前でも何でもない薄暗い路地で。
「……どういう事?」
不穏な雰囲気を感じて、シェリーの顔は青ざめている。
「迎えが来ているの。言っておくけど、これは貴女の父上も承知の事よ。可哀想に。実の父親に売られるなんて」
「……う、嘘」
半分は本当で、半分は嘘だ。借金返済というより新たな借金の為に娘をアクスミア侯家に差し出したのは事実だが、まさか売り飛ばされるとはオークリー子爵は思っていない。実際には分かっているのかもしれないが、そんな素振りを見せることはないだろう。
「入って!」
マリアの声のすぐあとに馬車の扉が開く。そこに立っていたのは、いかにもという雰囲気の人相の悪い男たちだ。男たちは、あまりのショックに呆然としているシェリーを瞬く間に拘束していく。シェリーが我に返った時には口は塞がれ、全身もがんじがらめに縛られて身動き一つ出来なくなっていた。
「毎度どうも」
「……相変わらず手際が良いわね?」
「仕事ですから。では、又、機会があれば」
無駄話は一切する事なく、男はシェリーを連れて去って行こうとする。いつもの事だ。だが今日は、マリアはそれを許さなかった。
「ねえ、今度貴方たちの、何ていうの、親分に会わせてくれないかしら?」
「大将ですか? 大将は今、別の仕事で遠くに行ってるんで、無理だと思いますが」
「戻ってきた時で良いわ。一度話をしたいの」
「……伝えてはおきますけど、あんまり期待しないで下さい。忙しい人なんで。それに人に会うのも嫌いで」
「そこを何とか。貴方たちとはもっと色々と協力し合いたいのよ」
男の組織はマリアのものでも、アクスミア侯家のものでもない独立した組織だ。人身売買で付き合いが始まったのだが、ただの裏社会の悪党とは思えない、しっかりとした仕事ぶりや、他にも色々と頼んだ仕事の成果が上々なので、マリアは何とか仲間に取り込みたいと思っている。
こういう後ろ暗い仕事が出来る人間も必要になってくるかもしれないとマリアは強く感じているのだ。
「……では、俺らはこれで。人目につくと困るのはそちらでしょうから」
「え、ええ」
結局、はっきりとした約束は何もせずに男は去っていった。マリアとしては少し不満はあるが、こういった用心深さも男たちを買っている理由の一つだ。
「……マリアさん、貴女」
「サイモン伯爵夫人。私は貴女とはまだまだ仲良しでいたいわ。お互いの為に」
「……ええ」
サイモン伯爵夫人を同行させたのは脅すためだ。サイモン伯爵夫人個人ではなく、伯爵家の影響力も利用価値がある。簡単に手放すわけにはいかないのだ。
「あの男も、素直に私の言う事を聞けば良いのに。まあ、良いわ。ああいうプライドが高い男に、床に這いつくばらせて許しを乞わせるのも面白いものね。もう少しよ。もう少しで私の願いは叶うわ」
サイモン伯爵夫人がすぐ横に居ることも忘れて、マリアは不穏な台詞を呟いている。魔神討伐が終わってからの四年間は、マリアにとっては屈辱の日々だった。
その恨みがもうすぐ晴らせる。その為の準備は着々と進んでいるのだ。