王位に就いてからエドワードは精力的に働いている。その勤勉さは部下たちが新王に期待していた通りか、それ以上のもの。そんな新王エドワードの動きは、これまで国政の場に漂っていた衰退の匂いを吹き飛ばし、人々に活気を取り戻させることになる。
なんて話をジョシュアが聞けば、酷く追い込むか、拗ねることになるだろう。国政に関わる人たちを不安にさせたのはジョシュアの能力ではない。彼が国王の間は、本来、彼を支えるべき側近であるランカスター宰相との静かな政争が行われていた。多くの文官に影響力を及ぼしているランカスター宰相の攻勢を防ぐことで精一杯。自分が思う政治など行う余裕はない。行おうとしても従う人はわずかしかいなかったのだ。国政が停滞するのは当然だ。
それに比べると、エドワード新王は恵まれている。重要ポストは、王子時代からの側近たちで固められ、政敵といえる存在もいない。彼が思うほとんどのことが、国政に反映されることになるのだ。だからといって、全てが良いこととは限らないが。
「モンタナ王国ですか……」
エドワード王の話を聞いて、考え込む素振りを見せているのはゴードン元大将軍。今は顧問という肩書きで、エドワード王の相談役を務めている。
「難しい戦いではないはずだ。問題はいつ軍が動けるかだね」
エドワード王はモンタナ王国に侵攻しようと考えている。ウェヌス王国の北東にある、アシュラム王国の隣国でもあるモンタナ王国だ。
それについての相談をゴードン顧問に行っていた。
「……王弟が反乱を起こすというのは間違いないのですか?」
「ああ。絶対とまでは言わないが、可能性としてはかなり高い」
「……いつの間にそのような情報を手に入れられたのですかな?」
モンタナ王国で内乱が起きるなどという情報を、エドワード王がいつ、どのようにして入手したのか。ゴードン顧問は疑問に思っている。
「諜報の手が伸びていた。モンタナ王国への侵攻を考えていた者が、他にもいるということだろうね」
それは誰かとなると、ランカスター侯爵家だ。エドワード王は国の諜報部門ではなく、ランカスター侯爵家から、この情報を得たのだ。
「内乱に乗じて、は分かります。しかし、それではモンタナ王国の国王が替わるだけではありませんかな?」
「そうなるね。しかし、内乱に勝ったからといって、それで終わりではない。国を安定させるには力が必要で、その力を王弟自身は持っていない」
「我が国が後ろ盾になるということですか……もしかして、従属国に、とまで考えておられますか?」
王弟が玉座に就くのを助ける代わりに、ウェヌス王国に臣従させる。アシュラム王国がゼクソン王国にそうしているように。そこまで出来れば、国王を替えただけ、とはならない。
「モンタナ王国にとっては、それが賢い選択だ」
「……現国王に臣従を求めても同じではありませんかな?」
臣従するのなら、国王など誰でも良い。戦争を行うことなく、臣従してくれるなら、現国王の後ろ盾になったほうが良いと、ゴードン顧問は思う。
「従ってくれるなら。でも恐らくは無理だ。一方で、王弟はすでに臣従を受け入れている」
「そこまで話が進んでいるのですか……」
すでに王弟と密約を交わしているのであれば、現国王との交渉は難しい。両勢力を天秤に掛けるような真似をして、それが知れれば、ウェヌス王国は信用を失い、王弟との密約は破棄され、現国王との交渉は拒絶されるに違いないのだ。
「王弟を支援することは変えられない。その上で、我が軍の戦略を考えてもらいたい」
「……内乱を起こす前提も変えられないのですかな?」
「必要ないというのか?」
「内乱に介入した場合、敵味方の区別がつけづらいと考えます。そういった状況で戦うのは難しいものがあるかと」
内乱となれば、直接的な戦闘だけでなく、権謀術策の類いが激しく行われるはず。国王派と王弟派が、一人でも多くの貴族や軍人を味方につけようと競い合う中で、昨日の味方が今日は敵なんて事態が起こりかねないのだ。
「うむ……それは分かる。でも、王弟に与するからこそ、モンタナ王国に兵を入れる口実が出来る」
「まあ、そうですが……」
戦いを仕掛ける口実。確かにそれはあった方が良い。だが、今のウェヌス王国にそんな拘りが必要かともゴードン顧問は思う。
「そこを見直す必要性を、私は感じない。内乱を起こした王弟を支援する。この前提で考えてもらいたい」
「承知しました。ただ……いや……」
「どうした? 言いたいことがあれば、言ってくれ」
「……では。モンタナ王国を従属国にしたあとは、どうなされるおつもりですか?」
エドワード王に促されてゴードン顧問は、一度は飲み込んだ問いを口にした。
「どうすると思っているのかな?」
エドワード王は問いを問いで返した。これを聞くゴードン顧問は答えを知っているはず。あえて、その答えを自分の口で話すことはないと考えた結果だ。
「……それは私が考えることではありませんな」
ゴードン顧問も答えを口にすることを避けた。この状況で、モンタナ王国との国境からアシュラム王国に攻め込むつもりでは、とは言いづらい。
グレンと戦うのか、友好的な関係を望むのか。エドワード王の意向はまだはっきりしていないのだ。
「それはそうだね。だが私もまだ先のことまで考えてはいない。今は目の前のことから一つずつだからね」
「……そうですな」
そうであれば他国への侵攻など後回しにするべき。という言葉もゴードン顧問は口にしない。頭は回っても、それを誇らしげに語らない慎重さがゴードン顧問にはある。保身の為の知恵だ。
だがこの慎重さは、エドワード王にとっては余計なもの。エドワード王は謀臣を求めている。その候補者の一人がゴードン顧問であり、今回はその最初の試しであったのだが、残念ながら合格というわけにはいかなかった。合格が喜ばしいことかは分からないが。
◇◇◇
エドワード王は知らない。自分がゴードン顧問と話し合っていたのと、ほぼ同じ内容が、王都の北東にある小さな村で語られていることを。もし、それを知ることが出来たなら、モンタナ王国への侵攻に対して慎重になるであろう人々によって、話し合われていることを。
「アシュラム王国の次はモンタナ王国か。よくもまあ、そこまで考えたものだ」
モンタナ王国に対する謀略を聞いて、グレンは呆れ顔だ。
「そこまで驚くことか? ゼクソン、アシュラムとくれば、次はモンタナ王国に決まっている」
そのグレンに不機嫌そうに言葉を返したのは、ウェヌス王国に追われているはずのアルビン・ランカスター。元ウェヌス王国宰相であり、ランカスター侯爵家の長男だ。
「そんな言い方するってことは、もしかして分かっていないのか?」
「……私が何を分かっていないと言うのだ?」
「今聞いたモンタナ王国に対する策略は、ゼクソン王国とアシュラム王国での策略が失敗した場合の備え。そうは思わない?」
「そんなことは分かっている」
グレンに言われなくてもアルビンには分かっている。そういう前提で、次の策略が何かと問われて、答えたのだ。
「それはつまり、最初からゼクソン、アシュラムの策略は失敗すると思っていたってこと?」
「……それはどういう意味だ?」
「ランカスター侯爵家の人たちは、思っていたよりもお人好しなのか? 三国に対する謀略の全てが、俺の母親が考えたものであるなら、失敗を前提とした策があることを怪しむべきだと思うけどな」
グレンの母親は、ランカスター侯爵家の敵であって味方ではない。そうであれば謀略の失敗は、彼女にとって成功。成功の次の謀略も当然、彼女にとっての成功の為の謀略だ。
「……謀略を防ぐ魔女はいなくなった。そう思っていたのだ」
「魔女……俺にとっては鬼婆のほうが、しっくりくるけど、それはいいか。頭はいなくなっても、手足は残っている。そういうことだと思うけどな」
「裏切者が……いや、そんな意識はないのだな」
自分が何をしているか分かっていない。グレンの言った手足、銀鷹傭兵団の末端はほとんどがそういう人たちだ。
「モンタナ王国の次はまた隣の国か、それとも……」
「それを知っているとすれば父だ」
アルビンはモンタナ王国の次のターゲットを知らない。父親から全てを聞いているわけではない、かも分からないのだ。
「つまり、知っている人はいないと」
ランカスター侯爵は既にこの世の人ではない。公にされていない情報だが、グレンはそれを知っている。
「……本当に父は殺されたのか?」
「嘘をつく理由は……なくはないか。騙して、情報を聞きだそうとしている可能性はある」
「だが、事実なのだな?」
父親が殺されたという事実を受け入れるには抵抗がある。だがそれは感情の問題であって、理性では事実だと分かっている。
「まあ。騙さなくても情報を得る手段はあるから。お前の父親と弟がウェヌス王国にやられた方法が」
グレンには、アルビンを拷問にかけることに、まったく抵抗はない。復讐という点では、そうしたいくらいだ。だがグレンは、アルビンを拘束してはいるが、それ以上、何もしていない。
「……何故、私を生かす?」
それは当人であるアルビンも不思議だった。何か企んでいるのではないかと思って、生かされていることを喜べなかった。
「まだ殺さないと決めたわけではない。結論は、ウェヌス王国の新王の出方次第だ」
「エドワード王は前王を暗殺して王になった。国を憂いての行動とは私は思わない」
「……隠していた野心があった。そうだとして、この先どう動くと思う?」
国王になっただけで満足するような野心なのか。グレンはそうは思っていない。さらなる野心を実現する為に、エドワード国王はどんな行動を取るかをアルビンに尋ねた。
「貴方はすでに分かっているはずだ。貴方が手にしたものを奪って、貴方の力を使って、大陸の覇者になろうとすると」
「俺がそれに従うと、どうして思える?」
「妹の命と引き換えであれば、従う可能性はある」
グレンのシスコンは有名だ。妹の復讐を行う為に国を裏切り、大国ウェヌスを敵に回して戦ったという話は、多くの人が知っている。
「そう考えるのか……そうであれば最悪だ。俺は大切な妹をまた失い、お前を生かすことになる」
「……そうさせない為に、王であることを隠している」
「隠しているのではなく、王であることを辞めたのだ」
フローラの命を助ける代わりに、ゼクソン王国とアシュラム王国を差し出すなんて真似は出来ない。フローラは大切な存在ではあるが、それは個人のこと。何の関係もない人々を巻き込むわけにはいかない。
「貴方が辞めたといっても、人々はそれを受け入れないのでは?」
「……理解はしてくれている」
「逃げるだけでは解決にならない」
今のグレンの行動は、ただの先延ばし。問題の解決には繋がらない。
「その通り。でもまだ可能性がなくなったわけじゃない」
エドワード国王が自分の野心を実現する為に、フローラを利用するような真似をしなければ、少なくともゼクソン王国とアシュラム王国、そしてルート王国に野心を向けなければ、問題とはならない。グレンの個人的な感情は別にして。
「……気分を悪くするだろうが、淡い期待だと思う」
「心配は無用。俺は物事に期待することはほとんどない。今回も同じだ」
可能性はなくなったわけではないが、それに期待して何もしないではいられない。問題が起こる前提で動くのがグレンだ。
「どうするのだ?」
「どうすれば良いと思う?」
「……ひとつは人質としての価値を無くすこと」
「それは無理。相手に分からせるのが難しいという意味で」
自分の感情は横に置いておいて、フローラに人質の価値がないと示すのは難しいとグレンは思う。言葉にしても信じるはずがない。では行動でとなるが、それはウェヌス王国と戦うということだ。
「……殺してはならないと思わせること」
「どうやって? ウェヌス王国と正面から戦うつもりは、今はない」
これも同じ。殺せば酷い目に会うと思わせるとしても、その酷い目は戦争の結果となる。
「……戦う前から負けると分からせる」
「それもまたどうやってだ。ゼクソンとアシュラムの二国相手では、そんな風には思わない」
それが出来るのであれば、今の時点で相手は脅威に感じて、動けないはず。問題は顕在化しない。
「だからモンタナ王国を手に入れるのでは?」
グレンが次の謀略を知りたがったのは、この為だとアルビンは考えている。間違いではないが、正確でもない。モンタナ王国を手に入れることが目的なのではなく、謀略の邪魔をすることがグレンの目的なのだ。
「……では元宰相に聞くけど、モンタナ王国を同盟に組み込んで、それでウェヌス王国は諦めるか?」
この件についてはエドワード国王の、ウェヌス王国の考えをグレンは読み切れない。大国の驕りなど、グレンには理解出来ないのだ。これを考える上でアルビンは適任だ。ウェヌス王国の文武官の考えを知っているはずなのだから。
「……諦めることはない。ただ、どのような行動を取るかは王の考え次第。それは私には分からない。エドワード王の為人をそれほど知らないからな」
「微妙なところか。そうだな。中央軍だけであれば互角だけど、地方軍も合わさるとな。総動員をかける度胸があれば、勝ち目は作れる」
国全体の兵数を比べれば、三国にルート王国を足しても、ウェヌス王国のほうが多い。その軍事力を支える国力も、度重なる戦争で今は消耗しているが、地力ではウェヌス王国が上だ。
「……それを行えば、ウエストミンシア王国が動く」
「動くとしても、戦いの終盤では?」
「そうさせないうちに決着を? しかし、ウエストミンシア王国と戦う余力を残して……貴方であれば出来るのか」
自分には不可能と思われる作戦も、グレンであれば出来るのかもしれない。アルビンはそう思った。
「そんなことは言ってない。総動員は不可能ではないと言っているだけだ」
「……仮に貴方にとって最悪な事態になったとして、私は何をすれば良い?」
自分を生かして、何をさせるつもりなのか。アルビンはそれを知りたくなった。
「何が出来る?」
「……目的を知りたい」
迂闊には答えられない。使えないと判断されれば、殺されるかもしれないのだ。
「フローラを救うが一番。でも……これはフローラの意思次第だ。次がウェヌス王国の、ゼクソンとアシュラムに向けられる野心を消し去ること」
「……もし妹が敵に回ったとして、貴方は戦えるのか?」
フローラが自らの意思でエドワード王の側に残り、その野心に協力、とまではいかなくても肯定した時。それはグレンの敵方になるということだ。
「それに答えると思うか?」
「……それはそうか」
戦えないと言えば、それは弱点を教えることになる。では、それを隠す為に答えないのかとなるが、もしそうではなく、実際は戦えるのであれば裏をかかれることになる。
答えは得られなかった、とアルビンは判断することにした。
「もし、そうなったら……お前が対抗策を考えろ。それが成功すれば、お前は生き延びられる」
「私にウェヌス王国と戦えと? いや、それは良い。だが私がどれほど良い策を考えても、それに従う者たちはいない」
「本当に良い策であれば、従うようにしてやる」
「……だが、それが成功して、ウェヌス王国が滅びる事態になれば、私は殺される」
策の成功は敵に回ったフローラの破滅をもたらす。そうなった時、自分は妹の敵として殺されるのだとアルビンは思った。
「そこまで卑怯じゃない。自分が為したことには自分で責任を負う。それがたとえ妹を殺すことになったとしても……」
「……なるほど」
その責任というものが、どのようなものであるのか。やはり、それを為した者の死。つまり、グレンは自死するつもりなのではないかとアルビンは考えた。
可能性としてはあり得る。だが、それを人々が許すのか。グレンへの忠誠心など持たないアルビンだが、そのような結末はあってはならないと思う。
恨むべき相手とはいえ、間違いなくグレン・ルートは大陸の未来を背負うかもしれない人物の一人なのだから。