ルート王国の都ルーテイジは賓客を迎えて、大騒ぎになっている。訪れたのはゼクソン王国の国王ヴィクトルとその母ヴィクトリア。幼いとはいえ、一国の王を迎え入れるのだ。それなりの形式を整えなければならない。なんといってもルート王国の人々が、それを強く求めたのだ。親愛なる王グレンの息子とその母、ルート王国の人々にとってはソフィアのライバルという認識だが、をひと目見たいという、外交にはまったく関係のない理由で。
「大変だったでしょう?」
到着したヴィクトリアを私室に迎え入れて、ソフィアは労いの言葉をかける。
「ええ。あの男、人気があるのですね。そのおかげでヴィクトルは大歓迎を受けました」
パレードでの喧噪を思い出して、ヴィクトリアは苦笑い。息子のヴィクトルに対しては、大歓迎という雰囲気だったのだが、自分に向けられた視線はそれだけではないことに気が付いているのだ。
「ゼクソンではそれほどでもない?」
「軍では絶大な人気を得ています。他の臣下からも、これは人気があるというより、厚く信頼されています。でも、民衆にまでそれが広がっているかとなると、そうではありません」
「国の大きさが違うから」
ルート王国は都であるルーテイジに全ての国民がいる。しかもグレンと共に一から国を造り上げたという思いを抱く人ばかりだ。熱量が違うのは当然だとソフィアは思う。
「それは当然あると思いますが、それだけではありません。ゼクソンではあの男は、あまり表に出ようとしませんから。ヴィクトルの為に」
国民の熱が違うのは、グレンの行動にも理由がある。ゼクソンの国民の忠誠はヴィクトルに向けられるべき。そう考えているグレンは、近しい人は別にして、ルート王国でのような気安さを見せないようにしているのだ。
「そのヴィクトル王はこの国でも大人気ね」
「申し訳ありません」
「どうして謝るの?」
「本来はソフィア様の御子に向けられるべきものです」
ヴィクトリアの思いはグレンと似ている。ルート王国はソフィアの子が継ぐべきもの。その資格がないヴィクトルが人気を集めてはいけないという考えだ。
「私には子供はいないから」
「それも詫びなければいけないと、ずっと思っていました。我が国の為に忙しくさせています。ソフィア様との時間を邪魔していること、心苦しく……何がおかしい?」
ソフィアへの謝罪の言葉を途中で止めて、ヴィクトリアが文句を言ったのはマリアに対してだ。
「だって、口調がいつもと違いますもの」
「あっ、そうね。グレンからは、もっと……男性のような言葉づかいだと聞いていたわ」
マリアの指摘で、聞いていたのを違うことをソフィアも気が付いた。
「それは……ソフィア様は私にとって主筋にあたる御方。ゼクソン王国の王族としても、グレンの妻としてもです」
「そういうの気にしなくて良いから。畏まられたら、こちらが疲れてしまうわ」
「しかし……」
「今日くらい良いのではありません? ここ最近、ずっと我慢してきたのだから」
ソフィアに言われても戸惑っていたヴィクトリアに、マリアが態度を崩すように言ってきた。これを言う理由がマリアにはあるのだ。
「それはマリアが……でも、そうだな。今くらいは楽をさせてもらおう」
「……我慢ってどういうこと?」
二人の会話の意味がソフィアには分からない。
「ウェヌス王国時代に仕えてくれていた人が、国を捨ててゼクソン王国までやってきて、また仕えてくれるようになりましたの」
「その人が何を?」
「礼儀作法の先生でしたの。だからヴィクトリア様の言葉づかいが許せないようで、厳しく指導を始めて」
「……無理矢理ってこと?」
他国からやってきた人物が、どうしてヴィクトリアに無理を強いることが出来るのか。それがソフィアは不思議だった。
「一応、ヴィクトリア様も納得してのことですわ」
「えっ、そうなの? でも子供の頃から、ずっと男の子を装っていたから、それが普通だと聞いているわ」
男性のような言葉づかいがヴィクトリアの素。それを偽るようなことをグレンは望まないのではとソフィアは思う。
「グレンは素の私のままで良いと言ってくれた。でも、その、ミス・コレットという女性なのだが、その人が言うには子供の頃のそれが偽りではないかと」
「……どういう意味?」
「私は女性として生まれたのに、男性であると偽って生きてきた。その偽っていた時を引きずっているのは、今も自分を偽っているのと同じだと言われて」
「……分かるような気もするわね。それで言葉遣いを直しているのね?」
「いや、言葉遣いそのものは、使っていた時期があるので問題はない。ただ自分のものになっていないと言われて」
双子を装っていた時期は、女性として振る舞う時もあった。だがそれと同じことをしては、ミス・コレットは納得しない。素のヴィクトリアのまま、女性らしい振る舞いをしろと求めているのだ。
「何だか大変そうね?」
「……ソフィア様も他人事ではないと思う」
「えっ? どういうこと?」
「あの……ごめんなさい……ソフィア様が王妃としての所作を学びたがっていると話してしまって……そうであれば、是非にと……」
申し訳なさそうに、自分のせいだと白状するマリア。
「……そのミス・コレットって女性は、厳しい人なのよね?」
王妃としての所作を身につけたいのは事実。だがヴィクトリアの話を聞いたあとでは、喜びだけではない感情が湧いてしまう。
「そうですけど、それだけではありませんわ。何というか……グレンに聞けば、分かると思うのですけど」
「グレンも、その女性を知っているの?」
「ええ。勇者の騎士をしている時に、食事の所作を習っていましたわ。怒られてばかりの問題児でしたけど、ミス・コレットはすごく褒めていましたわ」
「……問題児なのに褒められたの?」
「グレンは形ではなく、本質を理解しようとしていると。そういうことを大切に考える女性ですの」
そうであるからヴィクトリアの形だけの女性らしい言葉遣いも認めようとしない。
「……良い先生であるのは確かみたいね。分かったわ。覚悟を決める」
「良かった。でも、本当に良い先生ですの。また仕えてくれて……本当に嬉しく思っています」
国を捨てて、自分のところに来てくれた。何度これを思っても、マリアは涙が零れそうになってしまう。
「……その女性はウェヌス王国に残っていても、またグレンと関わりが出来たかもね」
ミス・コレットがウェヌス王国に残ったままだとすれば、その教えが必要となったであろう女性がいる。フローラだ。
「もう、本題に入るか。まあ、良い。さっさと終わらせて、もっと楽しい話をしよう」
ヴィクトリアがルート王国にやってきたのは、この件を話し合う為。女性三人で顔を合わせて、話し合いたいと望んだ結果だ。
「そんなすぐに終わる話?」
「私の中では、すでに結論は出ている。グレンを愛する想いは決して負けない。たとえグレンの想いが誰に向けられていようと、譲る気は微塵もない」
ヴィクトリアの考えは、はっきりとしている。たとえ相手が、グレンがずっと想い続けてきたフローラ相手であっても譲るつもりはない。そうであるからには、フローラがウェヌス王国にいようと気にすることはない。
「強いわね。私は駄目ね。最初から私は二番目だった。一番であるフローラを無視は出来ないわ」
「それでは困る。譲る気はないというのは、この三人以外に対してだ。ソフィア様は正妃であり、私とマリアは側妃。私たちの中ではソフィア様こそグレンの一番なのだ」
「でもグレンが」
どうするか決めるのはヴィクトリアではなく、グレン本人だ。ヴィクトリアの気持ちは嬉しいが、ソフィアの心の影は消えない。
「私もそう思いますわ。グレンにとって妹がどれだけ大切な存在か、正直、私は理解出来ていません。でも、グレンが辛い思いをしていた時に側にいたのはソフィア様、貴女なのです。他の誰でもない。貴女がグレンを支え続けてきたのです」
「マリア様……」
「グレンと共に過ごしてきた時間に自信を持って下さい。ソフィア様がいたから、今のグレンがあるのです。貴女のおかげで、私たちはグレンの側にいられるのです」
フローラの自殺、未遂だが、はグレンにとって、あってはならない出来事だった。だからといって、それをきっかけとして出来上がった今の状況まで誤りだとマリアは思っていない。
今の状況は自分たちにとって最良のもの。グレンにとってもそうであって欲しいと思っている。
「マリア様。それで良いの? ウェヌス王国は貴女にとって祖国。国王は貴女の兄なのよ?」
「……私は信じていますわ。戦争は不幸を生みます。でも、グレンであれば、その不幸を最少のものにしてくれると」
「……なんだか負けた気がする」
「私もだ。だが上手く言葉に出来ないだけで、グレンを信じる思いの強さは負けていないつもりだ」
争いは悲しみを生む。三人はその争いへの道を進もうとしている。人々に不幸が訪れるのを仕方のないことだと諦めているわけではない。自分たちが何もしなくても争いは起こる。そうであるなら、せめてもっとも不幸の少ない決着をつけてくれる人に任せたいだけ。それがグレンだと信じているのだ。
「……二人の気持ちは分かったわ。私も同じ、と言いたいのだけど、今はまだ言えない」
「ソフィア様……」
「違うの。どうすべきかは分かったし、それに向かって動こうと思っている。でも自分の気持ちが完全に納得していないのよ。その、まだ揺らいでいる気持ちを固める時間が必要なだけ」
「その気持ちが……いえ、分かりました。私も完全に割り切れているかと聞かれれば、そうではないと思いますわ。でも時は待ってくれない。そう思っています」
「ええ。その通りよ」
「よし。では決まりだ。妹になんて負けてたまるか。グレンは私たちのものだ」
「……え、ええ。そうね」
そういう単純な問題ではないのだが、そういう思いが決断の根底にあるのは事実。フローラへの後ろめたさ。それはソフィアだけが持つものであるが、グレンの側を離れたくないという想いは二人と同じ。その為にはフローラを犠牲にしても、敵となっても戦う気持ちを固めなくてはならない。自分たちだけではない、グレンを求める多くの人々の為にも。
◆◆◆
ウェヌス王国東南部にある山の中。人が訪れることなど、まずない切り立った崖の途中に、その小屋はある。小屋といっても土や木で覆われていて、離れた場所からは、そのようなものがあるとは気付けない。そういう風に作られているのだ。
「……嫌だ」
「しかし、陛下。いつまでもこの様な場所に籠もっていても」
「我はもう陛下ではない。我は死んだのだ」
わざとらしく頬を膨らませて、不満を表しているのはジョシュアだ。
「こうして生きているではないですか」
そのジョシュアの説得を試みているのは。
「そもそも宰相がどうして我を説得しようとする? いなくなって、せいせいしているのだろ?」
「私も、もう宰相ではありません」
アルビン・ランカスター。ウェヌス王国元宰相だ。
「……ああ、罷免されたのか。自業自得だな」
「確かに自業自得かもしれませんが、新王のやり方には納得しておりません」
罷免される理由はある。簒奪を謀っていたのだから当然だ。だが、その明確な証拠はない。殺された父と兄の罪状も、著しく領政に問題があったというもの。
エドワード王を責める資格はないと頭では分かっていても、気持ちは納得いかない。
「エドは何をした?」
この場所に籠もっていたジョシュアは自分が死んだ、ことになった後のことを良く知らないのだ。
「父と弟は殺されました。領地で暴動が起きたという理由だけで」
「それは……こういっては何だが、やはり自業自得だ」
ジョシュアも最後はその決着を狙っていた。ランカスター侯爵家の二人の処刑について同情する気にはなれない。
「暴動が起きただけです。それだけの理由で、臣下を殺すことが許されるのでしょうか? そんな王に国を任せて良いのでしょうか?」
「だから我に生きていることを公表して、王に返り咲けと? そんなこと、誰も望んでおらん」
「そんなことはありません。簒奪の王に仕えることを喜ぶ臣下などおりません」
「それはどうかな? 案外、皆、分かっていて分かっていない振りをしているのではないか?」
「そんなことは……」
ないとは言い切れない。ジョシュアの暗殺について犯人は明らかに、それが虚偽であっても、なっていないはずだ。ランカスター侯爵家に濡れ衣を着せるつもりであるなら、ランカスター侯爵とロイドの罪状に、その件が加えられているはずなのだ。
では犯人は誰かとなれば、ジョシュアが亡くなったことで誰が得をしたのかを考えるのが普通。エドワード王を怪しまないほうがおかしい。
「とにかく、我は死んだのだ。死人に何かしろと求められても困る」
「このまま、一生をこのような場所で過ごすつもりですか?」
「おお、そのつもりだ。食事はきちんと用意される。働く必要もない。まあ、最近太り気味なのは少し気になるが、困ることではない」
この小屋はヤツの一族の所有。食事や何かあった時の面倒は、一族の誰かが面倒を見ることになっている。ジョシュアは何をする必要もないのだ。
「結婚することもなく、ですか?」
「ん?」
「……まったく。一応、子供の頃からずっと仕えているのだから、説得出来る可能性があるかと思ったのに」
アルビンをここに連れてきたのはグレンだ。言葉通り、ジョシュアの説得に役立てばと思ってのこと。もっとも、それほど期待していたわけではない。
「ジョシュア様は、ご結婚されようと思わないのですか?」
「……別に構わない。我はここで世を憂いながら、一人寂しく死んでいくのだ」
女性への欲求で釣ろうとしたが、それは失敗。だが、グレンが説得を試みて、これだけで終わるはずがない。
「世を憂うお気持ちがあるのであれば、それを変えるべきです。ジョシュア様には、その力があるのですから」
「……グレン王は我に弟を殺せと言うのか?」
国王の座に返り咲くということは、そういうことだ。ジョシュアが国王に戻れた際には、エドワードは簒奪の罪を問うて、処刑にしなければならない。
「それはその男が言っていること。私はウェヌス王国に戻れとは申しません」
「……では何をしろと?」
「死を装って生きるにしても、この場所でなくてはならないという制限はありません」
今のグレンには、ジョシュアが玉座に戻る必要などない。生きているという事実だけで十分なのだ。
「それは……そうであるな。だが、他にどこがある?」
「たとえばルート王国」
「おお! グレン王の国か?」
行く先がルート王国であると聞いて、ジョシュアは興味を引かれている。もともと行ってみたいという気持ちがあったのだ。
「正確には俺の国ではなくなってますけど、まあ、そうです」
「グレン王の国ではない? それはどういうことだ?」
「全ての国の地位を返上しました。今の俺は、ただの傭兵です」
「傭兵……それはアレだな。父親と――」
「そのつもりはありません。ただ今はそういう立場でいるのが、都合が良いだけです」
ジョシュアの言葉を途中で遮るグレン。父親と同じと言われるのが嫌なのだ。
「そうか……傭兵。それも面白そうだな」
「はい?」
グレン自身の話は少し余計だった。ジョシュアの興味がルート王国から傭兵に移ってしまった。
「我も傭兵になろうかな?」
「……名乗っているだけでなく、実際に戦いますけど?」
「もちろん、分かっている。傭兵は戦いを生業とする職業であるからな」
「その戦いに負ければ死にますけど?」
「……それは嫌だな」
「ですよね」
ジョシュアの興味を傭兵から引き離すことに成功したグレン。あとは話を戻すだけ。
「ルート王国に行きませんか? マリアもジョシュア様のことを心配しています。顔を見せてあげて下さい」
これ以上、話が脱線するのは面倒だと、グレンは一気に話を結論に持っていった。
「マリアが……マリアは……いや、良い」
問いを途中で飲み込んだジョシュア。だが、グレンには何を聞きたいのか分かっている。
「暗殺なんてやり方を、マリアが認めると思いますか?」
たとえ大好きであった兄であっても、非道は非道と考えるのがマリアだ。
「……そうだな」
そんなマリアの性格は、ジョシュアも知っている。
「マリアはジョシュア様の味方です。ジョシュア様が正しくある限り、決して裏切るような真似はしません。それは俺も同じです。貴方と俺の同盟は今も続いているつもりです」
「……そ、そう、だな」
震える声。ジョシュアの瞳には今にも、こぼれ落ちそうなくらいに涙が溜まっている。
弟であるエドワードの裏切り。それはジョシュアの心に暗い影を落としていた。トルーマンがそれを為したということの意味。それをジョシュアは理解している。自分では駄目なのだ。自分の存在は否定されたのだと。
「ジョシュア様に非はありません。ジョシュア様が何とかして、ウェヌス王国を良くしようとしていたことを俺は知っています。そしてそれは時が与えられていれば、必ず実現していたことも」
だがグレンはそうではないと伝えた。本心からの言葉だ。ジョシュアが心から国を、民を思っていたことをグレンは知っている。その想いが実を結ばなかったのは、周囲の問題。この場にいるアルビン、そしてその影響を受けた臣下たちの存在が、邪魔をしていたからだ。
「……グ、グレン。わ、我は……」
己を知っていてくれる人がいた。今のジョシュアにはそれが堪らなく嬉しい。
「ウェヌス王国で上手くいかなかったのであれば、他の場所でやり直せば良いではないですか。どこの国でも、国王でなくても、民を思う気持ちを持って働けば、必ず人々の為になります。それでは駄目ですか?」
「……いや、それで良い。もとより我は国王の地位になぞ、執着していない。我のような者でも誰かの役に立てる。それを知りたいだけなのだ」
「では行きましょう。そして、始めましょう」
出口に向かいながらグレンは、呆然としているアルビンに厳しい視線を向ける。お前たちが蔑ろにしていた王は優れた人物なのだ。それに気付けなかった自分たちの愚かさを知れと。
その言葉にされないグレンの思いが、そのままアルビンに伝わることはない。だが、自分を見返すアルビンの視線に、わずかに何かを感じて、グレンは彼を殺すことを、もう少し先延ばしにすることに決めた。
アルビンへの情けではない。ジョシュアの本質に気付けなかった愚かさを思い知らないまま、死なすのが悔しいだけだ。
結果、ウェヌス王国の元国王と元宰相の二人がルート王国に合流することになる。