月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #114 信じられる人

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 健太郎をなんとしても中央に戻す。そのために動き出したランカスター侯爵家の最初の一手はレスリーを健太郎のもとに送り込むというものだった。状況把握と健太郎の説得、それがレスリーの役割だ。事態を解決する為の使者という名目でゼクソン王国にも正式に通告し、レスリーは問題なくゼクソン王国にとって反乱勢力となる貴族家の領地に辿り着いた。
 だがそこでレスリーを迎えたのは、反乱勢力の中心人物の一人であるゴールディング伯爵と勇者軍の大隊長クラスのみ。肝心の健太郎の姿はそこにはなかった。

「……行方を知らないとはどういうことですか?」

 健太郎の行方を尋ねたレスリーにゴールディング伯爵は知らないと答えた。それはレスリーには予想外のことだ。

「どういうことも何もない。知らないから知らないと答えただけだ」

 レスリーの問いに対して、ゴールディング伯爵の答えは素っ気ないものだ。この態度もまたレスリーの想定外。

「どういうことなのですか?」

 ゴールディング伯爵を相手にしていては情報が得られないと考えたレスリーは問いを勇者軍の大隊長たちに向けた。

「大将軍はアシュラム王国の王都に向かいました」

「それは一人で?」

「いえ、兵士を連れてなのですが……」

 大隊長は最後まで説明をしようとはしなかった。何かあったのは間違いない。それも勇者軍にとって不都合なことが。

「我が領内の兵士まで連れて行ったくせに、ろくに戦うこともなく逃げ帰ってきたのだ」

 大隊長に代わってゴールディング伯爵が苦々しい表情で説明をしてきた。ゴールディング伯爵が好意的とはほど遠い態度を見せる理由のひとつがこのことなのだとレスリーには分かった。

「王都に向かった後に何があったのですか?」

「物資が絶えて行軍もままならなくなりました」

「……物資が絶えて? 用意してあったものはどうしたのですか?」

 軍事物資に関してはアシュラム王国との戦いにあたって充分に用意してあったことをレスリーは知っている。

「それはここに来る以前に盗賊に奪われました」

「はっ?」

 正規軍が盗賊に物資を奪われる。そんなことはあって良いことではない。大隊長の話を聞いてレスリーは呆れてしまった。

「行軍を急いだせいで輸送部隊は置き去りになり、そこを襲われたのです」

「そうだとしても、輸送部隊も軍であることに変わりはないでしょう?」

 ただ物資を運ぶだけでなく、それを守るのも輸送部隊の役目。盗賊程度に後れを取るなどレスリーには信じられない。

「ただの盗賊とは思えません。きっとアシュラム……いえ、ゼクソンが絡んでいるのです」

「……証拠はあるのですか?」

 責任逃れの為のデタラメの可能性もある。レスリーはゼクソンの仕業だという証拠を求めた。

「物資がないのはこの場所も同じ。ゼクソンは我らを兵糧攻めにするつもりだ」

「ここも?」

 レスリーは視線をゴールディング伯爵に向ける。この場所のことは領主であるゴールディング伯爵のほうが詳しいと考えてのことだ。

「物流が完全に遮断されている。そんな状況であるのに貴国の勇者は領内の物資を持ち出していってしまった」

 ゴールディング伯爵はかなり恨みがあるようで、また健太郎がしでかしたことを持ち出してきた。

「……物流が遮断。それはどうして?」

 健太郎の話については流して、レスリーは物流が止まっている理由を尋ねた。

「どうして? 我らは反ゼクソン王国を掲げている。そんな勢力に対してどうしてゼクソン王国が物資を回すのだ?」

「いや、それは分かりますが、どうやって……いや、そうか……」

 敵地に自勢力の拠点があるといえば聞こえはいいが、要は周囲を敵に囲まれているということだ。当初の計画ではウェヌス王国と繋がっているはずの補給線が、国境の砦をゼクソン王国に押さえられたことで遮断されているのだ。

「色々なことが聞いていた話と違う。これから先、我らはどうなるのだ?」

「それは……」

 ゴールディング伯爵の問いにレスリーは答えられない。聞いていたことと違うのはレスリーも同じ。ゼクソン王国は完全に反抗勢力を抑え込んでいる。兄であるランカスター宰相はゼクソン王国にまんまと騙されていたのだとレスリーは分かった。

「勘違いしないでもらいたいのだが、我らは決して母国を裏切っているつもりはない。アシュラム王国の将来を考えたとき、貴国と行動を共にしたほうが良いと考えたからこのような行動を起こしたのだ」

 これはゴールディング伯爵の本音だ。もちろん自分の保身、利権も考えてのことではあるが、母国の為にという思いも確かにある。それの奥底には本人も気が付いていない売国奴と呼ばれたくない為の言い訳という真の本音が隠れているとしても。

「……ちなみにヘロン将軍は?」

 反乱勢力をまとめたのは、実際は銀鷹傭兵団の一員であるヘロン将軍。反乱勢力の中で不満が渦巻いている状況だと分かってレスリーはヘロン将軍の動向が気になった。

「……戦争が起きてそうそうにヘロン将軍は討たれたと聞いている」

「そうですか」

 予想通り、ヘロン将軍は排除されている。当然率いていた軍も解散か、別の軍に吸収されているはずだ。反抗勢力はゴールディング伯爵ら貴族の領地軍三千、そして。

「勇者軍で無事に戻ってきたのはどれくらいですか?」

「…………」

 レスリーの問いに大隊長の誰一人として答えようとしなかった。

「まさか……いないのですか?」

「三千ほどは逃げ戻ってきている。残りはこちらに向かっている途中か、当てもなく、さまよっているのか」

「……それはゼクソンと戦って」

「いや。初めに言ったはずだ。戦いになる前に食べるものがなくなって戻ってきたのだ」

「ケンは? 勇者はどうなったのですか!?」

 その状況で何故、健太郎がこの場にいないのか、レスリーには理由が分からない。敗戦ではなく物資が尽きて戻ってきただけであれば、健太郎も一緒であるはずだ。

「それもさっき、その男が答えた通りだ。勇者は王都に向かった。だが、その男が話さなかった情報がある」

「それは何ですか?」

「物資もなく、それ以前に勝てる見込みのない戦いに向かうのが嫌で部下たちは皆、勇者を置き去りにして逃げ出してきたのだ。勇者は一人か、せいぜい数人で王都に向かったのではないか?」

「そんな馬鹿な……」

 総大将を置き去りにして逃亡。そんなことが軍組織で許されるはずがない。その許されない行為を目の前にいる大隊長たちは行っている。

「ゆ、勇者は駄目です! あんな男に任せていたら何もかもがメチャクチャになってしまう!」

「そうだ! 何が勇者だ! あいつが来てからろくなことがない!」

「勇者どころか疫病神だな!」

 次々と健太郎への批判を口にする部下たち。自分たちの行為を正当化しようと必死だ。だが口で何を言っても彼らの行為が正当化されるはずがない。

「……私に何を言っても無駄だよ。君たちの行動の是非を判断するのは父上だからね」

「レスリー様! 何とかランカスター侯にお口添えを!」

「お願いします! 仕方がなかったのです! ああしないと我々は生きて国に帰れなかった!」

「うるさい! 黙れ!」

「「「…………」」」

 健太郎に友情を感じたことなどない。だが、そうでなくても彼らの愚かさが、醜さがレスリーは我慢ならなかった。そんな無能で私欲ばかりの彼らを利用して、健太郎を操っていたのが実家であるランカスター侯爵家であったとしても。

「どうやら貴国の負けのようだな?」

 レスリーと勇者軍の指揮官たちのやりとりを見ていたゴールディング伯爵が口を開いた。内心でこのような者たちに頼った自分の愚かさを後悔しながら。

「……アシュラムでは、です」

 ランカスター侯爵家の野望はまだ諦めるような段階ではない。だがアシュラム王国における謀略が失敗に終わったことはレスリーも認めざるを得ない。

「我らはそのアシュラムで生まれ育ったのだ。それとも何か? 貴国は我らが生きる場所を用意してくれるのか?」

「……私にはそれは約束出来ません。父上に諮ってみましょう」

「その結果次第で我らは去就を決めさせてもらう。それで良いな?」

「仕方ありませんね」

 アシュラム王国領内に手に入れた領地。こんなところに移ってきては自分も健太郎の二の舞になることがレスリーには分かっている。これはグレンの仕掛けた罠なのだ。レスリーは何としてもこの地を放棄する方向に話を進めなければならないと思った。

「さて、そうであるなら急いで自国に戻ってくれ。この者たちも連れてな。我が領内には役立たずを養う余裕などないのだ」

「……ええ、分かりました」

 結果を待ってなどと言っていたが、ゴールディング伯爵はすぐにゼクソン王国との交渉を進めるつもりなのだ。それを行う為にはウェヌス王国の軍勢に領内にいられては困る。
 それはレスリーも望むところだ。手に入る領地がなくなれば自分がこの地に来ることはなくなるのだから。
 レスリーは次の日には勇者軍とともにウェヌス王国に向かった。長く留まって何事かに巻き込まれるのを恐れてのことだ。これもまた総大将である健太郎を見捨てる行為だと思いもしないで。

 

◆◆◆

 健太郎はアシュラム王国の都メイプルに向かっている。付き従う者は誰もいない。
 王都への行軍を開始して一週間後。野営地で一晩を過ごした健太郎が目覚めた時には、天幕を残して、ほとんどの兵士が逃げ出していた。兵士だけではない。勇者親衛隊時代からの付き合いである指揮官も誰もいなかった。
 その事実を知って野営地で呆然と立ち尽くしていた健太郎。その間に強引に連れてきたゴールディング伯爵家軍などの貴族軍もまた野営地を去って自領に戻っていく。ウェヌス王国軍が逃げ出した以上は、彼らに戦う理由などないのだ。
 そのような事態に陥った健太郎が選んだのは、自分も引き上げることではなく、そのままメイプルに向かうこと。軍勢を失った健太郎に戦う術などない。そうであるのにメイプルに向かおうというのは、逃げ出した騎士や兵士たちと会いたくなかったからだ。
 自分を見捨てた人たちを恨んではいる。だが、それと同時に見捨てられた自分が惨めだった。逃げた彼らとどんな顔をして会えばいいのか健太郎は分からない。怒りをぶつけて、また逃げ出されることになったら。こんな臆病な思いまで湧いてきてしまう。
 結局、健太郎は自分に自信がないのだ。自信がないから虚飾で誤魔化そうとしてきた。その虚飾が剥がれた今、自分を見捨てた人たちに会いたくはなかった。再度彼らに見捨てられるようなことになれば、勇者の地位もそのまま失ってしまうように思えてしまうからだ。
 健太郎がメイプルを目指すのは戦う為ではなく逃げる為。だが、その逃避行もまた健太郎には厳しいものだった。日が経つにつれて残っていた人たちも減っていく。それはそうだろう。メイプルに行くことに何の意味もない。わざわざ捕らえられに行くだけ。殺される可能性だってある。そもそも無事にたどり着けるかさえ怪しい状況だ。
 最後の夜。侍女も含めた十数人がまとまって逃げ出したところで健太郎は一人きりになった。いずれそうなるだろうとは健太郎も覚悟はしていた。だが頭の中で覚悟することと現実では当然、現実のほうが厳しかった。逃げていった部下たちに残っていた物資を根こそぎ持って行かれてしまったのだ。

「……腹減ったな」

 こんな呟きを漏らしても、腹がふくれるはずはない。

「あ、あの……食べ物を持っていない? 持っていたら――」

 まれに出会う人に食料と水を恵んでもらおうと話しかけても、相手は慌てた様子で逃げ出すだけ。軍人姿の健太郎、それも自国の軍人とは異なる装いの健太郎に情けをかけようという人は、そうそう出会えるものではない。

「食い物が欲しいのか? 恵んでやっても良いが、タダではな」

 それでもようやく食料を与える意思を持った人と出会えたのだが。

「……金は持っていなくて」

 健太郎は相手が求める対価を持っていなかった。

「そうか……じゃあ、その鎧で良い」

「えっ? ああ、でもこの鎧は……」

 大陸一の職人が作った鎧。超高級品といえる鎧だ。食料と引き替えにするのは惜しい。

「じゃあ良い。別にどうしても欲しいわけじゃないからな」

「いや、これは凄く良い物で……あっ、そうだ。これをどこかで売れないかな? 売ればかなりの金額になるはずだ」

「その鎧が?」

 男には、ただの悪趣味な鎧にしか思えない。健太郎の言葉を疑っている。

「そう。なんたって大陸一と言われる職人が作った物だからね」

「ふうん……まあ、実際に売ってみれば分かるか」

 自分には鎧の目利きなど出来ない。本当に高価かどうかは、それが出来る商人に任せるしかないと男は考えた。

「そうだよ。どこに行けば売れるかな?」

「この先に街がある。ただそれほど大きな街じゃないからな」

「売れない?」

「本当に驚くほど、高価な物ならな。でもまあ、まずはそこに行くしかない。駄目と言われたら、また考えれば良いだろ?」

「そうだね。そうしよう」

 ということで、近くの街に向かった健太郎。商家のあるような、それなりの規模の街に立ち寄ることは危険、という考えは頭から綺麗さっぱり消えている。
 とにかく食事、それを買う為の金を手に入れることで一杯一杯なのだ。

 

◆◆◆

 健太郎が男と向かった街は、半日もかからずに辿り着ける場所にあった。街道から少し離れた場所にあるその街は、それほど大きな街ではない。
 向かった商家も、男が懸念していた通り、雑貨屋といった程度の店だ。

「……鎧なんて持ち込まれても困るのですが」

 目の前に並べられた鎧を見る店主の顔は迷惑そうだ。

「これ凄く高価な鎧なんだ。売れば一生遊んで暮らせる」

「そうだとしても、誰が買ってくれるのですか?」

「えっ? だから、貴方が」

 鎧の価値が高いことが問題なのだ。それが健太郎には分かっていない。

「私は商人。買ってくれる客がいるから仕入れるのです。一生遊んで暮らせるだけの高価な鎧を買える客なんて、どこにいるのでしょう?」

「……貴族とかは?」

 確かに庶民には無理。それが分かった健太郎は、売り先として貴族をあげたのだが。

「貴族様と取引出来る様な店じゃありません。それに貴族様だって買わないでしょう」

「どうして?」

「このような鎧を身につけてたら、狙ってくれって言っているようなものです」

 健太郎の鎧は遠くから見ても、すぐにそれだと分かるような派手な鎧だ。腕に自信があるのであれば、それでも良いかもしれない。だがお金持ちである上に、さらに剣の腕に自信がある貴族なんて条件が足されては、売り先を見つけるのはまず不可能となる。

「……装飾品としては? 立派な鎧を部屋に飾るとか良くある」

 実際に良くあるかは実は知らない。元の世界で得たイメージだ。それを安易に口にしたのが健太郎の失敗。

「……貴方は……もしかして、この国の騎士ではないのですか?」

「えっ?」

「飾り物として高価な鎧を置いておくなんて、この国はそんなに豊かな国でしょうか?」

 ウェヌス王国ではそういう貴族もいるかもしれない。だが、アシュラム王国はウェヌス王国のような豊かな国ではない。
 
「……極一部の人だよ」

「そのような極一部の人は、この辺りにはいません。鎧の買い取りは出来ません。お引き取り下さい」

 商人の男は、はっきりと拒絶した。健太郎が気を使わなければならない相手ではないと、気が付いたのだ。
 この街で鎧を売るのは不可能。がっくりと肩を落として、健太郎は店を出ることになった。

「……そう落ち込むな。最初から分かっていたことだ」

 そんな健太郎に同行してきた男が慰めの言葉をかける。

「……これ本当に良い鎧なんだ。それなのに」

「分かってる。きっと、もっと大きな街に行けば、売れるさ」

「それはどこにあるのかな?」

「数日はかかる。今日は休んで、明日早く出発するしかないな」

「そうか……」

 金が手に入るとしても何日も先のこと。男の慰めにも健太郎の心が浮かび上がることはなかった。

「分かった。今日の宿代は俺が立て替えてやる」

「えっ!?」

「その代わり、鎧が売れたら倍にして返してもらうからな」

「ああ、もちろん! 倍どころか十倍にして返すよ」

 ようやく男の言葉で沈んでいた気持ちが浮き上がった。久しぶりにベッドで寝られる。食事も得られるかもしれない。鎧が売れれば、数日分の宿泊代と食費など余裕で返せる。それこそ何十倍にしても。
 男から受けたこの恩は十分に返せるはずだ。そう思った健太郎、だったが。

「……えっ?」

 宿屋の受付の前で、健太郎は自分の耳を疑うことになる。

「ですから、その人なら裏口から出て行きました」

 部屋が空いているか聞いてくると言って、先に建物に入った男。やけに時間がかかるので様子を見に来たのだが、その男の姿は消えていた。

「どこに言ったのかな?」

「知りません」

「……僕の荷物は?」

「荷物?」

「彼に運んでもらっていた荷物」

「知りません」

「……裏口ってどこ!?」

「あ、あちらです」

 さすがに健太郎も気が付いた。宿の従業員が指差す方向に向かって、全力で駆け出す。
 といっても本来の勢いにはほど遠い。まともに走れるような体調ではないのだ。それでも裏口の前まで走れたのは、さすがというべきかもしれない。褒められても何も残らないが。

「そ、そんな……」

 裏口から外に出てみても、人影は見えない。追いかける体力もない。健太郎にはその場にへたり込むことしか出来なかった。

「……役所に届け出てみますか?」

 事情を理解した従業員が、話しかけてきた。

「役所?」

「盗難ですよね?」

「はい。役所で探して貰えるのですか?」

 この世界では警察機能は役所が持っているのだと、健太郎は知った、つもりになった。

「いえ、それは……」

「えっ? 違うの?」

「万が一、見つかった時には自分の物だと主張出来ます」

「……万が一」

 見つかる可能性は限りなくなし。役所に届けても探してくれるのではなく、何らかの幸運で犯人が捕まった時にだけ、役に立つのだと理解した。

「どうしますか?」

「……いえ、止めておきます。届け出ても意味がなさそうなので」

「そうですね」

 健太郎の言葉をあっさりと肯定する従業員。健太郎が、それに落ち込むことはない。これ以上、落ち込みようがないというだけでなく、そもそも届け出など出来ない。健太郎はこの国の人間ではない。敵国の人間なのだ。
 今更ながら、人の目がある街中をうろうろしていることの危険性を思い出した健太郎は、そのまま街を出ることにした。

 

◆◆◆

 ――そこから先も健太郎の苦労は続く。
 食べるものはない。金もない。いよいよ動くことが困難になってきて、とにかく腹の足しになればと考えて、野に生えている草を食べてみたが、腹を下して何日も苦しむことになった。

(……死ぬ。このままだと死んでしまう)

 生まれて初めて味わう飢えの苦しみ。この期に及んではさすがに、これも主人公が成長する為の試練、なんて愚かな考えは浮かばなかった。この世界に来て、健太郎は始めて死を実感した。

(……どうする? 嫌だ。死にたくない。こんなところで死にたくない)

 こんな状態になっても助けてくれる人などいない。他人の非情さを健太郎は知ってしまった。
 どうにもならない状況に追い込まれた健太郎が取った手段は、強盗だった――。

「死にたくなければ食べ物を渡せ!」

 たまたま前から歩いてきた男性。健太郎はその男性に剣を突きつけて食料を要求する。ヨレヨレの健太郎なのだが、相手は突きつけられた剣に怯え、素直にわずかではあるが食料と水を差し出してきた。
 健太郎は、ほんのわずかの先延ばしではあるが、生き延びることが出来たのだが。

(……僕は犯罪者だ……強盗だ。どうして……どうして、こんなことに……)

 十分とは言えないが、食欲が満たされると、冷静な考えが浮かんでくる。強盗にまで墜ちた自分が、堪らなく惨めだった。
 そんな健太郎をさらに追い込んだのは法。犯罪者である健太郎に対して当然の結果が待っていた。
 健太郎に食料を奪われた相手は泣き寝入りすることなく、近くの街に辿り着くとすぐにその事実を領主に届け出た。
 健太郎にとって不幸なことにその領主は勤勉だった。グレンという新たな統治者が生まれることを知っていて、少しでも点数稼ぎをしようという思いもあったのかもしれない。
 速やかに健太郎を捕縛する為に追っ手が掛かり、それに健太郎はあっけなく捕らえられた。男性から奪った食料を口にした程度では体力は回復しなかったのだ。
 捕らえられた健太郎は街に連れて行かれて牢屋に入れられた。そうなって初めて健太郎は自分がしでかしたことの影響に気付く。この事実がウェヌス王国に知られれば大将軍の地位も勇者としての待遇も奪われてしまうに違いない。惨めと落ち込むだけで済む話ではないのだ。
 そう思った健太郎は自分の素性を隠し続けた。食料と水を奪った程度であれば大した罪にはならないだろうという思いがあったのだ。
 健太郎は知らなかった。この世界には犯罪者を牢屋に長くとどめておくという罰などない。そんな設備などないのだ。犯罪者はその罪を金銭であがなうかそれが出来ないようであれば絞首刑か斬首刑、とにかく死刑だ。そして健太郎は金を持ち歩いていなかった。
 牢番からそれを聞かされた健太郎は牢の中で暴れ出した。そんなことをしたからといって罪が許されるはずがない。逆に食事の提供が止み、また健太郎は飢えに苦しむことになる。衰弱の中で死んでいくのかひと思いに殺されるのか。どちらにしても健太郎を待っているのは死だ。
 朦朧とする意識の中、それでも死の恐怖は健太郎の心からは消えない。どうにもならない恐怖の中で健太郎が最後の最後に頼ったのは、グレンだった。
 隠していたウェヌス王国の勇者であり大将軍だという身分を明かし、グレンへ自分の所在を伝えるように涙ながらに訴えた健太郎。初めは相手にしなかった牢番も、健太郎の懸命の訴えにより、どうやら本当に知り合いなのだと分かると、慌てて領主にそれを伝えた。
 それに対して領主はまた勤勉さをみせる。領主は急ぎの使者を送って健太郎の存在を都に伝えた。健太郎の話が事実であれば、それは手柄になる。放っておくことは出来ないだろう。
 数日後。健太郎は馬車に乗せられた。豪華なものではない。頑丈そうな鉄格子で囲まれた護送車だ。
 それでも健太郎の心の中に希望の光が見えた。グレンに会える。そうであれば自分は助かるのだと――

「……なんて思っているだろ?」

 両手両足を鎖で拘束された健太郎を前に、グレンは冷たい声を発している。

「えっ、いや……殺さないよな?」

 グレンには会えた。だが健太郎の待遇は犯罪者のままだ。両手両足を拘束されて、城内の牢に入れられ、そこから出るときも拘束は外してもらえない。

「アシュラム王国の法でもゼクソン王国の法でもお前は死罪。おそらくはウェヌス王国の法律でも同じだ。それでどうして自分が助かると思える?」

「……昔なじみの縁で」

「お前に奴隷にされた俺が、大切な妹が死ぬきっかけを作ったお前を助けると?」

「そ、それは……」

 グレンに恨まれている。健太郎もそれが分かっていないわけではない。それでもグレンに頼ろうとする健太郎は馬鹿、ではあるが、それだけではない何かを持っている。

「助けるけどな」

「本当に!?」

「別に俺が助けるわけじゃない。お前はウェヌス王国の大将軍だ。同盟国の大将軍を、問答無用で死刑に出来るわけがないだろ?」

「……そうか」

 それでも命が助かることに変わりはない。だが健太郎はなんとなく落ち込んでしまう。

「良かったな。大将軍という地位がお前を助けてくれる」

「…………」

 グレンの嫌みに健太郎は黙り込んでしまった。グレンは知っている。健太郎が味方に見捨てられたことを。仲間だと思っていた存在に裏切られたことを。それが分かった健太郎はさらに落ち込んでいる。

「マリアにも感謝しろ」

「マリアって?」

「ああ、メアリーだ」

「……メアリー様が何を?」

 メアリー王女にも酷く恨まれているはず。その彼女にどうして感謝しなければならないのか、グレンは分からない。

「お前が誰かに嵌められた可能性があると言っていた」

「……あっ、フローラの」

 フローラのお墓の前で話した内容。それをマリアはグレンに話してくれていたのだと知った。

「その名を口にするな」

「ご、ごめん」

 冷たい声音。それを聞いて、許されたわけではないと、はっきりと分かる。この場では生かしてもらえる何かが、グレンの中に生まれただけだと。

「……ウェヌス王国にはすでに使者を送ったが、それが戻るまでにはどれだけ早くても二ヶ月はかかるだろう。それまでは牢屋暮らしだ」

「嘘っ?」

「それが嫌なら大人しくしていろ。間違っても俺の邪魔をしたら、その瞬間に牢屋に戻す」

「分かった。大人しくしている」

 ずっと牢屋暮らしなど冗談ではない。健太郎は無条件で受け入れた。

「あと……この国の女性に手を出したら死刑」

「ええっ?」

「……お前、全く反省していないだろ?」

「そ、そんなことはない」

「じゃあ大人しくしていろ。言っておくが女性から誘われたなんて言い訳も通用しないからな。口説こうとしたり、触れたりした瞬間に牢屋に戻す。そのつもりでいろ」

「……分かったよ」

 渋々グレンの命令を受け入れる健太郎。本人は反省していないつもりはないのだが、女性を口説かない生活が健太郎には想像出来ないのだ。これからの二ヶ月以上をどう過ごせばいいのか。健太郎はそんなことを考えている。それを考える余裕が健太郎に生まれたということだ。