月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #113 アシュラム戦役の後で

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 エステスト城砦の一室にゼクソン王国とウェヌス王国の外交担当者が集まっていた。アシュラム王国との戦いの後処理が会談における議題だ。
 ゼクソン王国側の代表者はエルンスト伯爵。ウェヌス王国側はランカスター宰相だ。ランカスター宰相は事態が予想外の方向に進んでから王都に戻る暇もないままに、ずっと東部辺境師団の駐屯地に残って処理にあたっていたのだ。

「まずは我が国からこれまでの戦況の報告をさせていただこう」

「ええ。よろしくお願いします」

「改めて申すまでもなく、アシュラム王国との戦いは我が国の勝利で終わっております。侵攻してきたアシュラム軍を撃破したのち我が軍は二手に分かれ、一方はアシュラム領西部を制圧しながら貴国との国境にある城砦の攻略に向かいました。その結果はご存知ですな」

「ええ……」

「もう一方、これは王自らが率いた軍ですが、そちらはアシュラム王都に向かいました。途中何度か小さな戦いはあったようですが特に問題なくそれを突破し、アシュラム王都を囲みました」

「ふむ」

 こちらの情報はランカスター宰相にとって初めて聞くもの。アシュラム王国の陥落がどのように進んだのかは気になっているところだ。

「アシュラム王国側は数日の包囲にて降伏を決め、開城致しました」

「……戦わなかったのですか?」

 王都を囲まれたといってもゼクソン王国の軍勢は五千がいいところ。そんな数では簡単に攻め落とせるはずがない。ランカスター宰相にはアシュラム王国が降伏する理由が分からない。

「戦おうにも王都には、わずかな兵しかおりませんでしたからな」

「それは何故でしょう?」

「実は我が国にも分かっておりません」

「分かっていない?」

「今、確認している最中というのが正確なところですな。確証は得られておりませんが、反乱を企んでいた輩がいたのではないかとのことです。この場合の反乱はアシュラム王国内での反乱という意味ですな」

「……そうですか」

 反乱という点ではランカスター宰相には大いに心当たりがある。アシュラム王国に潜り込ませていた者には勇者軍の侵攻を支援するように伝えているはずなのだ。

「仮にそれが事実であれば、今のところは我が国にとっては運が良かったと言えるでしょう。ただ、その反乱を企んでいた輩がこれからどういう動きを見せるか。これが問題となってきますな」

「貴国に反旗を翻すようなこととなれば、事態の収束にはまだまだ時間が掛かるというわけですか?」

「はい。ただこれに関してはもう少し情報が入ってこないと何とも言えませんな」

「まあ」

 それはランカスター宰相も同じ。アシュラム王国内の情報は思うように伝わってこないのだ。

「説明を先に進めましょう。アシュラム王家の者たちについては全て捕えております」

「そうですか……それで貴国としての処置は?」

 逃げた者がいれば反乱の旗印として利用しようと考えていたのだが、それも駄目。ランカスター宰相にはこの先の方策がなかなか見つからない。

「これはまだ交渉中のものですが現国王は退位。先王も含めて大公家として領地を与える予定でおります」

「……生かすのですか?」

 ゼクソン王国の寛大過ぎる処置にランカスター宰相は驚いた。滅ぼした国の王家の者たちを生かしておくなど禍根を残すだけとしか思えないからだ。

「全土を完全に掌握しているのであれば、もっと強くも出られたのでしょうが、今は領内を落ち着かせるのが先との判断ですな」

「将来に禍根を残すことになる」

 ランカスター宰相は内心ではそれを利用する気満々なのだが口ではこう言っておく。

「そう成らない様に交渉をしているところです。王太子が成人した暁には、アシュラム国王として立てる約束をする予定でして」

「なっ!?」

「ただし、アシュラム王国は従属国との位置づけとなります。王太子を王にするとは言いましたが軍権や外交権などは与えません。少々、大きな領地を持つ貴族といったところですかな」

「甘すぎる。その様なことでは必ず混乱が起こります」

 口ではこう言っているが、ランカスター宰相は内心ではその有効さを認めている。内政は自由に出来て、他国の脅威はゼクソン王国が防いでくれる。アシュラム王国はゼクソン王国の庇護下に入ったということだ。

「先ほど申し上げた通りです。全土を掌握出来ているのであれば、このような選択は致しません」

「しかし……」

「この様な事態を招いたのは貴国だと思いますが?」

「それはどういう意味ですか?」

 ランカスター侯爵家は、このような事態になることを望んでいない。ゼクソン王国側の主張の意味が分からない。

「アシュラム領内での反ゼクソン勢力を我が国としては速やかに討ちたいのです。だが、今その勢力を貴国は庇護してしまっている。そのせいで我が国は仕方なく、アシュラム王家を厚遇して反ゼクソンの機運が高まるのを押さえつつ、逆に取り込むことを画しておるのです」

「……我が国の大将軍は何と?」

 反ゼクソン勢力に合流しているウェヌス王国の軍がいるとすれば、それは勇者軍しかいない。アシュラム王国領内に侵攻したのは勇者軍だけなのだ。

「自分が占領したのだから自分の物だと申しているようです。それだけでなく、自分を頼ってきている者を見捨てることも出来ない。だから手出しするなと。さて、ここでお聞きしたいのですが、この勇者の発言は貴国の考えと受け取ってよろしいのですかな?」

「それは……」

 ウェヌス王国の考えだと認めるわけにはいかない。それは明確な同盟条約違反だ。だが違うともいえない。いえばゼクソン王国はウェヌス王国とは無関係の軍勢として討伐に動くに違いないからだ。

「勇者の下に集まっているアシュラム貴族はかなりの数にのぼっています。その統制下にある領土はアシュラム全体の四分の一。貴国としては手放すのは惜しいでしょうな。しかし、それが貴国と我が国の間で火種となる可能性も忘れて頂きたくはない」

「……どうしろと?」

「全て我が国に引き渡して頂きたい、が本音ですが、それは無理でしょう」

「それは何とも言えませんが、仮にそうだとすれば?」

 ゼクソン王国側は健太郎の行動はウェヌス王国の意思だと決めつけている。それに曖昧に答えながらも、ランカスター宰相はゼクソン王国の要求を探ろうとしている。

「せめて我が国に剣を向けようと思う者は貴国で処断して頂きたいものです。その領地が我が国にとって友好的なものであれば、我が国としては問題視致しません。貴国との友好がより発展する場になるのであればもっと良い」

「……つまり貴国は現在、我が国の大将軍が押さえている領土は我が国の物であると認めるのですか?」

「そうせざるを得ないでしょう。貴国は我が国の要請に応じて援軍を出して下された。それに対する我が国からの御礼がその領土となります」

「それは逆にそれ以上を要求するなということですね?」

 ゼクソン王国側の譲歩の理由がランカスター宰相にも分かった。あとで下手な要求をされるよりは現状で固めてしまおうという考えだ。

「これは厳しい。これ以上お渡ししようにも我が国にはそんな余裕はありません。それに重ねて申しますが、現在の問題を作り上げたのは貴国です。勇者軍が無理やりアシュラム領内に侵攻しなければ、我が国は独力で全土を制圧出来たのですから」

「そうかもしれませんが」

 アシュラム領内に広大な自勢力を持つ。悪い条件とは思えないが、即答をする必要はない。ここは慎重に事を進めるべきだとランカスター宰相は考えている。

「この件については、こちらはこれ以上の条件は提示できません。まだ交渉が必要とのことであれば貴国からそれを全て出して頂きたい。その上でこちらは王に諮ることと致します」

 ゼクソン王国側も結論を急ぐことをしなかった。ウェヌス王国側の判断を待つという考えだ。

「……分かりました。今のお話を聞く限りはそれほど極端な条件を提示することはないと思いますが、こちらも一度持ち帰らせて頂きたい」

 ゼクソン王国側の悠長な考えに少し疑問を覚えたランカスター宰相ではあるが、時間が必要なのは自分も同じ。今回の交渉についてはこれで終わらせることに同意を示す。

「問題ありません。次回は?」

「一月後でお願い出来ますか? 次回は大将軍が押さえている地、それを明確にする必要があります。貴国が提示された条件で事が進めばそれは国境を定めるということになります。現状を確認する時間が必要です」

「そうですな。ではお互いにそれを確認して摺合せをしましょう」

「では、具体的な日程はこちらから改めてご連絡します」

「はい。それで構いません」

 今回はこれで交渉は終わり。ここで慎重に事を進めたことをランカスター宰相は後々、安堵することになる。それと共に深い後悔も。グレンの策略は息つく間もなく、次々と襲ってくる。それにこの時点でランカスター宰相は気がついていない。

 

◆◆◆

 駐屯地に戻ったランカスター宰相はすぐに打ち合わせに入った。ウェヌス王国宰相としての打ち合わせではない。ランカスター侯爵家としてのそれだ。駐屯地には当主であるランカスター侯こそいないが、ランカスター侯爵家の兄弟全員が集まっていた。

「状況はどうだったのだ?」

 問いを発したのは次男のロイド。彼がこの場にいるのは打ち合わせだけでなく、アシュラム王国内の銀鷹傭兵団と連絡をつける為だ。

「王家を生かすそうだ」

「……そう来たか」

「悪い策ではない。今、アシュラム王家を滅ぼすような真似をすれば、アシュラム国内のゼクソンへの反感は強まるからな」

「それを期待していたのだが、さすがにそう甘くはないか」

 アシュラム王国内で反乱を引き起こすのがロイドの役目。期待した方向に進まないと知って、がっかりした様子を見せている。

「王太子を成人後に王にするとのことだが、アシュラム王国はゼクソン王国の属国となる。属国扱いに反感を覚える者は多いだろう。付け入る隙はなくはない」

「なんとか失態を取り返す余地はあるな」

「それはこれからの流れを見て考えるとして、勇者の問題をどうするかだ」

「問題? 今回については勇者の暴走はこちらに都合が良かったのではないのか?」

 強引なアシュラム王国侵入。最初にロイドがそれを聞いた時には健太郎の愚かさに呆れたものだが、反乱勢力を守る壁になっていると知ってからはその暴走に感謝をしていた。

「アシュラムの領土を奪い取ったことは大きい。それに、こちらの息が掛かった者たちを生かすことも出来た。ただ、それをどう使うか」

「アシュラム領内で混乱を起こさせれば良いではないか。元からその予定だったはずだ」

「勝てるだろうか?」

「何?」

「勇者軍は五千、貴族の領地軍はせいぜい二千か三千。それで勝てるだろうか?」

 健太郎でアシュラム王国内を混乱させられるのか。ランカスター宰相はそれを疑問に思っている。

「勝てないと言うのか?」

「アシュラム軍がどれだけ損耗したか掴んでいない。もし、ゼクソンの反乱と同じようにほとんど損耗がないとすると、グレン王は二万の兵を持つことになる」

「……いや、ヘロン将軍が抱えているアシュラム軍がいる。そうはならない」

 ヘロン将軍は銀鷹傭兵団の一員だ。その将軍がグレンに付くはずがないとロイドは考えている。その通りだ。そのヘロン将軍が健在であれば。

「反乱を起こそうとしていたことは掴まれている。まだ確認中だと言っていたが、怪しいものだな。すでに拘束されている可能性もある」

「……まずい、それはまずい」

 ランカスター宰相の話を聞いたロイドの顔色が変わった。ヘロン将軍とはそれだけ重要人物なのだ。

「どこまで知っている?」

「かなりのことを。一番の問題は銀鷹の背後に我が家がいると知っていることだな」

「……どうして、その様な者を表に置いた?」

 ヘロン将軍はランカスター侯爵家が謀叛を起こそうとしていることの証人になり得る。もちろん、それを認めるつもりはないが、多くの機密情報が漏れるのは問題だ。

「アシュラム王国の将軍にまでしようとしたのだ。それなりの者でなければ任せられん。それにゼクソンとアシュラム。この二国は策略の中核だ。確実に押さえる為には」

「そして両方で失敗したと」

「……俺だけの責任ではない」

「全ての責任を押しつけるつもりはない。だがな、今回もグレン王の力が増す結果になった。いつまでも放置しておけない」

 結局はグレンを生かしていることが問題なのだとランカスター宰相は考えている。そして、それはグレンの暗殺をいつまで経っても実行出来ない銀鷹傭兵団、それを管理しているロイドの責任だと。

「分かっている」

「どこまで準備は進んでいる?」

「グレンがルート王国に戻った時点で事を起こす」

「確実に殺せるのか?」

 試みるだけでは意味がない。失敗はさらなる傷を銀鷹傭兵団に、そしてランカスター侯爵家に与えるだけだ。

「エイトフォリウム帝国の旧臣を集め始めた」

「……そこまで態勢が固まったというのか」

「そうかもしれないが、人材不足がどうにもならなくなったのかもしれん。いずれにしろ、こちらの手の者を潜り込ませる隙が出来た。実際にかなりの数を潜り込ませている」

「それはいいが、本当に討てるのか?」

 グレンは強い。そのグレンに鍛えられた周囲の者たちの実力もそれなりのものであることは間違いない。ルート王国に暗殺者を潜り込ませることが出来たとしても、それで確実に討てることにはならない。

「……正直言えば、隙を作る為に軍に攻めてもらいたい」

「戦いの中でか……しかし口実がない」

 戦場のどさくさで暗殺を謀る。有効な手段ではある。だが軍を動かすとなると名目が必要だ。

「何とでも。あれはもうエイトフォリウム帝国ではない。盗賊でも叛乱勢力でも、不穏な輩が居座っているとでも言えばいい」

「……確かに。しかし軍を動かすか」

「国内の叛乱勢力の討伐であれば動かせるだろ?」

「どれだけの数が必要なのだ? 千や二千では討てないはずだ」

 元銀狼兵団。そこからさらに鍛え上げられたであろうルート王国軍を相手にするのだ。勝つことは容易ではないとランカスター宰相は考えている。

「戦争で勝つ必要はない。あくまでもグレンに隙を作る為だ」

「それでも……その前に勇者の扱いを話し合おう」

「何故だ?」

「動かすとすれば勇者軍が簡単だ。だがその勇者は五千の軍を率いたままアシュラムにいる」

 軍を動かすには大将軍である健太郎の権限を利用するのが早い。健太郎をその気にさせるのは簡単だ。その気にさせたあとは面倒だが。

「引き戻せばいい」

「もう自分の領地のつもりになっているようだ」

「……呆れるな。なんとかならないのか?」

「難しい判断が必要になる。直轄地にはしたくない。王家の力を増すことになる上に下手な者が置かれてはグレン王とウェヌス王家を近づけることになる」

「そうだな」

 実際にはすでに近づいているのだが、それをランカスター侯爵家は分かっていない。これはジョシュア国王に仕える間者集団が優秀なおかげだ。

「では勇者の領地にとなると別の問題が浮上してくる」

「さすがに無理か?」

「いや。敵に囲まれた領地など望む者はいない。勇者が強く望めばそれほど反対が出ることなく結局は認められるだろう。だが勇者は大将軍だ。それが王都を遠く離れた地にいては軍の統率など出来ない」

「今も統率など出来ていない」

「それでもただ一人の大将軍だ。それが不在となれば別に大将軍を立てるという話になるだろう。そうなった時に我が家は軍への影響力を持ち続けることが出来るだろうか?」

「……無理だな。騎士団は一気に巻き返しに出るだろう」

 一人も軍籍にいないランカスター侯爵家が軍を動かせるのは健太郎がいるからだ。もともとは軍への影響力のなかったランカスター侯爵家。健太郎がいなくなれば、すぐに騎士団は軍の権力を取り戻しにかかるはずだ。

「そうなると、この先の策に大きな支障が出る」

「勇者の代わり、などいないか」

「我が家の言うことを聞く者という条件以前に大将軍にするだけの功績をあげた者がいない。そうなると実権は元帥に移る。それを取り込むことは」

「出来ないだろう。勇者を持ち上げる為に冷遇し過ぎた。相当に恨んでいるはずだ」

 もともとはランカスター侯爵家に味方していたスタンレー元帥ではあるが、何の権力も与えられなかったことで今は明確に反ランカスター侯爵派となっている。それをもう一度懐柔することは不可能だ。

「そうなると手は一つ。勇者が押さえた地を我が家の領地にすること。勇者には代わりの土地を渡して納得させる」

「だが、どうやって?」

「婚姻。元アシュラム貴族の懐柔策ということで婚姻を利用する。勇者の下にいる反ゼクソンの盟主といえるスペンサー・ゴールディング伯爵には確か娘がいる。それとレスリーの婚姻を」

「やっぱり……」

 予想通り、自分の名が出てきたところでレスリーは小さくつぶやいた。喜んでいる様子は全くない。

「ようやく結婚出来るのだ。喜べ」

「随分と予定と違います。ちなみにその娘は美人なのですか?」

 レスリーが結婚するはずだった相手は、ゼクソン王国のヴィクトリアかアシュラム王国の王女の誰か。それがアシュラム王国の一貴族家の娘ではかなり話が違う。計画ではレスリーは王になるはずだったのだ。

「美人らしいという噂だが実際に見たことはない。美醜など関係ないだろ?」

「大いにあります。美人だとすれば問題です」

「美人の方が良いではないか?」

 美醜など関係ないと言ったランカスター宰相だが、そういう本人もどちらかを選べと言われればやはり美人を選ぶ。あくまでも外見だけで判断する場合だが。

「ケンが手を付けている可能性があります」

「……それはあるか。だがそれだって気にすることではない」

「私は気にしませんけど、その状況でケンを引きはがすことが出来るでしょうか? 今回、ケンのことで分かったことがあります。あれは実はとんでもなく嫉妬深いということです。もし既にその娘とやらを気に入っていて、それで私が婚姻などとなれば、二度とケンは私を信用しないでしょう」

「そこまで?」

 健太郎の女好きはランカスター宰相もよく知っている。だがそうであるからこそ嫉妬とは無縁だと思っていた。

「カーライル伯爵家のジェラードはグレン王を褒めるような話をしてしまい、それでケンの機嫌を損ねて副官を解任されました」

「馬鹿な。自分の立場を分かっているのか」

 カーライルもまたレスリーと同じ、健太郎のお目付役だ。勇者軍においてはレスリー以上に重要な役割を担っているカーライルが、その立場を解任されたと聞いてランカスター宰相は不満そうだ。

「いや、あれで解任する方がどうかと思います。ただ、おかげでケンのグレン王への嫉妬心が想像以上のものだとは分かりました。それが収穫ですか」

「それを利用すればということか?」

「はい。ケンにルート王国を攻めさせることはそれほど難しいとは思えません。グレン王の国であり、そこで無法が行われているとデタラメを言えばそれで騙されてくれます。ケンはグレン王には悪でいて欲しいのです」

 グレンが悪でないとそれと対立する自分に正義がなくなってしまう。それは健太郎としては受け入れられない。健太郎と結衣の会話を聞いていたレスリーだからこそ生まれる考えだ。

「……なるほど。やはり勇者は中央に戻さなければならない。領地の件について、父上に相談しようと思うがどうだろう?」

「俺は賛成だ」

「私は反対出来る立場にはない」

「ではそうさせてもらう」

 

◆◆◆

 第二次アシュラム戦役の結果を受けて新たな動きを見せたのはランカスター侯爵家だけではない。
 ウェヌス王国西部に位置するエドワード大公領。東部で起きている戦乱の気配など全く感じることのないその場所ではあるが、ここ数ヶ月ほどはかつてない動きが見えるようになっている。それも注意深く監視していないと見えないような密やかな動きだ。

「……ランカスター侯爵家はグレンにまんまとやられたようだね」

「これもグレンの策略だと考えますか?」

 エドワード大公の言葉に驚きを見せているのはトルーマン。会話の内容は第二次アシュラム戦役の結果についてだ。
 この場にいるのはトルーマンだけではない。王子時代にエドワード大公の側近であった者たちも屋敷に集まっていた。

「結果だけを見れば、今回の戦役でもっとも得をしたのはグレンだ。その次はアシュラム王国かな?」

「……グレンが野心を?」

 アシュラム王国はゼクソン王国の属国となる。それをエドワード大公はグレンが利を得たと判断したが、トルーマンにはそうは思えない。グレンがアシュラム王国支配など望むとは思えないのだ。

「グレンの野心でないとすれば、アシュラム王国を救う為かな?」

「そのほうがグレンらしいですな」

「でも動機は? 彼が意味もなく人助けなんてするかな?」

「……少なくともランカスター侯爵家に一泡吹かすことは出来るのではないですかな?」

 他人に対して非情に見えるグレンではあるが、それは目的の為であり、自らそうあろうとしているからだとトルーマンは考えている。だがそれを口にすることはしなかった。そんなグレンの甘さに期待しては酷い目に合うと分かっているからだ。

「復讐か……そうだね。ただ……」

「ただ何ですかな?」

「それで傷つくのはランカスター侯爵家だけではないね」

「……そうですな」

 グレンとの戦いによってウェヌス王国は大きく国力を落とし、威信を傷つけられている。それはウェヌス王家にとっては問題だ。

「このままではウェヌス王国はランカスター侯爵家と共倒れだ。そうは思わないかい?」

「……そこまで行きますか?」

「可能性はあるよ。グレンはこれでゼクソンとアシュラムの二国を手に入れた。さらに従う国が増えれば、その力で復讐に動こうとするかもしれない」

「鎖から解き放たれてしまいましたからな」

 ウェヌス王国という枠を飛び出した時のグレンの恐ろしさをトルーマンは予見していた。まさかこんな短期間にここまでの力を手に入れるとはさすがに思ってはいなかったが。

「……ランカスター侯爵家はウェヌス王国内で何とかしないと」

「そうですな……」

 話はここで途切れることになる。二人だけでなく、この場にいる誰もこの先を口にしようとしない。何も思い浮かばないわけではない。思い浮かんでいるが、それを口に出来ないでいるのだ。沈黙が続く中、その雰囲気を破る声が部屋に響く。

「エド。お茶を入れてきたわ」

 お盆の上に茶器をのせて現れたフローラ。愛想の良い笑みを浮かべて、部屋にいる人たちにお茶を配ろうとするのだが。

「ローラ様! そのようなことは我らが致します!」

「えっ?」

 エドワード大公の側近だった騎士の一人が慌てて替わろうとしてくる。

「そうです。ローラ様が、このような真似をする必要はございません」

「い、いやだ。平気よ。いつもしていることだわ」

 エドワード大公家にいる侍女といえばフローラだけだ。今でこそかなり人が増えたが、もともとはエドワード大公とフローラ、それとわずかな使用人がいるだけの屋敷だったのだ。 

「これ以降は我らが、いえ、侍女を雇いましょう。身元のしっかりした信用のおける侍女を」

「……エド?」

 何故、急にこんなことを言われるのかフローラには分からない。フローラの仕事は侍女。新たに侍女を雇われては。自分の仕事はどうなるのかと不安になってしまう。

「ローラ。みんな君を大切に想っているのさ。少しそれに甘えてみれば良いさ」

「エド……」

 穏やかな笑みを浮かべて話してくるエドワード大公。だがその笑みはどこかフローラには不安を感じさせるものだった。