ルート王国の重臣会議。その進め方は以前とは変わっていた。グレンが全ての報告の相手をすることはなく、すぐに指示を返すこともない。重臣たちの間で議論した上で、その結果の判断を仰ぐという、どの国でも行われている進め方だ。
それが臣下を育てる意味を持っているということをグレンは理解した。実際にはそう思って、それを行っている国がどれだけあるか怪しいところだが、本来はそうであったはずだと。
その意図が分かっている会議の参加者たちも議論を活発化させるようになった。活発化はしているのだが。
「多くの兵士が基礎調練の基準をもう超えている! 次段階の基本調練にもっと時間を割きたいのだ!」
「都内の整備だって大事だ! あと少しで終わる! それを止める必要はないだろ!」
「あと少しであればそれに割く労力を減らしても良いだろ!」
「先に終わらせてから調練に専念させれば良い!」
やりあっているのはカイルとポールだ。気心が知れている分、相手への遠慮がない。
「後から合流した兵は焦っている。自分たちが置いて行かれているように感じているのだ」
「それは……でも民の中には家族となり子供が出来た人たちも多い。そういう人たちを、いつまでも兵舎のようなところに留めておくのはどうだろう? それに家を持つというのは豊かになったという実感を与える。そういうことも大切だと思う」
「そうかもしれないが」
「……じゃあ、陛下に判断を」
「そうだな」
お互いに相手の考えが全く理解出来ないわけではない。これ以上はいくら話をしても結論は出ないと考えてグレンに判断を仰ぐことにした。
二人の視線がグレンに向く。それに苦笑いを浮かべながらグレンは口を開いた。
「早い」
「はっ?」
「どちらかを選んでから聞いて来い」
「しかし……」
カイルの顔に不満の色が浮かぶ。散々議論を尽くしてもどちらかを選べないからグレンの決断を求めたつもりだったのだ。
「自分の担当を大切に考えるのは良い。だが、それに固執するな」
「固執ですか?」
「宰相としてでも国王としての視点でも良い。国全体で考えろ。それぞれの担当で利害が対立するのは当たり前だ。だが、自分の担当のところの利害だけを考えては結論が出ないだろ?」
「確かに」
「国全体として優先すべきことは何か。言ってみろ」
「国を守ることです」
「国を豊かにすることです」
これが二人の立場の違い。カイルは兵の鍛錬、ポールはルーテイジの復興担当なのだ。それぞれの立場で重視していることを口にした二人。だがこの答えは少しグレンの予想外だった。
「……そうくるとは思わなかった。大きすぎるだろ? せめて今は内を固める時でその為には、くらいは言って欲しかったな。それに国を豊かにするには侵略などを防ぐ為の力も必要だ。守る力を持つには国が豊かでなければならない。どちらがという話ではない」
「……はい」
「まあ良いか。それで話を進めよう。ポール」
「はい」
「この国は豊かか?」
「まだまだです。もっと頑張らなければいけません」
ルーテイジはまだまだ復興途上。さらにポールは以前よりも発展させようと考えているので満足にはほど遠い。それが焦りを生んでいるのだが、
「豊かではないのに、人々に豊かさを感じさせるのか?」
「あっ……」
「それはまやかしだ。優先する理由にはならない。復興は急がなければならないが、焦ってはいけない。上辺だけの豊かさなんて害にしかならない」
満足を求める必要はない。それを与えることは国民を騙すことであり、それが虚飾であっても満足感はその先の努力を怠らせる。グレンはそう考えている。
「……申し訳ありません」
「カイル」
「はっ」
「兵士にも暮らしがある。家族を持った者はいないのか?」
「……おります」
「その兵士は兵舎の一室で家族と暮らしていて不自由は感じていないのか?」
「……確認しておりません」
厳しい鍛錬に耐えさせるには、それが出来る環境を与えることも必要だ。大浴場などを早い段階で整備したのもこれが理由。充分な休息があってこそ厳しい鍛錬を続けられるのだ。そして休息には心の休息も必要だ。その心の休息にあたる家族との時間は快適であるべきだ。
「議論するには情報が不十分だな」
「申し訳ありません」
「こういう状況では俺も決断は出来ない。それに、まだ議論で足りない点がある。ポール、家があっても食べ物が粗末。それで人々は豊かと思うか?」
「いえ」
「カイル、兵糧がなくて軍は戦えるか?」
「戦えません」
「エドガー! アントン!」
「はい」「はい!」
グレンに名を呼ばれたのは開墾担当の二人。
「何故、開墾の重要性を主張しない! お前達二人が遠慮して困るのはこの国の全員だ!」
「「申し訳ありません!」」
一歩引いた位置で、会議を見るようになったグレン。だが、それとは逆に臣下への遠慮はなくなった。任せるからには彼等にも責任を求める。そうグレンは考えている。
「ハーバード」
そしてグレンの視線は宰相であるハーバードに向いた。
「はい」
「これを調整するのが全体を見るお前の役目だ。俺が口出す前に指摘しろ」
「申し訳ございません」
次々と叱責を受けていく参加者たち。会議室は一気に重苦しい雰囲気に包まれた。
「皆、怒られちゃったわね。仕方ないわね。いきなり全員がグレンにはなれないものね」
その雰囲気を和らげに入ったのはソフィアだ。
「別に俺になる必要はないから」
「なってもらえたら楽出来るわよ?」
「楽? それはないな。時間が空けば別のことをする。やることは山ほどあるからな」
グレンの仕事はルート王国だけにあるのではない。ゼクソン王国でもやるべきことは山ほどあるのだ。
「この仕事馬鹿。時間が空いたら私の相手でしょ?」
「相手しているだろ」
「だって夜は半分だもの。仕方ないけど」
「ばっ、馬鹿はどっちだ? それ今言うことか?」
「でも会議終わりでしょう?」
ソフィアとの会話になると途端に国王としての威厳がなくなってしまう。ソフィアが意識してそうさせているのだ。
放っておくとグレンはドンドン遠くへ行ってしまう。物理的な意味ではなく精神的にだ。偉大なる王になるのは結構だが、それでグレンが孤独になるような状況にはソフィアは決してしたくなかった。
「では明後日にもう一度。それまでに担当の状況をきちんと把握しておいてくれ」
「「「はっ!」」」
「じゃあ解散ね。次回は皆頑張ろうね」
「「「はっ!」」」
笑みを浮かべて席を立つ人たち。こういうちょっとしたことで心がほぐれるのであれば、ソフィアも会議に参加している甲斐があるというものだ。
「あっ、ゼクソンの会議をする。クレインは残ってくれ」
「はい」
会議室を出て行こうとしたクレインをグレンは呼び止めた。ゼクソン王国に関する内容はクレインとだけ相談するようにしているのだ。あくまでも別の国というグレンの拘りからだ。他の者を会議に参加させても負担が増すだけという理由もあるが。
「それとハーバードも。交易の話になる」
「分かりました」
「後はシュナイダー」
「はっ?」
ゼクソン王国に関する会議に参加しろと言われてシュナイダーは驚いている。ルート王国の会議でも役のないシュナイダーは何も発言することがないのだ。
「残れ」
「……分かりました」
グレンに名指しされた三人を除いて参加者が会議室を出て行く。最後にソフィアが出口に立つと、扉からマリアが顔を見せた。
「交替ね」
「ええ」
そう言葉を交わしてソフィアと入れ替わりでマリアが会議室に入ってくる。マリアはゼクソン王国の国王代理であるグレンの妃。それがゼクソン王国の会議に参加する資格だ。
「マリア様?」
「何かしら?」
「後ろの侍女は? ここは会議の場です」
会議室に入ってきたのはマリアだけではなかった。その後ろから侍女が一人付いてきている。
「ああ良い」
侍女の同席を咎めるハーバードをグレンは止めた。
「陛下?」
「俺が良いと言っている」
「……承知しました」
マリアの後に続いて入ってきた侍女は、ぼんやりした顔で会議室を眺めている。やがてグレンの視線に気付いたのか、慌てた様子でペコリと頭を下げた。
「……じゃあ、始めるか」
侍女はヤツが送ってきた間者だ。当然、惚けた雰囲気は演技で、会議室の周りに怪しい気配がないか探っていたのだ。グレンの見立てでは技量としてはシャドウを超えている。
「話はゼクソンの件ではない」
「と言いますと?」
「外に手を伸ばす」
「……それは時期尚早ではないでしょうか?」
つい先ほど、復興も軍の鍛錬もまだまだだと話していたばかりだ。国内がそのような状況で外に手を伸ばすことが出来るとはハーバードは思えない。
「周りが待ってくれない。それに内だけでは解決出来ない問題がそろそろ出てくる頃だ」
「……それはあり得ます」
自給自足だけでは全ては賄えない。人材もまだまだ不足している。グレンの言うとおり、遠からず今のままでは限界がやってくるのはハーバードも分かっている。
「伸ばすといってもひっそりとだ。まず外にいる帝国の旧臣を呼び戻せ」
「何と? よろしいのですか? 中には問題がある者もおります」
「それを分かった上で呼び戻す。ただし待遇ははっきりとさせておいて欲しい。爵位は勿論、官職も用意しない。庶民としての待遇だと」
「はい。ただ、それであればほとんど戻ってこないと思いますが?」
厚遇を約束しても来るかどうか怪しいところだ。ハーバードは旧臣に声をかける理由が分からなくなった。
「それも分かってのこと。戻ってくるのは心底帝国を思っている者か、悪意がある者かのどちらかだ」
「それでもあえて呼び戻す理由をお教え願えますか?」
恐らく戻ってくる者は、その悪意がある者のほうが多い。ルート王国にメリットはない。
「ゼクソンは少し綺麗になった。次はこの国だ。この国の場合はおびき寄せてから掃除する」
「……かなり危険ではないですか?」
どれだけの者たちが潜り込もうとするのか想像も付かない。その全てを防ぎきれなければ内にかなりのリスクを抱え込むことになる。
「そうだな。だがいつかは外からもっと人をいれなくてはならない。そうであれば早いほうが良い」
「……確かに」
グレンの考えがようやくハーバードにも理解出来た。確かに自分たちが散々苦労した後でルート王国を奪われるような事態は許せない。今時点でも許せないのは変わりがないが。
「もっとも注意すべきは暗殺だ。これへの対処を徹底するように。毒などもあるからな」
「はい」
「呼び寄せるのは少しずつにしてくれ。いきなり行動を起こすとは思えないが、それでも一定期間は監視する」
「分かりました」
「身辺警護も付ける。シュナイダー」
「私ですか?」
これにはシュナイダーも驚きだ。身辺警護を任せられるほどグレンに信頼されているとは思っていなかった。
もちろんこれはシュナイダーの勘違い。信頼だけでグレンが任せるはずはない。
「警護部隊を組織する。ゼクソンの兵で編成しろ。数は百だ。カイルには伝えておく」
「……分かりました」
「将来のヴィクトルの近衛たちだ。そのつもりで鍛えろ」
「何と?」
「いずれお前はゼクソンに返す。ゼクソンでのお前の役目はヴィクトルに忠義を尽くすことだ。ヴィクトルの為に働け。その時は俺も敵だからな」
「なっ!?」
「十年以上も国王代行なんてやっていたら忠誠が俺に集まってしまうかもしれないだろ? ヴィクトルが成人したら王権はヴィクトルの物だ。その後にまで俺に忠誠を向けるようでは困る。そうなってしまったら、お前は俺からゼクソンの臣や民の忠誠を引きはがすようにしなければならない。敵とはそういう意味だ」
「……はい」
これにも内心でシュナイダーは驚いている。グレンは本気でヴィクトルに王権を渡した後はゼクソン王国に関知するつもりはないと分かったからだ。
「その戻る算段をアシュラムで作る。反乱は他国の陰謀だった。その証拠を掴みたい。クレイン、動くぞ。まずはアシュラムにいる銀鷹の末端を取り込む」
「いよいよですね」
「ああ。ただ出来るのか?」
「信頼出来る者はいるのですよ。それを動かします」
「危険だが?」
末端を動かせば、その先にいる銀鷹傭兵団の中枢部にこちらの動きが知られる可能性がある。それを知って相手がただ黙って見ているはずがない。
「覚悟の上なのですよ。ただし陛下の名は使わせてもらいますよ」
「構わないが、役に立つか?」
いくら元団長の息子だとはいえ、銀鷹傭兵団の末端に自分の名が通用するとはグレンには思えない。
「セシルの息子の肩書きは」
「えっ、そっち?」
クレインが使うのは元団長の肩書きではなく、元副団長の肩書き。その理由は。
「信頼出来るのはそちらなのですよ。一言にすると防ぐ側」
「……なるほど。分かった」
クレインのその一言でグレンは納得した。母であるセシルは謀略を考え、それを黒幕側に実行させた上で、それを防いでいた。防ぐ側。それは黒幕側に与していない者たちと考えることが出来るからだ。
「もう少ししたら俺はゼクソンに行く。アシュラムの使者が来てもおかしくない頃だ。当分はアシュラムでの工作を優先させるからゼクソンにいる時間が多くなる。ハーバード、もし俺が不在であることに不安を感じる空気が広がったらすぐに連絡をくれ」
「はい」
「シュナイダー。俺がゼクソンにいる時間が多くなれば警護対象はソフィアだけになる。そこに固執するな。身辺警護と言ったが都内全てが守る対象だと考えて部隊を動かして欲しい」
「はっ」
「防御兵器、水源、他にも狙われる場所は多い。間違いであっても良い。怪しい動きがあればすぐに止めろ」
「分かりました。しかし、難しい。無実で捕えたとなれば後々問題が起きませんか?」
無実の罪で捕らえれば間違いなく批判の声が出る。それを何度も続けてしまえば、警護隊の存在自体を人々は嫌がるだろう。
「残らない。問題になったら、お前はゼクソンに追い払ったことにする」
責任は全て警護隊長であるシュナイダーに被せる。これもシュナイダーを選んだ理由の一つだ。
「……そういう立場でしたか」
「恨みを買うことを恐れる必要はない。大胆に動けるだろ?」
「はい……」
頭では理解出来る。だが感情が納得出来ていない。
「シュナイダー。お前はもっと汚れなければならない」
そのシュナイダーの心情を読み取ったグレンが助言をしてきた。
「汚れる、ですか?」
「お前は反乱を起こしたのに、それは騙されたからだと自分を正当化している」
「はい……」
「それでは駄目だ。表に出ない汚い仕事を知って、自分の手を汚して、そういう経験をして初めて自分を、周りの人を策略から守ることが出来る。その為にこの会議にも参加させた。今、俺が言った意味は分かるよな?」
「将来、ヴィクトル陛下を、ゼクソン王国を守る為」
「そうだ。汚れることを恐れるな。周りの目を恐れるな。そう成れて初めて、俺はお前に安心してヴィクトルを任せることが出来る」
ゼクソン王国には謀略家がいない。それがゼクソン王国の弱点だ。その役目をグレンはシュナイダーに求めている。相手に仕掛けることは出来なくても、相手の仕掛けを破る力は身につけて欲しいのだ。
「……はっ! 必ずや!」
「クレインは俺と同行……いや、任せる。動き易い場所で活動してくれ」
「はい」
「さて、今すり合わせることはこんなものだ。ああ、アシュラムの件はヤツに伝えておいた方が良いな」
「奴とは?」
「いいや。俺がゼクソンに行ってから詳しく話そう」
「はあ」
これで侍女からヤツに連絡が行くことになる。ヤツと奴、冗談の様なやり方だが、これでグレンはどこでその名を口にして、周りに聞かれても誤魔化すことが出来るのだ。
「くっ、くっ、くっ」
クレインの独特な笑い声が会議室に響いた。
「その笑い。久しぶりに聞いた」
「いや、すみませんね。堪えきれなくて」
「何か楽しいことあったか?」
「僕はセシルを恐れる一方で、眩しくも感じていたのですよ」
「まあ、好きだったのだから」
「いえ、それではないのですよ。陛下はこれまでずっと守る側でした。それが攻勢に回った時にどういうことになるのかと考えたら」
謀略に才能というものがあるのであれば、間違いなくグレンにはそれが、それも人よりも飛び抜けたそれがある。そうクレインは思っている。
「どうだろうな。俺にも分からない」
「楽しみですよ」
「……楽しみなのは同じだな」
「あら?」
「えっ?」
クレインとの会話に割り込んできたマリアの声。グレンは少し驚いて顔を向けると、マリアも嬉しそうにほほ笑んでいた。
「マリアも楽しみなのか?」
「違うわ。グレンが楽しみと言えることが嬉しいのよ」
「どうして?」
「整理がついたの?」
母の謀略。グレンがそれを悩み、恨んでいたことをマリアは知っている。そのグレンが謀略の類いを仕掛けることを楽しみと言った。それをマリアは嬉しく思っているのだ。
「ああ、そういうことか。整理というか、どんな人間でも母親は母親かなって」
母親が閉じ込められていた建物で見つけた日記。それを読んで、生まれる前から母は自分を愛していたと知った。それが本当の愛情といえるかは微妙だが、母の愛情としてグレンは感じることが出来たのだ。
「……よく分からないけど、私も母親になれば分かるかしら?」
「マリアまで……どうして俺の奥さんは皆、積極的なのだろう?」
「それは夫がグレンだからだと思うわ」
「俺のせい?」
「違うわ。私たち全員がグレンを深く愛しているのよ」
「…………」
母を亡くしても自分には自分を愛してくれる人たちがいる。これも素直に心の中で受け取ることが出来るようになった。自分の中で何かが変わった。それをグレンは感じていた。
「ふふっ。シスコン勇者のハーレムね」
「違うから」