月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #106 初めて知る想い

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 グレンにとっての最大の問題は自分の体が一つしか無いこと。夜の話ではない。ルート王国とゼクソン王国の二つの国政をみるということが、かなり難しくなっている。どちらも安定には程遠い状況。やらなければならない事柄は山程あるのだ。
 ゼクソン王都を離れて一ヶ月近く。移動しながらも様々な報告を聞き、指示を出していく。そんな忙しい行程を終えて、ようやくグレンはルート王国に戻った。

「ちょっと大丈夫?」

 グレンを迎えたソフィアの第一声がこれだ。それだけ疲労の色がグレンの顔には表れていた。

「俺はまだ平気。それよりもマリアに無理させた」

「私も大丈夫よ」

 ルート王国にはマリアも同行している。一度はルート王国を見ておきたいということで付いてきたのだ。もともと移動に慣れていない上に、かなりの強行軍で移動してきたので口では大丈夫と言っていても、かなり疲弊した様子だ。

「マリア? メアリー王女殿下ではないの?」

 ソフィアがマリアと会うのはこれが初めて。改名も聞かされていなかったので別人かと驚いている。

「あっ、挨拶がまだでしたわ。初めまして、ソフィア様。私はマリアと名乗ることに致しました。メアリーのゼクソン風の読み方ですわ」

「そうなの? それは良いことね……何だかウェヌスの王女だった方にそんな挨拶されると恥ずかしいわね」

 大国ウェヌスの王女であったマリアに畏まった態度を向けられると、立場上はそうすることが礼儀なのだと分かっていてもソフィアは気恥ずかしさを感じてしまう。

「正妃はソフィア様ですわ。序列を乱すような態度は側妃として許されません」

「……そうだけど。色々と教えてくださいね。私は王族としての振る舞いを知らないの」

「ええ。お役に立てるのであれば、喜んでお手伝い致しますわ」

「やっぱ違うわね。学ぶところが一杯ありそう」

 ソフィアに対して下手に出ていても卑屈なところは微塵も感じられない。マリアには自然と滲み出てくる気品というものがある。ソフィアにとっては羨ましいことだ。

「そんなことはありませんわ。私も普段はもう少しくだけた態度を見せますわ」

「じゃあ、もうそうして。疲れているわよね。まずは休んだ方が良いわよ」

「ええ。お言葉に甘えさせてもらうわ。グレンは?」

「俺は打ち合わせを済ませてからにする。マリアはゆっくりしていてくれ」

「でも……」

 自分一人だけ休むことにマリアは抵抗がある。ゼクソン王国からの移動で疲労困憊のマリアではあるが、グレンはその移動の中でも寝る間を削って仕事をしていたのだ。

「明日から忙しくなる。見るところは多く、会う人も大勢いる。俺も会議が終わったら休むから」

「……分かったわ。グレンも無理しないで」

「ああ」

「じゃあ、部屋に案内するわ」

「ああ、それは私が致します。ソフィア様も会議に出られるのでしょう?」

 マリアを部屋に案内しようとするソフィアを止めたのはブレンダン・ロータス。執事と名乗っていた彼はそのまま執事だ。彼の立場として、王妃に客人の案内をさせるわけにはいかない。

「そうね。じゃあ、お願いするわ」

「ではマリア様。こちらでございます」

「ありがとう」

 ブレンダンの案内でマリアは部屋を出て行った。

「少し安心した。ちゃんとメアリー王女と夫婦してるのね」

「…………」

 発言の意図が分からないグレンはソフィアに探るような目を向けたまま、黙り込んでしまった。

「嫌味じゃないから。ヤキモチでもないわよ。ちょっとヤキモチか。二人お似合いだった」

「そういうこと言うか?」

「安心したって言ったのよ。ちゃんと全て話したのよね?」

「ああ、まあ」

 グレンの母の策略が戦争を起こし、多くの犠牲を生み出した。その犠牲者の多くはウェヌス王国の兵士たちだ。ウェヌス王国の王女であったマリアがそれを知ってどう感じるか。ソフィアも不安だったのだ。

「それであれだから安心」

「そういうことか。詳しい話は後でしよう。まずは会議を終わらせる」

「グレンも少し休んだら? 会議の時間をずらせばいいだけじゃない」

「そういうわけにはいかない。ここでの仕事を終えたら、すぐにゼクソンに戻らないと」

 ゼクソン王国でもやり残したことは山ほどある。何をするべきかはっきりとしているルート王国よりも遙かに多い。

「でも」

「正直、体が二つ欲しいくらいだ。でも俺がやらないと」

「グレン?」

「さあ、行くか」

「……ええ」

 マリアについては安心したソフィアであったが、それとは別の心配が心に湧いてきた。その思い胸に抱きながら、ソフィアがグレンの後を追って会議室に向かった。

 

◆◆◆

 会議室には重臣たちがすでに集まっていた。帰国したグレンが真っ先に会議を開くことを皆、知っているのだ。いつもの様に現状の報告から始まる。次々と説明される報告を聞いては、グレンは必要な指示を出していく。それがひと通り、終わったところで、グレンから新たな議題が提示された。

「ゼクソンに続く街道の整備を急ぐ、ですか」

 グレンの指示をポールは難しい顔をして繰り返した。少し考えただけで割と大変な作業だと分かったのだ。

「往復の時間が惜しい。距離で言えば山中の方が早いからな。ただ馬を全力で駆けさせられる場所が少ない。それを何とかしたい」

 元は馬車も通れるような道だったはずだが、何十年も整備などされていなくて荒れ放題になっている。それを整備しようというのだ。

「確かに移動期間はかなり短縮出来ると思います。ただ、かなり遠方での作業となりますが?」

 ゼクソン王国の王都まで続く街道だ。ルート王国から作業員を出すとなると、何日も泊まり込みで作業することになってしまう。

「一気にやるか、交替でやるか。早く終わらせるのであれば一気だな」

「それでも資材を運んだりするとなると、かなりの期間が必要です」

 強行しても三週間はかかる距離。それだけの距離を、資材を、それも徒歩で運ぶとなれば、どれだけの期間が必要になるか。

「……多くの兵士を送り出せばここが空になるか。さすがにそれは不味いな。馬が一騎駆けられる程度であれば?」

「見積もってみないと分かりません。ただ、かなり期間は短くなるのは確かです」

 馬が一騎駆けられるだけであれば街道を大きく広げる必要はない。今の幅のまま穴を塞ぐなどの整地を行えばいいだけだ。

「では、そうするか。すぐに手配を」

「駄目よ!」

「えっ?」

 話がまとまったと思ったところでソフィアが大声をあげてきた。

「グレン、君は何を考えているの?」

「何ってゼクソンと行き来する時間を短くしようと」

「馬が一騎駆けられれば良いって、一人で行ったり来たりするつもり?」

「その方が速い」

 単純に移動の速さだけであればグレンの言うとおり一騎駆けのほうが速いだろう。だがソフィアは効率のことを話しているのではない。

「何かあったら、どうするの?」

「はっ? 何もない。何度も使った道だ。危険がないのは分かっている」

「どこで休むのよ? 村も何もない道よね?」

「それは盗賊が使うような裏街道だから」

「……もう一度言うわよ。君は何を考えているの?」

「ソフィア、何を言っている?」

 グレンはソフィアが何を怒っているのか全く分かっていない。分からないような状態であることをソフィアは怒って、というより気に病んでいるのだ。

「まだ分からないのね。ポール!」

「えっ? はい!」

「トルーマン元帥はグレンをどう評価していたか言ってみて。正確によ」

「正確にですか……陛下の価値は誰でも出来る仕組み、方法を考えそれを教えることで軍を強くする、だったかと」

 記憶を探りながらポールはかつてトルーマン元帥が口にした言葉をなぞってみせる。

「その後は?」

「後……俊才に頼る軍ではなく凡人が……あっ」

 ソフィアが何を言いたいかポールが先に分かった。

「今のこの国はどう?」

「……陛下に頼りきった国です」

「えっ?」

 ポールの言葉にグレンが小さく驚きの声をあげる。自分で自分がやっていることに気付いていなかった証拠だ。

「グレンが王である国はそんな国で良いの? グレンの価値は今のグレンの姿では無いわよね?」

「俺は……」

「この国だけでなくゼクソンもある。それ以外にも考えなければいけないことはある。それは分かっているわよ。でもグレン、君はそれを全て一人でやるつもりなの? 君がいなくなったらそれはどうなるの?」

「…………」

「今日の会議は終わり。グレンは仕事禁止。そして皆は……皆も考えて。グレンを王に頂く国はどうあるべきかを」

「「「はっ!」」」

 それぞれが思いを抱えて会議室を出て行く。どの顔も明るいものではない。ソフィアはグレンのやり方に文句を言ったがそれは自分たちの責任でもあるのだ。グレンに頼りきっていた自分たちを恥じないわけにはいかない。

「私の役割が一つ分かった。君に反対することよ。私は妻として、君が間違っていると思ったらそれを正さなければいけないのよ」

「ソフィア……」

 本当はこれも臣下の誰かの役割だ。だがグレンに育てられ、グレンの能力に圧倒され、グレンに憧れを抱いて仕えている者たちばかりの臣下の中には今はまだそれが出来る人物がいない。彼らにはまだグレンに異を唱えられるだけの自信がないのだ。

「さっき言った通り、仕事は禁止。頭の中で考えるのも駄目よ。一度、頭を空っぽにしてみて」

「……分かった」

 

◆◆◆

 ソフィアの言うとおり、仕事を休むことにしたグレン。だが部屋にいても、どうしても仕事のことを考えてしまう。誰かと話をしようにも疲れているマリアは休ませてあげたい。他の者は仕事で忙しい。話し相手がいなかった。
 仕方なくグレンは都内を歩き回ることにした。これが以外に楽しい。考えてみれば目的もなく街を歩くのは初めてのこと。仕事に関係なく目にする街の風景はどれも新鮮だった。ルーテイジはまだ復興途上。作りかけの建物ばかりだが、それでも都内は活気に満ちている。
 すれ違う住民たちと挨拶をかわしながら街を歩くグレンの目に、遊んでいる子供たちの姿が映った。そして耳に届く赤子の泣き声。それに引き寄せられてグレンは泣き声のする方向に歩を進めた。

「王様! 戻られたのですね?」

 グレンの姿を目にした母親が嬉しそうに声をかけてきた。

「今日戻った」

「相変わらず忙しいことで。体には気を付けてくださいよ」

 国王であるグレンに対して住民たちは気安い態度で接してくる。建国以来ずっとグレンのほうが気を使ってきた結果だ。

「分かってる。でも、やることは沢山あるからな」

「駄目ですよ。王様に何かあったら私達はどうすれば良いのですか?」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど」

 自分に何かあったら。今はこの言葉を素直に喜ぶことは出来なかった。自分がいなくても問題ない国にしなければならないとソフィアが思い出させてくれた今は。

「……何かありましたか?」

「ソフィアに怒られた。自分一人で何でも背負い過ぎだって」

「ほら。ソフィア様だって心配してるじゃないですか」

「……俺の価値って何だと思う?」

 国政に関わる組織作りについてはソフィアの言うとおりだ。だが国民にとって国王である自分の価値は何なのかグレンは分からなくなった。

「はい? そんな難しいこと聞かれてもねえ」

「じゃあ、何をしてもらいたい?」

「……そうですね。この子が大きくなるまで元気でいて欲しいですね」

「えっ……?」

 女性の答えはグレンの予想の外にあった。国民の生活を良くするための何か。答えはそういうものだとグレンは思っていた。

「王様が私達のことを考えて、一生懸命なのは皆知っていますよ。でもね、私達は今の国でも十分満足です。こうして子供が生まれて、この子の未来を夢見ることが出来る。それだけで幸せですよ」

「子供の未来……」

 母親が望むのは今現在の何かではなく、将来への期待。それが母親の愛というものなのか。グレンには分からない。

「私達とソフィア様の気持ちは同じです。王様がいてくれるだけで嬉しいのです」

「…………」

 分かったのはどうやら自分は自分が思っている以上に国民に愛されているということ。自分がそんな王であったことが驚きだった。

「王様?」

「……ありがとう」

「……はい。こちらこそ」

 照れた様子で礼を口にするグレンに、母親は暖かい笑みを浮かべている。

「じゃあ、又」

「あっ、ええ」

 急いでその場を離れるグレン。堪え切れない涙を見られたくなかった。いてくれるだけで嬉しい。その言葉がグレンの胸にしみる。
 王になった。王として相応しくあろうと思った。でも自分は既に王として認められていた。そう思えたのはグレンにとって初めてのことだった。
 少し気持ちが楽になって、足取りも軽くなった。都内のあちこちを見て回る。どこでも人々は忙しく働いている。自分たちで自分の国を良くしようとしている。それを目で見て、実感して、また嬉しくなった。初めて自分の国を知った気持ちになった。
 散々に歩き回って辿り着いたのは街のはずれ。整地中のその場所にポツリと建つ屋敷が一軒あった。

「……何で?」

 何故、その建物だけ残されているのか、気になって近くで作業していた兵士に理由を尋ねる。

「えっ? あの建物の取り壊しは陛下のご判断が必要だと聞いておりますが」

「俺の?」

 そんな判断を求められた記憶はグレンにはない。

「はい。ご存知ないのですか?」

「今日戻ったばかりだからな。理由は聞いているか?」

「詳しくは。ただ曰くつきの建物らしいです。これは元からいた住民に聞きました」

「曰く付き?」

「魔女の館と呼ばれているそうです。なんだか不気味な呼び名ですよね」

「……そういうことか。分かった。ありがとう」

 魔女の館という言葉を聞いた瞬間に、グレンにはその意味が分かった。兵に礼を告げると、グレンはその建物に向かった。

 建物の窓は全て覆いがされていて、日の光はその隙間からわずかに入るだけ。薄暗い建物の中をグレンは歩いていた。建物の中はかなり散らかっている。放置されていたことが理由とは思えない。人手によって為された散らかり方だった。床には多くの紙が散らばっている。書物の数も少なくない。だがどれも特別な意味がありそうなものではない。

「何も残ってないか……」

 一番奥の部屋までたどり着いたところでグレンは独り言を呟いた。部屋にあるのは薄汚れたベッドとタンスが一つ。床にはタンスから引き出された衣服が散らばっている。
 魔女の館。そう呼ばれるとしたら母親が閉じ込められていた建物に違いない。そう思って何かないかと探してみたが、気になるものは何もなかった。
 ただ床に散らばっている紙に書かれている文字は、間違いなく母のものだと分かっただけだ。

「ここにずっとか……それはおかしくもなるな」

 この場所はグレンが思っていたよりも遙かに酷い環境だった。人目に付かせたくない。窓を板で覆っているのはその為だと分かる。人目にもつかないが中からも外の様子は見えない。世間から隔離されたこの場所で、ずっと一人で過ごしていた母親の苦悩を思うとグレンは胸が痛くなった。

「狂っていたのは祖父だな」

 そう呟いたグレンの心は母親を苦しめた祖父への怒りに染まっていた。その怒りをそのまま窓を覆っていた板に向ける。叩きつけられたグレンの拳によって板は吹き飛ばされ、陽の光が窓から注いでくる。

「……慰めにもならないか」

 そしてまた独り言をつぶやく。すでに母がいない部屋に陽の光を入れて何になる、そんな思いだった。
 そのまま後ろを振り返り部屋を出ようとしたグレン。だが、すぐにその足は止まることになった。陽の光に照らされた床に描かれた魔導術式。グレンの足を止めたのはそれだ。

「……血? それにこれは」

 床に描かれた小さな魔導術式の円。所々かすれているが、それはグレンの知る術式だった。何度か試しても結局、何も発動する事なく諦めた魔導術式だ。
 腰の剣を抜いて意識を集中させる。久しぶりに行うその行為に少しグレンの気持ちに怯えが走る。何が起こるか分からない。それを試すのは恐いものだ。
 宙に展開された魔導術式が光を帯びて床のそれと重なっていく。光が消えた後には――小さな穴が空いていた。

「そういうことか」

 魔導術式はこの穴を開ける為の鍵。これがウェヌス王国によって開けられなかったのは、特定の人物にしか開けられないようになっていたからだ。血の繋がり、それがもう一つの鍵であろうとグレンは判断した。それとともにこんな魔導を作り上げた母親にグレンは感心してしまう。
 穴を覗いてみれば本が一冊置いてあった。何が書かれているのか。それを開くグレンの手がわずかに震える。母親がここまでして隠したものなのだ。だがそれは、グレンが思っていた物とは全く異なっていた。それでも、グレンはその本から目が離せなくなる。見覚えのある母の筆跡。内容は日記だった。
 その日記にはこの場所に閉じ込められていた母親の苦悩が、世の中への恨みが書かれていた。この場所で母親が何を感じていたのか良く分かる。それを読み進めるうちにグレンの気持ちは徐々に暗く沈んでいく。
 先に進むにつれて、その内容は世の中への怨嗟に満ちたものになっていったからだ。

 ――どれくらいの時間が経ったのか。窓から射し込む陽の光が橙色に変わる頃、グレンの両目からは涙が溢れていた。最後の頁に書かれた一文によって。

『まだ芽生えてもいない私の子。誰の子か、生まれるかどうかも分からない私の子。どうかお願い。私のようにはならないで。貴方の人生が暖かな愛に包まれたものであることを、私は願っています――』