湾岸南地区にある『YOMI』のアジト。以前、国防軍に襲撃されたアジトとは別のものだ。多くのメンバーにとって、アジトなんて特別なものではない。仲間が集まっていて、そこで寝起きしていれば、そこがアジト。そういうことだ。
「そう……ミコトくんが、そんなことを……」
月子から話を聞いて、難しい顔をしているのはエビス。仲間が罠に嵌められた、なんて話を聞かされれば、難しい顔にもなるだろう。
「どう思う?」
「どう思って……まず、どうしてこの話を僕に?」
「それはコウが……ミコトは朔兄を疑っているなんて言うから……」
月子にとって朔夜は兄。兄を疑われるのは納得がいかないのだが、それがミコトの考えだと言われてしまうと、無視というわけにはいかなかった。
「……コウはどうしてそう思ったのかな?」
「ミコトが名を出したのが朔夜さんだけなので」
尊は作戦リーダーである九尾は、朔夜から命令を受けたのかと尋ねた。朔夜の名だけを出したことに意味があるとコウは考えたのだ。
「ミコトくんはなんて?」
「どうしてあの場所にいたのか聞かれて、作戦の為だと教えたら、その命令は誰からだと。作戦リーダーが九尾だと教えたら、その九尾は朔夜さんから命令を伝えられたのかと聞いてきました」
尊とのやり取りを簡単にコウは説明した。それを聞いたエビスの、眉の間の皺がさらに深くなる。考える時のくせだ。
「……命令を伝えるのは僕の可能性もあるからね。しかし……ちょっと不用心だね?」
「えっ?」
「ミコトくんは僕を疑っているから、あえて朔夜の名を出したのかもしれないよ」
「ええっ?」
もし、そうであるなら尊が裏切りを疑っている本人に、話してしまったことになる。
「でも、その場合は僕に伝わる前提での話か……コウ以外の二人を疑っていたのかもしれないね」
「えっと……結局?」
「その問いも意味はない。もし僕が君たちを騙していたとすれば、真実を話すと思う?」
エビスが裏切っているなら、それを認めるはずがない。そうであるから、裏切っていないという答えを得てもそれを信じることは出来ない。
「……いえ」
「まあ、今は何が真実か議論しても仕方がないね。朔夜が君たちを罠に嵌めた……考えられないね。では僕はどうか……これも同じ。僕と朔夜の奴等への恨みは、簡単に消えはしない」
エビスの義手の指が硬く握りしめられる。心に刻まれた憎しみを思い出しているのだ。
「じゃあ、ミコトが嘘を?」
「それが問題。こちらの内部を混乱させる策ってことは考えられる。でもミコトくんが、そんなことで嘘をつくかな?」
尊は正直だ。隠し事はするが嘘はつかない。ただ、これは『YOMI』にいた時の尊であって、それを前提にするのはおかしいという思いもエビスにはある。
「事実だとすれば……いや、待てよ。でも、しかし……」
エビスは一つの可能性を思い付いた。だが、その可能性も信じられない内容だ。
「何か思い付いたの?」
エビスの様子を見て、月子が尋ねてきた。
「……これは……君たちが話を持ってきたのだから、話すべきか。でも、何の証拠もないことだ」
「それでも良いから聞かせて。ミコトが忠告するからには、何かあるのよ」
「……望」
「えっ?」
「望が情報を漏らした可能性を考えた。『YOMI』との関わりがバレたのかもしれない」
望は朔夜の双子の兄で『YOMI』の副リーダーだ。その望は、『YOMI』にとって敵である精霊科学研究所に残っている。逆に敵の情報を『YOMI』に流すために。
「……捕まったってこと?」
「その可能性はある。ただ作戦がいつ決まったか……これは朔夜に聞いてみるか」
作戦の決定は最近のはず。その最近の情報が、望に伝わっていたのか。それは作戦を考えた朔夜に聞くのが一番だ。望に伝えているとすれば、それは朔夜からなのだから。
「大丈夫なの?」
「それは望が? それとも朔夜に話を聞くことが?」
「もちろん、望兄のこと」
月子にとって望と朔夜は兄。心配するのは当然、望の身の上のことだ。
「今は分からない。それを含めて、探ってみるしかない」
もし本当に望が敵に捕らえられたとなれば、『YOMI』にとって大打撃だ。情報源を失うというだけでなく、望も敵に知られてはいけない多くの情報を持っている。今いるこのアジトさえ、安全な場所ではなくなっているかもしれないのだ。
◇◇◇
桜木学園内の体育館、実際は第七七四特務部隊の訓練場だが、は活気に満ちあふれている。前回の作戦で強化鍛錬の効果は証明された。まったく刃が立たなかった『YOMI』のメンバーと対等に戦うことが出来たという自信が、特務隊員たちを活気づかせているのだ。体育館のあちこちから気合いの入った声が聞こえてくる。立ち合いも、以前とは違い、かなり激しさを感じさせるものだ。そんな中、天宮と尊はというと。
「全然、駄目」
「……ごめんなさい」
尊に叱られて、天宮は悔しそうに俯いている。尊と立ち合いをしているのだが、全然、彼の要求に応えられないのだ。
「『ごめんなさい』は要らない。出来なくて困るのは僕じゃなくて、貴女だから」
「……どうしても感覚が掴めなくて」
「貴女はまだ目に頼っている。見るんじゃない、感じるんだ」
「……『Don't think.Feel.』じゃなくて?」
「はい?」
「何でもない……」
天宮の冗談は尊には通じなかった。尊相手でなくても、まず通じないだろうが。
「……とにかく、もう一度」
「分かった」
剣を構える天宮。その彼女に向かって、尊の剣が振るわれる。左下から振り上げられる剣を、後ろに下がって避ける天宮。一瞬で切り替えされた尊の剣が、今度は斜め上から振り下ろされる。それを自らの剣で受けようとする天宮。
「ぐっ……」
だが尊の剣は天宮のそれと交差することなく、いつの間にか左手に握られ、彼女の左胴を打っていた。その痛みに膝をつく天宮。
「駄目」
「…………」
「どうして信じられないかな? もう一度言うけど、強くなるには従わせていては駄目。相手に任せるくらいじゃないと」
精霊力のことだ。精霊力を従わせるのではなく、解放しろと尊は言っているのだが、それが天宮には理解出来ない。
「……任せているつもりなのだけど、なかなか言うこと……あっ……」
言うことをきかせることを、任せるとは言わない。天宮は無意識のうちに、精霊を従わせようとしているのだ。
「……じゃあ、一つ試してみようか。上手くいくとは限らないけど良い?」
「良い」
強くなれるのであれば、どんな厳しい訓練にも挑戦する覚悟が天宮にはある。尊が勧める方法であれば、という条件が付くが。
「後ろ向いて」
「後ろ?」
「そう。後ろ」
「……分かった」
言われた通りに、尊に背中を向ける天宮。何が始まるのかと思っていた天宮。自分のすぐ後ろに人の気配を感じて、慌てて振り返った。
「……まだ準備出来ていないけど?」
間近に迫っていた尊の顔。その表情には苦笑いが浮かんでいる。
「……準備って?」
「目隠しをする。どうしても目に頼ろうとするから、強制的に使えないようにしようと思って」
「目隠し……分かった」
尊の説明を聞いた天宮は、また尊に背中を向けた。
「ちゃんと気配は感じられるのに……常に男を警戒していれば出来る様になるのかな?」
その背中から聞こえてくる尊の声。自分をからかっているのだと分かっているが、頬が赤く染まるのは止められない。
「でも、それじゃあ、月子には勝てないか」
「早くしろ!」
「あっ、はい」
後ろから延びた尊の手が、天宮の目に布をあてる。耳の上、そして後頭部に当たる布の感覚。痛くない程度に、しっかりとそれは結ばれた。
「……人一倍、男を警戒するくせに、こういうことを無防備でやらせるんだからな。女の子って良く分からないな」
尊の呟きを聞いて、天宮の顔は更に赤くなった。目隠しであれば、自分で行えば良かったのだ。それに尊の言葉で気が付いた。わざとそれをさせなかった尊の悪意には気付いていないが。
「さて……いきなりは無理だから、最初はゆっくりと」
「分かった」
「自分の感覚を研ぎ澄ますという意識は捨てて。任せるのだから、外への感覚は閉ざすくらいの気持ちで良い」
「……分かった」
自分の内にいる存在。尊に言われた通りに、意識をそちらに向ける。目、そして耳も覆われているので、集中はしやすい。動きながらでは難しかった、内にある存在を感じ取ることも、なんとか出来た。その存在に任せる。任せるというのがどういうことか。その感覚は、自分の中にはない。と思った瞬間。
「えっ!?」
自分の体が吹き飛ばされたのを天宮は感じた。床に倒れる自分の体。何が起きたのかと、天宮は急いで目隠しを外して、周囲の状況を確かめる。
目に入ったのは目の前に伸ばされている手。尊の手だ。その手を取って、立ち上がる天宮。
「嘘をついたのね?」
尊は「初めはゆっくり」と言っていた。だが、ゆっくりで自分の体が飛ばされるはずがない。
「痛くないと思えば、安心して任せるかと思って。結果は成功だったね?」
「えっ?」
「痛かった?」
「……床に倒れた時は痛かった」
つまり、その前は痛くなかったのだ。体を吹き飛ばされるような衝撃を受けたはずなのに。
「そこまでの過保護を望む? それは、まあ、貴女たちで決めて。それが必要だと思えば、そうしてくれるよ。きっと」
「……僕は、守られたのね?」
「そう。貴女が何もしなくても、危険を感じれば守ってくれる。そう信じ切ることが、貴女には必要」
「信じ切る……」
「それが出来るようになったら、気持ちの同調かな? とにかく貴女を守る、では戦えないからね」
危険から身を避ける一番の方法は、戦いの場に行かないこと。さすがにそれは出来なくても、天宮の体を守ることだけを優先してしまっては、攻撃が出来なくなる。
「……そうね」
尊はそうだった。自分を守る為に、尊は自らの体を盾にして守ってくれた。その時のことを天宮は思い出した。
「天宮!」
天宮の複雑な思いに浸る時間を、邪魔する声が響く。第五分隊の立原剣人だ。
「……どうしました?」
もとは同じ分隊だった剣人だが、天宮に親しいという感覚はない。剣人に限らず、特務部隊員の全員がそうだが。
「俺と立ち合いをしないか?」
「……今は彼と訓練中だから」
「訓練の様子は見ていた。目隠しをして訓練なんて、そんな時代錯誤で、非論理的なことをしてても強くはなれない」
「……僕には僕のやり方があるから」
その時代錯誤で非論理的な方法で、強くなるきっかけを掴めそうなのだ。それを止めるつもりは、天宮にはない。
「そのやり方が間違っていると言っているんだ。そんな奴は放っておいて、俺と訓練をしよう」
「……どうしたの?」
剣人とは親しい間柄ではないが、こんな強引な誘い方をしてくる印象はまったくなかった。それが天宮に、漠然とした不安を感じさせる。
「俺は強くなった。今の俺なら君と対等に戦える。いや、もっと強くなって君を超えるつもりだ」
「…………」
漠然とした不安は、剣人の言葉でかつて感じた恐怖に変わった。もう二度と味わいたくないと思っていた恐怖。仲間が鬼に変わってしまう恐怖に。
「だから俺と」
「こういうのって、横恋慕って言うのかな?」
剣人と天宮の間に、尊が割り込んできた。しかも、剣人の気持ちを逆なでするような言葉を発して。
その尊の背中を見て、天宮は自分の恐怖が薄れるのを感じた。
「……横恋慕だって?」
「あれ? もしかして意味を知らないの?」
「知っている。知っているけど……使い方としては間違っている」
自分が横恋慕をしているとなると、天宮と尊が恋人だということになる。そんなことは、あり得ないと剣人は思っている。実際にないが。
「それは、貴方が決めることじゃない。違うかな?」
「そうだけど……」
そんなはずはない。そう思いながらも、剣人の気持ちは萎んでいく。少なくとも今の時点で、天宮が自分を選ぶことはないのは分かっているのだ。
「訓練の邪魔しないでもらえる?」
「……分かった」
邪魔をしていたのは、あくまでも訓練。まったく意味のない納得のさせ方をして、剣人は戻っていった。
「……大丈夫?」
「……私は平気」
自分は大丈夫。守ってもらえた。だが、剣人はどうなのか。それに対する天宮の不安は消えていない。
「彼も平気。鬼にまではならないよ」
「……本当?」
「本当。彼は……そうだね。『YOMI』のメンバーと同じだと考えれば良い。彼だけじゃない。皆がそう」
「……それが強化鍛錬の成果?」
「成果ではなく、強化鍛錬がそういうものだってことじゃない?」
完全に鬼化しない程度に穢れさせて、それを払う。鬼がそうであるように鬼力、精霊力との同調性を限りなく百パーセントに近づけるというものだ。
強化鍛錬を行った特務部隊員の適合率は九十パーセント以上。適合率でいえば、天宮に匹敵する能力を持ったのだ。
「……それは正しいことなの?」
正しいことではないと天宮は思っている。彼女は尊に言われて、強化鍛錬を拒否したのだ。
「正しい、間違っているはないかな? ただ、彼等は自分たちが何に触れたかを分かっていない」
「彼等は何に触れたの?」
「何……そうだね……」
これを言ったきり、尊は口をつぐんでしまった。自分が知ってはいけないことなのだと天宮は理解した。だが、遙か遠くを見つめているような尊の瞳を見ていると、それが何だか分かってしまった気がする。それを思うと、胸が苦しくなった。