尊が桜に会っている間、精霊科学研究所内にある訓練室で汗を流していた天宮。訓練で時間を潰すだけであれば、そもそも研究所まで付いてこなければ良いのだが、天宮はそう考えない。何故、そう考えないかも考えないほど、鈍感なのだ。
一応、それらしい理由はある。訓練室で汗を流しているのは、天宮だけではない。他の特務部隊員も大勢いる。彼等は定期検査の為に、精霊科学研究所にやってきていた。やはり天宮には関係のないことだ。
研究所員が付きっきりで、様々な運動を行い、その結果を記録されている特務部隊員。それには関係のない天宮は一人で運動だ。検査をしている間は絡まれない。そう思って、安心して訓練をしていたのだが、思いがけない邪魔が現れていた。
「……大丈夫です。一人で訓練しますから」
「いや、僕が言っているのは、少し話をしないかってこと」
「……大丈夫です」
現れたのは以前、会ったことがある男。初めて桜に会いに来た時に、トイレの前で会った男だ。
「話をしないかに『大丈夫』っておかしくない?」
「いえ、大丈夫です」
返事としてはおかしい。だが、天宮はとにかく、この怪しげな男と話をしたくないのだ。
「参ったな。僕、そんな怪しいかな?」
怪しまれている自覚は男にもある。「とりつく島もない」とはこのことだ、という対応をされれば、誰でも分かる。
「……はい」
男の問いを、少し躊躇いながらも、肯定する天宮。
「……君、思っていたより面白い性格だね。ますます話をしたくなった」
「いえ、僕は話したくありません」
徹底的に拒絶する天宮。本当はこの場から逃げ出したいのだが、精霊科学研究所内に詳しくない彼女は、どこに行けば良いか分からない。変なところに迷い込んでしまうより、他にも人が大勢いる、この場所のほうがマシだという思いがある。
「そんなこと言わないで」
「もう止めろ。彼女は嫌がっているじゃないか」
しつこく誘う男をようやく止めようとする人が現れた。ただ、その人物は第三分隊の剣人。天宮にとって、素直に助けを喜べない相手だ。
「……何だか、自分がすごく駄目な男になった気がした。あのさ、これ別にナンパしているわけじゃあないから」
「それは相手が決めることだ。天宮さんは嫌がっている。それが全て」
「僕は君の邪魔を嫌がっている。これ以上、余計な真似をすると怒るよ?」
男から、ずっと纏っていた惚けた雰囲気が消えた。剣人の邪魔に、本気で苛ついているのだ。
「怒れる立場か?」
だが急変した男の態度にも、剣人は怯まない。身につけた力が、彼の自信になっているのだ。
「まったく……誰のおかげで強くなれたと思っているのかな。君みたいな恩知らずには、お仕置きが必要だね」
「何を言っているのか分からないが、やれるものなら、やってみろ」
男は研究員の格好をしている。そんな相手に脅されても、まったく恐ろしくない。これは大いなる思い上がりなのだが。
「じゃあ、やって……」
剣人の思い上がりを正そうとした男だったが、その動きは途中で止まった。訓練室に飛び込んできた尊の存在が止めたのだ。
「……どうしたの? やらないのかな?」
一度、大きく深呼吸をして呼吸を整えた尊が、男に声をかける。
「……何のことかな?」
「その彼では物足りないのなら、僕が相手しようか?」
「なんだと?」
声をあげたのは男ではなく剣人だ。尊の言葉は、自分の実力が劣っているという意味。それに剣人は納得がいかない。
「はあ……これだからな。君は少し黙っていて。文句があれば、あとで聞くから」
「ふざけるな!」
尊の言葉は、さらに剣人を刺激するだけだった。
「ふざけてない」
「なんだっ……えっ……?」
さらに怒鳴り声をあげようとした剣人だが、それを最後まで声にする前に、尊に懐に入ることを許していた。
「この状態でスピリット弾を爆発させても、元気でいられるのかな? 試してみる?」
「あっ、い、いや……」
剣人は、尊が『YOMI』のメンバーを、肉片に変わるまで銃で撃ち続けて、惨殺した様子を間近で見ている。スピリット弾をこの場で爆発させるという尊の言葉を、ただの脅しとは受け取れなかった。
「……君のせいで逃がした」
「えっ?」
「もう良い」
不満そうな表情で剣人から離れる尊。その視線が、心配そうな顔で彼を見ていた天宮の視線と交差した。
「……会ったことあるの?」
「えっ?」
「さっきまで、ここにいた人と前にも会ったことあるの?」
「……あっ……えっ? いない?」
しつこく話しかけていた男は、いつの間にか姿を消していた。尊に言われて、ようやく天宮は気が付いた。
「……質問の答え」
「あっ……以前に、一度だけ……」
なんとなく悪いことをしてしまったように感じた天宮は、申し訳なさそうに尊の問いに答えを返した。まるで彼氏に浮気を問い詰められているかのように。
それを見ていた剣人は、不機嫌な顔を見せて、この場を離れていく。誤解されたことを別にすれば、いなくなってくれたことは尊にとってありがたい。
「何を話したのかな?」
「特に何も。相手が名乗ろうとしたところで、葛城陸将補が来て、今みたいにいなくなった」
「そう……」
天宮から得られる情報はなし。接触が短かったことを喜ぶべきか、残念に思うべきか微妙なところだ。
「知り合いなの?」
「多分。顔は違うけど、そうだと思う」
「えっ?」
顔が違うとは、どういうことなのか。天宮にはまったく理解出来ない。
「詳しい話は今は出来ない。誰に聞かれているか、分からないからね」
精霊科学研究所全体を尊は信用していない。今の会話も、盗聴されていてもおかしくない。当然、桜との会話も。尊は桜と話をしながらも、警告を発しているつもりなのだが、それは通じていない。
「そう……」
また話してもらえない。それを残念に思った天宮だが。
「誰も邪魔がいない時に説明する。貴女も知っておいたほうが良いと思うからね」
「……うん」
この件については尊も話をしてくれる。自分に話しても問題にならない程度のことなのだと思いながらも、それを嬉しく思う天宮だった。
◇◇◇
尊から、事の次第を説明してもらう機会は、思いの外、早く訪れた。精霊科学研究所からの帰り道。尊と天宮、そして葛城陸将補は樹海の中を進んでいる。護衛隊員に話を聞かれない為に指揮車を降りて、歩いているのだ。
「さて、ここら辺で良いかな?」
指揮車からかなり離れたところで、葛城陸将補が尊に説明を促してきた。
「……昼間に会った男は多分、『YOMI』のメンバー」
「やっぱり……」「なんだと?」
訓練室でのやり取りを知っている天宮と、それを知らない葛城陸将補では反応が違った。
「見たことのない顔だけど、間違いないと思います」
「……本当に間違いないのか?」
精霊科学研究所に『YOMI』のメンバーがいるとなると大問題。だが、その人物を捕らえて、やっぱり間違いでしたとなっては、それも違った意味で大問題になる。
「そういう言い方をされると……」
「証拠はなしか?」
尊が自信なさげな反応を見せたことで、葛城陸将補は対応は難しそうだと判断した。証拠もなしに動くことは出来ないのだ。
「誰もが分かる証拠は。でも、それに意味はありません」
「そうだな。誰もが分かる証拠があって、はじめて相手を捕らえることが出来る」
「そうじゃなくて、精霊科学研究所は匿うと思います」
尊は証拠があろうとなかろうと関係ないと思っているのだ。精霊科学研究所に引き渡す意思がなければ、証拠があっても意味はないと。
「……何故、そう思う?」
「彼は精霊科学研究所に深く関わっている。彼がいないと研究所は成り立たないといっても良い。ちなみに、これも証拠はありません」
「同じ問いばかりになるな。どうして、そう思ったのかな?」
尊が嘘をついているとは思わないが、理由も何もなしでは、そのまま受け入れることは出来ない。
「どうして……葛城陸将補は月見望って名前を知っていますか?」
「……すぐには出てこないな。その月見望に何かあるのかな?」
「月見望は……何て言ったかな? ああ、第|零《ゼロ》世代の一人です」
「な、なんだって?」
尊の言葉に動揺を見せる葛城陸将補。言葉の意味を知っていたことが、これで分かった。
「やっぱり、知ってたか。天宮さんは分からないよね?」
「まったく」
「特務部隊の分隊長は第一世代。さすがにこれは知っていますよね?」
「それは知っているわ」
分隊員が第二世代。そして、自分は第三世代ではないかと言われていることも。
「|零《ゼロ》だから、その前。では実はなくて、第一世代の人たちと同世代。二つの違いは人工か自然か」
「……人工って」
言葉の意味は分かる。だが、それを人に当てはめた時に、どういう意味になるのか。想像がついて、天宮は顔を曇らせている。
「鬼と呼ばれている存在と戦う力を、無理矢理持たそうとされた人たち。分かりやすく言うと、人体実験の素材にされた人たちです」
「…………」
「ここまで話せば、もう隠す必要はないですね。『YOMI』の中心にいるのは、その零世代の人たち。実験の道具にされ、失敗され、不用とされて捨てられた人たち」
「そんな……」
尊の言う通りだとすれば、はたして正義はどちらにあるのか。天宮は、自分の足下が崩れ去るような感覚を覚えた。
「そんなに動揺しなくても良いです。『YOMI』の人たちの共通の目的は、仲間を守ること。だけど中身は、自分の欲望のままに行動したり、決して正しいとは言えないことが多くあります」
「そうなの?」
「ただ居場所があるだけってこと。その中で自分の人生をどう生きようと自由です」
「仲間を守る」は隠れ家を用意する程度のこと。一般社会では生きられなくなった人たちが、同じ種類の人間たちと暮らしているだけなのだ。
「だから同じ組織の中に、敵がいるのね?」
「そう」
本当の意味で守るべき仲間ではない相手には、尊は容赦しない。相手もそうだ。その事情が天宮にも明らかになった。
「どうして、これを話す気になったのかな?」
尊は『YOMI』の情報についても話そうとしてこなかった。それがいきなり組織の内情について、詳しく話し始めたことが葛城陸将補は疑問だった。
「様々な目的を持った人がいます。その中の目的の一つが、僕にとって問題だから」
桜の決断を早める結果に繋がりそうな望の行動は、尊にとって大問題。これについては話をすることは出来ない。
「それを行おうとしているのが月見望という人物か」
「その可能性が高いです」
「私に出来ることはあるかな?」
精霊科学研究所に対して、葛城陸将補は無力に等しい。研究所は国家を後ろ盾にしているのだ。一軍人で太刀打ち出来る相手ではない。
「……桜を連れ出したい」
「すまんが、それは無理だ」
「そうですか……」
他に何かあるか。自分だけではどうにもならないと考えたから、尊は話をすることにしたのだ。だが、これというお願いが、すぐには思い付かない。
「……葛城陸将補! どちらですか!?」
尊の思考を邪魔する声。護衛隊員が焦った感じで、葛城陸将補を呼んでいる。
「……ここだ! 何かあったか!?」
仕方なく返事をする葛城陸将補。聞かれたくない話をする為に指揮車を離れたと分かっていて、呼びに来るのだから、よほどの何かがあったのだ。
「本部から緊急連絡が! 桜木学園が襲撃されたとのことです!」
「な、なんだと!?」
物事の動きが加速している。尊が望まない方向へと。