月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

異伝ブルーメンリッター戦記 第108話 物語にはなかった主要キャラたちの戦いが始まろうとしている

異世界ファンタジー小説 異伝ブルーメンリッター戦記

 ラヴェンデル公国の領境近く、リリエンベルク公国を囲む山脈まで続く深い森の入り口にその砦はある。ローゼンガルテン王国軍の訓練地に設けられたその砦は、実際には訓練に参加する騎士や兵士の宿泊場所として使われていて、実戦を想定したものではないのだが、それでも周りを囲む壁は外敵を防ぐには十分な高さを持っており、それなりの強度だ。その砦に今、四百人ほどの人々が籠もって戦う準備をしている。訓練ではない。実戦だ。

「敵の数はおよそ二千。正規軍ではありません。周辺の貴族家軍だと思われます」

 砦を攻めようとしているのはローゼンガルテン王国中央部に領地を持つ貴族家の軍。中央には領地を持つ貴族家は中小貴族ばかりであるので、二千も数がいるとすればいくつかの貴族家の連合軍だ。

「二千……こちらの五倍か……」

 ワルター元ローゼンガルテン王国騎士団副団長の報告を聞いたカロリーネ王女の顔が歪む。

「五倍といっても敵は寄せ集めの貴族家軍。恐れる必要はありません」

 貴族家軍は領内の治安が主な仕事。敵は盗賊団や少数の魔物の群れがほとんどで、正規軍に比べれば練度、経験共にかなり劣る。もちろん全ての貴族家軍がそうというわけではなく、公国軍のように厳しく鍛えられている軍もあるが、他国との国境から遠く、治安も良い中央貴族家にはそういった軍は少ない。

「……味方だって指揮官以外は寄せ集め。それ以前に兵士でもない」

 砦にいる味方はラヴェンデル公国の領境近くにある街や村から集まってきた人たち。徴兵経験がある人はいるだろうが、集団での訓練などろくに行っていない。

「そうですが……戦いの時は迫っております」

 ワルターも圧倒的に不利な状況であることは理解している。ただ戦いを前にして悲観的な言葉を避けていただけだ。

「戦いを避けるという選択肢もある」

「逃げる、ということですか?」

「逃げるのではない。逃がすのだ」

「それは……」

 言葉の違いはカロリーネ王女自身には逃げる気がないことを示している。それを知ったワルターの表情が曇る。

「ここに集った人々は王国の今を憂い、自らの行動でそれを変えようという高い志を持った人々だ。そんな彼等をこのような場所で失うわけにはいかないと妾は思う」

「では王女殿下も、ここは一旦お引きになって、再起を図られてはいかがですか?」

 カロリーネ王女はこの集団の長、総指揮官だ。総指揮官を討たれては戦いは負け。そんな事態は避けなければならないとワルターは思う。

「妾が共に逃げれば、敵も追いかけてくる」

「しかし、王女殿下に万一があっては……王女殿下さえ無事でいてくだされば再起は可能なのです」

「それが誤りなのだ。集団をまとめる人物は必要だ。だがそれが妾である必要はない。生まれや身分ではなく、その能力で選ばれるべきなのだ」

「それは……」

 身分制度を否定するもの。身分制度の頂点にいる王家の人間であるカロリーネ王女がそれを否定することにワルターは戸惑いを覚えている。

「良いか。優先すべきは集まった民の命。彼等の志を何も為すことのないままに、この世から消してはならない。妾は彼等にその場を与えてやれなかった。妾ではないのだ」

「……も、申し訳ございません」

 場を与えてあげられなかったのはカロリーネ王女の責任ではない。なんの計画もないままに、人集めを行ってしまった自分たちの責任。そうワルターは考えた。自分たちのせいでカロリーネ王女は捕らえられる、それどころか命を失うかもしれないと。

「何を謝っておるのだ? 謝られる覚えは妾にはない。時間がない。人々を逃がす準備を急げ」

「……はっ」

 

◆◆◆

 砦の見張り台に立つカロリーネ王女とワルター。砦にこもっていた民を後方の森に逃がして、残ったのは二人と数人の騎士のみとなっている。
 人々の砦からの撤退は大きな混乱もなく進んだ。誰もが砦に籠もって戦っても勝てないのは分かっている。この場は引いて、新たに立ち上がる場所を探すという説明に不満を申し立てる人はいなかった。
 カロリーネ王女が砦に残ることを知っていれば違ったかもしれない。だが、それを人々が聞かされることはなかったのだ。

「……戦うわけではない。残るのは妾だけで良い」

 敵が近づいてくる様子を眺めながら、カロリーネ王女はワルターにこう告げた。捕らわれの身になるにしろ、この場で殺されるにしろ。犠牲は自分一人で良いと思っての言葉だ。

「王女殿下を一人置いて逃げたとなれば、誰も我々のことを信用しなくなるでしょう。この先の為に必要な犠牲です」

 カロリーネ王女の言葉に対してワルターは用意していた残る理由を返した。実際に王女を見捨てた騎士など騎士として認められない。その言葉に従う人などいないはずだ。

「そうか……妾はどうするべきだとお主は思う?」

「どうすべきとは、どのようなことでしょうか?」

「生きて虜囚の辱めを受けるか、名誉を守って死ぬかだ」

 カロリーネ王女の言葉は自身の死を望んでいることを示している。彼女が生かされるとすれば、それは政略結婚の道具として。キルシュバオム公爵家の誰かと結婚させられ、公爵家が玉座を我が物とするのを助ける為だ。それをカロリーネ王女は分かっている。そうなった場合、兄であり、王位継承権上位のアルベルト王子が殺されてしまうだろうことも。

「……最後の最後まで諦めないことが肝要かと思います」

 ワルターもそれは分かっている。アルベルト王子の臣下でもある彼には、こういう言い方しか出来なかった。

「なるほど……今でなくてもか……」

 死ぬ機会はこの先にもあるはず。カロリーネ王女も死にたいわけではない。兄を助ける為にはそうするしかないと考えているだけだ。

「来ました」

 ゆっくりと近づいていた貴族家軍がその足を速めている。砦からの反撃の気配、どころか人影もほとんどないことを確認して一気に攻勢に出ようと判断したのだ。

「飛竜まで投入したのか……貴族家軍だけではないようだな」

 貴族家軍の後方の空に飛んでいる飛竜の群れがカロリーネ王女の視界に入った。飛竜を保有している貴族家はある。だが公爵家のような大貴族であれば話は別だが、中央の小貴族家では緊急連絡用に一頭いるかいないか。複数の貴族家の連合軍とはいえ、今見えるほどの数を集められるとは思えない。

「……あれだけの数をこの砦の攻めに」

 ワルターの顔が少し青ざめている。飛竜を投入してくるほどローゼンガルテン王国軍が本気なのであれば、カロリーネ王女の身柄を確保するだけで終わるとは思えない。砦から逃げた人々も無事ではいられないと考えたのだ。

「……ん?」

「どうされました?」

「…………んん?」

「王女殿下?」

 何やらおかしな反応を見せているカロリーネ王女。何が起きたのか戸惑うワルターだが、それは貴族家軍の頭上を飛んで、急速に近づいてきた飛竜が教えてくれた。

「王女殿下!!」

 飛竜に乗る騎士が大声でカロリーネ王女を呼ぶ。

「……ジーク? 本当にジークか!?」

 見覚えのある騎士の姿。その声を聞いて、自分の考えは間違いではなかったことをカロリーネ王女は知った。
 飛竜はカロリーネ王女たちがいる見張り台を飛び越えて、砦の中に降りていく。それを追い、見張り台を降りるカロリーネ王女。

「…………」

 飛竜から降りた騎士は間違いなくジグルスだった。

「えっと……すみません。ちょっと遅すぎました?」

 無言で自分を見つめるカロリーネ王女に気まずそうな表情で問いかけるジグルス。

「……遅い」

「あっ、やっぱり」

「遅い! 遅い! 遅い! ジーク! 妾はずっとお主を待っていたのだぞ!」

 大声で文句を言いながらジグルスの胸に飛び込んでいくカロリーネ王女。それに驚いたジグルスだが、自分の胸に顔を埋めているカロリーネ王女が泣いているのに気が付いて、戸惑いながらもゆっくりと彼女の頭に手を乗せてなで始めた。

「……生きていたのなら、どうしてもっと早く会いに来てくれなかったのだ?」

「えっと……こちらも忙しくて。それに、今の俺の立場はちょっと微妙でして……王女殿下に関わって良いのかとの悩みも……」

「お主の立場がどのようなものであろうと、妾とお主は友達だ。違うのか?」

 カロリーネ王女が考えているのはせいぜい、リリエンベルク公国はローゼンガルテン王国を見限って独立を考えている程度のもの。今のジグルスの立場はそんなものではない。人族が長きに渡り敵対してきた魔族さえ統べる王なのだ。

「……いえ、違いません。王女殿下は俺の大切な友達です」

 だが真実を知ったとしても、カロリーネ王女はやはり友達だと言ってくれるのではないか。リーゼロッテや仲間たちがそうであったように。そんな風にジグルスは思えるようになっている。

「……本当に生きていたのだな」

 追いついてきたワルターが、抱き合っている二人の様子に驚きながらも声を掛けてきた。彼はカロリーネ王女の手前、ジグルスが生きていることを信じている振りをしていたが、本音ではとっくに死んでいると考えていたのだ。

「なんとか」

「分かっていると思うが、ここは今攻められている」

 いつまでも再会を喜んでいる場合ではない。ワルターとしては次の行動をどうするか決めてもらわなければならないのだ。

「はい、知っています。でも、敵はもうここを攻めるどころではなくなっているはずです。それほど強い軍ではないようですので」

「……軍勢を連れてきていたのか?」

 ジグルスの言葉は貴族家軍との戦闘が行われていることを示している。それも勝利という形で。

「はい。軍は手前で降りて、後方から敵を攻めています。安全が確認出来たら……ああ、もう来ましたね」

 空を指差すジグルス。その指の先には、大きな箱を吊した飛竜がいる。兵員や物資輸送用の飛竜だ。

「……あれは?」

 だがワルターはそんなものは知らない。運んでいる大きな箱がエルフ族の魔道により軽量化を施したものであることも。

「あれに乗って安全な場所まで移動してもらいます。砦から逃げた人々も運んだほうが良いですよね?」

「あれに乗って?」

「大丈夫です。我々も乗ってきたのですから。それも初めてではありません。もう数え切れないほど使っていますので、よほどのことがなければ事故は起きません」

「そうか……」

 カロリーネ王女たちが籠もっていた砦に攻め寄せていた貴族家軍は、ジグルスが連れてきた軍勢によって全滅させられた。カロリーネ王女とリリエンベルク公国、とは分からなくても飛竜を大量保有する何らかの勢力との間に繋がりがあるとローゼンガルテン王国に知られるのを遅らせる為に、ジグルスは殲滅を選んだのだ。
 結果、ジグルスの思惑通りにローゼンガルテン王国、キルシュバオム公爵家の勢力はカロリーネ王女を完全に見失うことになった。

 

◆◆◆

 ゾンネンブルーメ公国領境に構築されていた魔王軍の防衛線を突破したブルーメンリッターは、陽動の為に散っていた部隊も集結させて侵攻を開始。ゾンネンブルーメ公国西部の街アーベントゾンネに辿り着いた。ローゼンガルテン王国中央への侵攻を防ぐ最後の砦としての役割、ではなくローゼンガルテン王国併合前に逆に中央側からの侵攻を防ぐための役割を持っていたその街は、それなりの防御力を備えている。万一、ゾンネンブルーメ公国が反旗を翻した場合を想定して、あくまでも「それなり」の防御力であったはずなのだが。

「……いつの間にこんなものを?」

 街道が伸びる先にあるアーベントゾンネの入り口のかなり手前から掘られている深い壕。その縦横斜めに伸びる壕に囲まれた場所には、頂上部を石壁に囲まれた小高い丘がいくつも出来上がっている。
 それを見て、呆然とした表情でエカードは呟きを漏らした。

「最近だろうね。それとまだ構築中でもあるようだ」

 エカードの呟きに答えたのはレオポルド。彼が指差す先。街の入り口近くでは、確かにまだ工事が行われている様子が見て取れる。
 魔人にしては小さな体。ゴブリンたちが働いているのだが、エカードたちからは遠すぎてそこまでは分かっていない。

「……どのようなものだと思う?」

 壕も丘も味方の進軍を阻むもの。それは分かるが、それだけのものであるとは思えない。

「石壁、板もあるのかな? とにかく囲まれている場所には敵がいると考えるのが普通だね?」

 壕の間にいくつもある石壁もしくは板で囲われている小山。わざわざ壁を作るからにはその中には何かある。敵兵が潜んでいるとレオポルドは考えた。

「バラバラに戦っている部隊があると思えば、こんな周到な戦い方をする部隊もある。魔族の軍は良く分からないな」

 そうなる理由をエカードはすでに知っている。部隊単位だけではなく、軍全体として統一された意思で動いていない。指揮官次第であり、この戦場の指揮官は周到な戦い方を行う指揮官だということだ。

「どうする? あえてここは目の前の敵を避けるという選択肢もあると思うよ?」

 容易には落ちそうもない、落とせたとしても多くの犠牲を覚悟しなければならなそうな拠点だ、戦いを避けるという選択もレオポルドは考えた。

「……それは無理だろう。この地は中央につながる要所。放置したままでは補給線の確保ができなくなる」

 少し考えてエカードはレオポルドの提案を否定した。
 この場所はローゼンガルテン王国中央とゾンネンブルーメ公国を繋ぐ要所だ。戦いを避けるには大きく迂回する必要があり、仮にそれを行っても後方からの補給が難しくなる。なんとしても確保しなければならない拠点なのだ。

「ゾンネンブルーメ公爵家から文句が来るだろうね?」

 レオポルドもそれは分かっている。そうでありながら戦いを避ける案を口にしたのはゾンネンブルーメ公爵家を気にしてのこと。ゾンネンブルーメ公国軍は孤立している。援軍の到来を切望しているはずなのだ。

「……ここを塞がれていては文句も届かない」

「そうだね……塞がれる前になんとか出来なかったのかな?」

 それが出来ない理由。すでにゾンネンブルーメ公国軍が崩壊している可能性も二人は考えているが、それを口にするのは控えている。政治的な理由だ。ローゼンガルテン王国、実質キルシュバウム公爵家はリリエンベルク公国に続いて、ゾンネンブルーメ公国も見捨てた。ここでの会話が万一漏れて、こんな噂が流れては困るからだ。

「ゾンネンブルーメ公国への愚痴を言っていても何も解決しない。攻略法を考えなくては」

「考えると言ってもね……情報がなさ過ぎる。まずは敵の守りがどのようなものか探るところから始めないと」

 ただ闇雲に攻めかかれば酷い目に遭うことは分かりきっている。まずは、結局はある程度の犠牲は覚悟しなければならないが、敵の出方を探る戦いを仕掛けることになる。

「……そういえばタバートの軍は? ここを塞がれる前に奥に攻め込んだのか?」

「まさか……いや、敵に誘い込まれた可能性はあるね」

 そんな軽率な真似は行わないと考えたレオポルドだったが、敵はあえてタバートの軍を通過させてから街を封鎖した可能性もあると気がついた。そうであってもやはりタバートは軽率だと思うが。

「まずいな……」

 ラヴェンデル公国軍を心配しての言葉だが、それだけではない。領境の敵防錆線突破に大いに活躍したラヴェンデル公国軍の力を、厳しさが予想されるこの地での戦いでも役立てたかった。こんな思いも含まれている。

「いない軍について考えても意味はない。ここは急がば回れだね。増援が来るまでは慎重に戦って、敵の戦力を探ることに徹しよう。弱点を見つけたら、増援の力も借りて一気に攻略。ここで無理は出来ないよ」

「……そうだな」

 ラヴェンデル公国軍やゾンネンブルーメ公爵家のことを思うと完全には納得できるわけではないが、それでもエカードは同意の言葉を口にした。エカードたちはまだゾンネンブルーメ公国領に入ったばかり。ゾンネンブルーメ公国領奪回までにはまだまだ戦いは続くはず。無理は出来ないというレオポルドの意見は間違ってはいない。
 彼らはまだ気がついていない。アーベントゾンネの城のてっぺんに翻る旗、百合が描かれた敵の軍旗に。同じく百合が描かれたリリエンベルク公国の旗とは明らかに異なるその軍旗に気がついていなかった。