アーベントゾンネの街を囲む防壁の上。元ブルーメンリッターの騎士でユリアーナと共に魔王側に寝返った騎士たちは、その場所で戦場の様子を眺めている。ユリアーナを囮にした策は成功。多くのブルーメンリッターの騎士が投石の下敷きとなっている。
ただ戦いはそれで終わったわけではない。大怪我をしても、傷だけであれば治癒魔法で回復出来る可能性が高い。それでは策は成功とは言えないのだ。
下敷きになった騎士たちが死ぬまで、そこまででなくても出血多量で治癒魔法が効果を発揮出来なくなるまで救出を許してはならない。罠にかかった騎士たちを助けようと近づくローゼンガルテン王国軍の邪魔をしなければならないのだ。
「赤旗! 攻撃準備!」
防壁の内側にいる味方に指示を出すニクラス。赤旗というのは同じく防壁の上にいるライナーが持っている旗のことだ。防壁の内側にいる味方は外の様子が分からないので、旗で方向を示しているのだ。
指示に従い防壁の中から投石が放たれる。数は多くない。
「……二番だ! 二番に合わせろ!」
投石の着弾位置を確認してニクラスはまた指示を出す。二番の投石機の距離に合わせろという指示だ。それを確認して他の投石機も距離を合わせる。それが終わったところで斉射。陽の光を遮る黒い影が空を飛んでいく。
「第二波攻撃! 放てっ!」
さらに第二弾。下敷きになっている騎士の上に、さらに降り注ぐ投石。ローゼンガルテン王国軍は二次被害を恐れて、近づくことが出来ないでいる。作戦は順調だ。
止めの第三弾を命じようと大きく息を吸ったニクラス。
「あー、もう! 髪の毛、ドロドロ! お風呂入りたーい!」
「はっ?」
割り込んできた戦場の緊迫した雰囲気をぶち壊す声。ユリアーナの声だ。
「トンネル、もっと大きく掘っておけばいいのに。狭くて泥だらけになったわ」
「……あまり大きく掘ると地面が崩れてしまう可能性がありますので」
ユリアーナは地下に掘ってあったトンネルを使って、陣地から抜け出していた。四つん這いになって通れる程度の狭いトンネルだ。手や膝だけでなく髪の毛も土で汚れている。
「それで? 泥だらけになるのに見合った戦果はあったのかしら?」
「正確な人数はわかりませんが、四、五十人は生き埋めになっていると思います」
「それくらいか……まあ、良いわ」
万単位の敵を相手にしていて、四、五十人を討ったからといってどうなのだという思いもあるが、その四、五十人が全員ブルーメンリッターの騎士だと考えれば悪くはない。もっとも強いであろう敵部隊の戦力を削ることが出来たのだ。
「もう一回くらい、通用すると思う?」
「どうでしょう? 敵も警戒するでしょうから」
「罠にはかからないか」
「こちらの罠を利用してユリアーナ様を討つ方策を考えるかもしれません」
危険な策は一度きりで終わらせたい。この軍はユリアーナが全て。万一、彼女が討たれるようなことになればそれでもう負けが決まりだ。
「それくらいは考えるか……じゃあ、止めておこうっと」
「……敵が引きます」
「あら? もう諦めたの? 案外、薄情なのね」
敵の投石機が遠ざかっていく。それと一緒に防御陣地近くまで展開していたローゼンガルテン王国軍も。味方の救出を諦めたのだ。粘っても救える可能性はわずか。さらなる犠牲者を出すだけだ。ユリアーナは薄情と言うが、判断としては間違いではない。
「……戦闘が終わってくれれば、お風呂入れるから良いか。よし! お風呂だぁー!」
今日のところは、これで戦闘は終わり。ユリアーナ側の勝利と言っても良い内容だ。だが戦いはまだ続く。最終的な勝者がどちらになるかは、まだ分からない。
◆◆◆
ゾンネンブルーメ公国領内での戦いはアーベントゾンネ攻防戦が全てではない。それが始まる前から魔王軍とゾンネンブルーメ公国軍の戦いは行われており、今もかろうじて続いている。ゾンネンブルーメ公国軍にとってはずっと一方的にやられるだけの、味方は風前の灯火となっていた戦いが。
フェンを通じてのユリアーナの要求は魔王軍に受け入れられており、ゾンネンブルーメ公国軍掃討の為の軍勢は残されている。ゾンネンブルーメ公国軍はかろうじて軍としての体裁を維持しているだけ。一突きで崩れ落ちるような状態であったので、長く大軍を残しておく必要はない。リリエンベルグ公国領内での戦いに影響を及ぼすことはないということ、またゾンネンブルーメ公国で確保出来る食料が戦争継続には必要という二つが、要請が簡単に受け入れられた理由だ。フェンやユリアーナにしてみれば、残しておくのが当たり前であるので、それに対する感謝の思いなど微塵もないが。
実際に戦いは一突きで決着がついた。ゾンネンブルーメ公国軍がこもっていた城砦は魔王軍の猛攻を受けて、あっさりと陥落。さらに城砦を捨てて逃げようとしたところに追撃をかけられ、ゾンネンブルーメ公国軍は崩壊した。
今はいくつかの小集団に分かれて、魔王軍の掃討部隊と思い思いに戦っているだけ。ゲリラ戦の様相を見せている。もっとも、そうなってからのほうが、魔王軍にとっては厄介な戦いになっていたりするので、たんに戦いが長引いてもらいたいだけの人たちにとっては都合が良い状況だ。
「敵を確認! その数およそ……二百!」
決着は長引くかもしれないが、実際に戦っている騎士や兵士にとっては勝てる見込みのない絶望的な戦い。次の日まで生き延びること出来ただけで感謝したくなる日々だ。
「二百……編成は!?」
「……魔物らしき姿はありません!」
「そうか……」
とうとう最後の日が来てしまった。この場にいる全員がこう思った。魔人二百に対して、味方は百人。十人がかりでも勝てないかもしれない魔人が、味方の倍いるのだ。勝てるはずがない。
では逃げるか、といっても逃げ切れる可能性は低い。魔人の多くは強いだけでなく、速い。逃げても追いつかれてしまう。
「どうしますか?」
指揮官、ではなく騎士が誰もいない為に隊長として集団のまとめ役を引き受けることになった兵士に問いかける。
逃げ切れる可能性は低い。だが戦って勝てる可能性はそれと同等か、もっと低い。運を天に任せて逃げるという選択はありだ。
「……逃げたいやつは遠慮なく逃げろ」
「隊長はどうするおつもりですか?」
「俺は……戦う!」
少し考える間が空いたが、隊長ははっきりと戦うと答えた。
「死にます」
「分かっている! でも、もう逃げ回るだけの戦いなんて、うんざりなんだ! 俺たちは何のために兵士をやっている!? なんと言われて俺たちは兵士をやっていた!?」
兵士になりたくてなった人などほとんどいない。多くが義務として、国の為に戦う責任があるとされて兵士をやっているのだ。だが、魔王軍との戦いでゾンネンブルーメ公国軍はただただ逃げ回っていただけ。ゾンネンブルーメ公爵家の人々を守る為だけの戦いだった。
「どうせ戦うなら俺は家族の為に戦いたかった! 家族を、自分の村を守るために戦いたかった!」
ゾンネンブルーメ公爵家を守ることは国の為。そんな風には思えない。隊長はゾンネンブルーメ公爵家にそこまでの忠誠心を持っていない。持つような何かを与えられた覚えもない。
「……だったら逃げよう。逃げて家族の所に行こう」
「逃げられるならな。今日逃げられても明日はどうだ? 明後日は? 故郷にたどり着くまで逃げ続けていられるのか?」
「それは……武器なんて捨ててしまって……」
兵士だから殺される。鎧や武器を捨ててしまえば、少なくとも殺されることはないかもしれない。
「この場を逃げ切れたら、そうしろ。そして家族の元に帰れ」
「一緒に行かないのか?」
「……俺は良い。もう疲れてしまった。逃げて故郷に帰れてもそれで魔族が消えてなくなるわけじゃない。いや、俺の村はもうとっくに魔族に襲われている……」
帰る故郷はない。というのはこの兵士がそう思い込まされているだけ。敗走に敗走を続ける中、ゾンネンブルーメ公爵が恐れたのは兵士の逃亡。それをさせない為に、帰る場所はもう魔族によって消し去られていると教えられていたのだ。
「……分かりました。俺も残ります」
「無理する必要はない」
「ずっと逃げ続けるほうが無理です。俺は寂しがり屋ですから、同じ死ぬにしても一人ぼっちでは死にたくありません」
この言葉に他の兵士も反応した。完全に逃げ腰だった兵士たちが、防具を整え、武器を持って前に出てきたのだ。
「……良し! こうなったらせめてもの意地を見せてやろう! 一人でも二人でも、とにかく敵を倒せ!」
「「「おおっ!!」」
隊長の激に応える兵士たち。彼らの気合は十分。死を目前に控えて、恐怖がないわけではない。だが、同じ死ぬにしても前のめりで死にたい。そんな気持ちが心に湧いてきていた。
「……さらに敵影!」
さらに敵の後方に軍勢の影が見える。
「かまうか! 二百が二千でも結果は変わらない! だったら最後に! ゾンネンブルーメ公国軍の意地を見せてやれ!」
「「「おおっ!」」」
「突撃っ!!」
「「「うぉおおおおおっ!!」」」
恐怖心を押し殺す為の雄叫びをあげながら兵士たちは前に出ていく。目の前の軍勢は倍どころか十倍を超えている。だがもう数を気にする段階ではない。最後は死。その覚悟は皆、出来ている。
「行けぇええええ…………ええっ!?」
死を覚悟して突撃をかけた彼らの目に驚きの光景が映る。あとから姿を現した軍勢が、前を進んでいた魔人の集団に背後から襲いかかったのだ。
「……どういうことだ?」
「あれは……どこの旗でしょうか?」
よく見れば魔人を攻撃している軍勢は旗を掲げている。これまで魔王軍が軍旗を掲げているのを彼らは見たことがない。魔人に襲いかかっている事実からしても、どうやら味方。だがどこの味方かが分からない。
「いや、あのこちらに向かってくる騎馬隊の旗! あの旗はラヴェンデル公爵家の旗ではありませんか!?」
二百騎ほどの騎馬隊が近づいてくる。その先頭に翻る旗には見覚えがあった。四公爵家の一つ、ラヴェンデル公爵家の旗だ。一兵士であっても一般常識としてこれくらいは知っている。
「ラヴェンデル公爵家が……」
まさかの救援。ラヴェンデル公爵家が支援の軍を出していることなど聞いていなかった。だが今はそんなことはどうでも良い。とにかく味方が来てくれたのだ。
「味方はこれで全員か!?」
騎馬隊の先頭を駆けていたタバートが、兵士たちは相手が公爵家の跡継ぎだなんて思っていないが、声を掛けてきた。
「は、はい! これで全員です!」
「戦況次第では君たちにも戦ってもらうことになる! 良いな!?」
「もちろんです!」
救援が来たからといって黙ってみているわけにはいかない。それは兵士たちも、もちろん分かっている。
「よし! キャスパー! クレイ! 彼らに戦い方の指導を!」
「はっ!」「分かりました!」
「他の者は迎撃準備!」
タバートの指示を受けて、騎乗していた騎士たちが一斉に地面に降りる。馬の背に乗せていた武器を持って、隊列を整える騎士たち。彼らが持っているのは弩。対魔人用に開発した威力重視の弩だ。三脚を地面に置き、その上に弩を据える。手で支えるには重すぎるのだ。
「君たちもあれで戦ってもらう。扱い方はそんなに難しくない。弦を引くのにコツがあるくらいかな?」
弦を引くのは力だけでは無理。上手くテコの原理を使って、引くのだ。キャスパーとクレイはそれぞれ実際にやってみせて、それを兵士たちに説明する。それが終わると実践。兵士たちが実際にやってみるのだ。順番に弩の前に立ち、教わった手順をなぞっていく兵士たち。
そんなことをしている間にも戦いは続いている。放たれた弩が魔人の体を貫く。かなり強力な弩ではあるが、一撃では、急所に当たらない限り、倒せない。魔人のほうは斉射と斉射の間隙を使って、接近を試みてくる。
それを遮ったのはタバートの部隊とは別の騎馬隊。魔人の行く手を遮りながら、馬上から弓を射る。地面に転がる魔人。さらにその騎馬隊は、まるで曲芸のように馬上で器用に体の向きを変え、魔人から遠ざかりながら二射、三射と弓を放っていく。
「……凄い」
それを見て、兵士の一人が思わずつぶやきを漏らした。
「弩の習得に集中して!」
「あっ、はい! 申し訳ありません! ただ……」
「ただ?」
「弓で魔人を倒せるのですか?」
そうであれば今行っている練習は必要ない。弓矢であれば兵士は、今見せられた達人技など無理な話しだが、普通に扱うことは出来るのだ。
「ああ。あれは矢に魔力を込めている。だから魔人に通用する」
「そんなことが出来るのですか?」
「実際に出来ていた。私も、矢は無理だが、剣であれば魔力を込められる。魔力の多寡や強弱に個人差はあるが、君たちも訓練次第では出来るようになるかもな」
「そうなのですか!?」
魔力を使って戦うなど騎士しか出来ないことだと思っていた。それが自分にも出来ると聞いて、兵士は目を輝かせている。
「それもこの戦いに勝って、生き残ってこそ。さあ! 練習を続けて!」
「「「はっ!?」」」
弩の練習に集中する兵士たち。救援に来てくれたラヴェンデル公国軍が思いがけない強さを見せたことで、本当に勝てるかもしれないという思いが生まれたのだ。その可能性を高める為には、早く自分たちも戦いに参加しなければならないと。
一通り、練習を終えたところでいよいよ実践。一人ずつ、ラヴェンデル公国軍の騎士と交代して隊列に並んでいく。
「焦らず、慎重にならず! 戦っているのは自分一人ではない! 敵が近づいてきても、自分が外しても味方がなんとかしてくれる! そう信じるんだ!」
敵が迫っているのに焦って、隊列を乱されるのが一番不味い。弩は地面に置いた三脚で支えている。一人が隊列を崩して大きく動けば、周りにも乱れが波及してします。
「必ず命中させようなんて思わないで、準備が出来たらすぐに射る! この二つを気をつけろ!」
弩の命中精度の問題、だけでなく、一撃では魔人は倒れない。数を射ることが必要なのだ。もともと弩だけで戦いの決着をつけるわけでもない。
「攻撃停止!」
「構えっ!」
二つの命令が同時に発せられる。攻撃の停止は弩を放っている人たちに向けたもの。そしてもう一つは。
「突撃っ!!」
タバートと共に接近戦を挑む騎士たちへの命令だ。
前に駆けていく騎士たち。良く見ると三人が一組になって動いているのが分かる。一人の魔人に対して、三人で挑む。そういう戦法なのだ。
魔人と接触。接近戦が始まった。
三人で魔人を囲む。決して焦って攻撃するような真似はしない。逆に魔人の焦りを待つのだ。正面にいる騎士に魔人が襲いかかる。攻撃は捨て、敵の動きを見極めることに集中して、攻撃を躱す騎士。その間に背後にいる騎士が魔人に剣を振るう。それに怒って魔人が向きを変えれば、さっきまで逃げ回っていた騎士が攻撃に転じる。
「あんな戦い方……」
ゾンネンブルーメ公国軍の兵士たちにとっては驚きだ。
「騎士にふさわしくない戦い方か?」
「あっ、いえ……」
思っていたことを指摘されて、慌てる騎士。
「そう思われても仕方がない。だが魔人は強い。悔しいが、正面から向かい合っても我々は勝てない」
「はい……」
戦いにことごとく負け続けてきた。まったく勝てる気がしなかった。騎士として正々堂々と、なんて言っていた騎士は真っ先に魔人に殺されることになった。兵士たちはそれをずっと見てきた。
「それでも我々は勝たなければならない。国を、そこに住む人々の暮らしを守らなければならない。その為であれば騎士らしくなどクソくらえだ。我々は勝つための戦いを行う」
始めからこんな考えだったわけではない。ゾンネンブルーメ公国の騎士と同じように騎士の誇りにこだわり、それを傷つけない戦いを望んだ。だが、それでは勝てなかった。仲間は次々と死んでいった。騎士の誇りなど魔人の強さを前にして何の役にも立たなかった。
そんな絶望的な状況を変えてくれたのは、リリエンベルグ公国軍。とくにジグルス・クロニクスが現れてからのリリエンベルグ公国軍は、少数でありながら魔王軍を追い込んでいった。
自分たちと何が違うのか。答えは簡単だった。リリエンベルグ公国軍は魔人に勝つための戦い方を身につけていた。騎士の誇りなど関係ない。そもそも彼らは騎士ではなかった。騎士の誇り、肩書など戦争において、何の意味もない。リリエンベルグ公国軍はそれを思い知らせた。
「……勝たなければならない。勝てるのだ。勝つための戦いを行えば」
「…………」
話を聞いている兵士たちの胸に小さな火が灯った。国を、そこに住む人々の暮らしを守る為の戦い。それが出来るのだと彼らは思った。
「勝ちたいだろ?」
「はい。勝ちたいです」
「では戦え! 我らは勝てる! 勝てるのだ!」
「「「おおっ!!」」」
粉々になったゾンネンブルーメ公国軍はまた一つにまとまろうとしている。勝利を信じる一人ひとりの意思によって。それを各地で灯していくラヴェンデル公国軍によって。
だがまったく元に戻るわけではない。数の問題ではなく、その中身が。新生ゾンネンブルーメ公国軍は公爵家のものではない。ゾンネンブルーメ公国に住む民の為の軍なのだ。